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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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オペラ「サロメ」のパリ初演

オペラ「サロメ」のパリ初演_f0028703_2153710.jpg1907年5月6日(月)

ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス氏の作曲になる「サロメ」の初演が5月6日シャトレ座で行なわれ、異例なほどの物議をかもす結果となった。ドイツの歌劇団によって歌われ、作曲者自身が指揮をとっている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907
画像 Crédit d’image : ©Photo RMN 81376 -©René-Gabriel Ojéda; Musée Gustave Moreau, Paris

[ Ψ 蛇足 ]
オスカー・ワイルドの原作にもとづくリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss, 1864-1949)の1幕オペラ「サロメ」(Salomé)は、下記の関連記事で参照できるように1905年のドレスデンでの初演のあと世界各地で上演された。1907年にはニューヨーク、ブリュッセル、そしてこのパリでも公演が続けられたが、ワイルドの原作そのものから与えられる異常な心理表現は19世紀末から20世紀初頭にかけての芸術各分野への衝撃でもあった。

オペラ「サロメ」のパリ初演_f0028703_21532885.jpg画像(←)はギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)のデッサン「踊るサロメ」(Salomé dansant)。モローはサロメをテーマとした傑作「出現」(Apparition)を完成させるまで実におびただしい数のスケッチ、デッサンを残している。また当時のサロメ熱を反映する作品としてアメリカ・ナショナル・ギャラリーが所蔵するアルメニア出身の画家ヴァルジェス・シュレニアンツ(Vardges Sureniants, 1860-1921)による「サロメ」(Salome, 1907)も印象深い。
オペラ「サロメ」のパリ初演_f0028703_1757328.jpg画像(→)はパリ公演でサロメを歌ったエミー・デスティン(Emmy Destinn, 1878-1930)。

*参考サイト:National Gallery of America; Armenian Culture; Vardges Sureniants; Salome (1907)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)「サロメ」の初演(ドレスデン)(1905.12.09)
(2)オペラ「サロメ」のニューヨーク公演で物議(1907.01.22)

*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、新庄嘉章・訳、1907年5月22日より引用:
昨夜、シュトラウスの『サロメ』。ゲオンが、シュトラウス夫人が言ったという言葉をわれわれに伝える。夫人は、パリの聴衆が彼女の夫の作品に十分な拍手を送らないのをみて、次のように言ったというのである。「さあ、こうなったら、銃剣を持ってまた引き返して来なくてはね。」と。どうも眉唾ものだ…
ベッリーニを愛さずにはいられなくさすような、オーケストラのレトリックばかりが多い、下らないロマンティック音楽。ただ、喜劇的な絵画美、あるいは病的な絵画美の部分と、ヘロド王がサロメに踊りを所望する(…)時のサロメの沈黙のところだけは、注目すべき《腕前》を証明している。(中略)不謹慎な方法、単調な効果、しつこい繰り返し、眼に見えて明白な不誠実、あらゆる手段の間断なき動員。ユゴーでもワーグナーでも、一つの観念を表現するために隠喩が頭に浮かぶと、決して選択などはせずに、その一つをも省こうとはしないであろう。(以下略)

****アンリ・ビュッセル著『パリ楽壇70年』、池内友次郎・訳編、音楽之友社(1966.10)刊より引用。
1907年4月14日:ブリュッセルのテアトル・ド・ラ・モネ。リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」の初演。この大音楽家の劇作品を聴くのは初めてである。オスカー・ワイルドの輝かしい妖艶な詩に基いて、作曲者は感嘆すべきオーケストラの色彩をもつ極めて豊かな総譜を書いている。シャルル・マザラン夫人がサロメの役を情熱的に演じる。オーケストラを力強く指揮するのは、著名な指揮者シルヴァル・デュピュイである。パリへ帰って、印象をメサジェに伝える。彼はこの作品をパリで上演することに決定する。
by utsushihara | 2007-05-06 21:56 | オペラ、音楽、演劇1907-08