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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位

ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位_f0028703_1638944.jpg1908年2月8日(土)

2月1日に暗殺されたカルロス1世とルイス=フィリポ王太子の葬儀は、2月8日リスボンのおびただしい群衆と欧州各国からの参列者を前に執り行なわれた。
王位を継いだのは王の次男マヌエル王子である。1889年11月生まれで18歳になったばかりであった。彼の統治はすべての政党各派との和解による一連の施策で好感をもって受け入れられた。各派の代表者は襲撃事件の翌日から新王のもとを訪ね、王政を支える旨の誓言を明らかにした。王はこれまでのフランコ内閣の総辞職を含め、彼らの提言を受け入れた。そしてフェレイラ・デ・アマラル提督を首班とする新たな統合内閣を発足させた。反逆罪で投獄された船員たちや政治犯はすべて釈放された。発禁処分の新聞も再び発行できるようになった。
若い君主は、この国を刷新し、新たな繁栄へと導くための大いなる熱意を指し示している。
ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位_f0028703_16383256.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908
出典Crédit avec l’illustration:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.13 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
マヌエル2世(Manuel II, 1889-1932)は財政破綻状態に陥ったポルトガルを穏健な統治で復興しようと試みたが、この2年後1910年に革命が起き、英国に亡命し、ポルトガルは以後共和制となる。

*参考サイト:Wikipedia(和文)マヌエル2世(ポルトガル王)
**これまでの関連記事france100.exblog:ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位 (1908.02.08)
by utsushihara | 2008-02-08 16:37 | 各国事情1907-08