フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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航空輸送サロンの開幕

1909年9月25日(土)
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航空輸送サロン(Salon de Locomotion aérienne)は9月25日グラン・パレを会場として開幕した。主催者のロベール・エスノー=ペルトリ氏の尽力により、昨今大いに脚光を浴びる航空スポーツ(Sport aérien)の若手飛行家たちの栄誉の数々が3週間のあいだ展示された。
この航空サロンは、人々の中で急速に増長してきた空中飛行への思いをさらに拡大させる意義深い催しとして期待されていた。空間を飛び進む、あるいは浮揚する意味での飛行全般に関する初めての大規模な展示となり、会場に設けられた多くのブースに大勢の観客が押し寄せた。何度も改良が加えられた数多くの型式の飛行機が展示されており、人々の驚嘆と満足には大きなものがあった。会場では、ブレリオが英仏海峡を横断飛行したときの飛行機をはじめ、有名なファルマン、ラタム、ポーラン等の機体がサントス=デュモンの「お嬢様」号や数多くの気球、普仏戦争時の攻囲戦の気球、モンゴルフィエの色彩豊かな気球、2基の飛行船などとともにこれまでにない展示手法を駆使して飾られた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618756 « Le Petit journal » No.17073, le 24 Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #405973 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.41; 9 Oct. 1909
f0028703_2120538.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica; Esnault-Pelterie [aviation] Vreus [photographie de presse] / [Agence Rol]

[ Ψ 蛇足 ]
(←)ロベール・エスノー=ペルトリ(Robert Esnault-Pelterie, 1881-1957)はこの直近まで飛行家として活動していたが、次第にこうした協会団体の啓蒙的活動に傾注していく。

*参考サイト:Wikipedia(和文)ロベール・エスノー=ペルトリ

**これまでの関連記事france100.exblog:第1回航空サロン展の開催(1908)(1908.12.24)
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by utsushihara | 2009-09-26 21:21 | スポーツ、乗物、探検1909-10

サントス=デュモンの最速飛行記録

1909年9月16日(木)
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9月16日、サントス=デュモンは「お嬢様号」(Demoiselle)に乗り、サン=シールからバックまでの8kmの距離を5分間で飛行を行ない、時速換算で90kmの新記録を達成した。彼の飛行機は世界で一番軽量で小型なもので、搭乗者の体重を含んでも118kgにしかならない。この日以来、彼は毎日のように飛行を続けており、3千人前後の多くの人が見物に訪れている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #569188 « Le Matin » No.9334 - le 17 Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738270 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.39; 25 Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©Carte routière et touristique Michelin #101 Banlieue de Paris, 1991
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[ Ψ 蛇足 ]
アルベルト・サントス=デュモン(Alberto Santos-Dumont, 1873-1932)の久々のお手柄記事である。

**これまでの関連記事france100.exblog:サントス=デュモンの飛行新記録(220m)(1906.11.12)
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by utsushihara | 2009-09-16 23:15 | スポーツ、乗物、探検1909-10

英仏海峡横断初飛行への挑戦(3)ルイ・ブレリオ

1909年7月4日(日)
f0028703_18332417.jpg7月4日午後3時からパリ南郊ジュヴィジーの飛行場で開催された南仏地震被害慈善行事において、飛行家のルイ・ブレリオ氏は、その技能を更に高めたと誰もが認める素晴しい飛行を見せてくれた。
天候にはそれほど恵まれなかったが、自動車の障害物競走やその他の催しで始まった。夕刻、高度15mに賭けられたラガティヌリ2等賞の賞金2500フランを飛行家のド・リュー氏が飛んで獲得した後、ルイ・ブレリオ氏が自らの小単葉機11号に乗り込んで飛び立った。彼はこの飛行機ですでに先週37分間の滞空飛行を成功させていたが、今回はあと2分で1時間となる58分間、飛行場の上空を平均高度15mで飛び続けたのである。彼は驚くほどの手軽さで周回する技を示した。その飛行中はもとより見事な着陸をする瞬間まで熱烈な喝采を博したことは言うまでもない。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #569113 « Le Matin » No.9260 - le 5 Juil. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288500 « Le Figaro » le 25 Juin, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618657 « Le Petit journal » No.16974, le 17 Juin, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
この慈善行事の主催者は「航空振興協会」(La Société d’encouragement à l’aviation)である。英仏海峡横断初飛行の立役者となるルイ・ブレリオは、先行して話題を集めていた「本命の」ユベール・ラタムに比べればこのときは「対抗馬」的な存在である。f0028703_18265824.jpg

6月17日付の「プチ・ジュルナル」紙では、フランス学士院(L’Institut de France)の審議でルイ・ブレリオとガブリエル・ヴォワザンの2人の飛行家にオジリス賞10万フランを授与することが決定した、と伝えている。これは彼らの最近目覚しい飛行機による飛行能力の進歩に大きな貢献をなし、それに報いるためであった。

ルイ・ブレリオ(Louis Blériot, 1872-1936)は自動車技師としてランプの製造に携わっていたが、1900年頃、軽モーターで翼を動かす機械仕掛けの鳥(un oiseau mécanique)を発明して飛ばせようと試みた。これは満足な結果が得られなかったが、その後、単葉の飛行機を作り始めた。6機目の飛行機で180m飛んだのが2年前のことだった。この時も地上25mの高さから機体が墜落し全壊したが、彼は幸運にも無傷で済んだ。昨年10月31日の初の周回飛行の達成は記録すべき業績となった。
最近では5日前に3人乗り込んだ飛行機で250m飛ぶことに成功した。このときの同乗者はサントス=デュモン氏とフルニエ氏であった。

**これまでの関連記事france100.exblog:ルイ・ブレリオの飛行(1908.10.31)
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by utsushihara | 2009-07-06 18:25 | スポーツ、乗物、探検1909-10

フェミナ劇場でラ=ヴォー伯爵の講演会「大空の征服」

1908年11月14日(土)

有名な飛行家ラ=ヴォー伯爵は、11月14日と15日の2晩、フェミナ劇場において《大空の征服~サントス=デュモンからウィルバー・ライトまで》と題した講演会を催す。入場料は3フランとなっている。これには映画上映も同時におこなわれる。

f0028703_22585091.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288274 « Le Figaro » le 14 Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ド・ラ=ヴォー伯爵(Henry, comte de La Vaulx, 1870-1930)はフランス飛行クラブの創設者の一人であり、自ら気球や飛行船の操縦もおこなう人物だった。ライト兄弟の一人、ウィルバー・ライトがフランスに来て飛行記録への挑戦を始めるや、フランス人飛行家たちも大いに触発されて機体やエンジンの改良を重ね、見る見るうちに飛行機の性能が向上していった。この講演会と同時に上映された映画もこうした飛行機の試験飛行を撮影したものが中心だったと思われる。《大空の征服~サントス=デュモンからウィルバー・ライトまで》(La Conquête de l’air – De Santos-Dumont à Wilbur Wright)は飛行船から飛行機へ人々の興味が移っていったことを示すものではなかっただろうか?

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Henry de La Vaulx
**これまでの関連記事france100.exblog:第1回ゴードン・ベネット杯飛行船レース(1906.09.30)「フランス飛行クラブ」(Aéro-Club de France)の中心メンバーだったラ=ヴォー伯爵
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by utsushihara | 2008-11-18 22:55 | スポーツ、乗物、探検1907-08

サントス=デュモンの新型飛行機「ドゥモワゼル」(お嬢様号)

1908年11月12日(木)

サントス=デュモンは12日、《ドゥモワゼル》号の調整飛行を開始し、とても軽々と何度も飛び立つことができた。しかし車輪の一つが捻じ曲がるという軽微な事故のため、彼は中断を余儀なくされた。実験は途切れることなく再開されるだろう。

(9月9日付の「フィガロ」紙の記事から)
サントス=デュモン氏は飛行機のために飛行船のことをすっかり放棄したわけではなかった。彼は現在、飛行機1機とともに飛行船1基を建造中である。容積400立方米、長さ28m、直径6m、一人乗りの飛行船である。新しい飛行船の運航手段はかなり風変わりなもので、方向舵がない。飛行士がみずからハンドルを用いてエンジンやプロペラを右や左に動かしながら望む方向へ進むのである。エンジンは15馬力の強力なものとなるだろう。

f0028703_2050922.jpg出典 Crédit:©BNF-Gallica #288208 « Le Figaro » le 9 Sep. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288273 « Le Figaro » le 13 Nov. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 97-026341
Titre : Portrait d'Alberto Santos-Dumont (1873-1923) (exposé au Salon des Artistes Français de 1914) Devant son appareil 14 bis, le premier qui ait volé au dessus du sol / Auteur : François Flameng (1856-1923) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet

[ Ψ 蛇足 ]
サントス=デュモン(Alberto Santos-Dumont, 1873-1923)の大空への挑戦の話を久々に目にした。彼の場合には飛行機と飛行船の両方への興味を絶やさず、上記のように両方の機体を建造している。9月の記事にあった新型飛行機が11月に出た「お嬢様号」(La Demoiselle)なのだろう。フランソワ・フラマンの描いたサントス=デュモンの肖像画を(↑)上に引用してみた。
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by utsushihara | 2008-11-10 20:48 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ドラグランジュも200m飛行達成

1908年3月17日(火)

ドラグランジュ氏は昨日(17)の午後、イッシー=レ=ムリノーの野原でフランス航空クラブ(ACF)の設けた3つの賞ののうちの一つ、200m飛行を達成した。同じ場所で前日までの練習をすませ、航空クラブの認定委員を呼んで公式飛行を開始した。午前中は調子が悪かった。何度か飛行を試みたが、地面を離れることが出来なかった。
午後になってようやく認定委員のアンリ・カプフェレ氏とフランソワ・ペーレー氏の目の前で269.5mを21.2秒で飛ぶことができた。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288031 « Le Figaro » le 18 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)は一年前にも新記録を試みてサントス=デュモンと争ったがうまく行かなかった。飛行記録としてはすでにアンリ・ファルマンによって700m以上達成していたが、航空クラブの「200m飛行基準」は、追従する多くの冒険家たちの当面の目標であったようだ。

**これまでの関連記事france100.exblog:ドラグランジュとサントス=デュモンの飛行機 (1907.02.27)
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by utsushihara | 2008-03-17 13:59 | スポーツ、乗物、探検1907-08

飛行新記録への新たな賭け

1908年3月9日(月)

飛行記録の達成をめぐるこれまでの様々な賭けの勝利を祝って、アルシュデック、シャロン、サントス=デュモンの3氏主宰による夕食会が3月9日あった。その席で次の新たな賭けが成立した。
それは1年以内に2人乗りの飛行機が1km飛ぶことで、搭乗員の体重は60kg以下であることが条件である。アルシュデック氏、サントス=デュモン氏、アンリ・ファルマン氏は6千フラン、それに対してシャロン氏は1万2千フランを賭けた。
賭けはしばしば良い結果をもたらす。おそらくサントス=デュモン氏とアンリ・ファルマン氏は全力を尽くして賭けに勝とうとするだろう。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288024 « Le Figaro » le 11 Mars, 1908
画像 Crédit d’image : Wiki-image:Henry Farman.jpg

f0028703_18444280.jpg[ Ψ 蛇足 ]
これはアンリ・ファルマンが達成した飛行記録に対し、パリ航空クラブのドゥッシュとアルシュデックが飛行大賞、懸賞金5万フランを賭けていたお祝いだったのだろうと思われる。上記の賭けは「達成できるか否か」の賭けではなく、「誰が達成できるか」の賭けであった。
アンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)
エルネスト・アルシュデック(Ernest Archdeacon, 1863-1950)
アルベルト・サントス=デュモン(Alberto Santos-Dumont, 1873-1932)
フェルナン・シャロン(Fernand Charron, 1866-1928) 自動車メーカー「パナール」の経営者

*参考サイト:Wikipedia(和文)アンリ・ファルマン

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)アンリ・ファルマンが飛行大賞を獲得(1908.01.13)
(2)ファルマンが飛行機で滑空飛行新記録達成(771m)(1907.10.26)

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by utsushihara | 2008-03-09 18:51 | スポーツ、乗物、探検1907-08

サントス=デュモンの新型飛行機、第19号機

f0028703_15504114.jpg1907年11月14日(木)

サントス=デュモン氏は11月14日、新たに完成した第19号飛行機(ディズヌフ dix-neuf)で初飛行をおこなった。機体は長い矢の形をとり、前方のそり返った主翼は5mの長さで、木組みに絹布を張っている。プロペラが先端に付き、方向舵は後方にある。20馬力のモーターを備えながらも総重量は56kgにしかならない。飛行士を乗せても110kgを超えない超軽量の機体である。彼はこれまで新型飛行機の初飛行に際しながら、何度も失敗している。
サントス=デュモン氏はこのために水上飛行機(Hydroplane)の試験を放棄したわけではない。穏やかな天候のときには飛行を、風のある日には水上飛行をと考えている。

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907
出典Crédit:BNF-Gallica #287907 « Le Figaro » le 15 Nov. 1907

f0028703_155121.jpg*「フィガロ」11月16日付の記事から:
サントス=デュモン(Santos-Dumont)は昨日早朝に、既報の新型飛行機で試験飛行を何回かおこなった。機体は飛行士の意思に完全に従い、100mから250m程度の飛行を達成した。もしすべてが順調であれば、彼は転回飛行を試み、「飛行大賞」(Grand Prix d’Aviation)に飽くなき挑戦を続ける。
イッシー=レ=ムリノーの飛行家たちも手をこまねいているわけではない。ブレリオ(Blériot)は試験飛行を再開し、アンリ・ファルマン(Henri Farman)はプロペラの修理を終えて、おそらく今日「大賞」を獲得しようと試みるだろう。
出典Crédit:BNF-Gallica #287908 « Le Figaro » le 16 Nov. 1907

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ファルマンが飛行機で滑空飛行新記録達成(771m)(1907.10.26)
(2)サントス=デュモンの水上飛行機の実験(1907.10.17)
(3)サントス=デュモン新型機の試験飛行でまた失敗(1907.06.08)

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by utsushihara | 2007-11-14 15:46 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ファルマンが飛行機で滑空飛行新記録達成(771m)

f0028703_17364029.jpg1907年10月26日(土)

10月26日、アンリとモーリスのファルマン兄弟はパリ南西イッシー・レ・ムリノー市にある軍事教練場の草地で滑空飛行の世界新記録771mを達成した。この記録は1年近く前にサントス=デュモン氏によって作られた220mをはるかに上回り、パリ航空クラブのドゥッシュとアルシュデック両氏によって提供された5万フランの賞金がかかった飛行大賞(Grand Prix de l’Aviation)をほぼ手中に収めたと見なされている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
1年前のサントス=デュモンの新記録樹立のあと、彫刻家のレオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)はヴォワザン兄弟(Les Frères Voisin)に新しい飛行機製造を依頼し、当年2月に飛行を試みたが失敗に終った。またサントス=デュモンも記録の更新を狙ったが、こちらも失敗していた。
自転車競技のエースとして名をはせたアンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)と弟のモーリス・ファルマン(Maurice Farman, 1877-1964)は、ちょうど改良型を完成したばかりのヴォワザン兄弟から飛行機を購入して9月末から試験飛行を重ねており、このあとも次の目標である周回飛行の実現に向けて試験を続けた。
アンリ・ドゥッシュ=ド=ラ=ムルト(Henri Deutsch de la Meurthe, 1846–1919)とエルネスト・アルシュデック(Ernest Archdeacon, 1863-1950)はパリ航空クラブの設立メンバーである。

*参考サイト:
(1)Hargrave – The Pioneers Aviation & Areromodelling : Henry, Maurice and Richard Farman(英文)
(2)Wikipedia(仏語)Ernest Archdeacon(わざわざ仏語では「アルシュデック」と発音する、と注記がある)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ドラグランジュとサントス=デュモンの飛行機(1907.02.27)
(2)サントス=デュモンの飛行新記録(1906.11.12)
(3)飛行船「パリ市」の初飛行(1906.10.17) アンリ・ドゥッシュ=ド=ラ=ムルトについて
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by utsushihara | 2007-10-25 17:38 | スポーツ、乗物、探検1907-08

サントス=デュモンの水上飛行機の実験

f0028703_17104756.jpg1907年10月17日(木)

サントス=デュモン氏は水上飛行機で時速100kmを出そうと10月17日実験に臨んだが、満足な成果は得られなかった。この機体は2つの平らな滑水装置と50馬力のモーターで動く航空機のプロペラ1基で成り立っている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907
画像 Crédit d’image : ©Conservatoire du patrimoine sportif
www.ville-carpentras.fr/cps/presse.html

f0028703_17102040.jpg[ Ψ 蛇足 ]
スピードへの果敢な挑戦者サントス=デュモン(Alberto Santos-Dumont, 1873-1932)は、今回は水上を滑走する飛行機(Hydroplane) [ハイドロプレイン(英);イドロプラン(仏)]での走行を試みた。
下記の記事でわかるように当時の快速艇の最速記録は、時速55km746であるから、その倍近くのスピードを期待したようだ。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)サントス=デュモン新型機の試験飛行でまた失敗(1907.06.08)
(2)エヴィアンでの競艇レース(1907.09.02)
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by utsushihara | 2007-10-17 17:11 | スポーツ、乗物、探検1907-08