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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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大隈伯爵邸での仏大使ジェラール

1909年4月大隈伯爵邸での仏大使ジェラール_f0028703_23543138.jpg

掲載したのは、大隈伯爵がわが駐日大使オーギュスト・ジェラール氏を昼食会に招待したときの写真である。この宴席には日本の政府高官、銀行家、政治家たちが集まった。彼らの作法に従い、招待客たちは「靴下になって」食事をとった。例外はジェラール氏で、彼は前もってスリッパを持参してそれを履いた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.52; Mai, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
オーギュスト・ジェラール(Auguste Gérard, 1852-1922)は外交官であり文筆家であった。若くしてガンベッタ内閣で米国、スペイン、ドイツなどの在外公館に勤務し、その後中国を経て、1907年から1913年まで駐日大使となった。当時の日本は欧米列強にとっては、清国、ロシアを次々に破り、日の出の勢いで富国強兵に突進する急進国で十分注視に値する国だった。彼は東洋通で知られ、自著『日本におけるわが使命』(Ma mission au Japon) のほか、岡倉天心の著書『東洋の理想』(Les idéaux de l’Orient)の仏訳本の緒言を書いている。

上記の大隈伯爵(Le Comte Okuma)とは大隈重信(1838-1922)のことと想定する。中央で花束を持ったジェラール大使の横に紋付袴姿で立っている。写真は不鮮明だが、左から4人目の長髯の人物はひょっとしたら板垣退助かもしれない。
早稲田大学のサイト:大学所蔵の《古典籍総合データベース》に「明治天皇全権親任状 : 外務大臣従二位勲一等伯爵大隈重信 / 内閣総理大臣伯爵松方正義」とあるので、松隈内閣(1896.09-1897.11)で外務大臣を務めたときには既に伯爵位を受けていた。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html

大隈伯爵邸での仏大使ジェラール_f0028703_23545347.jpg左掲したのは、同時期に出版された日本に関する書籍の「ジュセトゥ」5月号の紹介記事である。
左側のリュドヴィック・ノードー(Ludovic Naudeau, 1872-1949)はよく知られた評論家で、近著『現代日本』(Le Japon moderne)で彼独特の観察眼によるこの国の進歩を描き出している。
右側のクロード・ファレール(Claude Farrère, 1876-1957)は異国を舞台にした小説を書いているが、『戦(いくさ)』(La Bataille)では現代日本の中にまだ見え隠れする古風な日本の姿を描いている。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Auguste Gérard
(2)Wikipedia(仏語)Okakura Kakuzō (岡倉覚三, 1862-1913)

[ΨΨ 蛇足の蛇足]
百年経った今でも「家で靴を脱いで靴下になる(en chaussettes)のは日本人だけ」という奇異な民族習慣を我々は保ち続けている。(筆者もフランス人が多数のある会合で冷やかされた経験がある。)
さすがにスリッパ文化が定着したのだが、所詮「部屋履き」なので、洋室のホテルでは「廊下に出るのはご遠慮ください」となっている。日本通のジェラールが用意周到に「持参した」(qui avait pris la précaution de se munir de pantoufles)のは賢明であった。
by utsushihara | 2009-04-14 23:53 | 日本・東洋事情1909-10