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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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通産大臣クルッピの訪英

通産大臣クルッピの訪英_f0028703_219971.jpg1908年5月7日(木)

通産大臣クルッピ氏夫妻は、今朝パリを発ち、今夕ロンドンに到着した。駅では駐英フランス大使カンボン氏をはじめ、英国で活躍するフランスの実業家ジョフレー、ペリエ、オーゼピー、デュシェ各氏が出迎えた。
大臣はカンボン氏が主宰する在英フランス商工会議所の年次晩餐会に臨んだが、そこには間もなく開会となる英仏博覧会の委員長のアルジル公爵も加わった。公爵は英国王エドワード7世の義弟にあたる方で、祝辞の中で英仏博覧会へのフランス企業の出展と文化交流の重要な意義を熱意をこめて表明した。
クルッピ氏は、フランス国民がこのロンドンで開催される英仏博覧会に大挙して訪れ、その見学のあとには英国内をめぐり、人々と直接ふれあい、その重厚な歴史や風俗とともに、自由と規律の観念や政治土壌や産業界の驚異的な労力を目の当たりにするだろうと確信している、と語った。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288083 « Le Figaro » le 8 Mai, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
百年前にはまだ英仏トンネルは開通しておらず、列車とフェリーでの移動となったが、特別列車だっただろうとは言え、すでに朝パリ発~夕ロンドン着という交通機関の発達は急速に進歩していたことがわかる。

ジャン・クルッピ(Jean Cruppi, 1855-1933)はトゥールーズ出身の代議士で、この年の1月に法相ギュヨ=デセーニュの急死に伴う内閣人事により、通産相となった。

> 文部・文化相のアリスティド・ブリアン氏が後任の法相となった。文相には通産相のドゥメルグ氏が、また通産相には新たにジャン・クルッピ氏が就任した。(下記関連記事より再録)
**これまでの関連記事france100.exblog:議場で急死した法相ギュヨ=デセーニュの葬儀(1908.01.03)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Jean Cruppi
by utsushihara | 2008-05-07 21:03 | フランス社会政経1909-10