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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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国立ナンシー音楽院長ギィ・ロパルツの昇格

1908年2月11日(火)

2月12日に出された官報によると、文部芸術省の2月11日付の人事異動で国立音楽院ナンシー分院長のギィ・ロパルツ氏が、国立芸術院高等教育委員会(音楽教育分科会)の委員として任命された。これはオペラ座の支配人となったアンドレ・メサジェ氏がそれまでの委員の椅子と重複することになったためである。

またロパルツ氏はナンシーにおいて、先頃43歳の若さで死去した有名なオペラ歌手ポール・ダローの未亡人のために義捐金を募る活動を行なっており、683フランを集めている。ダロー夫人のためには作曲家のレイナルド・アーン氏も「フィガロ」紙を経由して50フランを寄せている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #287995 « Le Figaro » le 11 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #287997 « Le Figaro » le 13 Fév. 1908
国立ナンシー音楽院長ギィ・ロパルツの昇格_f0028703_17554947.jpg画像 Crédit photographique:©Amazon.fr
Joseph-Guy Ropartz: Symphonies No. 2 & 5 ~ Sebastian Lang-Lessing (Chef d'orchestre), Orchestre Symphonique de Nancy (Orchestre) ; CD audio (20 avril 2006) Label: Timpani 

[ Ψ 蛇足 ]
国立ナンシー音楽院は、本当の呼称は国立音楽院ナンシー分院(L’École de musique, succursale du Conservatoire national, à Nancy)だった。呼称やステータスがどうであれ、ギィ・ロパルツ(Guy Ropartz, 1864-1955)は1894年から当地で音楽教育と作曲活動の両面で精力的に活動した。ちょうどナンシー市を中心とするアール・ヌーヴォ芸術が花開いていた頃である。国家教育機関の委員となっても、ロパルツは同じ役職を第一次大戦終了まで継続する。おりしもパリのフェミナ劇場で彼の交響曲第2番(↑CD画像)を自身の指揮で演奏する機会があったのは妙な符合である。

義捐金を募っていたバリトン歌手のポール・ダロー(Paul Daraux, 1864-1907)はトゥールーズ出身で、最初は故郷で建築美術を勉強していた。その後歌唱に天賦の才を見出し、パリ音楽院に進んだ。19世紀末には歌劇のみならず、バッハのカンタータ、受難曲、ベートーヴェンのミサ曲やフォーレのレクィエムなどで大きな成功をかち得た。欧州各地の演奏旅行のほか、フランス各地も訪れ、ナンシーでもロパルツが彼のために「詩曲」(Poème)を作っている。まだ芸術家のための年金制度も未整備だったためか、早世したこの歌手の遺族のために義捐金が呼びかけられていたと思われる。

*参考サイト: Wikipedia(和文)ギィ・ロパルツ
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ロパルツの交響曲第3番(1906.11.25)
(2)巨匠ラウル・プーニョのピアノ演奏急遽中止(1908.02.10) ロパルツの交響曲第2番をパリで演奏
by utsushihara | 2008-02-11 17:50 | オペラ、音楽、演劇1907-08