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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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プッチーニによるシュトラウス論、ドビュッシー論

プッチーニによるシュトラウス論、ドビュッシー論_f0028703_1422954.jpg1908年3月3日(火)

「芸術家世界」誌(Monde artiste)の最新号に掲載された「蝶々夫人」の作曲者プッチーニ氏による「サロメ」の作曲者リヒャルト・シュトラウス氏と「ペレアスとメリザンド」の作曲者ドビュッシー氏についての意見をここに引用する:

リヒャルト・シュトラウスはワーグナーから派生した作曲家であり、バイロイトの巨匠の奥深さと霊感には残念ながら及ばない。対立した主題の濫用はしばしば単調さに陥ってしまう。しかしながら「サロメ」の第一部が天賦の才の作品であることは否めない。
ドビュッシーはもっと個性的である。彼は彼にしか持ち得ないニュアンスによる豊かな音楽表現に満たされた未発見の地平を見出した。彼の管弦楽法は実に巧みで、あらゆる不協和音を受容し、あらゆる生硬さを包み込む。
・・・しかし、そうは言っても(とマエストロは付け加える)私はイタリア人であり続けたい。メロディーの断固たる擁護者でありたい。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288016 « Le Figaro » le 3 Mars, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 00-018787- © Franck Raux
Titre : Giacomo Puccini (1858-1924), compositeur italien. Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
この時、ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858-1924)は49歳、リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss, 1864-1949)は43歳、クロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)は45歳。いずれもそれぞれの国、分野での第一線の音楽家としての地位が確立していた。インタヴューの原稿はイタリア語だっただろうが、この雑誌掲載記事はフランス語である。
和文のウィキペディアでも、ドビュッシーはプッチーニが嫌いだったと書いてあるが、プッチーニのほうは的確にドビュッシーを評価しているのがわかる。

この日は新聞(3月3日)によると、オペラ・コミック座で「蝶々夫人」(Madame Butterfly)が昼公演(マチネ)で、マルグリット・カレ(Marguerite Carré)によって歌われ、夜の公演では「ボエーム」(La Vie de Bohème)とマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」(Cavalleria rusticana)という豪華なイタリア・オペラ尽くしであった。
by utsushihara | 2008-03-03 14:20 | オペラ、音楽、演劇1907-08