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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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マリー・ボナパルト公女の民事結婚式

マリー・ボナパルト公女の民事結婚式_f0028703_17371791.jpg1907年11月21日(木)

11月21日、パリ16区役所でギリシア王室のゲオルギオス王子とマリー・ボナパルト公女との民事上の結婚式が行なわれた。立会人は、花婿側が弟のニコラス王子とギリシア国王パリ全権大使のデルヤンニ閣下、花嫁側はコンスタンチン・ラジウィル公夫人と(叔母にあたる)ヴィルヌーヴ侯爵夫人ジャンヌ・ボナパルト公女であった。宗教的な婚礼の儀式はアテネで12月12日に執り行なわれる予定である。ニコラス王子・王子妃両殿下は来週初めにギリシアに戻るが、花婿のゲオルギオス殿下は来週木曜までパリに留まったあと帰国し、改めてピレウス港から御用船「アンフィトリト」に乗ってイタリアのブリンディジ港まで赴き、そこでローラン・ボナパルト公父娘を迎えてギリシアに案内することになっている。

この前日、ローラン・ボナパルト公はイエナ通りにある広壮な邸宅を開放して、娘のマリー公女とギシリアのゲオルギオス王子との婚約を祝う盛大な夜会を催した。夜の9時から午前1時まで続いた宴会に押し寄せた人々の群れで屋敷の広大さも十分ではなかった。招待状の発送は3000通以上に及んだ。

出典Crédit:BNF-Gallica #287913 « Le Figaro » le 21 Nov. 1907
出典Crédit:BNF-Gallica #287915 « Le Figaro » le 23 Nov. 1907
出典Crédit:BNF-Gallica #287918 « Le Figaro » le 26 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
民事結婚式(Mariage civil)と訳してみたが、彼らが法律上の婚姻届を出したのがこの日付である。フランスでは市役所(パリでは区役所)で二人が婚姻届にサインすることで首長から祝福される人前婚がしばしば見られる。教会での挙式はあくまでも結婚した二人が神の祝福を受けるに過ぎない、と海外挙式のパンフレット説明にもある。

上記の結婚式に関連して、ボナパルト帝家の家系について当時どうなっているのか、を解説する記事も掲載された。それを簡単にまとめると以下になるが、正統は現在ジェロームの子孫だけが保っている。

ナポレオン1世(Napoléon Ier, 1769-1821) ━━━ ローマ王ナポレオン2世(Napoléon II, 1811-1832)━ X
ナポリ/スペイン王ジョゼフ(Joseph, 1769-1844)━ 女系のみ
オランダ王ルイ━━━ ナポレオン3世 ━━━ウジェーヌ=ルイ ━ X
(Louis, 1778-1846) (Napoléon III, 1808-1873)(Eugène-Louis, 1856-1879)
ウェストファリア王ジェローム ━━━ ナポレオン=ジョゼフ━┳━ ヴィクトール=ナポレオン━ ○
(Jérôme, 1784-1860) (Napoléon-Joseph, 1822-1891) (Victor-Napoléon, 1862-1926)
                                    ┗━ ルイ=ナポレオン━ X
                                    (Louis-Napoléon, 1864-1932)
カニーノ公リュシアン━┳━ シャルル=リュシアン ━ 女系のみ
(Lucien, 1775-1840) (Charles-Lucien, 1803-1857)
              ┗━ ピエール=ナポレオン ━━━ ローラン ━━━ マリー
    (Pierre-Napoléon, 1815-1881)(Roland, 1858-1924)(Marie, 1882-1962)

**これまでの関連記事france100.exblog: モードの館で王室用婚礼衣装の展示(1907.11.07-19)
by utsushihara | 2007-11-21 17:31 | フランス政治社会1907-08