フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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タグ:ロートシルト ( 11 ) タグの人気記事

ロートシルト男爵の劇作『脚光』の初演

1909年10月19日(火)

大劇場での上演は初めてとなるアンリ・ド・ロートシルト氏作による4幕劇『脚光』(La Rampe)は10月19日ジムナズ座にて初演され、成功をかち得た。

f0028703_23221338.jpgアンリ・ド・ロートシルト男爵は単に百万長者であるばかりでなく、小説家であり、劇作家でもある。彼の名前が劇場のポスターに載ったことがパリ中の大きな好奇心を引き起こした。彼はそれを予期しており、さらに妬み深い何人かは劇の上演に厳しい評価を出すことも考えられた。彼は金持ちであることを平気で自嘲する機智を示し、かえって脚光を浴びる呼び水となった。

『脚光』(La Rampe)は感じのいい、生き生きとした劇的な要素に満ちた作品である。非常に好感を与える劇として好評を博した。劇は題名が示す通り、演劇の世界でくり広げられる。社交界に出入りする若い夫人マドレーヌが演劇に魅せられ、自分の夫と立場なげうって舞台に立とうとする。彼女はある有名な喜劇役者ブルグィユの助言を聞き入れ、ついには彼を愛するようになる。
しかしながら彼女の資質は浅薄ではなかった。彼女には才能があった。彼女は成功し、それに応じて評価は確かなものとなった。性根の悪いブルグィユは彼女を妬むようになった。彼は侮辱でもなく、凶暴でもなく、自分の夢を砕くこの女に我慢できなくなり、ついには非常に劇的な場面で服毒させてしまう。
観衆は『脚光』を好意的に受け止め、その幸運な作者を称賛した。

f0028703_23224261.jpgマルト・ブランデス嬢はマドレーヌの役で久々に優れた演技を見せ、この上演が彼女の最高の栄えあるすぐれた役作りであると喝采された。憎まれ役のブルグィユの人格はデュメニー氏が感動的で完璧な技量を示した。
またカルメット氏は、その職業にうんざりしている劇作家の役で好演している。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288617 « Le Figaro » le 20 Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909


[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ド・ロートシルト男爵(Henri de Rothschild, 1872-1947)は学術、特に文芸の分野で活躍した。

競走馬の馬主で有名なロートシルトは、同族で別人のモーリス・ド・ロートシルト(Maurice de Rothschild, 1881-1957)である。

マルト・ブランデス(Marthe Brandès, 1862-1930)はかつてコメディ・フランセーズ座の人気女優だった。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)文芸消息(1907年8月)アンリ・ド・ロートシルト男爵、短篇集「人生の反映」(Les Reflets de la vie)を出版
(2)コメディ・フランセーズ座、ブランデス嬢を訴える(1905.06.08)
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by utsushihara | 2009-10-21 23:21 | オペラ、音楽、演劇1909-10

パリ大賞(グランプリ・ド・パリ)レースでヴェルダン号が優勝

f0028703_235845.jpg1909年6月27日(日)

6月27日に開催された競馬のパリ大賞(グランプリ・ド・パリ)レースでは、ロートシルト男爵所有のヴェルダン号(Verdun)が優勝した。騎手はモーリス・バラ(Maurice Barat)だったが、彼はこのGPレースに初の騎乗で勝つという快挙であった。ヴェルダン号の父馬はラブレー(Rabelais)、母馬はヴェレナ(Vellena)で、モンフォールにある厩舎で生まれ、オキュイゼン(Okhuysen)の調教を受けていた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.55; Août, 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738245 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.28; 10 Juil. 1909

f0028703_2323367.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ヴェルダン号とバラ騎手はこの翌週の7月4日(日)メゾン=ラフィットでのフランス共和国大統領賞(Prix du Pr.sident de la République)のレースにおいても、最後のコーナーで先行するアンコニュ号(Inconnu)を追走し、抜き去るという華々しい優勝をとげた。

(→)右掲は、GPレース会場で例年上流階級の婦女子が装いを競うドレス(トワレット)を取材したもの。このドレスは「銃士風」(à la mousquetaire)と称して若々しい令嬢向きに仕上げている。

**これまでの関連記事france100.exblog:大賞典の前哨戦(プール・デ・プロデュイ)(1909.05.09)プール・デッセ賞レース(牡馬)でヴェルダン号(Verdun:オコナー騎乗、ロートシルト男爵所有)優勝
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by utsushihara | 2009-06-27 22:59 | スポーツ、乗物、探検1909-10

大賞典の前哨戦(プール・デ・プロデュイ)

1909年5月9日(日)f0028703_18332239.jpg

今年の大賞レースの日取りが6月27日に延期されたことにより、全体的な競馬の予定表も遅くなっている。とはいえ、前哨戦のプール・デ・プロデュイは5月にロンシャン競馬場で次々と開始した。グレフュール賞(Prix Greffulhe)は5月9日に争われ、ユニオン号(Union:スターン騎乗、エドモン・ブラン氏所有)がダーウィンとアヴーを押えて優勝した。
また、16日のプール・デッセ賞レース(牡馬)では、ヴェルダン号(Verdun:オコナー騎乗、ロートシルト男爵所有)がイタラとオーヴァーサイトを振り切って優勝し、同(雌馬)ではロンド・ド・ニュイ(Ronde de Nuit:オコナー騎乗、ブレモン氏所有)がアザレとラ・デュポルトリを破った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.53; Juin, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
競馬シーズンの前哨戦のレースは「プール・デ・プロデュイ」(les Poules des Produits)と総称され、複数の賞金レースが含まれていた。プール(poule)は「雌鶏」ではなく「(競馬の)賭け金」という別の意味がある。直訳すれば「産物の賭け金」となるが、どうしてそういう言い方をするかはまだ調べがついていない。(お教えいただければ助かります。)
フランス語では、若い馬たちを「プーラン」(poulain:牡)、「プーリシュ」(pouliche:雌)と呼ぶので、語感の似ている「プール」(poule)が使われるようになったのだろうか?
プール・デッセ賞(Poule d’Essai)も仏和辞典では「明け4歳サラブレッド、クラシックレース」と書いてあった。

*参考サイト:Wikipedia(英文)Prix Daru
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by utsushihara | 2009-05-10 18:30 | スポーツ、乗物、探検1909-10

詩人フランソワ・コペーの記念碑に向けて

1909年3月3日(水)f0028703_014826.jpg

昨年(1908)5月23日に死去した詩人で作家のフランソワ・コペーの記念碑を建立するための委員会の2回目の会合がデュシャストレ医師宅で開かれ、席上財務係から基金の現状の報告があった。大々的な募金活動の前にすでに5500フランだったが、現在5615フランにまで増加した。募金者の中には、X氏から500フラン(これはコメディ・フランセーズ座で彼の代表作「通りがかりの人」の上演をしたときに匿名の紳士が主演のスゴン=ウェバー女史に手渡したもの)、フランス愛国者同盟から500フラン、ロートシルト男爵から500フラン、アンリ・ラヴダン氏から200フラン、アルフォンス・ドーデ未亡人から100フラン等々が寄せられた。
掲載したのは記念碑の雛形で、彫刻家のシャストネ(Chastenet)氏、台座は建築家のアンリ・ギヨーム(Henri Guillaume)氏に依頼している。詩人は自然な立ち姿で表現されており、近く完成する見込みとなった。
基金への寄付はパリ2区パサージュ・ショワズル23番地の基金の財務係であるデジレ・ルメール氏が窓口となっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618551 «Le Petit journal» No.16868, le 3 Mars, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
1幕詩劇「通りがかりの人」(Le Passant, comédie en un acte, en vers; 1869)

**これまでの関連記事france100.exblog:詩人フランソワ・コペーの葬儀
(1908.05.23)
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by utsushihara | 2009-03-03 23:44 | 文芸、評論1909-10

ニースでモンテカルロ杯競馬(障害)

1909年1月10日(日)f0028703_23344555.jpg

モンテカルロ杯障害レースは1月10日ニースにて行なわれた。優勝したのはイーストマン(Eastman)号(メゾナーヴ騎手)、モーリス・ド・ロートシルト男爵所有である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909
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by utsushihara | 2009-01-11 23:32 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ブローニュの森で新型救難ボートの実用試験

1909年1月7日(木)

7日ブローニュの森の湖で、f0028703_1895517.jpgルナール少佐のアイデアに基いた新しい救難ボートの試験運用が行なわれ、スポーツ・アカデミーからパリ市へ贈呈された。このボートは浮き桟橋の一種で、重さ60kgという極端な軽さで空気を入れた小型風船で支えられている。この器具導入の目的は、スケート場で万が一氷が割れたときの事故の救援であるが、水上でのあらゆる状況に使用可能である。例えば難破時の避難ボートとか、水難救助のためのボートとしても使える。
実験は数多くの著名人が集まった。発案者のルナール少佐はもちろんのこと、ドゥカーズ公爵、アンリ・ド・ロートシルト博士、ダランベール公、クラリー伯爵等々で、代わる代わる筏状のボートに乗ってみた。(↑)掲載の写真の前面にロートシルト博士、その後にルナール少佐、一番奥にドゥカーズ公爵がみえる。列席者たちはこの試験運用で効果が確かめられたと語っている。

出典Crédit:©BnF-Gallica #618497 «Le Petit journal» No.16814, le 8 Jan. 1909

**これまでの関連記事france100.exblog:ブローニュの森の池でのスケート惨事(1908.01.14)
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by utsushihara | 2009-01-07 18:07 | スポーツ、乗物、探検1909-10

オステンドの2歳馬選抜レース(1908)「フィス・デュ・ヴァン」優勝

1908年7月19日(日)

7月19日、ベルギーのオステンドで恒例の2歳馬選抜大賞(Grand Critérium Ostende des deux ans)が開催された。このレースは欧州における2歳の競走馬にとって最も重要なレースの一つと見なされている。(賞金5万フラン、1000m)
優勝したのはエドモン・ブラン氏所有の「フィス・デュ・ヴァン」(Fils du Vent = 風の子)号で、父馬フライング・フォックス、母馬エアズ・アンド・グレイスの若馬であるが、強風の中にもかかわらず鳥が羽ばたくように疾走し、最初から他を寄せつけず快勝した。騎手はスターン(G.Stern)だった。この世代の馬では今のところ「メアリ」(Mehari)号とともに最強馬と見なされる。
2着は2馬身差でロートシルト男爵所有の「ガダメス」(Ghadamès)、3着は1馬身差でH.C.レーン氏所有の「ペルシー」(Percy)であった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.44; Sep. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288157 « Le Figaro » le 20 Juil, 1908
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by utsushihara | 2008-07-19 18:32 | スポーツ、乗物、探検1907-08

9メートルの面白絵巻「ロンシャン競馬場へ向かって」

f0028703_1754627.jpg
1907年10月

掲載したのは、横9mの長さに及ぶ愉快な帯状壁画の一部分である。この絵はセムとルービルの共作で、原画は水彩の色付きである。我々の目の前に現在のパリの有名人たちのすべてをこの行列に勢ぞろいさせてくれている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
日本ならば「鳥獣戯画」のような絵巻物があるが、西洋は「帯状壁画」(frise=フリーズ)と呼んでいる。こうした絵巻物は19世紀のバルザックの時代にもすでに当時のパリの目抜き通り「グラン・ブルヴァール」(Les Grands Boulevards)の様子をマドレーヌ寺院からバスティーユ広場までの通りの家々を往復して目でたどれる本が出されていた。(復刊の実物でも折畳み式で、西洋には巻物は存在しないかも)

上記の絵「ロンシャン競馬場へ向かって」(En route pour Longchamps)に出ているのは、左端の馬車に女優のマドレーヌ・シャルリエ(Madeleine Charlier)、続いて画家のボルディーニ(Boldini)、中央の馬車にセム(Sem)自身と社主ピエール・ラフィット(Pierre Laffitte)、最後の馬車に犬と一緒にジャーム・ド・ロートシルト男爵(James de Rothschild)である。最初は1907年10月5日付の絵画雑誌「ルヴュ・イリュストラシォン」(Revue Illustration)No.3371号に発表されたようだ。

イラスト画で一世を風靡したセム(本名ジュルジュ・グルサ)(Georges Goursat, dit Sem, 1863-1934)はペリゴール地方の商店主の子として生まれたが、自分のイラスト画家としての情熱を捨てきれず、家業をやめてボルドー、パリ、マルセイユと転々としながら新聞や劇場のプログラムに戯画(カリカチュア)を載せる仕事で次第に人気が出た。特に人物の特徴的な仕草やクセを瞬時に読み取り、すばやいタッチで描き上げる技法にすぐれた才能があった。1899年、セムの筆名でパリで出版した画集「競馬」(Le Turf)で、競馬場に集まる人々の様々な風俗、姿態の面白さが大きな評判となり、一躍有名となった。
共作者のオーギュスト・ルービル(Auguste Roubille, 1872-1955)も同様の作風で、絵入り新聞の表紙絵や商品ポスターに多くの作品がある。

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by utsushihara | 2007-10-12 17:13 | 美術、彫刻1907-08

ロートシルト杯自動車レース(1907)

f0028703_2227412.jpg1907年9月12日(木)

南仏プロヴァンスで開かれたロートシルト杯レースでラブロ(Rablot)が優勝した。記録は5kmを1分56秒20、つまり平均時速154km53(※)で走った。

これに先立って伊ロンバルディアのブレーシャで行なわれた長距離レースの結果:
9月1日のフロリオ杯は最大8リットルまでのシリンダーを備えた車でミノイア(Minoïa)が486.5kmを4時間39分53秒80で走って優勝した。
9月2日の最速レースではカーニョ(Cagno)が100kmあたり30リットルのガソリンで486.5kmを4時間37分36秒で走って優勝した。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.33; Oct 1907

[ Ψ 蛇足 ]
(※)原文の記事では、平均時速451km260(451 kilo 260 m à l’heure)となっていた。これは理論的に不可能な速さで、計算の間違いと思われる。正しい平均時速は自分で再計算して出した。当たっていたらおなぐさみ。

*参考サイト:Brescia - ZeroDelta.net: イタリアトラベルガイド(ロンバルディア州ブレーシャ)
**これまでの関連記事france100.exblog:シチリア島自動車レース(タルガ・フロリオ杯)(1907.04.20)カーニョが5位に入っている
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by utsushihara | 2007-09-12 22:21 | スポーツ、乗物、探検1907-08

文芸消息(1907年8月)

f0028703_23105182.jpg1907年8月

[ 1 ] アンリ・ド・ロートシルト男爵は感情の高揚と当惑に満ちた短篇集「人生の反映」(Les Reflets de la vie)を出版した。(表紙画像←)

[ Ψ 蛇足 ] アンリ・ド・ロートシルト男爵(Le Baron, Henri de Rothshild, 1872-1947)英国ロスチャイルド財閥の系列を継ぐフランス貴族の一人で、自身多才多芸の人物だった。企業の経営のほか、慈善活動や医師として病院の運営に携わり、また詩人・劇作家として作品を発表し続けた。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Henri de Rothshild
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)競馬パリ・グランプリ・レース(1907.06.16) 持ち馬の優勝
(2)ドリュド将軍カサブランカ上陸~モロッコ戦役(2)(1907.08.05) 医療チームの派遣

[ 2 ] 独自の視点を持つ評論家レオン・ブルム氏は近著「結婚について」(Du Mariage)で大胆な逆説を展開し、すでに激しい論争が生じている。

[ Ψ 蛇足 ] レオン・ブルム(Léon Blum, 1872-1950)は政治家としての業績が巨大であったゆえに20世紀初頭の文筆活動がかすんで見えるが、上記の「結婚論」でも、男女の結合は法的手続による結婚ではなく自由であるべきだと説いて、社会の規範に逸脱する不道徳な思想として論議を呼んだことを指している。戦後に邦訳も出ていた。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Léon Blum
**これまでの関連記事france100.exblog:レオン・ブルムの演劇評論集(1906.03)

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.33; Oct 1907

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by utsushihara | 2007-08-23 23:02 | 文芸、評論1907-08