フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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タグ:マヌエル2世 ( 7 ) タグの人気記事

ポルトガル国王のパリ訪問

1909年11月27日(土)

若きポルトガル国王マヌエル2世は、11月27日ダンケルク港に到着した。今回の訪問は「半ばお忍び」(en demi incognito)ということで、パリではブリストル・ホテルに投宿し、市内での移動や散策は従って儀典長や衛兵隊なしの自動車でおこなわれた。マヌエル王は20歳、フランスのオルレアン家出身の母親の前王妃アメリーによく似ており、競馬場や劇場などの出先では、群衆は高貴でかつ好感の持てる若き王を歓迎し、王母アメリー妃の名前を交えながらの歓呼に快く応えた。ポルトガルの外相ボカージュ氏は、26日に外相ピション氏と会談を実施した。f0028703_144091.jpg

マヌエル国王は3度観劇に赴いた。オペラ座の歌劇「ファウスト」(Faust)、コメディ・フランセーズ座の「愛は眠らずに」(L’Amour veille)そしてオペラ・コミック座の歌劇「マノン」(Manon)である。いずれにおいても熱烈な歓迎を受け、拍手喝采を浴びた。王はまた、ヴェルサイユ宮殿、カルナヴァレ博物館、ルーヴル美術館、ゴブラン織美術館、労働者団地などを訪ねた。ファリエール大統領は夕食会を催し、ランブイエでは狩猟に招き、若い王は機転の利いた巧みな狩の腕前を披露した。(→)右掲の写真はオートゥイユ競馬場にて。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #563440 « Le Petit Parisien » No.12084, le 29 Nov. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059976 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.50; le 11 Déc. 1909

f0028703_14402986.jpg[ Ψ 蛇足 ]
はじめての外遊でポルトガルのマヌエル2世は、スペイン、英国、フランスを歴訪した。最後にパリを「半ばお忍び」(en demi incognito)という形で訪問したのは、公式行事で身動きがとれずに行きたいところや見たいところが制約されるのをきらってのことと思われる。(←)左掲はパリのルーヴルに隣接する「装飾美術館」(Musée des Arts décoratifs)の見学を終えて車に乗るマヌエル国王の姿である。
英国王エドワード7世もオペラや演劇を楽しむために「お忍び」でパリを何度も訪れていた。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)若きポルトガル国王の初めての外遊(1909.11.07)
(2)コメディ=フランセーズの「愛は眠らずに」の大成功(1907.09.30)
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by utsushihara | 2009-11-27 14:37 | 各国事情1909-10

若きポルトガル国王の初めての外遊

1909年11月7日(日)f0028703_21481635.jpg

マヌエル2世は11月に即位後初めてとなる公式の各国訪問の旅に出発した。国王は11月7日リスボンを発ち、まずマドリッドを訪れ、5日間アルフォンソ13世の歓待を受けた。警察機関の厳戒態勢がとられた。王は続いてフランスに渡り、ボルドーの訪問後、シェルブールから英国へ向かった。ウィンザー城には14日に到着し、国王エドワード7世のもてなしを受けた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059975 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.47; 20 Nov. 1909

*参考サイト:Wikipedia(和文)マヌエル2世 (ポルトガル王)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位 (1908.02.08)
(2)ポルトにおけるマヌエル国王(1908.11.27)
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by utsushihara | 2009-11-07 21:43 | 各国事情1909-10

ポルトにおけるマヌエル国王

f0028703_15231594.jpg1908年11月27日(金)

ポルトガル国王のマヌエル2世に対する民衆の人気はかなり高まっている。首都リスボンに次ぐ主要都市ポルトへの訪問のあいだ、群衆はその関心の高さと熱気とを歓迎行事で顕わにした。
マヌエル国王は27日ポルト近郊ヴィゼラの町にあるこの地方の主要産業である製糸工場を訪れた。一行は総勢30台の自動車を連ねた。工場の正面広場では、フランスにも最も富裕な実業家として知られるヴィゼラ伯爵が幹部たちとともに出迎えた。この工場の技師たちはフランス人も多く加わっている。見学のあとは、美しく飾りつけられた大広間で盛大な晩餐会が催された。王室関係者の他にはポルトの司教やリスボンとポルトの産業協議会の役員たちが加わり、ヴィゼラ伯爵の乾杯の発声に終始親密な雰囲気で進められた。
国王の出発は夜遅くになったものの、8千人を超える工場労働者と着飾った町民たちが歓呼の声をあげ、讃歌を歌って国王を見送った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288288 « Le Figaro » le 28 Nov. 1908

f0028703_1524124.jpg[ Ψ 蛇足 ]
1908年2月の先王カルロス1世と王太子に対する銃撃によって急遽新国王となったマヌエル2世は即位後約10ヶ月が経過し、国情も安定を見せてきた。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位 (1908.02.08)
(2)ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される(1908.02.01)
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by utsushihara | 2008-11-26 15:20 | 各国事情1907-08

マヌエル2世の海軍士官学校訪問

f0028703_22105146.jpg
1908年6月

ポルトガルの若きマヌエル2世の最初の公式行事の一つは海軍士官学校への訪問だった。上掲は出迎えた士官全員と一緒に写真に納まったものである。
一方、議会では新王の施政演説に対する回答書案を上院で賛成98、反対17、そのあと下院で賛成101、反対17で採択した。同時に内閣を信任する2つの動議について投票をおこなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
2月に先王と皇太子が暗殺されるという悲劇のあと、若い国王が即位してようやく国政が安定してきたところである。

**これまでの関連記事france100.exblog:ポルトガルの総選挙 (1908.04.05)
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by utsushihara | 2008-06-26 22:08 | 各国事情1907-08

ポルトガルの総選挙

f0028703_12335957.jpg1908年4月5日(日)

ポルトガル国会議員の選挙は4月5日に実施された。画像(→)は投票を終えて投票所を出るフェレイラ提督である。あちこちの選挙区では抗議行動や暴力沙汰が発生した。リスボンでは軍隊が群衆に向けて発砲し、犠牲者が出た。選挙の結果は実質的に王権専制主義的なものとなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.40; Mai, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
2ヶ月前に起きた国王と皇太子の暗殺以後、新国王マヌエル2世が即位し、フェレイラ提督が内閣首班となって再出発した直後の総選挙である。革命が起きたわけではなかったので、これまでの専制王政の体制が(多少柔軟になったとはいえ)基本的には変わらなかったことを示している。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位(1908.02.08)
(2)ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される(1908.02.01)
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by utsushihara | 2008-04-05 12:32 | 各国事情1907-08

ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位

f0028703_1638944.jpg1908年2月8日(土)

2月1日に暗殺されたカルロス1世とルイス=フィリポ王太子の葬儀は、2月8日リスボンのおびただしい群衆と欧州各国からの参列者を前に執り行なわれた。
王位を継いだのは王の次男マヌエル王子である。1889年11月生まれで18歳になったばかりであった。彼の統治はすべての政党各派との和解による一連の施策で好感をもって受け入れられた。各派の代表者は襲撃事件の翌日から新王のもとを訪ね、王政を支える旨の誓言を明らかにした。王はこれまでのフランコ内閣の総辞職を含め、彼らの提言を受け入れた。そしてフェレイラ・デ・アマラル提督を首班とする新たな統合内閣を発足させた。反逆罪で投獄された船員たちや政治犯はすべて釈放された。発禁処分の新聞も再び発行できるようになった。
若い君主は、この国を刷新し、新たな繁栄へと導くための大いなる熱意を指し示している。
f0028703_16383256.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908
出典Crédit avec l’illustration:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.13 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
マヌエル2世(Manuel II, 1889-1932)は財政破綻状態に陥ったポルトガルを穏健な統治で復興しようと試みたが、この2年後1910年に革命が起き、英国に亡命し、ポルトガルは以後共和制となる。

*参考サイト:Wikipedia(和文)マヌエル2世(ポルトガル王)
**これまでの関連記事france100.exblog:ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位 (1908.02.08)
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by utsushihara | 2008-02-08 16:37 | 各国事情1907-08

ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される

f0028703_16223655.jpg1908年2月1日(土)

2月1日の夜、おぞましいニュースがポルトガルから報じられた。国王のカルロス1世とその長男のブラガンス公ルイス=フィリポ王太子が暴徒の銃撃によって暗殺されたのである。
ここ数日間リスボンでは政府転覆の不穏な動きに神経を尖らせており、フランコ首相は共和派の政治指導者2名を逮捕しており、1月28日から29日にかけて大規模なデモや衝突が起きていた。
午後5時過ぎ、国王一家は静養先のヴィラヴィソーザから列車とフェリーでリスボンに戻り、馬車で王宮に向かうところであったが、コメルス広場の角を曲がるところで数人の男たちが一斉に馬車に銃撃を加えた。警備の兵士と警官隊は直ちに応戦したが、現場の恐慌は極限に達した。
国王の馬車は猛スピードで近くの海軍兵器庫の建物に駆け込んだ。馬車には国王カルロス1世、王妃アメリー、王太子のルイス、第2王子のマヌエルが乗っていた。国王は即死だった。王太子は5分後に死んだ。次男のマヌエル王子は右腕を負傷した。アメリー王妃は銃撃の際、勇敢にも身を乗り出してルイス王子をかばおうとしたが、銃弾は彼女に当たらなかった。f0028703_1621548.jpg
兵器庫の医師団が駆けつけ、国王と王太子はマットレスの上に横たえられた。国王は鼻と口からおびただしい出血があった。2発の銃弾が命中しており、右肩甲骨の内部と脊椎に留まっていた。王太子は右頬から鼻に銃弾が貫通し、もう1発は胸骨から肺を貫通していた。
午後7時にアメリー王妃と傷の手当を受けたマヌエル王子が兵器庫を離れ、ネセシダード王宮に入った。午後9時頃、国王と王太子の遺骸が騎馬隊に守られて王宮に運び込まれた。その夜のうちにアメリー王妃は王族や政府要人の弔問を受け、その後フランコ首相との長い打合せを行ない、それから彼女は2つの遺骸のもとで独り長く悲しい夜を過ごした。
*参考画像:©Centans.free.fr; Le Petit Journal, supplément illustré, Dimanche 16 février, 1908
L’Attentat de Lisbonne(2人の死を悼むアメリー王妃)プチ・ジュルナル表紙

弑逆者たちは警護の兵士たちに殺害されたのが3人、そのうちの1人は元第7騎兵連隊の軍曹だったマヌエル・ブイカという30歳の男で現在は私立学校の教員だった。逃走した他の犯人たちのうちかなりの数は逮捕された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287986 « Le Figaro » le 2 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908
出典Crédit avec l’illustration:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.13 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
カルロス1世(Carlos I, 1863-1908)の王妃アメリー(Amélie 1865-1951)はフランスのオルレアン王家のルイ=フィリップの孫にあたる。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(和文)カルルシュ1世(ポルトガル王)
(2)Wikipedia(和文)アメリー・ドルレアン
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by utsushihara | 2008-02-01 16:18 | 各国事情1907-08