フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)
by utsushihara
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パリの孤独死4ヶ月(ベル・エポック事件簿)
1909年8月
パリ8区、フォーブール・サン=トノレ街180番地にドワロー(Doireau)という77歳の女性が住んでいた。彼女は周囲との交わりがほとんどなく、出かけることもごくまれであった。彼女の身辺を気に留める人もいなかった。
4月に管理人が家賃の支払いを求めて彼女の住む階を訪ねたが、扉は施錠されており、彼はしばらく待つことにした。3ヵ月後の7月に家賃の支払期限が再びやってきたが、やはり扉は閉まったままだった。管理人は老婦人に何かあったに違いないと思い、遅きに失したものの、扉を開けてみることにした。そこで見たのはドワロー夫人の亡骸であった。乾燥してミイラのようになっていた。夫人はすでに3月の前半には亡くなっていたことがあとで判明した。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288527 « Le Figaro » le 22 Juil. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / Michèle Bellot / Cote cliché : 88-004329-02 / Fonds : Dessins / Titre : Femme assise à une table / Auteur : Flinck Govaert (1615/1616-1660) / Localisation : Paris, Musée du Louvre, D.A.G.
[ Ψ 蛇足 ]
「周囲と交わらず生きる」Elle vivait très rétirée.
「彼女のことをまったく気に留めない」On ne se préoccupait guère d’elle dans la maison.
パリ8区、フォーブール・サン=トノレ街180番地にドワロー(Doireau)という77歳の女性が住んでいた。彼女は周囲との交わりがほとんどなく、出かけることもごくまれであった。彼女の身辺を気に留める人もいなかった。
4月に管理人が家賃の支払いを求めて彼女の住む階を訪ねたが、扉は施錠されており、彼はしばらく待つことにした。3ヵ月後の7月に家賃の支払期限が再びやってきたが、やはり扉は閉まったままだった。管理人は老婦人に何かあったに違いないと思い、遅きに失したものの、扉を開けてみることにした。そこで見たのはドワロー夫人の亡骸であった。乾燥してミイラのようになっていた。夫人はすでに3月の前半には亡くなっていたことがあとで判明した。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288527 « Le Figaro » le 22 Juil. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / Michèle Bellot / Cote cliché : 88-004329-02 / Fonds : Dessins / Titre : Femme assise à une table / Auteur : Flinck Govaert (1615/1616-1660) / Localisation : Paris, Musée du Louvre, D.A.G.
[ Ψ 蛇足 ]
「周囲と交わらず生きる」Elle vivait très rétirée.
「彼女のことをまったく気に留めない」On ne se préoccupait guère d’elle dans la maison.
by utsushihara
| 2009-08-06 23:29
| ★ベルエポック事件簿1909