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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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サン=サーンスの新作オペラ「祖先」

サン=サーンスの新作オペラ「祖先」_f0028703_22134751.jpg1906年2月24日(土)

モンテカルロ劇場では24日、カミーユ・サン=サーンスの新作オペラ「祖先」の公演があった。台詞はオージェ・ド・ラッシュである。新聞は一斉にこの作品が爆発的な成功をもたらしたことを祝福した。この話はコルシカ島で繰り広げられ、かなり劇的な展開があり、巨匠サン=サーンスは「サムソンとデリラ」とはまったく異質のオペラを書き上げた。ガブリエル・フォーレ氏はフィガロ紙で、またゴーティエ=ヴィラール氏はエコー・ド・パリ紙で畏敬の念をもって称賛している。
舞台はフェリア・リトヴィンヌ、ファラール、ルノー、ルッセリエールらのすぐれた歌唱で演じられている。それは例によって演出家のラウル・ギュンズブール氏の力量によるものと見なされている。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.14; Mars, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
この時のサン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835-1921)の年齢はちょうど70歳である。組曲「動物の謝肉祭」などエスプリに満ちた音楽を作った。オペラでは1873年(38歳)のときにドイツのワイマールで初演された「サムソンとデリラ」(Samson et Dalila)が有名だが、それでも作曲の完成後、フランスではなかなか上演の機会が訪れなかった。「サン=サーンスの墓」という丁寧なサイトがあるが、その中の記述によれば、聖書を題材とした作品はフランスでは宗教を冒涜するもので感心されなかったという。フランス人の保守性、カトリック精神の堅固さを感じさせる。
サン=サーンスのオペラ作品は全部で10曲余りを数えるが、「サムソンとデリラ」以外は現在では劇場で取り上げられるのは皆無に近い。記事本文の「祖先」(L'ancêtre)も録音されているものはまったく無い。
上記の記事で当時絶賛されたというのは本当なのか?と思われるが、すでに大作曲家として名声を確立していたサン=サーンスが新作を発表したと言えば、それだけでニュースとなった事情は、いつの時代でも同じだろうと思う。

なおサン=サーンスと10歳年下のフォーレとの親交は知られている。フォーレは作曲活動のかたわら、フィガロに音楽時評を長年にわたり書き続けていた。

画像はこのオペラで主役を歌ったフェリア・リトヴィンヌ (Felia Litvinne, 1860-1936)。ロシア生まれだが15歳でパリに出て、声楽の勉強後オペラ歌手となった。ドラマティックな美しい声のソプラノである。ヴェルディのほか、特にワーグナーの作品を得意とした。
by utsushihara | 2006-02-24 22:10 | オペラ、音楽、演劇1905-06