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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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気球《ワルハラ》号の飛行

1908年6月9日(火)

すでに14回の気球飛行の記録を持つムーア=ブラバゾン嬢は、昨日(9日)フランス飛行クラブの基地から《ワルハラ》号に乗って飛び立った。これには4人の熟練した飛行家が乗込んで操縦した。レディ・ハーボード(飛行94回)、ラ・ヴォー伯爵(飛行228回)、カスティヨン・ド・サン=ヴィクトール伯爵(飛行190回)そしてジョルジュ・ブランシェ氏(飛行160回)の4人である。風は穏やかで、7時間の飛行の後、午後6時にナンジスの着陸地点につつがなく降り立った。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288034 « Le Figaro » le 10 Juin, 1908
画像 Crédit d’image : ©National Portrait Gallery : Lady Kathleen Barbara Sophia Lambart (née Moore-Brabazon)
http://www.npg.org.uk/live/search/person.asp?LinkID=mp64076

気球《ワルハラ》号の飛行_f0028703_18185532.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(←)キャスリーン・ムーア=ブラバゾン(Kathleen Barbara Sophia Moore-Brabazon, 1882-19??)は英国人貴族の娘で当時はパリで暮らしていたようだ。3年後の1911年にランバート卿(Sir Gustavus Lambart)と結婚するまでこうした冒険好きの女性としてフランス飛行クラブ(Aéro Club de France)に加わっていたのだろう。弟のジョン・ムーア=ブラバゾン男爵(John Moore-Brabazon, 1st Baron Brabazon of Tara)もまた飛行機を乗りこなすスポーツマン貴族で知られるようになる。
上記の記事で先輩女性飛行家と思しきレディ・ハーボード(Lady Harbord)も英国系の人物らしいが詳細は不明。《ワルハラ》号(Walhalla)についても普通の気球の名前なのか、記録が見つからない。
フランス飛行クラブの基地はサン=クルー市の北側レ・コトー(St.Cloud-Les Coteaux)にあった。着陸したナンジス(Nangis)はフォンテーヌブローの北東ブリー地方(Brie)にある。

**これまでの関連記事france100.exblog:第1回ゴードン・ベネット杯飛行船レース(1906.09.30) この第1回の運営母体は「フランス飛行クラブ」(Aéro-Club de France)である。中心メンバーだったラ=ヴォー伯爵(Comte de la Vaulx)も参加。
by utsushihara | 2008-06-09 18:17 | スポーツ、乗物、探検1907-08