フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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英露協商の成立(三国協商の完成)

f0028703_21173691.jpg1907年8月31日(土)

1907年8月31日、セント=ペテルブルクにおいて英国ロシア間の協商条約が成立した。交渉の当事者は、ロシアの外相アレクサンドル・イズヴォルスキー伯爵と駐露英国大使アーサー・ニコルソン男爵だった。
(←)左掲の画像は英国王の使者ウェンダム大尉(Captain Wendham)がロンドンに戻ってきたところである。右手に下げた厳重に密閉された手提げ鞄の中にロシア皇帝によって署名された条約文書が入っている。
f0028703_2118586.jpg
出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.33-34; Oct-Nov 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ロシアの外相はアレクサンドル・イズヴォルスキー伯爵(Alexander Petrwich Iswolsky, 1856-1919)。
アーサー・ニコルソン(Arthur Nicolson, 1849-1928)は、1905年から1910年まで駐露英国大使を務めた。
第一次世界大戦に至る列強の対抗軸は《独墺伊の三国同盟》と《英仏露の三国協商》であると世界史の授業で学んだ。英仏露の「三国協商」(Triple entente)については、1892年の仏露同盟(Alliance Franco-Russe)と1904年の英仏協商(Entente cordiale)に続いてこの1907年の英露協商(Entente Anglo-Russe)で三角形が完成したことになる。

右掲(→)の地図は「ジュセトゥ」第34号に掲載された巻頭特集記事「世界の野望」(L’Appétit du Monde)の図版の一つで、「ロシアが欲する欧州地図」と題されている。その説明文には、「これが汎スラヴ主義(Panslavisme)の願望である。スラヴ民族の国々をすべて統合すること、クロアチアからアドリア海に到達し、セルビアとブルガリアからコンスタンチノープルを併呑し、ダータネルス海峡の航行が自由になる」、と書いている。
この特集記事にはすでにオーストリア=ハンガリー帝国の脆弱性が指摘されており、バルカン諸国が戦争の火種となると考えられていたようだ。

*参考サイト:Wikipedia(英文)Anglo-Russian Entente(英露協商)
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by utsushihara | 2007-08-31 21:15 | ロシア帝政末期1907-10