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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される

ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される_f0028703_16223655.jpg1908年2月1日(土)

2月1日の夜、おぞましいニュースがポルトガルから報じられた。国王のカルロス1世とその長男のブラガンス公ルイス=フィリポ王太子が暴徒の銃撃によって暗殺されたのである。
ここ数日間リスボンでは政府転覆の不穏な動きに神経を尖らせており、フランコ首相は共和派の政治指導者2名を逮捕しており、1月28日から29日にかけて大規模なデモや衝突が起きていた。
午後5時過ぎ、国王一家は静養先のヴィラヴィソーザから列車とフェリーでリスボンに戻り、馬車で王宮に向かうところであったが、コメルス広場の角を曲がるところで数人の男たちが一斉に馬車に銃撃を加えた。警備の兵士と警官隊は直ちに応戦したが、現場の恐慌は極限に達した。
国王の馬車は猛スピードで近くの海軍兵器庫の建物に駆け込んだ。馬車には国王カルロス1世、王妃アメリー、王太子のルイス、第2王子のマヌエルが乗っていた。国王は即死だった。王太子は5分後に死んだ。次男のマヌエル王子は右腕を負傷した。アメリー王妃は銃撃の際、勇敢にも身を乗り出してルイス王子をかばおうとしたが、銃弾は彼女に当たらなかった。ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される_f0028703_1621548.jpg
兵器庫の医師団が駆けつけ、国王と王太子はマットレスの上に横たえられた。国王は鼻と口からおびただしい出血があった。2発の銃弾が命中しており、右肩甲骨の内部と脊椎に留まっていた。王太子は右頬から鼻に銃弾が貫通し、もう1発は胸骨から肺を貫通していた。
午後7時にアメリー王妃と傷の手当を受けたマヌエル王子が兵器庫を離れ、ネセシダード王宮に入った。午後9時頃、国王と王太子の遺骸が騎馬隊に守られて王宮に運び込まれた。その夜のうちにアメリー王妃は王族や政府要人の弔問を受け、その後フランコ首相との長い打合せを行ない、それから彼女は2つの遺骸のもとで独り長く悲しい夜を過ごした。
*参考画像:©Centans.free.fr; Le Petit Journal, supplément illustré, Dimanche 16 février, 1908
L’Attentat de Lisbonne(2人の死を悼むアメリー王妃)プチ・ジュルナル表紙

弑逆者たちは警護の兵士たちに殺害されたのが3人、そのうちの1人は元第7騎兵連隊の軍曹だったマヌエル・ブイカという30歳の男で現在は私立学校の教員だった。逃走した他の犯人たちのうちかなりの数は逮捕された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287986 « Le Figaro » le 2 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908
出典Crédit avec l’illustration:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.13 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
カルロス1世(Carlos I, 1863-1908)の王妃アメリー(Amélie 1865-1951)はフランスのオルレアン王家のルイ=フィリップの孫にあたる。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(和文)カルルシュ1世(ポルトガル王)
(2)Wikipedia(和文)アメリー・ドルレアン
by utsushihara | 2008-02-01 16:18 | 各国事情1907-08