フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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物議をかもしたミルボーの『学寮』ようやく初演

1908年12月7日(月)

一連の突発的な出来事や裁判所の判決のあとで、オクターヴ・ミルボー氏とタデ・ナタンソン氏の3幕劇『学寮』が12月7日、ようやく初演の日の目を見た。その次の日の8日(火)の予約会員向けの公演では、「無礼講」の王者を標榜する王党派闘士(カムロ・デュ・ロワ)の若者たちによる妨害で混乱した。しかしながらその後、人々の評価はこの辛辣な現代悲劇を演ずる出演者たち、バルテ嬢、ユグネ氏、ド・フェローディ氏などを賞賛するばかりの方向となっている。

f0028703_21282055.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #618465 « Le Petit journal » le 7 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay); Gérard Blot /Cote cliché :00-010537 /Titre :Octave Mirbeau, écrivain français /Description :Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
なぜこの劇作品がごたごた続きの末に初演に至ったかの経緯を手短かに述べる。最初1906年12月にコメディ・フランセーズ座の支配人ジュール・クラルティ(Jules Claretie, 1840-1913)がオクターヴ・ミルボー(Octave Mirbeau, 1848-1917)(↑画像)の書き上げた作品『学寮』(Foyer)を上演したいと「不用意に」受け入れたことが発端である。雑誌『ルヴュ・ブランシュ』の編集者としても知られたタデ・ナタンソン(Thadée Natanson, 1868-1951)も共作者として加わっていた。まず台本に目を通したクラルティは、作者が大胆かつ辛辣に現代の上流階級の堕落ぶりをあからさまに描いていたのに驚き、多くの箇所での書き直しを要請した。しかしすでに確固たる地位を築いていたミルボーにとっては出来ない相談であり、それを拒否することになった。するとクラルティは1908年3月に舞台稽古を急遽中止させてしまった。作者のミルボーからコメディ・フランセーズ座を訴える裁判が起こされ、判決は作者側の勝訴となったのである。
その間、上述の記事にあるような極右の「アクシオン・フランセーズ」(L'Action française)や王党派の活動家たち、特に11月に結成されたばかりの「王党派若衆組=カムロ・デュ・ロワ」(Camelots du Roy)などによるさまざまな妨害行動が起こされ、そのたびにミルボーたちは不正を告発し、自分たちの正当性を貫く姿勢を取り続けた。
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戯曲『学寮』(Foyer)の主題は、代議士で慈善家で知られる男爵が、運営する子供たちの学寮の資金を流用してしまったことを何とか揉み消そうとするために、夫人の愛人関係を利用して金策したり、党派間の馴れ合いを取引材料としたり、という偽善的な慈善事業を赤裸々に暴き出すものである。
これまでヴォードヴィル喜劇界で活躍していたフェリクス・ユグネ(Félix Huguenet, 1858-1926)がコメディ・フランセーズに迎え入れられて主演する最初の作品となったが、大女優ジュリア・バルテ(Julia Bartet, 1854-1941)との共演は幸先の良いデビュとなった。(↑画像はフィガロ掲載のイラスト、左からユグネ、バルテ、ド・フェローディである)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)« Le Foyer » d’ Octave Mirbeau en collaboration de Tadée Natanson
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by utsushihara | 2008-12-07 17:25 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ジュール・ルナールがゴンクール賞委員に選出

f0028703_18565157.jpg1907年11月1日(金)

「にんじん」や「牧人の歌」の作者として有名なジュール・ルナール氏は、ユイスマンスの死去により空席となっていたゴンクール賞委員会のメンバーとして10月31日選出された。氏の作品は他に、「別れも愉し」、「日々の糧」、「博物誌」、「葡萄畑の葡萄作り」などがある。
選挙は委員長のレオン・エニク宅で行なわれ、4回目の投票で決着した。9つの票のうち5票がジュール・ルナール氏(Jules Renard, 1964-1910) 、2票がヴィクトル・マルグリット氏(Victor Margueritte, 1866-1942)、2票がアンリ・セアール氏(Henri Céard, 1851-1924)だった。
ジュール・ルナール氏はまだ40代初めながら1886年のデビュ以来、詩集、小説、随筆、戯曲を数多く発表しており、鋭い観察眼による的確な言葉遣いと筆致の力強さが評価されている。

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907
出典Crédit:BNF-Gallica #287893 « Le Figaro » le 1er Nov. 1907
画像 Crédit d’image : © CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Collection Félix Potin

[ Ψ 蛇足 ]
ゴンクール賞委員会(Académie Goncourt)は、小説作品の振興のためにエドモン・ド・ゴンクール(Edmond de Goncourt, 1822-1896)の遺言で10人の選考委員会が作られた。元老院のようなアカデミー会員(Académie Française)の基準に反発して、当時の若手作家・批評家でメンバーが構成された。両方ともアカデミー・・・と称しており、重複者はいないような気がする。ユイスマンスが死去したのはこの年の5月12日であった。
下記のルナールの日記によれば8月~9月はオーヴェルニュなどの田舎で過ごし、9月25日にパリに帰っている。それから1ヶ月あまり、いらいらしながら選考が決着するまでの日々を送った様子がわかる。

*参考サイト:松本さんのBlog「発見記録」より:ゴンクール賞と「反」の構造(2006.01.28)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)オールネー=スー=ボワの田園劇場の開演(1907.06.23)ジュール・ルナールの「牧人の歌」(Bucoliques)
(2)ダニエル彗星の撮影(1907.08.06)
(3)作家ユイスマンス死去(1907.05.12)

**参考「ルナールの日記」からJournal de Jules Renard:ABU
http://abu.cnam.fr/cgi-bin/go?ren05101,7053

(1)9月29日: ゴンクール賞委員会。30人以上の候補者がいる。彼らの画策はアカデミー会員の選考を思わせる。[29 septembre : Académie Goncourt. Il y a plus de trente candidats. Ces manoeuvres font comprendre celles qu'il y a autour de l'Académie française.]

(2)10月23日: 昨夜6時に帰宅すると書斎にミルボーとタデが待っていた。「君が選ばれるのは確かだよ。我々は5票集めている。」とミルボーが言う。
「僕はとても満足してると言わなくちゃいけないのかね?」
「いや。でも手続きが欠かせない。君の立候補届けさ。国会の法規だよ。エニクから君に届けを書いてくれるよう頼まれたんだ。彼は君に投票するよ。(・・・)」
[23 octobre :(・・・)Hier soir, en rentrant à six heures, je trouve dans mon cabinet Mirbeau et Thadée.
-- Votre élection est sûre, me dit Mirbeau. Nous avons vos cinq voix.
-- Puis-je dire que je suis très content ?
-- Non. Mais il y a une formalité indispensable : il faut poser votre candidature. Ce sont les statuts du Conseil d'Etat. Hennique me prie de vous demander un mot : il votera pour vous. (・・・)]
「でも、僕はゴンクールの悪口を言ったよ。それが君の邪魔になるだろう。」と言うと、ミルボーが答えた。
「僕はそれを読んでなかったと書いたよ。」
[-- Mais, dis-je, j'ai dit du mal des Goncourt. On va vous tirer ça.
-- Moi, répond Mirbeau, j'ai écrit que je ne les lisais plus. ]

(3)10月26日: 24日から25日にかけての夜、散歩し、時計をながめ、そして窓を見上げる。何の意味もなく冒険を終える。あとは寝るしかない、まったく!ぼうっとしてすぐに眠り込む。朝早く目覚める。とにかく私は選ばれたのか?最初に「フィガロ」を見て結果が出なかったことを知る。
[26 octobre : Nuit du 24 au 25 passée à me promener, à regarder ma montre, puis par la fenêtre. L'aventure finit par n'avoir aucun sens. Il ne reste qu'à se coucher, et, ma foi ! abruti, je m'endors tout de suite. Réveillé de bonne heure, le matin. Si, tout de même, j'étais élu ? Le premier, Le Figaro m'apprend qu'il n'y a eu aucun résultat (・・・)]

(4)11月1日: ブランデスの店で夕食してから帰ると、真夜中門番のところにこの名刺が架かっているのを見つけた。「今度こそ、君が選ばれたよ!リュシアン・デカーヴ、オクターヴ・ミルボー、J.H.ロニーより」
[1er novembre : Rentrant après avoir dîné chez Brandès, nous trouvons, à minuit, chez la concierge qui se lève, cette carte : « Cette fois, vous l'êtes ! Lucien Descaves, Octave Mirbeau, J.-H. Rosny. » ]

[ ΨΨ 蛇足×2 ]
本当に蛇足だが「日記」(Journal)という単語はルナールの名前に響きが似ている。(ジュルナル⇔ジュール・ルナール)
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by utsushihara | 2007-11-01 18:56 | 文芸、評論1907-08

新鋭サシャ・ギトリの新作「鍵」の上演

f0028703_21395075.jpg1907年4月

弱冠22歳のサシャ・ギトリ氏の3幕喜劇「鍵」がレジャーヌ劇場に掛けられている。大胆な作品であり、各紙はおおむね好意的な批評を寄せている。主演はイラストの右からシニョレ氏、レジャーヌ女史、そしてタリド氏である。(フィガロのド・ロスク氏による)

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
サシャ・ギトリ(Sacha Guitry, 1885-1957)は名優として声価の高い父リュシアンのもとで幼いときから舞台に上がっている。前年(1906)から劇作を書き始めたが、上記の「鍵」(La Clef)は実際のところ興行的に大失敗となり、サシャは失意のどん底に落ちた、と下記のウィキペディアに書かれている。彼を励まして劇作を続けさせたのは、大先輩のオクターヴ・ミルボーである。彼が稀代の映画制作者として、シナリオ作家兼監督兼主演として活躍するのは1930年代になってからである。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Sacha Guitry
**これまでの関連記事france100.exblog:アリストファネスの喜劇「雲」の上演(1906.12.20)サシャの改作による
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by utsushihara | 2007-04-28 21:40 | オペラ、音楽、演劇1907-08