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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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教会に対する財産検分

教会に対する財産検分_f0028703_18212720.jpg1906年2月1日(木)

パリでは1月31日から、「教会と国家との分離に関する法律」(1905年12月9日施行)の第3条の規定にもとづき、各教会に対して財産の実地検分が始められた。
教会財産の実地検分は政教分離法に定められており、この財産を宗務機関として設置される拝礼協会に引き渡すことを目的としている。しかしながらこの実地検分は非常に強硬な反対運動を引き起こしている。
マドレーヌ寺院、ノートル=ダム寺院、聖オーギュスタン教会、聖ロック教会などでは、実地検分によって財産目録を記載する役目の職員たちが教会擁護の抗議者たちによって手荒くあしらわれ、追い返されたりしている。

2月1日は7区の聖クロチルド寺院でパリ市の警官や警護隊が教会内に無理やり踏み入ろうとして反対者たちと激しい乱闘となった。うち17名が留置所送りとなった。

翌2月2日には7区の聖ピエール・ド・グロ=カィユー教会で抵抗がさらにエスカレートした。約100名の抗議者は立入り検分を拒否してバリケードを築き、教会内に立てこもったのである。消防隊を呼ぶ必要となり、屋根に登って教会内に放水することとなった。35人が逮捕、連行された。これまでの最初の逮捕者同様、軽犯罪の裁判において最も重い刑罰を請求され、拘留6ヶ月の判決となった。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.14; Mars, 1906
画像Crédit : Ville d’Estaire ; histoire; les inventaires

[ Ψ 蛇足 ]
inventaire(アンヴァンテール)という仏単語は一般的には棚卸、財産目録、在庫調べなどの意味を指すが、Les inventaires という複数形で、歴史的な事件、つまり1905年の政教分離法にもとづく教会財産の調査・検分という特別な意味がある。これはしばらくフランス国内で紛糾しそうな事件に発展することになる。
政教分離法は1905年を通して議会で長いこと論議されてきた末に可決・施行となったものである。詳しくはわからないが、これまで内閣には宗教大臣Ministre des cultes(政教分離法以前)という役務があった。「宗教(=カトリック)は国家なり」だったのだろうか?
by utsushihara | 2006-02-01 18:19 | フランス政治社会1905-06