フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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タグ:ブレリオ ( 13 ) タグの人気記事

ブレリオの飛行機が国立工芸博物館へ収蔵

1909年10月13日(水)

英仏海峡横断の初飛行に成功したルイ・ブレリオの飛行機が国立工芸博物館(Musée des Arts et Métiers)に収蔵されることとなり、その移転式典が13日盛大に行なわれた。これは人類の技術の進歩の歴史にとって貴重な財産であり、英国ドーヴァー市長のウォルター・エムデン氏とカレー市長のサランビエ氏が共に出席し、勇敢な飛行家に対し新たな敬意を表した。
f0028703_2225541.jpgこれに先立つパレードでは、航空輸送サロンの会場となっているグラン・パレから機体が運び出され、共和国近衛部隊に守られて関係者の馬車が続き、周囲はその行列に先駆ける者、一緒に進む者、追いかける者、見守る者で通りはあふれかえった。群衆の歓呼の声があちこちで沸きあがった。
式典の最後に、国立工芸学校の主管ブーケ氏がブレリオに祝辞を述べ、公式に《ブレリオ》号が国家財産に入ったことを宣言した。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #569215 « Le Matin »No.9361; le 14 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4759771 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.43; le 23 Oct. 1909
f0028703_2234834.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
(↑)上掲の写真は「マタン」紙の本社前を通るパレードと群衆、円内は礼服に身を固めたドーヴァー市長ウォルター・エムデン(Walter Emden)と右枠は、護衛の近衛騎兵に先導されて進む着陸時に使われたフランス国旗と《ブレリオ》号である。翼を畳んで移動したことがわかる。


**これまでの関連記事france100.exblog:航空輸送サロンの開幕(1909.09.25)
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by utsushihara | 2009-10-14 22:01 | 科学、軍事、海事1909-10

航空輸送サロンの開幕

1909年9月25日(土)
f0028703_21194443.jpg


航空輸送サロン(Salon de Locomotion aérienne)は9月25日グラン・パレを会場として開幕した。主催者のロベール・エスノー=ペルトリ氏の尽力により、昨今大いに脚光を浴びる航空スポーツ(Sport aérien)の若手飛行家たちの栄誉の数々が3週間のあいだ展示された。
この航空サロンは、人々の中で急速に増長してきた空中飛行への思いをさらに拡大させる意義深い催しとして期待されていた。空間を飛び進む、あるいは浮揚する意味での飛行全般に関する初めての大規模な展示となり、会場に設けられた多くのブースに大勢の観客が押し寄せた。何度も改良が加えられた数多くの型式の飛行機が展示されており、人々の驚嘆と満足には大きなものがあった。会場では、ブレリオが英仏海峡を横断飛行したときの飛行機をはじめ、有名なファルマン、ラタム、ポーラン等の機体がサントス=デュモンの「お嬢様」号や数多くの気球、普仏戦争時の攻囲戦の気球、モンゴルフィエの色彩豊かな気球、2基の飛行船などとともにこれまでにない展示手法を駆使して飾られた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618756 « Le Petit journal » No.17073, le 24 Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #405973 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.41; 9 Oct. 1909
f0028703_2120538.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica; Esnault-Pelterie [aviation] Vreus [photographie de presse] / [Agence Rol]

[ Ψ 蛇足 ]
(←)ロベール・エスノー=ペルトリ(Robert Esnault-Pelterie, 1881-1957)はこの直近まで飛行家として活動していたが、次第にこうした協会団体の啓蒙的活動に傾注していく。

*参考サイト:Wikipedia(和文)ロベール・エスノー=ペルトリ

**これまでの関連記事france100.exblog:第1回航空サロン展の開催(1908)(1908.12.24)
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by utsushihara | 2009-09-26 21:21 | スポーツ、乗物、探検1909-10

対飛行船用クルップ砲の登場

1909年9月f0028703_1650408.jpg

飛行船に続いて飛行機の目ざましい発展は、戦場に部隊を展開する各国軍事省の懸念を増大させている。
飛行船について見れば、これまでフランスは《祖国》(Patrie)、《パリ市》(Ville-de-Paris)、《共和国》(République)、《自由》(Liberté)、《ルナール大佐》(Colonel-Renard)、《ナンシー市》(Ville-de-Nancy)を建造しており、ドイツも何基かの《ツェッペリン》(Zeppelin)と、《グロス准尉》(Major-Gross)、《パーセヴァル》(Parseval)を保有し、イタリアも《イタリア》(Italia)を、そしてロシアは最近《バヤール=クレマン》(Bayard-Clément)を購入した。さらにライト兄弟、ファルマン、ブレリオ、ラタムらによる飛行機の性能の向上は、各国の戦術に空からの偵察に重きが置かれるように変わっている。
f0028703_1651378.jpgここで、ドイツのクルップ社(Krupp)ではすでに新機種の大砲を作り上げた。これは野戦用の大砲であるとともに、真上の標的にも十分に狙いを定め、発射することができるものである。口径65mm、射程は6300mとなって垂直にも発射できる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit avec l’illustration:©BNF-Gallica #39751 « Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique » No.34 Déc. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #716875 «Le Petit Journal, supplément illustré» No.988, Dimanche, le 24 Oct. 1909
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by utsushihara | 2009-09-24 16:48 | 科学、軍事、海事1909-10

飛行機のゴードン=ベネット杯は米国人グレン・カーチス

1909年8月28日(土)f0028703_2251273.jpg

ベテニーの大航空週間の会期はあと2日のみとなった。天候は晴れ、風力はゼロという絶好の飛行日和で、今日は飛行速度を競うゴードン=ベネット杯は、5km離れた2つの標柱間を1度周回する10kmと2度周回する20kmの最速記録を測るものである。
午前中に若手米国人飛行家グレン・カーチスが20kmで15分50秒を出し、ブレリオ、ルフェーヴル、ラタム、ランベール、ポーランなどが夕暮れまで記録に挑戦した。
公式発表でのゴードン=ベネット杯の結果は下記の通りとなった。
優勝はグレン・カーチス(Glenn H. Curtiss):10km=7分53秒2; 20km=15分50秒6
賞金2万5千フラン。
2位 ルイ・ブレリオ(Louis Blériot):10km=7分53秒2;  20km=15分56秒6
3位 ユベール・ラタム(Hubert Latham):10km=8分51秒; 20km=17分32秒
4位 ルフェーヴル(Lefebvre):10km=9分45秒8; 20km=20分47秒6

f0028703_22515695.jpgこの発表があった後、午後7時頃にブレリオは記録の更新を諦めきれず、飛び立った。ファルマン、ポーランなども暗闇が迫る中を続いた。(←)ブレリオはこの結果、10kmを7分47秒8で飛び、ついに世界新記録を達成した。もはや「根性」以外の何ものでもない。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618730 « Le Petit journal » No.17047, le 29 Août, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5525296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
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by utsushihara | 2009-08-29 22:50 | スポーツ、乗物、探検1909-10

大航空週間の開幕

1909年8月20日(金)

ランスの北部、ベテニーでは盛大な熱気をもって航空立国の創設者たちを迎えようと準備が進められている。これまでにない大がかりな飛行機のための祭典は《大航空週間》(La Grande Semaine d’Aviation)と呼ばれ、22日から29日まで飛行機のさまざまな性能を競い合う大会が催される。以下はその概要である。
f0028703_20554889.jpg

22日(日):ゴードン・ベネット杯:フランス国内予選。および飛行距離賞(10万フラン)第1回戦。 20時半から大音楽会と舞踏会:パットドワ庭園にて
23日(月):30km飛行速度賞(2万フラン)および複数搭乗員賞(1万フラン)
24日(火):指標周回飛行賞(1万フラン)
       夜の運河で大灯籠大会
25日(水):飛行距離賞(10万フラン)第2回戦
26日(木):円周飛行競技
       夜、音楽コンクール(器楽と声楽):パットドワ庭園にて
27日(金):飛行距離賞(10万フラン)第3回戦
28日(土):ゴードン・ベネット国際飛行杯(2万5千フラン)
       地方の祭礼の松明行列、自動車のパレード含む
29日(日):30km飛行速度賞(2万フラン)および飛行高度賞(1万フラン)
       夜9時にフィナーレの花火大会。10時にパットドワ庭園にて大ダンスパーティ。

3つの大型観覧席が飛行場の西側10kmにわたって設置され、3千人の観客を収容する。また委員会の運営のための仮設事務所と通信郵政事務用の建物が作られている。秩序維持のために130名の騎馬憲兵と竜騎兵隊が配置されている。
ランス市内ではすでに大勢の見物客が集まって来ており、ホテルの部屋はかなり高額な料金に引き上げられているし、貸間もほとんど借り手がついている。

20日にはすでに試験飛行が行なわれ、ルイ・ブレリオは3度の素晴しい飛行を見せ、群衆の歓呼を受けた。
また7日に長時間飛行の世界記録を出したロジェ・ソメもその複葉機で15分間の安定した飛行を見せた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618722 « Le Petit journal » No.17039, le 21 Août, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
1909年はフランスの人々にとって飛行機という乗物・スポーツ・産業・文明の記念すべき年となった。
競技会が催されるたびごとに、そして懸賞金が設けられるたびに、その記録がこれほど矢つぎ早に次々と塗り替えられていった年はなかった。人々はその無限大にも思える可能性の広がりに狂喜したのである。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ルイ・ブレリオの単葉機、ロンドン展後にフランスへ(1909.08.12)
(2)ロジェ・ソメの長時間飛行の世界新記録(1909.08.07)
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by utsushihara | 2009-08-20 20:52 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ルイ・ブレリオの単葉機、ロンドン展後にフランスへ

1909年8月12日(木)
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今日か明日、英仏海峡横断初飛行のブレリオの単葉機がフランスに戻ってくる。
(←)左掲はロンドンのシェパーズ・ブッシュ(Sheperd’s Bush)の格納庫での展示会の様子である。昨日閉会するまで2週間のあいだ、多くの見学者が押し寄せて賑わいを見せた。英国では今回のブレリオの飛行機の展示ほど大きな成功を博したのは前例がない。この英誌「スフィア」提供による写真は、ロンドン市民をはじめ、英国国民がいかに熱心な興味を示したかをどんな演説よりも雄弁に物語っている。社会のあらゆる階層の人々が、特に着飾った貴婦人たちまで労働者に混じって、栄光に満ちた機体の前に引きもきらずに行列したのである。その数は30万人と推定されている。
ブレリオの飛行機は海路および陸路でフランスに運ばれる予定である。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #569151 « Le Matin » No.9298 - le 12 Août, 1909

**これまでの関連記事france100.exblog:英仏海峡横断初飛行への挑戦(7)ルイ・ブレリオのパリ凱旋(1909.07.31)
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by utsushihara | 2009-08-12 21:48 | スポーツ、乗物、探検1909-10

英仏海峡横断初飛行への挑戦(7)ルイ・ブレリオのパリ凱旋

f0028703_17205835.jpg
1909年7月31日(土)

(↑)上掲の写真はパリに到着したブレリオを迎える熱狂したパリの群衆、と(↓)31日に行なわれたパリ航空クラブ(Aéro-Club de Paris)主催の晩餐会風景である。ブレリオは新法相ルイ・バルトゥとパリ防衛軍司令官ダルスタン将軍との間に着席し、彼に向かって述べられた数々の祝辞に対しごく簡単な答礼をした。

(7月28日付「マタン」紙の記事から)
f0028703_17212521.jpgルイ・ブレリオ(Louis Blériot)は今日(28)パリに到着するだろう。パリでは、ドーヴァーやロンドンで催された祝賀行事以上に、できる限り盛大で熱狂的で賞賛に満ちた歓迎式典が予定されている。
ブレリオ夫妻は昨日(27)の夜9時にロンドンを出発した。同道したのは彼を最初にドーヴァー着陸を迎えたアルフレッド・ルブラン(Alfred Leblanc)、フルニエ(Fournier)、シャルル・フォンテーヌ(Charles Fontaine)の各氏である。彼らはカレーで泊まったあと、午後1時15分の列車で発ち、パリの北駅に午後4時45分に到着する。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #569138 « Le Matin » No.9283 - le 28 Juil. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738243 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.32; 7 Août, 1909

f0028703_1722173.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ルイ・ブレリオは1872年7月1日、カンブレー生まれ37歳。若くして中央美術工芸学校で学んだ。1900年以降、彼は《翼をはばたかせる鳥》(Oiseau à ailes battantes)を夢見ながら数多くの飛行機を試作した。さらに模索に模索を続けて単葉機を作りあげ、エタンプからオルレアンまでの長距離飛行、次いで英仏海峡の横断飛行に成功した。妻と5人の子供がいる。(←)

**これまでの関連記事france100.exblog:英仏海峡横断初飛行への挑戦(5)ルイ・ブレリオの成功(1909.07.25)
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by utsushihara | 2009-07-31 17:19 | スポーツ、乗物、探検1909-10

英仏海峡横断初飛行への挑戦(6)ユベール・ラタム2度目の失敗で涙

1909年7月27日(火)f0028703_17551620.jpg

ユベール・ラタムには不運がつきまとっていたとしか言いようがない。7月27日午後5時50分、彼は2度目の挑戦を決行した。雨の降るあいにくの天気だったが、次第に回復しつつあり、午後4時には駆逐艦「エスコペット」をはじめとする警備の艦船が出港し、待機した。アントワネット号は薄い霧の中を上空150mの高度でドーヴァーに向かって飛び続け、駆逐艦は後を追った。しかしながらドーヴァーの海岸を目前に見ながら、あと1マイルというところで雨による電気系統のショートでエンジンが停止し、機体は大きな放物線を描いて墜落した。水しぶきが上がった。「何という不運であろうか!」(Quel malheur !)
ラタムは救出されたが、幸いにも軽傷であった。

懸賞主の「デイリー・メイル」社では、ラタムの勇気を称えて2500フラン相当の銀杯を「残念賞」(Prix de Consolation)として授与する決定をした。

f0028703_17554126.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.8; Août, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #569138 « Le Matin » No.9283 - le 28 Juil. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ブレリオの成功の2日後の挑戦であった。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)英仏海峡横断初飛行への挑戦(4)ユベール・ラタム最初の失敗(1909.07.19)
(2)英仏海峡横断初飛行への挑戦(5)ルイ・ブレリオの成功(1909.07.25)
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by utsushihara | 2009-07-27 17:54 | スポーツ、乗物、探検1909-10

英仏海峡横断初飛行への挑戦(5)ルイ・ブレリオの成功

1909年7月25日(日)f0028703_17392038.jpg

7月25日の早朝、ルイ・ブレリオはカレー近郊の小村バラク(Baraques)から自らの単葉機「ブレリオ11号」(Blériot XI)に乗って飛び立ち、一気に英仏海峡を越えてドーヴァーに着陸した。飛行時間は27分31秒であった。
着陸地点はドーヴァー城の近くにあるゴルフ場の芝地であった。そこには一人の記者と写真家が待機しており、勇気ある飛行家にフランスの三色旗を振って目印になったのである。
飛行の実際は強い風に煽られ、少し霧もかかっていて、ブレリオは最初、海上を少し西に寄り過ぎて飛んでいた。しかし巧みな操縦により彼はドーヴァーの断崖を避けて北上し、軍港の上を通過してノースペイル(Northpale)に着地したのである。静止した機体の周りには多くの人々が押しかけた。ロンドン航空クラブではこの地点に記念碑を建立することを決めた。
f0028703_17395850.jpgこの英仏海峡横断飛行には英紙デイリー・メイルから千ポンド(約25,000フラン)の懸賞金が掛けられていた。ロンドンに到着した英雄ブレリオを讃えて祝賀行事が催され、新聞社主催の晩餐会では社主のノースクリフ卿から賞金の小切手と、見事な彫琢の銀杯が手渡された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.8; Août, 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #716864 « Le Petit journal; Supplément du dimanche» No.977, le 8 Août, 1909
f0028703_17381550.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738243 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.32; 7 Août, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
大きな話題を呼んだ《英仏海峡横断飛行》(La traversée de la Manche en aéroplane)は、いともあっけなく決着がついた。ルイ・ブレリオ(Louis Blériot, 1872-1936)の名前が歴史に刻まれることとなった。懸賞金は1 Fr≒\2000で換算すると5千万円になる。8月8日付「プチ・ジュルナル」紙日曜版の色刷り表紙(→)が感動的である。

*参考サイト:Wikipedia(和文)ルイ・ブレリオ
**これまでの関連記事france100.exblog:英仏海峡横断初飛行への挑戦(4)ユベール・ラタム最初の失敗(1909.07.19)
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by utsushihara | 2009-07-25 16:22 | スポーツ、乗物、探検1909-10

英仏海峡横断初飛行への挑戦(4)ユベール・ラタム最初の失敗

1909年7月19日(月)
f0028703_18121013.jpg

ユベール・ラタムはほとんど毎日のようにこの上もない見事な練習飛行を見せていた。7月19日、彼はサンガットの台地を飛び立ち、英仏海峡の上空高度200mでドーヴァーを目指した。しかしながら18kmほど飛んだ中間地点でエンジンの出力が急に弱まったので、やむなく滑空しながらゆっくりと海上に落ちた。彼は付近を追走していた駆逐艦アルポン号(Harpon)に救助されたが、幸い無傷であった。
ラタムは哲学者のようにタバコを吹かし、こう語った。「海峡横断飛行の一番乗りは失敗した。でも2回目でうまく行きたいね。」
我々は勇敢な飛行家の心の広さに期待したい。

f0028703_1234379.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.8; Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #716863 « Le Petit journal; Supplément du dimanche» No.976, le 1er Août, 1909

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by utsushihara | 2009-07-19 18:06 | スポーツ、乗物、探検1909-10