フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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オランジュ野外劇場でソフォクレスの『アンティゴネ』再演(付帯音楽:サン=サーンス)

1909年8月8日(日)f0028703_18533116.jpg

オランジュ野外劇場でのソフォクレスの古代悲劇『アンティゴネ』(Antigone)の再演は、8月8日に大壁を前にして、巨匠サン=サーンスの作曲による音楽と合唱隊とともに行なわれた。コメディ・フランセーズ座のジュリア・バルテ女史が主役を見事に演じ、前回同様の満場の賞賛を博した。
この公演には偉大な共演者たち、ムネ=シュリー、ポール・ムネ、ドリヴァルなどの各氏とウェバー女史、マドレーヌ・ロック嬢が加わり、最上級の公演であったと言わねばならない。

この作品はオランジュの大壁の前で再演されるのは久しぶりで、人々はその感動の記憶を大事にしていた。劇評家のフランシスク・サルセーは、この広大な空間で、バルテ女史の演技、とりわけ第3幕で一言一句もらさずに演じきったことが8千人の観客の感動の高まりを引き起こしたとき、「バルテ!これぞまさに朗誦の勝利だ。」と絶叫したという。(Bartet ! C’est le triomphe de la diction.)
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出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526293 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288535-536 « Le Figaro » le 30-31 Juil. 1909
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by utsushihara | 2009-08-08 18:52 | オペラ、音楽、演劇1909-10

物議をかもしたミルボーの『学寮』ようやく初演

1908年12月7日(月)

一連の突発的な出来事や裁判所の判決のあとで、オクターヴ・ミルボー氏とタデ・ナタンソン氏の3幕劇『学寮』が12月7日、ようやく初演の日の目を見た。その次の日の8日(火)の予約会員向けの公演では、「無礼講」の王者を標榜する王党派闘士(カムロ・デュ・ロワ)の若者たちによる妨害で混乱した。しかしながらその後、人々の評価はこの辛辣な現代悲劇を演ずる出演者たち、バルテ嬢、ユグネ氏、ド・フェローディ氏などを賞賛するばかりの方向となっている。

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出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #618465 « Le Petit journal » le 7 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay); Gérard Blot /Cote cliché :00-010537 /Titre :Octave Mirbeau, écrivain français /Description :Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
なぜこの劇作品がごたごた続きの末に初演に至ったかの経緯を手短かに述べる。最初1906年12月にコメディ・フランセーズ座の支配人ジュール・クラルティ(Jules Claretie, 1840-1913)がオクターヴ・ミルボー(Octave Mirbeau, 1848-1917)(↑画像)の書き上げた作品『学寮』(Foyer)を上演したいと「不用意に」受け入れたことが発端である。雑誌『ルヴュ・ブランシュ』の編集者としても知られたタデ・ナタンソン(Thadée Natanson, 1868-1951)も共作者として加わっていた。まず台本に目を通したクラルティは、作者が大胆かつ辛辣に現代の上流階級の堕落ぶりをあからさまに描いていたのに驚き、多くの箇所での書き直しを要請した。しかしすでに確固たる地位を築いていたミルボーにとっては出来ない相談であり、それを拒否することになった。するとクラルティは1908年3月に舞台稽古を急遽中止させてしまった。作者のミルボーからコメディ・フランセーズ座を訴える裁判が起こされ、判決は作者側の勝訴となったのである。
その間、上述の記事にあるような極右の「アクシオン・フランセーズ」(L'Action française)や王党派の活動家たち、特に11月に結成されたばかりの「王党派若衆組=カムロ・デュ・ロワ」(Camelots du Roy)などによるさまざまな妨害行動が起こされ、そのたびにミルボーたちは不正を告発し、自分たちの正当性を貫く姿勢を取り続けた。
f0028703_21284159.jpg
戯曲『学寮』(Foyer)の主題は、代議士で慈善家で知られる男爵が、運営する子供たちの学寮の資金を流用してしまったことを何とか揉み消そうとするために、夫人の愛人関係を利用して金策したり、党派間の馴れ合いを取引材料としたり、という偽善的な慈善事業を赤裸々に暴き出すものである。
これまでヴォードヴィル喜劇界で活躍していたフェリクス・ユグネ(Félix Huguenet, 1858-1926)がコメディ・フランセーズに迎え入れられて主演する最初の作品となったが、大女優ジュリア・バルテ(Julia Bartet, 1854-1941)との共演は幸先の良いデビュとなった。(↑画像はフィガロ掲載のイラスト、左からユグネ、バルテ、ド・フェローディである)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)« Le Foyer » d’ Octave Mirbeau en collaboration de Tadée Natanson
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by utsushihara | 2008-12-07 17:25 | オペラ、音楽、演劇1907-08

コメディ・フランセーズの老優バイエの引退記念公演

f0028703_11143855.jpg1908年4月4日(土)

長年にわたってコメディ・フランセーズ座で活躍し、とりわけボーマルシェの劇「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵や、ユゴーの戯曲「リュイ・ブラス」のドン・セザール・ド・バザンの役で喝采を博したバイエ氏はこのたび引退することになった。(画像→)
彼の引退記念公演は4月4日、盟友の最後の公演に喜んで加わりたいと望む当代第一線の俳優たちがこぞって出演するという素晴しいプログラムが用意され、それに引きつけられた洗練された観客たちの前で行なわれた。
f0028703_22433626.jpg(←)左掲はその演目の中の一つ、クラルティ作の機知に富んだ寸劇「わが将軍夫人」(Ma Générale)で、バルテ嬢とカフェ・コンセールの人気歌手ポラン氏とが愉快な演技を見せていた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.40; Mai, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ジョルジュ・バイエ(Georges Baillet, 1848-1935)は往年の名脇役といった位置づけだったようで、このときちょうど60歳の定年である。国営劇場のコメディ・フランセーズは公務員として取り扱われたのではないだろうか。
ジュール・クラルティ(Jules Claretie, 1840-1913)は、文筆家として新聞の批評記事や小説、評論、歴史書、戯曲を多数書いたが、さらに1885年からはコメディ・フランセーズ座の総監として20年以上運営を続けた。
ポラン(Polin, 1863-1927)は本名をピエール=ポール・マルサレス(Pierre-Paul Marsales)と言ったが、もっぱら愛称のポランで呼び習わされた。カフェ・コンセールの代表的なシャンソン歌手で知られる。
上掲のバルテ嬢(Mlle Bartet)は、大女優ジュリア・バルテ本人ではなく、その娘かもしれない。(未確認)

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Jules Claretie
(2)Wikipedia(仏語)Julia Bartet

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ルーヴェイルのデッサン画集(1905.10) ジュール・クラルティの似顔絵
(2)大女優ジュリア・バルテの叙勲(1905.07.28)
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by utsushihara | 2008-04-04 22:42 | オペラ、音楽、演劇1907-08

「芸術の水曜日」にレイナルド・アーン作品集

f0028703_17363738.jpg1908年2月19日(水)

芸術座において「芸術の水曜日」(Mercredi des Arts)と銘打った定例の昼公演の第1回目が2月19日午後4時から開かれ、作曲家レイナルド・アーン氏の作品が演奏された。これには非常に珍しい事柄で注目された。というのは、演奏の前にコメディ・フランセーズ座の大女優ジュリア・バルテ女史が講演者として初めて登壇し、アーン氏の作品について談話と朗読をするという洗練された楽しみを味わうことができたからである。
まず最初に、ラシーヌの劇「エステル」による「正義の幸福への讃歌」(Cantique sur le bonheur des justes)という独唱と合唱のための曲は、ジャーヌ・バトリ女史とジャンヌ・リヨン合唱団によってメリハリの効いたしっかりした清澄な演奏であった。

アーン氏の歌曲は「恍惚のとき」(L’Heure exquise)や「フィリス」(Phyllis)、「傷ついた木の葉」(Feuilles blessées)など知性と香気あふれる作風ですでに有名であるが、ジャーヌ・バトリ女史による心に染み入る、わかりやすい歌唱はまれに見る貴重なものであった。またこれまた非常に珍しいことだが、作曲者レイナルド・アーン氏自身が自作の歌を何曲か歌い、その歌手としての才能の見事さも示してくれた。

器楽曲は、2台のピアノのための「憂鬱な奇想曲」(Caprice mélancolique)でジュール・ベルニー氏とともにジャーヌ・バトリ女史がエレガントな演奏を披露した。
また「ベアトリス・デステ公女の舞踏会」(Bal de Beatrice d’Este)は、豊な色彩の管楽器を中心とした幻想的な組曲で、アンゲルブレシュト氏の指揮による現代吹奏楽協会(Société moderne d’instruments à vent)による華やかな演奏であった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #287993 « Le Figaro » le 9 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288001 « Le Figaro » le 17 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288005 « Le Figaro » le 21 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Pho1983-165-548-277 Fonds Photographies - ©Franck Raux  Titre : Hahn Reynaldo (1875-1947), compositeur français Localisation : Paris, musée d'Orsay
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Pho1983-165-546-432 Fonds Photographies - © Hervé Lewandowski Titre : Mlle Julie Bartet(Jeanne Julia Regnault dite )(1854-1941), actrice française à la Comédie Française Localisation : Paris, musée d'Orsay
f0028703_17377100.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn, 1874-1947):ベルエポックを代表する作曲家。文豪プルーストとの親交でも知られる。(画像↑)
(画像←)ジュリア・バルテ(Julia Bartet, 1854-1941):コメディ・フランセーズ座の有名女優。
ジャーヌ・バトリ(Jane Batholi, 1877-1970):メゾ・ソプラノ歌手、ピアノ奏者。
アンゲルブレシュト(Désiré-Émile Inghelbrecht, 1880-1965):若手指揮者。後にフランス放送管弦楽団(ORTF)の初代指揮者となる。

*参考サイト:
(1)Reynaldo Hahn(レイナルド・アーン仏語サイト)
(2)Marston Records; Jane Bathori
**これまでの関連記事france100.exblog:大女優ジュリア・バルテの叙勲(1905.07.28)
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by utsushihara | 2008-02-19 17:38 | オペラ、音楽、演劇1907-08

戯曲「マリオン・ドロルム」の再演

f0028703_1748392.jpg1907年4月22日(月)

コメディ・フランセーズ座では4月22日、ヴィクトル・ユゴーの戯曲「マリオン・ドロルム」の再演を行なった。この5幕の韻文劇は重要な作品であり、すべての正団員が役割を負った。ムネ=シュリー氏とジュリア・バルテ女史を筆頭に、ル・バルジー氏、アルベール・ランベール氏(子)などが出演した。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
マリオン・ドロルム(Marion Delorme, 1611-1650)は歴史上実在した人物で、本名はマリー・ド・ロン(Marie de Lon)といい、ルイ13世の宮廷でその類いまれな美貌と知性で数多くの貴族の寵愛を受けた。ヴィクトル・ユゴーはその史実にもとづき、1829年に戯曲に作り上げたが、国王ルイ13世を意志薄弱で迷信深く残虐な性格として描いたため、当時の国王シャルル10世の側近から、この劇が王政を批判し、民衆の暴動を誘引する恐れがあるとして上演禁止措置が取られた。しかし翌1830年に七月革命が起き、ブルジョアの政治参加とともに、改めてこの劇が1831年にコメディ・フランセーズ座で上演されると、華々しい成功を収めることとなった。画像は当時マリオン・ドロルムを演じた女優のマリー・ドルヴァル(Marie Dorval, 1798-1849)
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by utsushihara | 2007-04-22 17:46 | オペラ、音楽、演劇1907-08

フェミナ劇場の大成功

f0028703_16342340.jpg1907年4月9日(火)

当誌の購読者を招待して行なわれたフェミナ劇場での2回のマチネ公演は大成功であった。
3月19日の当日は、モーリス・ヴォーケール作の面白い前口上をランテルム嬢(画像→)が可愛らしく読み上げたあと、リュシー・ドラリュ=マルドリュス女史の2幕の韻文劇「勝ち誇ったファオン」(Phaon victorieux) が彼女自身の演技で上演され、観客を紛れもなく引きつけた。それに続いたのはベラルディ氏作の音楽パントマイムで、レジナ・バデ嬢のいつも通りの魅力たっぷりの演技だった。フュルシーは自作の新しいシャンソンを歌って大いに喝采を受け、最後にジュリア・バルテ女史がいくつかの詩を見事に朗読した。

f0028703_1639768.jpg4月9日のマチネでは、前回に劣らぬ演目が用意された。優れたハープ奏者であるマルグリット・アシャール嬢とともに、ジムナズ座のマルト・レニェ女史、オペラ・コミック座のフュジェール氏、そして愉快なドミニク・ボノー氏の出演である。予期せぬ呼び物は巨匠のジュール・マスネ氏がオペラ座の美しい歌姫リュシー・アルベル嬢(←)とともに登場し、自作を披露したことである。最後にグラヴォレ氏とミッサ氏作の1幕の小オペラ「リュカとリュセット」(Lucas et Lucette)がオペラ・コミック座のラシェル・ローネー嬢とタルキーニ氏によって上演され、なかなか才気あふれる出来であった。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture)

[ Ψ 蛇足 ]
当時の主だった劇場所属の俳優、歌手たちの名前が続々と出てくるのが圧巻である。以下登場順に一行足らずの補足にとどめる。

モーリス・ヴォーケール(Maurice Vaucaire, 1863-1918):詩人。プッチーニの歌劇「マノン・レスコー」のフランス語版台詞を書いた。また、その詩がベル・エポック時代のシャンソンに歌われた。

ジネット・ランテルム(Ginette Lantelme, 18??-1911) :レジャーヌ劇場の女優。この年(1907)ボルディーニの描いた美人肖像画が魅力的である。4年後に謎の死を迎える。

リュシー・ドラリュ=マルドリュス(Lucie Delarue-Mardrus, 1874-1945):女流詩人、劇作家。
「勝ち誇ったファオン」(Phaon victorieux)のファオンはギリシア伝説上の人物で女流詩人サフォの恋人の船乗り。
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レジナ・バデ(Régina Badet):舞踊家。(画像→)19世紀末にボルドー歌劇場でリアーヌ・ド・ブージィと一緒に踊っていた。生没年、詳細不明。

フュルシー(Fursy; Henri Dreyfus, 1866-1929):ベル・エポック時代の有名なシャンソン歌手。本名はアンリ・ドレフュス。

ジュリア・バルテ(Julia Bartet, 1854-1941):コメディ・フランセーズ座を代表する名女優。

**これまでの関連記事france100.exblog:大女優ジュリア・バルテの叙勲(1905.07.28)

マルグリット・アシャール(Marguerite Achard):女流ハープ奏者、生没年、詳細不明。

マルト・レニェ(Marthe Régnier, 1880-1967):ジムナズ座の花形女優。
**これまでの関連記事france100.exblog:「手のひら返し」の上演(1906.05)

リュシアン・フュジェール(Lucien Fugère, 1848-1935):オペラ・コミック座のバリトン歌手。80歳を越えても演奏活動を続けたという逸話がある。

ドミニク・ボノー(Dominique Bonnaud, 1864-1943):「シャノワール」で歌ったシャンソン歌手。
**これまでの関連記事france100.exblog:「赤い月」劇場(ラ・リュヌ・ルス)のレヴュー(1907.03)

ジュール・マスネ(Jules Massenet, 1842-1912):フランスの偉大なオペラ作曲家。
**これまでの関連記事france100.exblog:マスネの歌劇「アリアーヌ」の初演(1906.10.31)

リュシー・アルベル(Lucy Arbell, 1882-1947):オペラ座のメゾ・ソプラノ歌手。
**これまでの関連記事france100.exblog:マスネの新作「テレーズ」の初演(1907.02.16)

ポール・グラヴォレ(Paul Gravollet, 1863-19xx):詩人。彼の詩にドビュッシーが歌曲を作っている。

エドモン・ミッサ(Edmond Missa, 1861-1910):作曲家。当時はオルガン奏者としても有名。
*Musica et Mémoria; Prix de Rome 1880-1889:Edmond Missa

ラシェル・ローネー(Rachel Launay)及びタルキーニ(Tarquini):オペラ・コミック座の専属歌手。詳細不明。

**これまでの関連記事france100.exblog:フェミナ劇場の落成(1907.03.19)

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by utsushihara | 2007-04-09 16:19 | オペラ、音楽、演劇1907-08

大女優ジュリア・バルテの叙勲

1905年7月28日(金)
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28日、コメディ・フランセーズの最年長の女優ジュリア・バルテ女史にレジォン・ドヌールの騎士勲章が授けられた。女優としてこの勲章が与えられたのは初めてとなる。1879年にコメディ・フランセーズに加わって以来、傑出した女優としてあらゆる劇作の上演を行い、すべてにおいてその素晴らしい演技の才能に対し満場の賞賛を受けている。彼女は、まちがいなく人々から、とりわけ女性から最も愛されている俳優の一人であろう。女性誌「フェミナ」はこの大女優にダイヤモンドの十字章を贈呈するため募金を募っている。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.8; Sep. 1905
画像Crédit d’image : © ADAGP Photo RMN34247 Agence Photographique - ©Gérard Blot
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[ Ψ 蛇足 ]
演劇の分野で当時最高の評価と人気を得ていたジュリア・バルテ (Julia Bartet, 1854-1941) は、サラ・ベルナールほどの知名度はなぜか今は残っていない。芝居の演技と音楽の演奏はもともと生ものであるのだから、書き残したものに比べればいつまでも強烈な印象は持続しにくいのか。
右(→)は「ジャンヌ=ジュリー・レニョー、芸名ジュリア・バルテの肖像」(Portrait de Jeanne-Julie Régnault, dite Julia Bartet, sociétaire de la Comédie Française, 1889)多くの著名人の肖像画を描いたジャック=エミール・ブランシュ(Jacques-Emile Blanche, 1861-1942)の作品である。(ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)この時の年齢を逆算すると30代半ばだが、10歳くらい若く見える。本人の努力か、画家の腕前(=モデルの気持を理解できるという・・・)と言うべきか?
また下(↓)のイタリア語のプルースト関連サイトではバルテの写真が参照できる。
* Nel mondo di Marcel Proust > Amici e conoscenti :Julia Bartet
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by utsushihara | 2005-07-28 11:55 | オペラ、音楽、演劇1905-06