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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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シェロン氏の改革

シェロン氏の改革_f0028703_213294.jpg1907年1月10日(木)

軍事省政務次官のシェロン氏は、1月10日ヴァンセンヌ要塞内の慰安施設を仔細に視察した。この施設はロシュロン氏によって創設されたが、次官は彼にレジオン・ドヌール勲章の騎士章を授与する旨を伝えた。
シェロン氏の視察による指導を受けて、パリ市の当局は憲兵に仮眠のための寝具(藁布団、枕、毛布)を支給する布告を出した。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・シェロン(Henry Chéron, 1867-1936)はノルマンディのリジュー出身の政治家で、1906年10月のクレマンソー内閣の発足時から軍事省の政務次官となった。ちょうど軍事相にドレフュス事件で正義を貫いたピカールが抜擢されたときである。シェロンは軍の機関に対する精力的な視察を開始し、11月にもヴァンセンヌ要塞の兵営と食堂とを抜き打ちで視察に訪れ、翌日同様にヴァル・ド・グラース軍事病院も訪れ、数々の改革を決定した。ピカール軍事相も11月末の通達で、駐屯地の伝令使や軍務労働者に無駄な仕事をさせないようにと指示している。
シェロンの熱心な視察行については一部の新聞に揶揄する記事も出たが、シェロンはリジュー市の市長を長期にわたって務めるかたわら、政府の要職を歴任し、法務相、財務相までなった。

*参考サイト:リジュー市の電子図書館に収録された20世紀初頭の雑誌「現代の人物伝」にシェロンの記事がある。(仏文)
La Bibliothèque Electronique de Lisieux: Les Hommes du Jour; Henry Chéron par Victor Méric
by utsushihara | 2007-01-12 21:01 | 科学、軍事、海事1907-08