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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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キューバの政変

キューバの政変_f0028703_15441925.jpg1906年9月29日(土)

キューバ共和国大統領エストラーダ・パルマ氏(画像→)は、島内の秩序を立て直すことができず、米国は9月12日に艦隊を派遣して現地の米国人居住者を保護するという名目で軍隊を上陸させた。この軍事介入に関しては様々な意見が出ている。
米国の軍事長官タフト氏は、ルーズヴェルト大統領の命によりキューバで起きている内紛に終止符を打つために派遣された。この軍事介入はキューバの大統領エストラーダ・パルマの辞職に至る結果となった。暫定政権としてタフト氏が首班をつとめることが公表され、9月29日キューバ政府の建物に入った。キューバの人々はこうした状況を概して平静に受け止めている。米国筋はキューバを併合するという考えを真っ向から否定している。
タフト氏の使命は一定の目処がついたため、後任のウィンゾップ氏に暫定政権の首班の座を引き継ぐことになっている。キューバの政変_f0028703_15444693.jpg

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906&No.21; NOV. 1906
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 30 Septembre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
キューバはコロンブスによる発見以来長らくスペイン領であったが、19世紀後半に独立の気運が高まり、スペインの支配に抗して叛乱を起こし独立仮政府まで樹立したが10年(1868-1878)で鎮圧された。1890年代に入って新たに独立戦争を起こし、米国の支援を受けてスペインの支配から脱することができた。(米西戦争1898)
キューバの政変_f0028703_15524248.jpg
エストラーダ・パルマ(Estrada Palma, 1835-1908)は若い頃から独立運動に加わり、米国での生活も長く、米市民権を得ていた。米西戦争を機に再び活動を始め、1901年の選挙で初代キューバ共和国大統領に選出された。しかし1905年の選挙における混乱から内紛が顕在化し、右掲(→)のような女傑クラヴァ・サントス(Senora Clava Santos)が率いるゲリラ勢力などを沈静化させることができなかった。

米国の軍事長官タフト(William-Howard Taft, 1857-1930)は、フィリピン総督なども歴任し、セオドア・ルーズヴェルトの後継者として第27代の米国大統領(1909-13)となった。

* 参考サイト:
(1)Wikipedia: Tomás Estrada Palma(英文)
(2) Bartleby.com : The Columbia Encyclopedia, William- Howard Taft (英文)
by utsushihara | 2006-09-29 15:42 | 各国事情1905-06