フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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タグ:フォーレ ( 10 ) タグの人気記事

ポール・デュカがパリ音楽院の管弦楽科教授に

1910年1月5日(水)
***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1910年1月5日:f0028703_22385366.jpg

音楽院で、ポール・デュカがオーケストラ科教授に任命される。ガブリエル・フォーレが、私たちを院長室に集めて、生徒の練習に充てる曲目の計画をたてさせる。デュカが「ベートーヴェンはあまり多くせずに、むしろ、不当に忘れられているハイドンを尊重しよう。」と言う。彼は私に「四季」を練習させることを提案する。私はポール・デュカと協力することがうれしい。私たちは、音楽院を出ながら、親愛なる我らが師エルネスト・ギローのクラスにおける昔の思い出を語りあう。私たちは1890年に顔を合わせたのであった。当時、私は単なる聴講生にすぎなかった。

(池内友次郎の注釈)ビュッセルのポール・デュカへの友情は美しいものであった。私が学生のころ、デュカは作曲のクラスの教授であって、そのクラスは、私たちの和声のクラスの隣の室であった。週に一回だけ、彼のクラスと私たちのクラスが同時間であったのであるが、ときには、彼のクラスからピアノの音が壁越しに漏れてくる。そのたびに、私たちの先生のフォーシェが、眉をしかめ、音楽院でこのような音を耳にするとは、と歎いていたことなどがあった。……そのほか、当時はまだエレヴェーターがなかった頃で、廊下でクラスの開かれるのを待っているとき、小太りで小柄なデュカが、とぼとぼと階段を上ってくるのをみかけたりしたこともあった。…(以下略)

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・デュカ(Paul Dukas, 1865-1935)に音楽院の「教授」という肩書がこの時から与えられたのかどうかははっきりしない。下記の関連記事では、1907年3月に病気で引退するタファネルの後任として、院長のフォーレがデュカを選んだという。この間約3年近くは「准教授」のような立場だったかもしれない。
デュカが「小太りで小柄な」という様子だった、というのを読むと親近感がわいてくる。

恩師エルネスト・ギロー(Ernest Guiraud, 1837-1892)の名前は、ビゼーの「アルルの女」第2組曲を編んだ人として記憶されているが、彼自身の作品はあまり演奏されることはない。

f0028703_2232408.jpg上記の記述で「ハイドンを尊重しよう」とデュカが語ったことには、ある理由がある。ちょうど1909年には「ハイドンの没後100年記念」(ハイドンは1809年5月31日没)として楽譜出版社のデュラン(Durand)の企画によって、ポール・デュカは『ハイドンの名による悲歌的前奏曲』(Prélude élégiaque sur le thème proposé : H-A-Y-D-N)というピアノ小品を作曲していた。IMSLP所収の楽譜の冒頭と与えられた音型を参考に掲載する。ご存知の通り、H A D はシ、ラ、レの音にあたるが、Y N は音楽的になるように適当に割り当てたようだ。
f0028703_2232490.jpg

この曲はYoutube でデュシャーブル(F.-R. Duchable)やジャン・ユボー(Jean Hubeau)の演奏が聴ける。

このデュラン社の企画の依頼を受けた作曲家は、他にはドビュッシーとラヴェルがいた。
ドビュッシーは『ハイドン讃』(Hommage à Joseph Haydn)
ラヴェルは『ハイドンの名によるメヌエット』(Menuet sur le nom d’Haydn)
いずれも1909年の作曲である。これら3つの曲を同時に比べて聴いてみるのも一興だろう。優劣でなくあくまでも好みの問題だが、両巨匠の間でもデュカは独自の存在感は示しているように思う。

*参考サイト:
(1)IMSLP: Prélude élégiaque (Dukas, Paul)
(2)Youtube : Paul Dukas - Prélude élégiaque

**これまでの関連記事france100.exblog:ポール・デュカの「アリアーヌと青髭」初演(1907.05.10)
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by utsushihara | 2010-01-05 22:27 | オペラ、音楽、演劇1909-10

モーツァルトの『魔笛』の再演

f0028703_1856299.jpg1909年5月31日(月)

モーツァルトの幻想的な素晴しいオペラ『魔笛』がオペラ・コミック座で5月31日から再演された。この傑作オペラの初演は1791年9月にウィーンで行なわれたが、パリの聴衆は1865年にニュイテルとボーモンによる脚色によるテアトル・リリクでの公演によってようやく知りえたのである。今回は、ポール・フェリエ、アレクサンドル・ビッソン両氏による新校訂のフランス語版台本であり、マルグリット・カレ女史(Marguerite Carré, 1881-1947)のパミーナ、エドモン・クレマン氏(Edmond Clément, 1867-1928)のタミーノ、リュシアン・フュジェール氏(Lucien Fugère, 1848-1935)のパパゲーノ、リュセット・コルソフ嬢(Lucette Korsoff, 1876-1955)の夜の女王、ジュスト・ニヴェット氏(Juste Nivette, 1865-19xx)のザラストロという配役で大きな評判を呼んでいる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909f0028703_18562668.jpg
画像 Crédit photographique : ©BNF-Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France
La flûte enchantée : esquisse de décor de l'acte II, tableau 2 / Philippe Chaperon / mise en scène de Léon Carvalho. - Paris : Théâtre-Lyrique, 1865

[ Ψ 蛇足 ]
(↑)画像は1865年のパリ初演時の舞台装置(フィリップ・シャプロン画)とパパゲーノで当たり役を取ったバリトン歌手のリュシアン・フュジェール(→)である。
この時、新聞「フィガロ」紙の劇評欄でガブリエル・フォーレが少々辛口の評論を書いている。時間があれば紹介したいところである。
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by utsushihara | 2009-05-31 18:55 | オペラ、音楽、演劇1909-10

ガブリエル・フォーレが音楽アカデミー会員に選出

1909年3月13日(土)
f0028703_1433819.jpgフランス芸術アカデミー音楽部門では、先般死去したエルネスト・レイエに代わる会員選挙に実施した。立候補者は届け出順に次の6名となった。
1.シャルル=マリー・ウィドール / 2.ガブリエル・フォーレ / 3.シャルル・ルフェーヴル
4.ガブリエル・ピエルネ / 5.アンリ・マレシャル / 6.エミール・ペッサール

6回目の決選投票で、フォーレ氏18票、ウィドール氏16票で、フォーレ氏が選出された。
新たにアカデミー会員となったフォーレ氏は国立音楽院の院長を勤め、1860年、61年の2年間にピアノ、和声法、作曲で一等賞を獲得した。彼は数多くの歌曲と宗教曲を作っており、また『カリギュラ』や『シャイロック』などの劇音楽も作曲している。彼はマドレーヌ寺院のオルガン奏者、礼拝堂楽長でもあった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618562 «Le Petit journal» No.16879, le 14 Mars, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré, 1845-1924)は1905年からパリ音楽院長の要職にあり、選出されても当然と思われたが、最後までウィドールと競り合いになった。音楽部門の会員数は当時6名のみであり、うち1名は欠員となっていたので、投票者数34票は芸術アカデミー全体での数と思われる。音楽部門で有名な会員としては、サン=サーンス、マスネが挙げられる。こうした公的な役位には往々にして偉大な作曲家が選ばれない(多くの文豪が文学アカデミーに選ばれなかったように)ことが多い。例えばドビュッシーやラヴェルはついに縁がなかったのである。

シャルル=マリー・ウィドール(Charles-Marie Widor, 1844-1937):多くのオルガン交響曲(独奏曲)で有名。
ガブリエル・ピエルネ(Gabriel Pierné, 1863-1937):色彩豊かな管弦楽作品が多い。コロンヌ管弦楽団の指揮者としても活躍。
シャルル・ルフェーヴル(Charles Lefebvre, 1843-1917):オペラから室内楽まで広範囲な作品がある。
アンリ・マレシャル(Henri Maréchal, 1842-1924):オペラ作曲家、歌劇「ダフニスとクロエ」などがある。
エミール・ペッサール(Émile Pessard, 1843-1917):オペレッタ作曲家。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Liste des membres de l'Académie des beaux-arts (France)
**これまでの関連記事france100.exblog:作曲家エルネスト・レイエの死(1909.01.15)
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by utsushihara | 2009-03-13 14:01 | オペラ、音楽、演劇1909-10

アンリ・ビュッセルと若きデルヴァンクール

1908年12月7日(月)

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1908年12月7日:
音楽院でガブリエル・フォーレがオーケストラ科の代理教授を私に任せる。何回かの授業では、作曲科の生徒たちの作品に充てて、オーケストラで彼ら自身の作品を聴かせるようにする。ウィドールのクラスに入っている私の生徒のクロード・デルヴァンクールの作品を使ったが、この作品の試奏はオーケストラの器楽学生たちの興味を大いに惹きつける。彼らは同時に、シャルル・ルヌヴーの若い弟子であるボルシャールとバズレールの作品も大いに喜んで練習する。

f0028703_1393532.jpg画像 Crédit d’image : ©BNF-Gallica – Image Claude Delvincourt
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b7720613t

[ Ψ 蛇足 ]
クロード・デルヴァンクール(Claude Delvincourt, 1888-1954)についてはそれほど知名度がないが、このあと1913年のローマ大賞をリリ・ブーランジェ(Lili Boulanger, 1893-1918)と一緒に獲得した。彼にとって不運だったのはローマ留学の最中に第一次大戦が勃発し、彼も従軍し重傷を負ったことである。その後、作曲、ピアノ演奏、音楽教授として活躍し、1940年からはパリ音楽院長を務めた。この時すでにフランスはナチス・ドイツに敗れており、独軍占領下での窮屈な活動を強いられた。この世代のすべての人々はこうした苦難の人生を送らざるを得なかったことに改めて気づかされる。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Claude Delvincourt
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by utsushihara | 2008-12-09 13:07 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ラモーの歌劇「イポリットとアリシー」の再演

1908年5月13日(水)

ラモーの歌劇のうちでも傑作とされる「イポリットとアリシー」がオペラ座で5月13日再演された。初演は1733年10月1日で、実に175年の歳月が経過している。出演は、リュシエンヌ・ブレヴァル、ジャンヌ・アット、イヴォンヌ・ガルの女声陣とプラモンドン、デルマ、グレスの各氏である。舞台美術はロシェット氏が担当している。

(「フィガロ」3月21日付の記事から)
この「ナムーナ」の再演準備にもかかわらず、ラモーの歌劇「イポリットとアリシー」の研究もかなり逼迫しており、器楽伴奏部の復元にようやくめどが立ち、ラロの「ナムーナ」の再演の翌日には「イポリットとアリシー」の舞台稽古が始められるだろう。このラモーの初日は4月24日(金)になる予定である。

f0028703_18332.jpg出典 Crédit:©BNF-Gallica #288034 « Le Figaro » le 21 Mars, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.41; Juin, 1908
画像 Crédit photographique : ©RMN / Gérard Blot / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 91-002011 / Fonds : Peintures / Titre : Phèdre et Hippolyte / Auteur : Pierre-Narcisse Guérin (baron) (1774-1833) / Localisation : Paris, Musée du Louvre

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用:
[第10章] 4月26日(日): ラモーの「イポリットとアリシー」の総練習。メサジェはクラヴサンとその通奏低音を批判する。彼はポール・ヴィダルに、主旋律を絃楽器で奏させるように要求する・・・この問題について、総練習に出席しているヴァンサン・ダンディとシャルル・ボルドとともに長い議論。フォーレは、この作品が極めて単調でほとんど演劇的でないと認める!

5月13日(水): 「イポリット」の総練習。ポール・ヴィダルは、主旋律のいくつかを絃楽器に充てたが、クラヴサンをあえて削除しないで、それと交互に奏するようにした。その音量は、オペラ座のなかでは完全に消えてしまっている。リュシエンヌ・ブレヴァルが感動的なフェードル、ジャンヌ・アットが極めて美しいディアーヌ、プラモンドンとイヴォンヌ・ガルがイポリットとアリシーの困難な役。廊下では幾人かが「これは図書館入りの作品だ」と言う。しかしながら、その連中もジャン=フィリップ・ラモーのバレエと音楽を高く評価している。

[ Ψ 蛇足 ]
ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683-1764)は18世紀フランスの代表的な作曲家である。
この歌劇の台本は、ラシーヌの代表的な悲劇「フェードル」(Phèdre)にもとづいている。もともとはギリシア英雄伝説の物語である。アテネの王テゼー(テセウス)とアマゾネスの間に生まれたのがイポリット(Hippolyte)で、テゼーによって滅ぼされた王族の娘アリシー(Aricie)との悲恋と、テゼーの妻フェードル(パイドラ)が継母の身ながらイポリットに恋慕してしまうという苦悩が織り交じった悲劇である。
(↑)画像は19世紀初頭の画家ピエール=ナルシス・ゲラン作の「フェードルとイポリット」

*参考サイト:
(1)YAMAHA おんがく日めくり: 9月12日フランスの作曲家、ジャン・フィリップ・ラモー没(1683~1764)
(2)Wikipedia(和文)フェードル
(3)UT Repository東京大学: 『フェードル』における毒の役割 永井典克・著「東京大学仏語仏文学研究」(22),3~51,2000(ISSN 09190473)
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by utsushihara | 2008-05-13 18:01 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ラヴェルの「スペイン狂詩曲」の初演

1908年3月15日(日)

来たる3月15日(日)シャトレ座においてコロンヌ管弦楽団によるモーリス・ラヴェル氏の「スペイン狂詩曲」のとても重要な初演が行なわれる。
また秀れたピアニストであるアルフレッド・コルトー氏は、シャトレ座では初めてとなるフォーレの「ピアノと管弦楽のためのバラード」と、フランクの「交響的変奏曲」を独奏する。
さらにウィニャフスキー夫人(旧姓ムロムツェフ)はロシアの第1回帝国議会(ドゥマ)の議長の娘であるが、このたびパリでは知られていないリムスキー=コルサコフの3つの歌曲をロシア語で歌う。
演奏会の最後は、ラロ作曲の「管弦楽のためのスケルツォ」であり、これもコロンヌでは初めて取り上げられる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288024 « Le Figaro » le 11 Mars, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 26-000246- © ADAGP/Claude Holstein.
Titre : Maurice Ravel ; Auteur : © Henri Manguin (1874-1949) Localisation : Paris, Musée national d'Art moderne - Centre Georges Pompidou

f0028703_17105842.jpg[ Ψ 蛇足 ]
モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel, 1875-1937)の代表的な管弦楽曲の一つ「スペイン狂詩曲」(Rapsodie espagnole)の初演を伝える記事が見つかったので、何とかしてここには残しておきたかった。この曲は、「夜への前奏曲」(Prélude à la nuit)~「マラゲーニャ」(Malagueña)~「ハバネラ」(Habanera)~「祭り」(Feria)の4つの部分から成り、スペインの祭礼の光と陰を見事に描いている。これ以降、ラヴェルの魔術師的な管弦楽法による作曲が続々と生み出されて行く。画像(→)はアンリ・マンギャン(Henri Manguin, 1874-1949)による肖像画である。

ウィニャフスキー夫人(旧姓ムロムツェフ)(Mme de Wieniavski, née Mouromtsef)は、有名なヴァイオリン奏者ウィニャフスキーの妻ではないかと思うが、詳しく調べる時間がなかった。不思議に思うのは、パリのこの冬のシーズンには様々な演奏会でリムスキー=コルサコフ(Rimsky-Korsakoff, 1844-1908)の広範囲な作品が頻繁に演奏されたことである。(Wikipediaによるとロシアの次にフランスで最も好まれた、とある。彼の音楽が色彩的だったからかもしれない。)
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by utsushihara | 2008-03-15 17:09 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ジャンヌ・ローネーが歌うフォーレの歌曲

f0028703_1831196.jpg1908年2月3日(月)

2月3日(月)午後4時、アテネ街8番地の農耕者会館ホールで開かれるジャンヌ・ローネー女史の演奏会の魅力の一つは、わが「フィガロ」の優れた執筆者の一人である作曲家ガブリエル・フォーレ氏の最新作となる歌曲「たそがれ」、「楽園」、「プリマ・ヴェルバ」(はじめの言葉)が紹介されることである。
つい先頃死去したばかりのベルギーの詩人シャルル・ファン・レルベルグの詩集「イヴの歌」から作曲されたものである。この詩人はモーリス・メーテルランク氏が師と仰いでいた。
これらの歌曲は崇高な集積となっており、これまでフォーレ氏の芸術が到達したことのない高さに位置している。かくも驚嘆すべき主題が確かで澄み切った力強さをもって扱われたことはなかった。彼がまったく新しい霊感によって作り出した音楽には、世界創世の輝かしい冒険と最初の日々の奇跡とが呼び起こされているのである。
フォーレ氏自身がローネー女史の伴奏をつとめる。この作品にしてこの演奏家あり、というこの2大芸術家の演奏会は大成功を予見することができる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287978 « Le Figaro » le 25 Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287984 « Le Figaro » le 31 Jan. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #287986 « Le Figaro » le 2 Fév. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN,

[ Ψ 蛇足 ]
ジャンヌ・ローネー(Jeanne Raunay, 1869-1942)はすでに高い評価を得ていた当時のソプラノ歌手である。12月にはイザイとの演奏会でも共演していた。古典派オペラのアリアや歌曲リサイタルに積極的な活動をしていた。
上記の演奏会はフォーレの歌曲を作曲者自身のピアノ伴奏によって歌うという画期的な企画だった。曲目は記事中の3曲しか言及がないが、他にこれまでの主要な作品を取り上げたものと思われる。
ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré, 1845-1924)は、1905年に60歳でパリ音楽院長に就任して以来、公的な職務が増えたためか、作曲そのものは極端に少なくなっていた。記事中の「イヴの歌」(La Chanson d’Ève)はまだ一部分しか出来ておらず、全10曲が完成するのは1910年となる。(作品95) ここで披露されたのは、
第9曲:「たそがれ」(Crépuscule) 1906.06.04
第1曲:「楽園」(Paradis) 1906.09.08
第2曲:「はじめの言葉」(Prima Verba) 1906.09.28
である。

作詞者のベルギーの詩人シャルル・ファン・レルベルグ(Charles van Lerberghe, 1861-1907)は、19世紀末から同じベルギー人のメーテルランク、ロダンバック、ヴェラーランなどとともに象徴主義的な文芸活動をした。詩集「イヴの歌」は代表作である。1907年9月末に脳卒中で倒れ、46歳で早世した。

*参考サイト:Charles Van Lerberghe(仏語)レルベルグ

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ジャンヌ・ローネーとイザイの演奏会(1907.12.02)
(2)パリ旧馬術館でフォーレの舞台劇「プロメテウス」再演(1907.12.05)
(3)新フランス国立音楽院長にフォーレ氏(1905.06.13)

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by utsushihara | 2008-02-03 17:57 | オペラ、音楽、演劇1907-08

オペラ座地下室での声の埋蔵式(21世紀の子孫のために)

f0028703_23441212.jpg1907年12月24日(火)

12月24日午後2時、オペラ座の地下室において、オペラ座の書庫室長シャルル・マレルブ氏の主宰のもと発案者の米国人アルフレッド・クラーク氏、および政府関係者などが列席して現代の代表的な歌手による有名なアリアが入ったレコードの数々を「埋蔵」した。ここに納められたレコードは百年後にしか復元しないことになっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287947-8 « Le Figaro » le 25-26 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
これは20世紀初頭に録音されたレコードをタイムカプセル方式で埋蔵するという式典を伝える記事である。ちょうど百年後となった今=2007年12月には果たして開けられたのだろうか?
上掲(↑)の画像の主だった出席者の中にはマレルブ、クラーク、オペラ座支配人のゲラールの他に政府高官のアリスティド・ブリアン、デュジャルダン=ボーメツ(山高帽)、アドリアン・ベルネム、パリ音楽院長のガブリエル・フォーレなどが見える。

この儀式のことは「フィガロ」の記事の原文では:l’émouvante et curieuse cérémonie de « l’enfouissement », dans les caves de l’Opéra, des disques gramophoniques où avaient été enregistrées, à l’intention de nos descendants, les voix des plus illustres chanteurs et cantatrices de notre temps. となっていた。
「フィガロ」の音楽時評欄の執筆者の一人、ルネ・ララ(René Lara)はこの集まりについて長文の取材記事を「ある風変わりな儀式」(Une Étrange Cérémonie)という題で書いているが、そもそもオペラ座の地下室という場所もミステリーじみた設定で面白い記事だった。時間があれば訳してみたいが・・・

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by utsushihara | 2007-12-24 23:42 | オペラ、音楽、演劇1907-08

パリ旧馬芸館でフォーレの舞台劇「プロメテウス」再演

f0028703_1541470.jpg1907年12月5日(木)

南仏の洪水被災者を支援するために12月5日と8日の2回、クリシー広場の馬芸館で大掛かりな抒情悲劇「プロメテウス」の公演が行なわれた。ジャン・ロランとフェルディナン・エロルド氏の台本にもとづき、ガブリエル・フォーレ氏が作曲したもので、出演者が600人にのぼる大規模な公演であった。ファリエール大統領も公演に臨席した。
この作品は数年前に南仏のベジエ市にある古代劇場で初演されたときと同じように舞台が準備された。つまりハープを加えた弦楽オーケストラの他に3つの軍楽隊が会場に別々に配置され、その音響のすごさには圧倒された。弦楽器はパリ音楽院の学生たちが担当し、軍楽隊はパリ管区司令官のダルスタン将軍が全面的に協力を申し出て、共和国軍楽隊(ラ・ガルド・レピュブリケーヌ)と第1工兵連隊音楽隊、第89歩兵連隊音楽隊を参加させた。
通常「総練習」と呼ばれる招待客向けの事前公演に関する問い合わせが主催者側に多数寄せられたが、代表のカステルボン=ド=ボーゾスト氏は正式に、そうした招待公演は今回はなく、非公開の最終練習のみであると表明し、報道陣にも取材が許されなかった。

主催者のカステルボン=ド=ボーゾスト氏の努力は無駄ではなかっただろう。エロー県の洪水の被災者は支援を受け、パリの人々は稀にみるスペクタクルを享受できたのである。公演に際しては、準備に費やせる期間の短かさや、音響に適さない会場からも様々な困難が重なったが、公演は熱狂的に受け入れられた。フォーレ氏は熱烈な喝采に何度も繰り返し応えなければならなかった。(M. Gabriel Fauré a été l’objet à plusieurs reprises de chaleureuses ovations.)出演者たちもそれに劣らず賞賛された。プロメテウス役のド・マックス氏は素晴らしく緊張感があり、またパンドラ役のバディ女史はとても美しくとても感動的だった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287925-28 « Le Figaro » le 3-6 Déc. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Gabriel Fauré
画像 Crédit d’image : © Internaute.com – Photos anciens de Paris - L'Hippodrome de Paris
http://www.linternaute.com/paris/magazine/photos-anciennes-de-paris/l-hippodrome-de-paris.shtml

***『フォーレ・その人と芸術』(Gabriel Fauré) :フィリップ・フォーレ=フルミエ著(Philippe Fauré-Fremiet)、©藤原裕・訳、音楽之友社・1972年6月25日刊、から引用:
(・・・)《プロメテウス》は混成された作品で、悲劇としての作品の宿命も、またオペラとしての定めも持っていると自負できず、両方のジャンルに第一級の解釈の方法を要求し、悲劇としての真の形式の斬新さを自らに押しつけることもないのであった。(中略)《プロメテウス》は(・・・)1907年パリ競馬場で再登場した。エロー県での大洪水の罹災者の救援のため、二回の上演が行なわれるはずであった。ベジエと同じく三つの軍楽隊が加わった。この恐るべきオーケストラは音がバラバラに鳴り、まさに山彦騒ぎであった。ド・マックスは空間に向かって息切れしたような声を出し、大きな白熱灯が眩しく輝いて観衆の三分の一からその顔を隠してしまった。(・・・)ガブリエル・フォーレが指揮をとり、これはまさに素晴らしいけれどももちろん束の間の音楽会であった。

[ Ψ 蛇足 ]
「プロメテウス」(Prométhée)は、ギリシアのアイスキュロス(Eschyle)原作の悲劇をジャン・ロラン(Jean Lorrain, 1855-1906)とアンドレ=フェルディナン・エロルド(André-Ferdinand Hérold, 1865-1940)が自由に翻案した台本にもとづく抒情悲劇で、フォーレ(Gabriel Fauré, 1845-1924)は付帯音楽とともに独唱、重唱、合唱の曲を作った。人類に初めて火をもたらしたプロメテウスの役は俳優ド・マックスが台詞を語り、また女優のベルト・バディがパンドラの役で出演した。彼らとは別にそれぞれの独唱部分をオペラ座の歌手が歌った。

もともとこの作品は南仏のベジェ(Bézier)で文化活動をしていたフェルナン・カステルボン=ド=ボーゾスト(Fernand Castelbon de Beauxhostes, 1859-1934)の依頼で1900年8月に当地で初演されたもので、今回水害にあったエロー県(Hérault)に位置している。

f0028703_15413586.jpgこの600人を超す出演者というような大規模な演奏会は、ベルリオーズやワーグナーならば熱心に取り組んだだろうが、柔らかな和声と穏やかな旋律を特徴とするフォーレの音楽からはとても結び付かない、と思う人は多いだろう。交響曲や協奏曲で満足な曲を作れなかったフォーレとしては、残された唯一の可能性である劇場音楽(オペラ)への挑戦を試みたのではないだろうか。音楽事典ではこの「プロメテウス」が歌劇に分類されているが、むしろベルリオーズの「レリオ」のような歌唱と管弦楽曲との混合作品であった。この頃からフォーレは新たに歌劇「ペネロープ」(Pénélope)の作曲に着手していた。

当初はトロカデロ劇場が会場となる予定だったが、暖房設備が不十分だったので、この「旧パリ馬芸館」(L’Ancien Hippodrome de Paris)(画像↑)に変更された。上記のフォーレの息子フィリップ著の文献にもあるとおり、直訳すれば「競馬場」となるが、実際はサーカスなどの動物の曲芸を見せるための興行館であったようだ。このあとゴーモン映画館(Gaumont Cinéma)となり最大の客席数を誇った。

*参考サイト:
(1)Cartes Postales anciennes de l’Hérault : Béziers - Théâtre aux arènes
(2)Les Célebrités Boujanaises : Fernand Castelbon de Beauxhostes

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)新パリ音楽院長にフォーレ氏(1905.06.13)
(2)南フランスの大洪水(1907.09.30)
(3)作家ジャン・ロランの死(1906.06.30)

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by utsushihara | 2007-12-05 15:35 | オペラ、音楽、演劇1907-08

新フランス国立音楽院長にフォーレ氏

f0028703_14191110.jpg1905年6月13日(火)

13日付の通達によりガブリエル・フォーレ氏が国立パリ音楽学院の次期院長に任命された。来たる8月に辞職するテオドール・デュボワ氏と交代となる。フォーレ氏はマドレーヌ寺院のオルガニストであり、フィガロ紙の音楽時評を担当している。氏の作品としては、これまで数多くの歌曲、ピアノ曲とともにピアノ四重奏曲2曲、交響曲1曲がある。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
清澄なレクィエムで有名なフォーレは、60歳にして通称「パリ音楽院」と呼ばれるコンセルヴァトワールの院長に任命された。公職につくとなかなか創造的な仕事ができにくくなるが、作曲家としては以後、主として枯淡な味わいのある室内楽曲群を残している。

フォーレに関する日本語サイト: Jardin nocturne – Gabriel Fauré
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by utsushihara | 2005-06-13 14:22 | オペラ、音楽、演劇1905-06