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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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踊り子の伝説の星ジュリア・シュブラ死去

1908年8月22日(土)

比類なきバレリーナであり、わが音楽アカデミーの栄光であったジュリア・シュブラ嬢は、昨日(8月22日)リュィユで亡くなった。50歳であった。星のまたたきが消える早朝のことであった。この稀にみる才能の美しい踊り手の魅力あふれる成功の数々を思い出さずにはいられない。
シュブラ嬢は1858年にパリに生まれ、16歳でオペラ座の初舞台を飾り、たちまち評価を高め、『コッペリア』、『二羽の鳩』、『ル・シッド』、『祖国』、『モンソローの貴婦人』、など数多くの作品で頻繁に踊り、文字通りオペラ座のフランスの星(étoile française de la danse)であった。
シュブラ嬢は最も繊細かつ完璧なプロの踊り手であったと同時に優美な品位を兼ね備えた芸術家であった。彼女が舞台に登場するとき、微笑を浮かべ、口を小さく開き、きれいな歯をのぞかせたまま、両肩を露わに両腕を伸ばして、自信に満ちた動きで踊る姿は、朝の光に楽しげに花開くバラの花、あらゆるバラの中の最高のバラ、フランスのバラを思わせた。

踊り子の伝説の星ジュリア・シュブラ死去_f0028703_16195012.jpgシュブラ嬢はその成功の絶頂期の1902年に心身の衰えを感じたためか、突然引退を表明した。余りにも早すぎる引退であると騒がれたが、彼女の意志は固く、その後舞台に再び立つことはなかった。数ヶ月前に漠然とした噂が飛んで彼女が復帰すると取り沙汰されたことがあったが、彼女は次のように語ってそれを否定していた。「私はもう踊りたくありません。そう、私はもはや存在しないのです。誰も話を蒸し返す権利はないのです。二度死にたくはありません。」

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288178 « Le Figaro » le 10 Août, 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

(9月7日付のフィガロの記事から)
先頃亡くなった元オペラ座のバレリーナ、ジュリア・シュブラは、その遺言で仕事仲間の孤児たちのことを考慮していた。彼女は芸術家たちの孤児院に1万フランを遺贈した。不幸な芸術家の遺した孤児たちがその団欒のぬくもりを感じるやさしく思いやりのある善行がシュブラの思い出に加えられることだろう。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288206 « Le Figaro » le 7 Sep. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ジュリア・シュブラ(Julia Subra, 1858-1908)も伝説のエトワールの一人であった。活躍した時代は19世紀末期の25年間であったが、参考画像(↑)からすると現代の美人バレリーナの基準とは合致しないものの、ドガの描いた一連の「踊り子」の絵の中にいたに違いないと思えば不思議と納得できる。

*参考サイト:Wikimedia Commons; Category:Ballet in art
by utsushihara | 2008-08-22 16:10 | オペラ、音楽、演劇1907-08