フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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オペラ座で『モンナ・ヴァンナ』初演

1909年1月13日(水)

f0028703_13484179.jpg1月13日、オペラ座において歌劇『モンナ・ヴァンナ』全4幕が初演された。原作はモーリス・メーテルランク氏の同名の戯曲によっており、アンリ・フェヴリエ氏が作曲したものである。

(12月27日付の「プチ・ジュルナル」紙の記事より)
オペラ座の運営本部は、『モンナ・ヴァンナ』の総稽古と初演の日を1月3日と6日に予定していたが、バス歌手のマルクゥ氏の風邪がひどく、メサジェ氏とブルッサン氏は日取りを改め、1月10日の総稽古、13日の初演とすることにした。

(12月29日付の「プチ・パリジャン」紙の記事より)
<メーテルランク氏、自作の『モンナ・ヴァンナ』のオペラ座公演を阻止>(M. Maeterlinck interdit à l’Opéra de représenter sa « Monna Vanna »)
近年、我々は劇場支配人たちが上演のため作品を受け取っておきながら、その上演を拒否したり、すみやかに上演しようとしないことで劇作家側から提訴される事例に数多く接している。しかし、劇作家からその上演を禁ずる訴訟はこれまでまったく無かったのである。メーテルランク氏はその先鞭となるのではなかろうか?
彼はつまり自作の「モンナ・ヴァンナ」がオペラ座で上演されようとしているのを禁止する訴えを起こしたところである。それには一公演あたり千フランの罰金を課している。なぜそうなったのか?

1902年のこと。劇作としての「モンナ・ヴァンナ」の華々しい成功の翌日に、作曲家のアンリ・フェヴリエはメーテルランクのもとを訪ね、作品のオペラ化の許可を申し出た。作家は直ちに了承し、台詞に置換えやすいように詩文の手直しさえ行なった。この時点では「モンナ・ヴァンナ」は、かつて『ペレアスとメリザンド』を舞台に乗せ、『アリアーヌと青髭』(Ariane et Barbe-Bleue)の準備も進行中だったオペラ・コミック座での上演を見込んでいた。
しかしながら楽譜が出来上がってから、作曲家が半年のあいだ懇願しても支配人のアルベール・カレの試聴の機会を得ることはできなかった。1907年11月末に、オペラ座の支配人に内定していたアンドレ・メサジェからの話で、この作品をオペラ座で取り上げることが出来るだろうと言ってきた。ただし条件は12月になる前までに返事をすることだった。フェヴリエはすぐさまメーテルランクに手紙を書き、この朗報を伝えた。劇作家からの返事がないままにメサジェへの回答期限が到来したので、彼は承諾の通知を出してしまったのだ。

メーテルランク氏の主張では当然のことながら、この『モンナ・ヴァンナ』はフェヴリエ氏の所有物である以前に作家に所属していたものであり、作曲家が単独で勝手に上演の可否を決めることは権限を超えた行為であるという。
『モンナ・ヴァンナ』の初演は1月13日に迫っており、もしオペラ座の両支配人がメーテルランク氏の訴えを無視できないと判断すれば、上演が中止される恐れも出てくる。裁判ではメーテルランク氏が陳述の場に現れ、共同制作者の一人が作品の扱いを独りで左右できるのかについて争われることになるだろう。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618487 «Le Petit journal» No.16802, le 27 Déc. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #563105 «Le Petit Parisien» No.11749, le 29 Déc. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #39751 «Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique» No.26 Avril, 1909
画像 Crédit photographique:Theater Erhurt Bilder; Lucienne Bréval in « Monna Vanna »
http://www.theater-erfurt.de/repertoire/bilder/bild_content_monna.jpg

f0028703_13491923.jpg[ Ψ 蛇足 ]
結果的にはメーテルランクが告訴を取り下げたと思われる。初演は無事に行なわれ、好評裡に公演が続いた。元の題材はルネサンス期の年代記などから着想を得たようだ。画像検索でもすぐ判るように、古くはレオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」(Mona Lisa=着衣)と同じ構図の「モンナ・ヴァンナ」(Monna Vanna=裸身)を残しているし、19世紀のラファエル前派の画家ロセッティが厚化粧の肖像(1866年)を描いている。メーテルランクの戯曲は1902年初演で、ルネサンス期の人間性解放と現代女性の自立的な行動とを照らし合わせようとしたのだろう。

背景は15世紀末頃のイタリア、ピサの町はフィレンツェの傭兵軍に攻囲され、籠城が長引いて市民に飢餓が迫っていた。町の守備隊長グィド・コロンナは父親マルコを交渉役として送り、攻囲軍司令官プリンツィヴァレとの調停を試みた。その条件とは、グィドの妻モンナ・ヴァンナを人質として司令官のもとに一晩送り出すことであった。グィドは絶望と屈辱と嫉妬の念で気が狂いそうになったが、彼女は町の人々のためにその条件を受け入れ、欣然として赴く決心をした。さてその晩がやって来て、モンナ・ヴァンナは定められたとおり、独りで裸身を外套に包んで前線に出向き、プリンツィヴァレの目の前に立った。それと同時に町に食糧が送り出された。実は、二人は旧知の間柄で、まだ少女の頃のモンナ・ヴァンナを見初めてからプリンツィヴァレは思いを抱き続け、その愛情は高貴でかつ尊敬に近い大きなものとなっていたのである。彼女は清純なままで、司令官を伴ってピサに戻ることになるが、一方、半狂乱となったグィドは憎悪と苦悩を募らせて彼らを迎えることになる。(後略)

出演は、モンナ・ヴァンナにソプラノのリュシエンヌ・ブレヴァル(Lucienne Bréval, 1869-1935)(画像↑)、夫のグィド・コロンナにバスのヴァンニ・マルクゥ(Vanni Marcoux, 1877-1962)、司令官プリンツィヴァレにテノールのリュシアン・ミュラトール(Lucien Muratore, 1876-1954)が歌っている。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Monna Vanna (Février)
(2)Wikipedia(英文)Lucienne Bréval

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポール・デュカの「アリアーヌと青髭」初演 (1907.05.10)
(2)アンリ・フェヴリエ「盲目の王」初演 (1906.05.08) アンリ・フェヴリエ(Henry Février, 1875-1957)
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by utsushihara | 2009-01-13 13:47 | オペラ、音楽、演劇1909-10