フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ランベール伯爵のパリ飛行の快挙

1909年10月18日(月)
f0028703_23162550.jpg
10月18日は航空史の歴史に残る日付となった。シャルル・ド・ランベール伯爵は早朝午前5時頃、ライト型複葉機に搭乗し、ジュヴィジーの飛行場を飛び立った。彼はまもなくパリの上空に達し、エッフェル塔を一周し、無着陸のまま出発地点のジュヴィジーに帰還するという快挙を遂げた。全行程60kmの飛行で所要時間は49分間であった。
ランベール伯爵はフランス人の祖先をもつロシア人貴族であり、1865年マデラ島の生まれである。学業を終えると同時に航海の世界に興味を持ち、水上飛行機という奇妙な発明にも取り組んだ。その後ライト兄弟の試験飛行を目の当たりにして飛行機という冒険に生きることを決定づけた。その型式の一機によって彼はめざましい飛行を達成したのであった。f0028703_23171272.jpg

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #716876 « Le Petit journal; Supplément du dimanche» No.989, le 31 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059771 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.44; 30 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
シャルル・ド・ランベール伯爵(Comte Charles de Lambert, 1865-1944)はこの年、ライト兄弟から直接飛行技術の指導を受けた一人である。彼もまた英仏海峡横断飛行に名乗りを上げた飛行家であったが、ブレリオやラタムほどの成果を出すことはできなかった。ランスでの飛行週間にも参加し、それぞれの部門で競争したものの、優勝はできなかった。エッフェル塔を一周するという快挙は大きな話題となった。
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*参考サイト:Wikipedia(仏語)Charles de Lambert

**これまでの関連記事france100.exblog:英国王エドワード7世が試験飛行中のライト兄弟を訪問(1909.03.17)
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by utsushihara | 2009-10-18 23:15 | スポーツ、乗物、探検1909-10

若手飛行家ルフェーヴルの事故死

1909年9月7日(火)
f0028703_236494.jpg

8月末のベテニーでの飛行大会で若手飛行家の一人として観客の注目を集めたウジェーヌ・ルフェーヴルは、9月7日、パリ東郊ジュヴィジー飛行場で、出来上がったばかりのライト型複葉機の試験飛行をしているときに突然地面に落下して死亡した。

飛行技術と機体の性能の異常なほどの進歩は多くの若者を熱中させた。ルフェーヴルは20代は技術者だったが、ランスで見せた尋常でない勇猛果敢さと才能あふれる熟練技で人々を驚かせた。
悲しい結末となった日は午後6時45分頃、飛行機は6mの高さを時速70kmで飛んでいた。事故の原因はまだはっきりしていないが、回転するエンジンが方向舵に損傷をあたえたために突然地面に墜落したものと思われる。機体はめちゃめちゃに壊れ、操縦席にいたルフェーヴルは頭蓋骨陥没で即死だったことがわかった。まだ30歳だった。

f0028703_2363216.jpg彼がその死の何ヶ月か前に友人に自分の夢をこう語った。「10年したら僕は百万長者になるよ。…少なくともそれまでに死ななければね。」彼が最後につけ加えたのは恐らく何らかの予感があったからなのだろうか?

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738269 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.38; 18 Sep. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ウジェーヌ・ルフェーヴル(Eugène Lefebvre, 1878-1909)はライト兄弟の製造する飛行機の操縦士として米国でもよく知られていた。

*参考サイト:Wikipedia(英文)Eugène Lefebvre
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by utsushihara | 2009-09-07 23:04 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ロジェ・ソメの長時間飛行の世界新記録

1909年8月7日(土)f0028703_2291590.jpg

8月7日未明、ロジェ・ソメはファルマンの双葉機に乗ってムルムロン・ル・グランの飛行場を飛び立ち、2時間27分15秒の最長飛行の世界記録を樹立した。まさに正真正銘の功績に値する快挙である。
出発時刻は午前3時14分、帰着時刻は午前5時41分15秒であった。

これまでの世界記録は米国人飛行家ウィルバー・ライトによって、昨年末つまり1908年12月31日にオヴール飛行場で成し遂げた2時間20分23秒であった。ソメの記録はこれを6分上回るものである。
飛び立った直後は、晴れわたった夜空で風も弱く、高度を6mから30mの間で保ちながら飛行を続けた。翼の内側で帆布が袋状にふくらみ、抵抗が大きくなったが、プロペラがそれに切り込みを入れ、機体は本来の速度を取り戻し、止まることはなかった。
ソメが飛んでいる間、地上の友人や記録立会人たちからの激励の声があがった。太陽が昇り、輝かしい勝利者を照らし出した。
着陸してもソメは疲れた様子は見せず、笑顔で皆の祝福に応えていた。人々は機体にかけ寄り、「フランス万歳!ソメ万歳!」と叫んだ。格納庫でお祝いのシャンパンの乾杯があった。
1877年8月生まれの32歳、北仏アルデンヌ地方のムーゾンに住んでいる。有名な飛行家アンリ・ファルマンの弟子であり、まだわずか18回の飛行経験しかないのにこの偉業の達成となった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526293 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618704 « Le Petit journal » No.17021, le 3 Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618709 « Le Petit journal » No.17026, le 8 Août, 1909

f0028703_2294331.jpg[ Ψ 蛇足 ]
この数年間こそ、飛行機で空を飛ぶことが初めて実現し、記録が次々と更新されていった時期である。
ロジェ・ソメ(Roger Sommer, 1877-1965)はこの5日前の8月2日にもシャロン=シュル=マルヌから直線距離で14km離れたシュイップ(Suippes)まで飛んで戻る大飛行を成功させており、シュイップの市議会では彼に金メダルを授与することを決めた。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Roger Sommer

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)W・ライト、歳末に飛行新記録(1908.12.31)150kmを2時間19分03秒4
(2)英仏海峡横断初飛行への挑戦(1)ユベール・ラタム(1909.06.15)ムルムロン=ル=グラン飛行場を使用
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by utsushihara | 2009-08-07 22:07 | スポーツ、乗物、探検1909-10

英国王エドワード7世が試験飛行中のライト兄弟を訪問

1909年3月17日(水)

f0028703_16483637.jpgエドワード7世は17日(水)の午後、南西部ポー市郊外のポン=ロン飛行場にライト兄弟を訪ねた。ウィルバー・ライトは王の目の前で最初に一人乗りの飛行を披露した。続いて2回目の飛行には彼の妹のケイト(Kate Wright)を同乗させて飛んだ。これらの飛行に国王はいたく興味が引かれ、彼を祝福した。
ライト兄弟はフランスでの試験飛行を終了させ、ローマに向かう予定であるが、彼らに指導を受けたポール・ティサンディエ(円内左)とランベール伯爵(円内右)は契約を結び、飛行学校を設立することにしている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.52; Mai, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618567 «Le Petit journal» No.16884, le 19 Mars, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288374 « Le Figaro » le 21 Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
この約1ヶ月前の2月20日には、スペイン国王アルフォンソ13世もこのポン=ロン(Pont-Long)飛行場を訪れた。このときはこの青年王は駐機中の飛行機の操縦席に乗り込み、飛行の仕組みについて15分間の説明を聞いた。王は弟のオルヴィルにも米国での事故がなぜ起きたかの質問を投げかけ、また機体を見回って先般損傷した後尾部分を確かめたりした。
実際彼の直弟子とされたのは3人である。上記のポール・ティサンディエ(Paul Tissandier, 1881-1945)、シャルル・ド・ランベール伯爵(Comte Charles de Lambert, 1865-1944)に加え、リュカ・ジェラーヴィル大尉(Capitaine Lucas Gérardville)がいたが、詳しい情報はまだ入手できない。

*参考サイト: L'aviation à Pau des Frères Wright(仏語)(ボルドーのある小学校の授業用サイトらしい:「飛行」aviation)
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by utsushihara | 2009-03-21 16:45 | スポーツ、乗物、探検1909-10

W・ライト、歳末に飛行新記録

1908年12月31日(木)

ライト氏は今朝最初に42分間の飛行を行なった。建設相バルトゥ氏は正午にル・マン郊外のオーヴール基地に到着し、米国人飛行家は午後2時から周遊飛行の賞杯をめざして飛行を再開した。
正確には2時00分03秒に離陸し、定められた3角形の地点の周回を56回達成した。距離にして150kmを2時間19分03秒4で飛んだのであった。
それに続き5時20分にウィルバー・ライト氏はルイ・バルトゥ大臣を一緒に乗せて再び飛び立ち、3分58秒の飛行を行なった。

f0028703_1683827.jpg1908年のミシュラン航空杯(La Coupe Michelin pour 1908)はその目覚しい飛行によってライト氏の手に残り、同時に2万フランの賞金も獲得した。この賞杯は5年間にわたり新たな基準を設けて授与されることとなっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618490 «Le Petit journal», le 1er Jan. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
上記では「建設相」と訳したが、直訳では「公共工事大臣」(Ministre des Travaux publics)である。大臣を飛行機に同乗させるなどとは思い切ったことをする人である。大臣のルイ・バルトゥ(Louis Barthou, 1862-1934)は閣僚を歴任し、大戦直前の1913年には首相となる。

**これまでの関連記事france100.exblog:ウィルバー・ライトの新たな高度飛行の勝利(1908.11.13)
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by utsushihara | 2008-12-31 16:06 | スポーツ、乗物、探検1907-08

第1回航空サロン展の開催(1908)

1908年12月24日(木)

グラン・パレを会場とする第1回航空サロン展(Le 1er Salon de l’Aéronautique)が12月24日から30日まで開催された。初めてのことであるが、1基の飛行船と数多くの飛行機が公衆の目の当たりに展示され、多くの来場者たちは、ライト氏、ドラグランジュ氏、ブレリオ氏、エスノー=ペルトリ氏らの機体の周囲を巡り歩いている。
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(28日付の「マタン」紙の記事)
航空サロン展の成功に弾み。(Le succès du Salon s’accentue)これまでの毎日と同じように昨日の午後も群衆が大挙してグラン・パレに押し寄せた。一昨日予定されていたポール・パンルヴェ氏の飛行機に関する講演会は本日の午後4時に行われる。
アドルフ・クレマン氏は、現在グラン・パレで展示している彼の所有する飛行船よりも5倍の大きさとなる15,000立方米の新たな飛行船を建造する計画であることを発表した。800馬力のエンジンが1つか2つのプロペラを回転させて進むことになる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #568924 « Le Matin » No.9071 ; le 28 Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
当時の人々の最大の関心事が自動車と飛行機だったことがわかる。特に飛行機は数mから数百m、数kmへと一年のうちに飛行距離が飛躍的な進歩を遂げていた。
上記記事にあるアドルフ・クレマン(Adolphe Clément, 1855-1928)は大手自動車メーカー、クレマン=バヤール社(Clément-Bayard)の社主であり、大型飛行船建造への意欲を示し、産業界の活性化の先導をなした。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Clément-Bayard

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ドラグランジュの飛行記録更新 (1908.09.06) レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)
(2)ライト兄弟の新たな飛行記録 (1908.09.21)
(3)自動車ラリー選手の事故死(アルベール・クレマン)(1907.05.17) クレマン=バヤール社(Clément-Bayard)の社主アドルフ・クレマン(Adolphe Clément)の息子
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by utsushihara | 2008-12-24 14:31 | 科学、軍事、海事1907-08

フェミナ劇場でラ=ヴォー伯爵の講演会「大空の征服」

1908年11月14日(土)

有名な飛行家ラ=ヴォー伯爵は、11月14日と15日の2晩、フェミナ劇場において《大空の征服~サントス=デュモンからウィルバー・ライトまで》と題した講演会を催す。入場料は3フランとなっている。これには映画上映も同時におこなわれる。

f0028703_22585091.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288274 « Le Figaro » le 14 Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ド・ラ=ヴォー伯爵(Henry, comte de La Vaulx, 1870-1930)はフランス飛行クラブの創設者の一人であり、自ら気球や飛行船の操縦もおこなう人物だった。ライト兄弟の一人、ウィルバー・ライトがフランスに来て飛行記録への挑戦を始めるや、フランス人飛行家たちも大いに触発されて機体やエンジンの改良を重ね、見る見るうちに飛行機の性能が向上していった。この講演会と同時に上映された映画もこうした飛行機の試験飛行を撮影したものが中心だったと思われる。《大空の征服~サントス=デュモンからウィルバー・ライトまで》(La Conquête de l’air – De Santos-Dumont à Wilbur Wright)は飛行船から飛行機へ人々の興味が移っていったことを示すものではなかっただろうか?

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Henry de La Vaulx
**これまでの関連記事france100.exblog:第1回ゴードン・ベネット杯飛行船レース(1906.09.30)「フランス飛行クラブ」(Aéro-Club de France)の中心メンバーだったラ=ヴォー伯爵
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by utsushihara | 2008-11-18 22:55 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ウィルバー・ライトの新たな高度飛行の勝利

f0028703_10575721.jpg1908年11月13日(金)

ウィルバー・ライト氏は今日(13日)ル・マンにて新たな驚異的な勝利となる飛行を達成した。これは彼独自の方式であるプロペラの力だけによる離陸であり、支柱(パイロン)や重石を使わない方法である。ただ一つの条件として離陸に役立つ風が充分に吹いていることが必要だが、人々がこれまで疑っていた飛行機の機体だけで上昇すること、しかも他の飛行機よりも速く確実に、が実証されたのである。かくしてアメリカ製の飛行機に対して最後まで批判的な態度を保ち続けてきた批評家たちも降参した。
そのことは、つまりこれまでの離陸の手段として使われてきたレールの上を走る台車に乗せて、支柱と重石の手助けを受けての出発(le départ sur chariot courant sur un rail avec l’aide du pylône et de ses poids)が決定的で理想的な手段ではなかったことを示すものであり、ライト氏の直接離陸の方式こそ最も実効的な手段であり、最も速い、最も確実な結果を生み出すことが明らかとなった。
ライト氏はさらにサルトの飛行クラブによって設けられた上空30mの「高度大賞」(Grand prix de la hauteur)を獲得する快挙を成し遂げた。これは水素をつめた6個の風船を30mの長さの紐で繋いで浮かばせた場所を超える飛行を実現することが要求されていた。
飛行機は4時3分前に飛び立ち、すぐに高度30mまで上昇し、午後4時にはその風船の並びのさらに45m上空、つまり地上から75mに達した。
彼はそのあと地上すれすれまで降下し、支柱の目印にまっすぐ突き進み、4時14分に観衆の歓呼の中、その2m離れたところに着陸した。レオン・ボレ氏の代表するサルト飛行クラブの委員たちは彼に1000フランの高度大賞と祝福を贈った。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288274 « Le Figaro » le 14 Nov. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
これまで原初期の飛行機の離陸の方法について詳しく書かれていなかったが、どうやら助走のために線路に乗せた台車が使われていたのが大半だったことが上記の記事で判明した。この記事の訳し方にも大いに苦労させられた。ふと「カタパルト」による飛行機の発進が第2次大戦の艦船で行われていたことを思い出し、それに類似した方式だったのだろうと想像してみてやっと理解できたような気がした。

*参考サイト:MORI LOG ACADEMY :【理科】カタパルト発進
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ライト兄弟の新たな飛行記録 (1908.09.21)
(2)飛行家ウィルバー・ライトのフランスでの挑戦(1908.08)
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by utsushihara | 2008-11-13 10:54 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ライト兄弟の新たな飛行記録

1908年9月21日(月)

有名なアメリカ人飛行家のライト兄弟の活動は、これまでの3年間は謎に包まれていたが、フランスに来て1ヵ月間の試験飛行でその目覚しい一連の飛行実績が明らかとなった。彼らはそれぞれ新記録を作ったのである。
f0028703_17484113.jpgまだ米国に残っていた弟のオルヴィルは、9月12日米国政府の派遣係官の前で、1時間15分20秒の飛行時間を記録し、約75kmを飛んだ。しかし彼はその5日後の9月17日、高度25mのところから墜落し、同乗していたセルフリッジ中尉が死亡した。彼は負傷だけで済んだ。
また兄のウィルバーは、ル・マン近郊のオヴールの演習地で9月10日に39分18秒60の飛行時間を記録し、これはフランス国内での新記録となった。さらにウィルバーは9月21日、ル・マンで1時間31分25秒の画期的な世界新記録を樹立した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
この時期は飛行記録の更新のオンパレードである。9月6日にドラグランジュが出したばかりの記録が10日にはウィルバー・ライトに破られ、12日には米国でオルヴィル・ライトが初の1時間台の飛行を実現したのに、21日には1時間30分を超えた記録が出ているのである。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ドラグランジュの飛行記録更新(1908.09.06) 29分55秒80
(2)飛行家ウィルバー・ライトのフランスでの挑戦(1908.08)
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by utsushihara | 2008-09-21 17:47 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ドラグランジュの飛行記録更新

f0028703_154878.jpg1908年9月6日(日)

レオン・ドラグランジュはイタリアにおける試験飛行から帰ってからほとんど活動していなかったが、2日ほど前からフランス型翼組飛行機による試験飛行を再開した。この飛行機については彼とその強敵アンリ・ファルマンとがすでに数多くの注目すべき成果を生み出している。
ドラグランジュは昨日の朝(6日)厳しく操縦された見事な飛行によって2つの新記録を打ち立てた。飛行時間と飛行距離である。飛行時間は29分55秒80、ほぼ半時間、そして24kmの距離である。
これまでの時間記録は、7月06日アンリ・ファルマンによって出された20分20秒、距離記録は、5月30日ドラグランジュがローマで作った12km750mだった。
またフランスにやって来たウィルバー・ライトがオーヴールの演習地で先日出した記録は、19分48秒40と、20kmの距離であったが、計測者がたった一人であったため参考記録でしかない。

ドラグランジュはイッシー=レ・ムリノーの演習場で朝7時に飛行を開始した。フェルベ大尉他が計測員となった。機体は素晴しい離陸を果たし、5mの高さに上昇した。非常に安定した飛行で時速55kmの速さで飛び続け、旋回し、地上で見守る人々の上を15往復した。16周目に高度が下がってきたのを感じ、静かに着陸した。
レオン・ドラグランジュは賞金2500フランの懸かったアルシュデック賞の記録保持者として明日以降、他の競争者たちの挑戦を受けることとなった。ご存知の通り、この賞の前回の記録は1908年4月11日に彼自身が作った3925mである。
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出典 Crédit:©BNF-Gallica #288206 « Le Figaro » le 7 Sep. 1908
参考画像Crédit d’image: Grande quinzaine d'Aviation / earlyaviators.com M Delagrange Collection of Dave Lam, 8-3-07
http://www.earlyaviators.com/edelagra.htm
出典Crédit d’illustration:©BNF-Gallica #039751; Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.22 Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)は飛行記録競争へはかなり遅れて参加したが、この年(1908)の4月に4km近くの新記録を打ち立てた。それが半年足らずのうちに6倍の距離まで更新された。驚異的な進歩である。

上記のフィガロの記事の中でも「我々はまさに実用飛行の前夜にいる。飛行機はまだ試験飛行のエンジンでしかなく、その使用は冒険か実験のためでしかない。しかしながら交通手段の一つになる時代はそこまで来ている。絶え間のない記録の更新はその革命の進行を告げるものである。」と明言している。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)飛行新記録への新たな賭け(1908.03.09)1年以内に2人乗りの飛行機が1km飛ぶこと
(2)ドラグランジュも200m飛行達成(1908.03.17)
(3)ドラグランジュの飛行新記録(1908.04.10) 3925m
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by utsushihara | 2008-09-05 15:03 | スポーツ、乗物、探検1907-08