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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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ロダン作のアンリ・ベックの胸像碑

ロダン作のアンリ・ベックの胸像碑_f0028703_17324662.jpg1908年6月1日(月)

ロダンの手になるアンリ・ベックの胸像碑が6月1日、17区ヴィリエ通りに完成した。記念演説は、デュジャルダン=ボーメツ氏、セルヴ氏、カピュ氏などによって行なわれた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288097 « Le Figaro » le 22 Mai, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 96-010562- © RMN / François Vizzavona
Titre : Buste d' Henri Becque / Auteur : Auguste Rodin (1840-1917) / Description : vers 1907 (Jardin de Meudon) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ベック(Henry Becque, 1837-1899)は19世紀後半に活躍した劇作家で、とりわけ自然主義的な4幕劇「鴉の群れ」(Les Corbeaux)と最後の喜劇「パリの女」(La Parisienne)で演劇史上に名を留めている。特に「鴉の群れ」は一家の主に先立たれた妻と娘の運命の余りにも暗澹たる展開であったため、1882年9月14日にコメディ・フランセーズ座で初演されたときには客席が騒然となったという。しかしその後その内容が新たな演劇運動の兆しとして、アンドレ・アントワーヌの「自由劇場」に取り入れられて行くことになる。

ロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)がベックの記念碑を作ることになったのは、まだ互いに売れない劇作家と彫刻家であった1885年頃、二人が知り合ったことから始まる。1908年5月22日付の「フィガロ」に掲載されたロダンへの女性記者マルセル・アダム(Marcelle Adam)のインタヴュ記事でロダンが語った中に次のような言葉がある。
「・・・ベックは頻繁に当時カルチエ・ラタンにあった私のアトリエを訪ねてきた。私たちは語り合い、互いの不運を嘆きあった。そして学生や労働者が出入りする近くの食堂でつつましい食事を一緒にしたものだ。こうして私は彼の胸像を作った。それはとても小さなもので、しゃべりながら形作ったものだ。小さな石像にすぎなかった。ベックが言った。『ねえ君、いつかこの胸像を大きくしてくれないか。大理石にしてほしいな。立派になるだろうね!』それ以来、彼は雑用にかまけて会いに来なくなった。そして死んでしまった。・・・」

ロダン作のアンリ・ベックの胸像碑_f0028703_17384914.jpgこの小石像はすでにベックに渡していたので、その行方を捜すのに時間がかかった。演劇作家界の長老であるヴィクトリアン・サルドゥを建立委員会長として、ベックの住んでいた近くのヴィリエ通りに建てられたが、ロダンの作品としてはそれほど注目されるものではなかったようだ。場所は(恐らく)デュマ像の置かれたカトルー将軍広場(Place du Général Catroux)ではないかと思う。(→)画像はムードンのアトリエで撮影されたアンリ・ベック像である。

参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Henry Becque
(2)青空文庫:岸田國士:問屋種切れ 欧洲各国の都市に擡頭した新劇運動の余波

(追加掲載:「フィガロ」1908年5月10日付記事から)
アンリ・ベックの委員会のメンバーは、明後日5月12日の午前10時にオデオン座に集まり、6月1日に予定されている記念碑の落成式と、同日夜に計画されているガラ公演の詳細を決定する。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288086 « Le Figaro » le 10 Mai, 1908
by utsushihara | 2008-06-01 17:31 | 美術、彫刻1907-08