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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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夜会の館の前で(ベルエポック事件簿)

夜会の館の前で(ベルエポック事件簿)_f0028703_13231436.jpg1908年4月8日(水)

ネタンクール=ヴォーベクール侯爵夫人は、夫君の侯爵とともに昨夜8時頃モンテーニュ通り17番地の自邸から車で出発し、マルブフ街14番地乙で催される夜会に向かった。まもなく車がその館に到着すると、門番の男が駆けつけて来て車のドアをうやうやしく開けてくれた。侯爵夫人は車から降り、車寄せの中に入ったが、ふとこの男に心付けを渡そうと思って引き返した。男の姿は消えていた。
そのすぐあとにネタンクール夫人は右手首につけていたダイヤのブレスレットがなくなっているのに気がついた。すぐに見えなくなった門番の男がそれを取ったのに違いなかった。彼女は所轄の警察のシャノ署長に被害を届け出た。金額にすると15,000フラン相当である。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288053 « Le Figaro » le 8 Avril, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
当時の1万5千フランは日本円で4千万円近くとなる。今なら個人情報保護法に抵触するが、この侯爵夫妻の住むモンテーニュ通り17番地は、シャンゼリゼ劇場の隣にあたる超高級地である。夜会のあったマルブフ街までは歩いて3分もかからない近所だが、あえて車に乗って行ってもこうした被害に遇ったのは皮肉である。
[ 教訓 ]「車寄せでうやうやしくご婦人の手を取ってくれる優しい男には気をつけましょう。」

もう一つ余談だが、当時の「フィガロ」新聞記事では、数字の表記方法が 15,000 となっている。現代のフランスでは、15.000,00 というふうに( . )ピリオドが千単位、( , )カンマが小数点として使われているので、いつからそういう表記法に変わったのだろうか?という疑問が出てきている。

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by utsushihara | 2008-04-08 13:21 | ★ベルエポック事件簿1908