フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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青年トルコ党の勝利

1909年4月24日(土)f0028703_18144071.jpg

4月13日の反革命の動きは長く持たなかった。サロニキ(テッサロニキ)から出発した青年トルコ党の軍隊は、和平交渉のあと4月24日にコンスタンチノープルに入った。不幸にもいくつかの駐屯部隊が抵抗し、砲撃と戦闘がおこなわれた。タクシム部隊の砲兵隊は、卑怯にも青年党の兵士たちを引きつけるため、白旗を掲げて騙し討ちをした。同じ民族間の戦闘は多くの死者を出した。
この日の戦死者と犠牲者は合わせて2千人にのぼった。さらに残念なことにその後数週間には、反対派やその協力者だった人々を街頭で絞首刑に処す動きが続いた。
皇帝の近衛隊長だったアリ・ベイが語るところによれば、アブドゥル・ハミド帝は、宮殿付近で最初の銃声が起こるや、流血の事態を回避するため武装放棄するように命令を出したという。少なくとも皇帝はこの24日の殺戮の責任者ではなかった。彼の治世は血潮の中に終焉を迎えた。

f0028703_23343588.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.53; Juin, 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5526271 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.18; 1er Mai, 1909
画像 Crédit photographique:Wikimedia File:Abdul-Hamid villa Allatini.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Abdul-Hamid_villa_Allatini.jpg

この3日後の4月27日に、狂気の皇帝と称され、忠誠な配下を失ったアブドゥル・ハミド2世は、譲位を宣言し、サロニキにあるアラティーニ離宮(Villa Allatini)に護送され、幽閉の身となった。(画像↑)
f0028703_23345821.jpg(←画像)前皇帝の弟にあたるレシャド・エフェンディがモハメッド5世(Mohamed V)として新たに皇帝となった。年齢は65歳。気取らない態度でとても信仰に篤く、大権を掌握するつもりはない。
街頭での絞首刑が続いてはいても市民生活は穏やかさを取り戻しつつある。人々は新皇帝の治世を好感をもって期待している。彼は欧州風の宮廷を作りたいと望んでいる。

[ Ψ 蛇足 ]
和文のWikipediaでは、従来使われてきた「青年トルコ党」という言い方は不適切だとして「青年トルコ人」という語句を使用している。政治的な党派ではなかったのはもっともだが、この革命はフランス語で « Les Jeunes-Turcs » という意思を結束した集合体が、恐怖政治とも言われたアブドゥル・ハミド2世による専制政治を倒壊に追い込んだ革命であるので、その集合体を「党」と名づけた意義は認めてもいいように思う。

*参考サイト:Wikipedia(和文)青年トルコ人革命

**これまでの関連記事france100.exblog:トルコで反革命の動き(1909.04.13)
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by utsushihara | 2009-04-24 18:13 | 独墺バルカン情勢1909-10