フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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パリでフェレーの銃殺に抗議する大規模なデモ行進

1909年10月17日(日)
f0028703_20552071.jpg
フェレーの銃殺に対する新たな抗議の意思表示のため、社会主義的な新聞社等が呼びかけ、17日午後に行なわれた大規模なデモ行進は約3万人まで膨れ上がったが、4日前(13日)の大混乱とはうって変わって、幸いにも流血や乱闘の騒ぎはなく、革命歌を歌うなど平穏な中での行動が目立った。
(↑)写真はスペイン大使館への襲撃に備えて17区のヴィリエ通りに幾重にも増強して設営された軍の部隊と警官隊の非常線である。

スペイン政府の社会主義的活動への弾圧に抗すべくパリで新聞活動を続けるシャルル・マラト、アルベールの両氏はモンヒックでのフェレーの処刑に抗議するため、デモ行進を組織した。これには60台の自動車も加わり、バスティーユを出発し、リュクサンブール公園やコンコルド広場の主要なパリの道路を通ってスペイン大使館前で再結集するというものであった。しかしながら最後の地点で警察の介入を受け、散会となった。

f0028703_20555471.jpg社会主義派の代議士、マルセル・サンバ、ウィルム、ヴァイヤンらは議員の式綬を掛けて行進に加わり、仲間たちへ節度ある行動をうながした。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618780 « Le Petit journal » No.17097, le 18 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738247 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.43; 23 Oct. 1909

f0028703_20562058.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(←)シャルル・マラト(Charles Malato, 1857-1938)は1905年にパリを訪問したアルフォンソ13世に対する爆弾テロの容疑者として逮捕されたことがある。

f0028703_20564591.jpgマルセル・サンバ(Marcel Sembat, 1862-1922)はパリ選出の代議士で、後年レオン・ブルム戦時内閣で閣僚となる。(→)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Charles Malato

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)バルセロナ叛乱の首謀者フェレーの銃殺(1909.10.13)
(2)スペイン国王に対する爆弾テロ(1905.05.31)無政府主義者で文筆家のシャルル・マラト(Charles Malato)を逮捕
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by utsushihara | 2009-10-16 20:54 | フランス社会政経1909-10

バルセロナ叛乱の首謀者フェレーの銃殺

1909年10月13日(水)
f0028703_2136565.jpg
先般7月、バルセロナにおいて流血の事態に陥った反政府的な暴動の首謀者として、現代学校の校長フランシスコ・フェレー(Francisco Ferrer, 1859-1909)(写真→)が逮捕されたが、バルセロナのみならずマドリッドやバレンシアでの革命運動の扇動者だとして軍事法廷に訴追されていた。彼を死刑とする判決が下されたニュースに対し、人々は国王によって刑罰が減免されるだろうと思っていた。しかしながら憲法改正の後では国王には恩赦の権限はなくなっていた。f0028703_21375063.jpg
首相のマウラはその責任を取り、フェレーは10月13日モンヒックの城砦の空堀で銃殺されたのである。その数日後、アルフォンソ国王はマウラ内閣の総辞職を認め、自由主義的なモレに新内閣を組織するよう命じた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #569215 « Le Matin »No.9361; le 14 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738247 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.43; 23 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
この日の夜のパリでは、夕刊の特別号でフェレーの銃殺を伝えるニュースが報じられるや街頭のあちこちでスペイン国王と政府・軍部に抗議する人々が集まり、約1万人規模のデモ行進や集会が行なわれた。まるでパリに革命的暴動が起きたかのような勢いであった。レーピン総監は暴徒の中にはならず者の集団が混じっていると見ていたが、警官が一人深い傷を負ったあと死亡するという事態となった。負傷者は55名。その後応援の警官隊が駆けつけ、暴徒は逃亡し、街は静けさを取り戻した。(↓)下掲は、暴徒が押し寄せた在仏スペイン大使館付近(当時)のクールセル大通りの狼藉の跡である。
f0028703_2139985.jpg

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Francisco Ferrer
**これまでの関連記事france100.exblog:バルセロナの市街戦(1909.07.26)
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by utsushihara | 2009-10-13 21:35 | 各国事情1909-10

マドリッド爆弾テロの捜査(続報)

f0028703_1511895.jpg1906年6月

マドリッド警察によるテロ犯人モラルの背後の捜査は何の新しい進展もない状況である。すでに逮捕されている人々、とりわけバルセロナ現代学校のフェレー校長と犯行直後に実行犯の逃亡を助けたナケンス氏は依然拘留中となっている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Août, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
6月初めに実行犯の発見と自殺があって以後、重要人物とされた2人の取り調べが続いている。画像はジャーナリストのホセ・ナケンス(José Nakens, 1841-1926)。
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by utsushihara | 2006-06-21 15:01 | 各国事情1905-06

爆弾テロの犯人見つかる

f0028703_21401293.jpg1906年6月3日(日)

アルフォンソ国王に対する爆弾テロ事件の捜査の結果、実行犯は5月21日バルセロナからやってきたマテオ・モラルという無政府主義者、27歳と判明した。
実際この男は6月3日マドリッドから20km離れたトーレホネの駅の近くで警察官から挙動不審で見止められ、分署までついて来るように命じられた。男は最初つき従うようなそぶりを見せたが、やにわに銃を発砲してその警官を殺し、次いで自殺した。
警察当局は、同じ3日、バルセロナの現代学校の校長フェレー氏を無政府主義者に同調した容疑で逮捕した。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.18; Juillet, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
画像は6日にマドリッドの死体保管所の職員たちによってカメラの前に引き起こされた無政府主義者モラルの遺骸である。
また捜査の続きを述べれば、「エル・モリン」という共和派の新聞社主ナケンス氏が逮捕された。彼は、テロの当日、モラルから身を隠す場所の提供を頼まれ、彼自身も逃亡を手助けすることが栄誉ある行為であると考えたことを公表したことによる。
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by utsushihara | 2006-06-03 03:38 | 各国事情1905-06