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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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日本の議事堂建設のための訪欧調査団

1908年7月22日(水)

日本の貴族院書記官長、太田峰三郎氏は数週間前からパリに滞在している。彼はここで東京の宮廷建築家たちを伴った衆議院書記官長の林田亀太郎氏の到着を待っているのである。
この二人の日本政府高官は欧州に来て、我方の国会の機能と、とりわけ議事堂の中に収容される設備について研究しようとしている。そのため太田氏はパリに入る前にすでに英国の議事堂を訪れており、仲間の到着の前にここ数日はブルボン宮とリュクサンブール宮を長い時間をかけて見学している。
彼らの出張と調査の目的は、日本の議会の本拠地として、東京にある仮の議事堂に代わる恒久的な殿堂を遅滞なく建てたいと望む日本の皇帝の要請による設計図の準備であった。この仮の議事堂は10年ほど前に一度火災により焼失したあと建てられたものである。
日本の議事堂建設のための訪欧調査団_f0028703_23115246.jpg

太田氏はすでにブルボン宮とリュクサンブール宮で、少なくとも我が議会の基盤工事の石材の点でいくつかの有用な調査書を作成した。彼はまた国会の機能に関し、立法や議事の進行のために引き出された特権について何か着想を得られないかと調べるに違いない。それは彼の旅行の大きな収穫になると思われる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288159 « Le Figaro » le 22 Juil, 1908
画像 Crédit d’image : ©Kazyusa; le Palais Bourbon, 1993

[ Ψ 蛇足 ]
明治時代における日本の国会議事堂建設に向けての一過程を示す珍しい新聞記事である。貴族院書記官長の太田峰三郎と衆議院書記官長の林田亀太郎については、詳細な経歴がネット上にはなかった。二人とも長期にわたって書記官長を務めたらしい。彼らがそろって欧州に調査旅行をしたのも本格的な国会議事堂の建設を推進するためであった。
現在の立派な国会議事堂が1936年(昭和11年)に竣工となるまで、あと28年の月日を待たねばならない。
(↑)画像はパリにあるブルボン宮(国民議会 Assemblée nationale)

*参考サイト:Wikipedia(和文)国会議事堂
by utsushihara | 2008-07-22 23:10 | 日本・東洋事情1907-08