フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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コレット女史のアッシリア舞踊

1909年2月

f0028703_23481075.jpg(←画像)左掲は芸術座で1月9日から公演が始まったコリーン作の3幕劇『沈黙の塔』の一場面である。出演はヴェラ・セルジーヌ女史、エレーヌ・フロリーズ女史、リリアーヌ・マルジル女史、マルティア・ド・フォレスト嬢(後にコレット・ウィリー女史に交代)、ド・マックス氏、デュレク氏、ルー=テルジャン氏などである。
芸術座では2月の月火水の開演時間を例外的に遅らせることとなった。これは主役の一人、ド・マックス氏が同じ日に作品座にも出演が重なるためである。またこの主演俳優にかかる負荷を考慮し、日曜日の昼公演(マチネ)も取止めとなる。
毎晩ヴェラ・セルジーヌ嬢の演技の傍らでコレット・ウィリー女史が披露するアッシリア風舞踊は大きな喝采を博している。これは彼女の自作である楽しい喜劇『仲間同士』(En Camarades)の前に演じられる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.50; Mar. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288351 « Le Figaro » le 29 Jan. 1909
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

f0028703_23484477.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(画像→)右掲は主演女優のヴェラ・セルジーヌ(Véra Sergine, 1884-1946)である。彼女もコレット同様自分で劇作を書いた。後に画家ルノワールの長男で映画監督のピエール・ルノワール(Pierre Renoir, 1885-1952)の妻となる。上記の舞台では、左手最前列に彼女の姿が見える。
イサク・コリーン(Isak Collijn, 1875-1949)はスェーデン出身の劇作家。母国語のほか、独語、仏語でも戯曲を書いた。『沈黙の塔』(La Tour du silence)は場面からすると歴史劇のようだ。
コレットはこの時期にはまだコレット・ウィリー(Colette Willy, 1873-1946)という呼称でいた。アッシリア風舞踊(Danse assyrienne)というのも独自の解釈による独創的な踊りだったと想像する。

主演のエドゥアール・ド・マックス(Edouard de Max, 1869-1924)もアンドレ・ジィドの友人だったりで、当時の演劇界では人気が高かった。

**これまでの関連記事france100.exblog:ローマ喜劇作家プラウトゥスの「黄金の壷」上演(1907.12.16) エドゥアール・ド・マックス
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by utsushihara | 2009-02-03 23:47 | オペラ、音楽、演劇1909-10

プレ・カトランの緑地劇場

f0028703_22435490.jpg1908年6月14日(日)

ブローニュの森にある現代の野外劇場では最も古いプレ・カトランの緑地劇場では6月14日午後9時から公演が始まった。今年の支配人はガストン・ヴァンサン氏である。開幕の皮切りは『森の魂』(L’Âme des bois)という奇妙な革新的な演劇作品である。
また『アフロディトの接吻』(Baiser d’Aphrodite)と『デリラ』(Dalila)は、コンスタン・ラウンズベリー嬢の原作をガブリエル・ニゴン氏が韻文劇に改作した美しい作品で、ド・マックス氏、ロシェ氏、コラ・ラパルスリ女史、B.ルブラン女史などが出演している。この原作者、詩人および出演者たちへの演劇評はとても好意的なものとなっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.44; Sep. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #288034 « Le Figaro » le 10 Juin, 1908
画像 Crédit d’image : ©Chapitre.com : Parutions de Le Petit Journal Illustre en 1906; Couverture du No.818 paru 22/07/1906 / Au théâtre de Verdure du Pré Catelan Danse en l’honneur du roi du Cambodge
http://journaux-anciens.chapitre.com/PETIT-JOURNAL-ILLUSTRE/1906.html

[ Ψ 蛇足 ]
バカンスの季節に入って通常の劇場は休みに入り、逆に避暑地の劇場や野外公演での活動が多くなる。このブローニュの森の野外劇場は現在でも《シェークスピア公園野外劇場》(Théâtre de Verdure du jardin Shakespeare)として毎年秋口まで催し物がある。森の中なので車で往復しないと特に夜間は注意を要する。
(↑)上掲は1906年のカンボジア国王の来訪を祝してこの野外劇場で舞踊の夕べが催されたときの絵入り新聞の表紙である。このときは馬車や自動車が交通手段として使われた。

原作者は裕福な米国人女性のグレイス・コンスタン・ラウンズベリー(Grace Constant Lounsbery, 1876-1964)といい、パリに住んで深い教養に裏打ちされた文学活動を続けた。この頃から仏教思想にも興味を抱き、後年(1929)パリに《仏教の友》(Les amis du Bouddhisme)という団体を設立したり、仏教思想書を著したりした。
改作者のガブリエル・ニゴン(Gabriel Nigond, 1877-1937)はラウンズベリーの作品のいくつかを翻訳して仏語韻文劇に書き直した。彼自身も早くから仏教思想には造詣があり、この年の2月にはフェミナ劇場で『ニルヴァーナ』(涅槃)という劇を上演させている。

*参考サイト:Paris.fr(Mairie de Paris):Théâtre de Verdure du jardin Shakespeareパリ市役所の行楽案内サイト(仏語)
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by utsushihara | 2008-06-14 22:43 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ブローニュの森の池での惨事

f0028703_15172818.jpg1908年1月14日(火)

昨日(14日)の午後5時半頃、パリの大通りに大惨事の噂が口から口へと伝わった。ブローニュの森の池でスケートに興じていた多くの人々の下で氷が割れて、その裂け目に50人ほどが落ちたというのである。記者はすぐ自動車で現場に駆けつけた。
寒い日が続いていたため、数日前からスケート愛好者たちが森の中の池に集まって滑るのに熱中していたのである。(・・・)現場は、池の中ノ島の向こう側にある通称「ロン・ロワイヤル」(Rond-Royal 王の円形広場)という所で、夏の季節には多くのパリ市民が涼を求めて憩う場所である。池の畔には数多くの消防士が松明を手に横一列に並んでいた。その何人かは強力な電気反射鏡で水面を照らしていて、一方で消防士の乗り込んだ4隻のボートが《セーヌ川水難救助隊》の捜索を支援していた。彼らは事故の起きた付近の氷を割り、長い鈎竿で池の底を探っていた。
警視総監のレーピン氏みずから、市警察署長のトゥニー氏ほかの役職者、および警官たちとともに現場で捜索の指揮をとっていた。すでに1人の溺死者が引き上げられていた。ピュトー市のマニッシエ街に住む組立工ルイ=アレクサンドル・ペリエール氏、16歳で、すぐにボージョン病院に運ばれたがすでに死亡が確認され、そのまま救急車でピュトーの両親のもとへ移送された。

パリ市当局はブローニュの森の池でのスケートをごく限られた場所で、しかも氷の厚さが9cmでなければ許可していなかった。ある場所では鴨や白鳥の動き回る水場となっていた。
「ロン・ロワイヤル」一帯では氷の上に《危険》と書いた立て札があった。一方で中ノ島の飲食店業者が有料のスケート場を設けており、その周辺でも一般に開放されていた。この人たちはふざけて楽しむことが多く、少年少女たちも滑ったり転んだりしていた。午後4時45分頃、そのうちの1人が危険な立て札を越えて滑った。そして運悪く氷の薄くなっている所で転んだのである。30人ほどの人がその事故を見ており、叫び声をあげて彼を救おうとかけ寄った。そして氷が割れた。
落ちた人々は氷片が浮く水面を泳ぐのが困難で、島と陸地の両側から救援に駆けつけた。水深が平均1m50から2mだったこともあり、こうした勇敢な救助のおかげで約25名の人が水から引き上げられ、すぐに救急車で運ばれ、手当を受け、あるいは車で自宅に送り届けられた。最初の死者が引き上げられたのは6時20分、もう1人の死者が見つかったのは7時10分だった。午後8時に捜索は打ち切られた。

今後ブローニュの森の池ではスケートは禁止となるだろう。多くの警官たちの語るところでは、先だっての日曜日にも非常に多くの人々が彼らの警告を聞かずに池全体を滑り回っており、規則を守らせるには軍隊の出動が必要だ、という。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287968 « Le Figaro » le 15 Jan. 1908
*参考画像:©Centans.free.fr; Le Petit Journal, supplément illustré, Dimanche 26 janvier, 1908
Terrible accident au Bois de Boulogne

[ Ψ 蛇足 ]
現在では暖冬ならばなおさら危険がいっぱいなスケートは厳禁になっているだろう。「池」と訳したが、原文でも今でもブローニュやヴァンセンヌの池は《Lac》(湖)と呼ばれている。実際行ってみれば「これは池だ」と言うしかない。
下記に引用したジィドの日記では、この事件の2日後なのに相変わらず多くの人が滑っている。有料の場所か、もしくはブローニュではない別の所かも知れない。

*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、新庄嘉章・訳、1908年1月16日より引用:
スケート場でマックスに遇う。大勢の滑る人の間に、どんよりとした眼つきをして、陰鬱そうに突っ立っている。敏捷に飛び翔ける燕の中に、陰気な沼の脚長鳥がまぎれこんできたという恰好。白い手袋、金の腕輪、獺(かわうそ)の上着、山高帽・・・
「ひどく憂鬱そうだね?」
「しょっちゅうこんな恰好さ。」と彼は答えた。
数人非常に上手に滑る人がいる。だが皆、どこか従僕のような顔つきをしている。

**これまでの関連記事france100.exblog:ブローニュの森の池でスケート(1907)(1907.02.09)ジィドとヴァレリー

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by utsushihara | 2008-01-14 15:21 | フランス社会政経1909-10

ローマ喜劇作家プラウトゥスの「黄金の壷」上演

1907年12月26日(木)

オデオン座では支配人アンドレ・アントワーヌ氏によってモリエール劇「守銭奴」の興味深い学術的な考証が続けられている。今日の午後はこの作品に大きな影響を及ぼしたとされるローマ時代の喜劇作家プラウトゥスの「黄金の壷」(アウルラリア)が上演される。街頭には「両手壷の笑劇」という題で張り出され、ローラン・テラード氏によって実に見事に翻案されている。上演の前にテラード氏による談話が予定されている。出演は、マックス氏、カペラーニ氏、ケルウィック女史、ジャンヌ・リオン女史など。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287948 « Le Figaro » le 26 Déc. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture); Acteur M. de Max, atelier Nadar, 1894

[ Ψ 蛇足 ]
ローマ時代の喜劇作家プラウトゥス(Plaute, ca254-184 a.c.)の喜劇はモリエールやシェークスピアに大きな影響を与えた。「黄金の壷」(アウルラリア=Aulularia)は代表作の一つとされる。最後の部分が散逸しており、後世断片や引用などをもとに再構成されている。
「両手壷の笑劇」(La farce de la marmite)は、諧謔詩人で毒舌家で有名なローラン・テラード(Laurent Tailhade, 1854-1919)が翻訳改作したもの。
右画像は主役のエドゥアール・ド・マックス(Edouard de Max, 1869-1924)
f0028703_1050076.jpg
*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、©新庄嘉章・訳、1908年1月9日より引用:
昨日、オデオン座の昼間興行で『黄金の壷』を観る。マックスが初めて、一般に《皮肉役》と呼ばれているものを試みているが仲々いい。ただ、少し芸が細かすぎる。彼が果して、あの単純化に、――ニイチェが語り、そしてこれなくしては完全な芸術作品はあり得ないあの《輪郭の強力な風化》に――到達し得るか否か疑わしい。彼は批評家に対しては自尊心をもって傲然と構えているが、お客に対しては自尊心を屈服させている。このお客――私は主として彼の楽屋に訪ねてくる客のことを言っているのだが――は快復の余地なきまでに彼の趣味を歪める手助けをしている。
昨日、彼の楽屋に、軽佻そのもののようなおしゃれ青年が六人ばかり来ていた。幸いにジョゼ・ド・シャルモワもいて助かった。それからブレヴァルもいたのだが、話をしてみて、途中でやっと彼女とわかった。彼女は別に気を悪くもせず、愛想よくコポーのことを私に話した。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Aulularia by Plautus(黄金の壺)
(2)Laurent Tailhade; Repères biographiques(仏語)
**これまでの関連記事france100.exblog:マスネの歌劇「アリアーヌ」の初演(1906.10.31)リュシエンヌ・ブレヴァル(Lucienne Bréval, 1869-1935)ソプラノ歌手

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by utsushihara | 2007-12-26 19:29 | オペラ、音楽、演劇1907-08

詩劇「王様のマント」

f0028703_1553196.jpg1907年10月22日(火)

ポルト・サン=マルタン劇場の今シーズンの幕開けは、ジャン・エカール作の詩劇「王様のマント」である。付帯音楽はジュール・マスネが作曲した。残虐好みの王子クリスチァンが悪夢のような出来事のあとで善良な王様になるという話である。左記(←)はフィガロ紙のド・ロスク氏による舞台のイラストで、手前がクリスチァン役のエドゥアール・ド・マックス、中央奥が道化役のジャン・コクラン、右手がドリヴァルである。出演は他にマルト・メロ女史、ペリコー氏などで、各紙は一応好意的な批評となっている。
f0028703_15533480.jpg
画像右(→)は7年間にわたりこの劇場の支配人を続けているアンリ・エルツ氏である。氏はまたコクラン=エネの海外公演も手がけている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ジャン・エカール(Jean Aicard, 1848-1921)は南仏トゥーロン出身の劇作家、小説家。19世紀末にはそれなりの地位を確立していたようで、先般のアカデミー会員補充選挙の立候補者の中にも名前が挙げられている。
作曲家のジュール・マスネ(Jules Massenet, 1842-1912)は名実ともにフランス音楽界の第一人者となっていた頃である。この「王様のマント」(Le manteau du Roi)4幕5景の付帯音楽は今ではほとんど演奏されていない。
エドゥアール・ド・マックス(Edouard de Max, 1869-1924)はこれまでジィドの日記にも頻出する俳優である。ポルト・サン=マルタン劇場を中心に活躍した。支配人のアンリ・エルツ(Henry Hertz)についての詳細は不明。

*参考サイト:Les Amis de Jean Aicard ジャン・エカール友の会(仏語)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)マスネの新作「テレーズ」の初演(1907.02.16)
(2)マスネの歌劇「アリアーヌ」の初演(1906.10.31)
(3)ポルト・サン=マルタン劇場で「ノートル・ダム・ド・パリ」の再演
(1907.01.28)
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by utsushihara | 2007-10-21 15:51 | オペラ、音楽、演劇1907-08

「ノートル・ダム・ド・パリ」の再演

1907年1月28日(月)

f0028703_11235692.jpgベルト・バディ嬢は1月28日のポルト・サン=マルタン劇場で行なわれた「ノートル・ダム・ド・パリ」の再演で、エドゥアール・ド・マックス氏、ジャン・コクラン氏、エメ・テサンディエ女史らの傍らですばらしい演技を見せてくれた。
f0028703_17273888.jpg
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.26-27; MAR.-AVR. 1907
画像Crédit d’image : © Photo RMN - ©Bulloz; RMN125759; Musée Victor Hugo
画像Crédit d’image : © CNM - Archives Photographiques (Médiathèque de l'Architecture et du Patrimoine)

[ Ψ 蛇足 ]
ベルト・バディ(Berthe Bady, 1872-1921)はベルギー出身の女優。個性的な印象深い演技で知られたようで、ロートレックによる肖像画(1897作)が残っている。49歳で死去した。
この年の2月には、コメディ・フランセーズ座、オデオン座をはじめとする市内の劇場でヴィクトル・ユゴーを記念する公演や行事が行なわれたという記事がある。ユゴーの生年月日は1802年2月26日なので、生誕105周年記念ということだろうか?上記の「ノートル・ダム・ド・パリ」(Notre-Dame de Paris)の再演もその一環だったと思われる。もともとユゴーの代表的な長編小説だが、ユゴーの親友ポール・ムーリス(Paul Meurice, 1818-1905)によって脚色されていた。
画像はエスメラルダとカジモドを描く「一滴の水の代りの涙」(Une larme pour une goutte d’eau, 1903)、リュック=オリヴィエ・メルソン(Luc-Olivier Merson, 1846-1920)の作。

*参考サイト:Wikipedia(和文):ノートルダム・ド・パリ
**これまでの関連記事france100.exblog:文豪ヴィクトル・ユゴーの手稿(1906.01.21)

*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、新庄嘉章・訳、1907年2月12日より引用:
(…)一昨日、私はマックスを悦ばすために「ノートル・ダム・ド・パリ」を観に行かねばならないと思った。彼はクロード・フロロの役をやっていた。(…)最初の三十分間、この劇の不自然さと滑稽さに腹が立って、隣りの連中の頬ぺたをなぐりつけたくなった。一幕以上はとても我慢出来ないと思った。だが、マックスは第九場と第十場の間でなければ登場しないのだ。ところで、彼の演技はいい。この大言壮語する厭らしい傀儡を、いかにも実在の人物らしく見せている。彼が退場するや早速、もうとても我慢出来なくて退散する。

[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
例によって、アンドレ・ジィドの日記にこの芝居の感想が載っているのを見つけた。出演者の一人、エドゥアール・ド・マックス(Edouard de Max, 1869-1924)とは懇意の仲だったようだ。ジィドは1901年に作品座で劇作「カンドール王」(Le Roi Candaule, 1901)をこの俳優の主演で上演している。題材はヘロドトスの「歴史」に記述のあるリディア王カンダウルスの話で、自分の妃への愛を信じられなくなった王のとった奇矯な行動は「サロメ」に匹敵するスキャンダラスな内容とされて評判となった。

*参考サイト:
(1)エドゥアール・ド・マックスの紹介(仏語)Les Commerages de Tybalt; Les Gens de Lettres: Edouard de Max
(2)ウィーン日記:(和文)ウィーン・フォルクスオパー ツェムリンスキー「カンダウルス王」2004年11月
(3)Wikipedia(英文)カンダウルス王Candaules
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by utsushihara | 2007-02-10 17:27 | オペラ、音楽、演劇1907-08