フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ソルフェリーノの戦勝50周年(1909)

1909年6月24日(木)f0028703_2323236.jpg

50年前の1869年6月24日、北伊ソルフェリーノにおいてイタリア・フランス連合軍がオーストリア軍に勝利した戦闘を記念して、イタリアとフランス双方で式典が催された。
この戦いにおいては、ナポレオン3世率いるフランス軍はカンロベール(Canrobert)、ニール(Niel)、マクマオン(Mac-Mahon)、バラゲー=ディリエ(Baraguay d’Hilliers)ら諸将がそれぞれの軍団を指揮した。戦死者は仏伊軍17000人、墺軍22000人という大きな犠牲を払ったが、この勝利が和平を導き、イタリア統一への足がかりとなった。イタリアのヴィットーリオ=エマヌエーレ3世国王夫妻は、この式典のためフランスから赴いた代表団に最大級の敬意を示した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.55; Août, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #569103 « Le Matin » No.9250 - le 25 Juin, 1909
f0028703_23543367.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738245 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.28; 10 Juil. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN/ Michel Urtado / Cote cliché : 07-514683 / Titre : Bataille de Solférino, 24 juin 1859 / Auteur : Adolphe Yvon (1817-1893)/ Localisation : Compiègne, château

[ Ψ 蛇足 ]
20世紀初頭においては、ナポレオン1世の甥にあたる皇帝ナポレオン3世が全軍を率いて戦場を駆けていたのがわずか50年前だったということになる。フランス人は当然のように知っていることだが、第2帝政時代にフランスが戦争に勝ったという印象は薄い、むしろその後、富国強兵のプロシアに対して無謀な戦争を仕掛けて散々な敗戦を負ったことのほうが大きい。歴史的に国家間の抗争が続く欧州の地では、それぞれの国が国威の維持と発揚が常に必要であったのではなかろうか?(今でもなお?)
現にパリの街路にも過去の戦争名や軍人名がつけられるのが伝統で、戦勝の記憶を人心に刻みとめる結果となっている。「ソルフェリーノ街」(rue de Solférino)もオルセー美術館に近い場所にあり、地下鉄の駅名にもなっている。

上掲の歴史絵画は祝賀行事を報じる6月25日付のマタン紙にも掲載された「ソルフェリーノの戦いにおけるナポレオン3世」(Napoléon III à la bataille de Solférino)で、アドルフ・イヴォン(Adolphe Yvon, 1817-1893)の作品である。背景中央奥の小高い丘の上に有名な物見櫓《スピア・ディタリア》(Spia d’Italia = イタリアの間諜(スパイ))が見える。皇帝は自らの軍にあの塔が攻略目標だと指し示している。ナポレオン1世の雄姿を髣髴とさせる、ある意味ではノスタルジックな場面である。
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by utsushihara | 2009-06-24 23:21 | 科学、軍事、海事1909-10