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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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アンドレ将軍とネグリエ将軍との決闘

アンドレ将軍とネグリエ将軍との決闘_f0028703_17495531.jpg1906年8月7日(火)

仏領インドシナでのランソン作戦(1885)における指揮官の責任問題についてアンドレ将軍とネグリエ将軍との間での激しい論争の末、ピストルで決着をつけようと、8月7日決闘が行なわれた。アンドレ将軍が先に銃を発射したが、弾ははずれ、ネグリエ将軍は撃つことをせずに決闘を終えた。
ここに掲載した写真(←)は、アンドレ将軍が自宅から決闘場へ出かけるところで、写真を撮られるのを嫌って顔を隠そうとしている。もう一方の写真(不鮮明で掲載は割愛)はネグリエ将軍が決闘の行なわれたモンソー街の邸宅から立ち去るところである。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
画像Crédit d’image : ©LA GUERRE DU TONKIN
アンドレ将軍とネグリエ将軍との決闘_f0028703_17463962.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
決闘が行なわれたのはパリ8区のモンソー公園南の邸宅が並ぶモンソー街の一角で、ミュラ公爵邸内の建物に囲われた中庭である。当事者のうちアンドレ将軍(Général Louis André, 1838-1913)(写真→)は、普仏戦争のパリ籠城戦で活躍し、1900年には陸軍大臣となった。兵士からたたき上げた軍人で尊敬を集めていた。2年前に退役しており、将校クラブでの約20年前の戦術論に火がついたらしい。
もう一方のネグリエ将軍(Général François de Negrier, 1839-1913)(写真←)はかつてフランス外人部隊の指揮官であり、インドシナを完全に植民地化するための戦争(仏越戦争, 1858-1884)の直後、国境を接する中国との戦闘で指揮をとった。
アンドレ将軍とネグリエ将軍との決闘_f0028703_17471367.jpg議論の焦点となったランソンの戦い(Siège de Lang-Son, 1885)では数の上で劣勢のフランス軍が、その進出を食い止めようとする中国軍と戦ったことを指す。3月末の戦闘で指揮官のネグリエ自身が負傷して(戦死情報まで流れた)代わりに指揮をとった将軍が、軍の壊滅を恐れて武器・弾薬・食糧を棄てて早まった退却を行なったことの是非が、本国の国会でも大いに議論された。最後には怪我から快復したネグリエ将軍が、その年の10月に中国軍を撃破している。

地名のランソンは、©MapZones.com Lang-son でもわかる通リ、ハノイの北東約150kmの中越国境に位置している交通の要衝である。(現在では鳥インフルエンザの感染経路として検疫上の監視地域となっている)

参考サイト:仏印における外人部隊の活躍の歴史、LA GUERRE DU TONKIN(仏文)
by utsushihara | 2006-08-08 17:47 | フランス政治社会1907-08