フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ベルトンの新作劇『出会い』の初演

1909年6月17日(木)

ピエール・ベルトン氏の4幕劇『出会い』(Rencontre)は6月17日コメディ・フランセーズ座で初演がおこなわれ、目覚ましい成功をおさめた。作者のベルトン氏はすでに『ザザ』(Zaza)や『二人の小僧』(Deux Gosses)でも高い評価を得た幸運な劇作家の一人である。

f0028703_18321124.jpg代議士のセルヴァル(ジョルジュ・グラン演)は庶民の出で、独力でその地位を築いた直截的な人物で、上流気取りの軽薄な女ルネ(プロヴォスト演)と結婚している。彼女は夫の価値をまったく理解せず、外交畑で上品な若いブレヴァンヌ(ポール・ニュマ演)と気持を通わせている。ルネのような頭の空っぽの小鳥が誘惑されるにはそれだけで十分だった。
ある日、セルヴァルは若く知性的で豊かな感性を持った寡婦のカミーユ・ド・ランセー(セシル・ソレル演)と出会う。彼は直ちに自分の妻との余りの違いを見出し、2人は互いに恋情を抱くようになる。しかし真面目な2人は心を欺くことを嫌い、カミーユも悩みながらも彼から遠ざかろうとする。別離を宣言しようとしていたその時、偶然にも彼女はルネとブレヴァンヌの密会の場面を発見する。カミーユはこのことをセルヴァルに伝えて彼を自分のもとに引き留めるべきか、それともルネの不倫を暴露せずにセルヴァルの夫婦関係を取り繕うべきかと悩む。・・・

(7月8日付の「フィガロ」紙の「時の人」(Instantané)欄の記事より)
現在コメディ・フランセーズ座で上演中の『出会い』でセシル・ソレル嬢は大成功を博している。優しさ、繊細さ、感動的で、痛々しいといった表情から、気短かで、激情の、勝ち誇った、幸福に満ちた感情表現まで、彼女の扮する若く美しい寡婦のカミーユ・ド・ランセー役の稀にみる多様な感情の変化を見事に演じている。ソレル嬢の経歴の中でこの演目は、女優としての才能に大きな価値を残すことになるだろう。これまでどちらかと言えば、彼女は魅力あふれるコケット女の配役が多かったが、そこに自然な優雅さ、あるいは精神的な尊厳のようなものが加わって、観客は、慎み深さとともに力強さや心理葛藤の表れるヒロインを目の当たりにすることができる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.55; Août, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288513 « Le Figaro » le 8 Juil. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #5525557 « Touche à tout » No.7; Juillet, 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 00-009397 / Fonds : Photographies / Titre : Pierre Berton / Description : Collection Félix Potin / Auteur : Anonyme / Localisation : Paris, Musée d'Orsay
出典 Crédit:©BNF-Gallica #82886 « Dictionnaire national des contemporains » Tome III ; Pierre Berton

f0028703_18324111.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(再掲)セシル・ソレル(Cécile Sorel, 1873-1966)は当時最も人気のあった美人女優の一人である。この占いのときは33歳。大物政治家との関係も取り沙汰され、すでに成功者の地位を確立していたものと思われる。
(←)劇作家ピエール・ベルトン(Pierre Berton, 1842-1912)は芸術家の家系に生まれ、父親も有名な俳優であった。若くして演劇の道に進み、俳優として多くの舞台を経験するかたわら劇作やオペラの台本も手がけた。23歳のときに初演された1幕劇『カディヤックの罵言』(Les Jurons de Cadillac)はコクラン兄弟の演目ともなった。また4幕劇『レナ』(Lena)は1889年4月にヴァリエテ座でサラ・ベルナールの主演、作者のベルトンも出演し、成功作となった。上記の『出会い』(Rencontre)もこの年(1909年6~7月)には大いに注目された出し物で、新聞雑誌で取り上げられた。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)女優セシル・ソレルの手相&星占い+筆跡占い(1906.11)
(2)隠退俳優の養老施設のための慈善公演(1908)(1908.08.16)ピエール・ベルトンの一幕劇『カディヤックの罵言』
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by utsushihara | 2009-06-19 18:30 | オペラ、音楽、演劇1909-10

ジョルジュ・オーネの『製鋼技師』の再演

1909年3月8日(月)

ポルト・サン=マルタン座では3月8日からジョルジュ・オーネ氏の戯曲『製鋼技師』(4幕5場)の再演が始まった。ジャーヌ・アディン女史が初演のときと同様にヒロインのクレール・ド・ボーリュー役を演じる。
評論家、夕刊記者、劇評記者のための座席は身分証明書の提示者に用意されている。

f0028703_18232370.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #618551 «Le Petit journal» No.16868, le 3 Mars, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN / Jane Hading, dans "Les Rendez-vous bourgeois"

[ Ψ 蛇足 ]
以前にも書いたが主演のジャーヌ・アディン(Jane Hading, 1859 -1940)は英国出身のジェイン・ハーディングというのではと思ってしまうが、実際のところ彼女はマルセイユ生まれのフランス人で、本名はジャンヌ・トレフレ(Jeanne Trefouret) といい、父親も俳優だった。下記参考サイトにも書いたが、新興産業としての鉄鋼業などと、旧来のブルジョワ貴族との階級間の摩擦や葛藤をオーネは自作の小説群で描き出した。それが評判になると、「セルジュ・パニーヌ」(Serge Panine)や「製鋼技師」(Maîtres de forges)等の彼の作品は自前で戯曲化して舞台で盛んに演じられるようになった。「製鋼技師」は1883年にジムナズ座で初演され、大成功を収めていた。下記の(英文)Wikipediaにはこの舞台の写真が掲載されている。

この時期の各劇場ではかつて評判だった作品の再演が相次いで行なわれた。
f0028703_21554232.jpgまずアントワーヌ座では、モーリス・ドネー(Maurice Donnay)とリュシアン・デカーヴ(Lucien Descaves)共作の『伐採地』(La Clairière)で、林間の空き地(クレリエール)に共産主義者たちの夢見る理想の共同生活を築こうと集まった者たちが、最後は互いに譲歩できない私利私欲の問題に突き当たって苦悶する、という深刻な異色作が再度上演され、大きな反響を呼んでいる。(←画像)
またルネサンス座では、エルクマン=シャトリアン(Erckmann-Chatrian)作の『ポーランドのユダヤ人』(Juif polonais)が再演され、リュシアン・ギトリ氏がことのほか喝采を受けている。
最後にサラ・ベルナール座では、エドモン・ロスタンの評判作『鷲の子』(L’Aiglon)に大女優サラ・ベルナール女史が戻ってきた。舞台に登場したところでの割れるような拍手が起こり、その後の幕が変わるごとにも熱狂的な喝采が繰り返された。

*参考サイト:
(1)十九世紀フランス忘却作家メモ Notice de l'écrivain français dans l'oubli
ジョルジュ・オーネ (Georges Ohnet, 1848-1918)
(2)Wikipedia(英文)Jane Hading

**これまでの関連記事france100.exblog:「セルジュ・パニーヌ」の再演(1906.01.09)
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by utsushihara | 2009-03-08 18:19 | オペラ、音楽、演劇1909-10

ベルギーの自然劇場で『ローランの娘』公演

1908年8月

f0028703_18235056.jpgベルギーにおいても野外劇場での公演が催されるようになっている。(→)右掲画像は、ナミュール市のマリー=ルイーズ公園に設けられた自然劇場での公演風景であり、8月にフランスの劇団がアンリ・ド・ボルニエの4幕詩劇『ローランの娘』を上演した。出演は、ランベール父子、レイトネー、ルイ・ドローネー、マルケ、アレクサンドルの各氏と、バルジャック、ベイルの各女史で、素晴しい演技であった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
真夏の季節に都会の劇場ではなく、古代遺跡や公園を利用した《自然劇場》(Théâtre de la Nature)がフランス各地で開設され、盛んに公演がおこなわれた。この時代の流行でもあったようだ。
アンリ・ド・ボルニエ(Henri de Bornier, 1825-1901)は南仏の貴族の家柄であったが、パリに出て詩作と劇作に打ち込み、また新聞雑誌の批評家としても活躍した。成功作は『ローランの娘』(La Fille de Roland)でサラ・ベルナールの主演でコメディ・フランセーズ座に3ヶ月間かけられた。これは「ローランの歌」で知られる騎士ローランにまつわる古代愛憎劇である。

*参考サイト:Wikipedia(仏語) Henri de Bornier
**これまでの関連記事france100.exblog:シャンピニー=ラ・バタィユの自然古代劇場(Théâtre Antique de la Nature de Champigny-la-Bataille)(1908.08)
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by utsushihara | 2008-08-27 18:20 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サラ・ベルナール劇場で詩劇「眠れる森の美女」初演

f0028703_15443688.jpg1907年12月25日(水)

サラ・ベルナール劇場では、シャルル・ペローの童話でおなじみの「眠れる森の美女」(La belle au bois dormant)を詩人のジャン・リシュパン氏と劇作家のアンリ・ケーン氏との共作による14景の抒情詩劇として12月25日初演した。音楽はフランシス・トメ氏のものである。
変化に富んだ豪華な場面設定、多様な照明のもとの衣装の輝き、それらのすべてが観客にかくも愛される優れた演技に添えられており、文句なしの大成功であった。サラ・ベルナールとアンナ・ジュディクという完璧な二大女優の稀にみる共演は期待以上の感動を呼び起こし、観客は惜しみない賞賛をおくり続けるだろう。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287947-8 « Le Figaro » le 25-26 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
アンナ・ジュディク(Anna Judic, 1849-1911)は19世紀後半のオッフェンバックを始めとするオペレッタ全盛時代の花形女優で、ブッフ・パリジァン劇場、ヴァリエテ座、ゲテ座で大いに活躍した。上記の劇では先王の乳母と糸車を回す老婆の役で出ている。(↑)
サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)は、詩人ランドリーと王子の2役である。
また眠り姫役のアンドレ・パスカル(Andrée Pascal, 1892-1982)はまだ初々しい15歳の少女だが、伸び伸びと演技していると好評であった。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Anna Judic(アンナ・ジュディク)
**これまでの関連記事france100.exblog:フェミナ劇場の豪華コンサート(1907.05.07)フランシス・トメ(Francis Thomé, 1850-1909)の編曲「ルチア」

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by utsushihara | 2007-12-26 20:40 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サラ・ベルナールの「回想録」が出版

f0028703_15163710.jpg1907年9月

サラ・ベルナール女史はこのほど「回想録~わが二重の人生」1巻を出版した。すでに「ジュセトゥ」の読者にとってはなじみのある内容である。図版が33枚入っており、その何枚かは色刷りとなっている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)の「回想録~わが二重の人生」(Mes mémoires; Ma double vie)はすでに60歳を超えた1905年の2月から7月まで、当時創刊したばかりの「ジュセトゥ」誌に一部連載された。平易な文章で書かれており、「小公女」や「ジェーン・エア」の物語を連想させるような波乱万丈の半生記である。残念ながら邦訳はされていないかもしれない。
※BNF-Gallicaの電子閲覧は↓
http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-200870
上掲したのはその中の図版「自邸のサラ・ベルナール」(Sarah Bernhardt chez elle)の一部分である。作者は英国人画家ウォルター・スピンドラー(Walter Spindler, 1878-1940)でアルフォンス・ミュシャに似た世紀末的な装飾ポスター画が多い。なぜか現代の美術市場では彼の絵はそれほど取引されていない。

**これまでの関連記事france100.exblog:フェミナ劇場でのサラ・ベルナール(1907.06.11)

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by utsushihara | 2007-09-18 15:15 | オペラ、音楽、演劇1907-08

フェミナ劇場でのサラ・ベルナール

f0028703_189249.jpg1907年6月11日(火)

6月11日のフェミナ劇場の昼公演(マチネ)においてサラ・ベルナールの友の会および後援会が彼女に素晴らしい記念品を贈呈した。アンリ・ユッソンの手になる銀の美術装飾品で、A.A.エヴラールの工房で仕上げられたものである。
その日の公演は、レイナルド・アーン氏作曲による「エステ家のベアトリーチェの舞踏会」の現代吹奏楽協会による華麗な演奏から始まった。
サラ・ベルナール女史は、エミール・モロー氏作の「ヴェール・ギャラン」(好色な老王)でマルゴ王妃役を演じた。そのあと、マイユ女史、ロック女史、ルコント女史、ド・マックス氏、クラウス氏らによるカチュル・マンデス夫妻、エレーヌ・ピカール女史、アンドレ・リヴォワル氏らの詩の朗読が続いた。これらの詳細については、7月15日発売の「フェミナ」誌で読むことが出来る。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.30; JUIL 1907
画像 Crédit d’image : © CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture)

[ Ψ 蛇足 ]
フェミナ劇場には当代一流の演劇人、歌手、詩人らが次々に登場していたが、ついにサラ・ベルナール(画像↑)も登場することになる。彼女はすでにこの年の2月に国立演劇院の教授に任命されており、フェミナ誌で記念宝飾品を贈呈することになっていた。

アンリ・ユッソン(Henri Husson, 1854-1914)は当時有名な装飾品(Objet d’art)工芸家であり、その作品は現在オルセー美術館に収蔵されている。

レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn, 1875-1947)はこのとき31歳で、歌曲集やピアノ曲の他に劇音楽を発表し、社交界でプルーストなどとの交遊を深めていた。「エステ家のベアトリーチェの舞踏会」(Bal de Béatrice d’Este)はバレエ音楽で1905年に出来ていたが、この1907年にようやく初演されたものである。

「ヴェール・ギャラン」(Vert Galant)は、一般的に、老いてますます盛んな好色爺のことを指し、まさにそれに当てはまるアンリ4世の別名にもなった。ヴェール(vert)は緑色のことで、青りんごのような青臭さの意味が含まれる。この作者のエミール・モロー(Emile Moreau, 1852-1922)は、かつてヴィクトリアン・サルドゥと共同で「無遠慮夫人」(Madame Sans-Gêne)などを作っている。

詩の朗読に取り上げられたエレーヌ・ピカール(Hélène Picard, 1873-1945)は高級官僚の夫人の身でありながら斬新な詩作を発表し、長年にわたり女流作家コレットの親密な友人であった。この前後、彼女の詩集「永遠の一瞬」(L’Instant éternel)に仏アカデミーのアルション=デペルーズ賞が与えられた。

**これまでの関連記事france100.exblog:サラ・ベルナール演劇院教授に(1907.02.14)

*参考サイト:
(1)Salut!~パリを楽しもうBlog:ヴェール・ギャラン公園(Sq. du Vert Galant)
(2)Reynaldo Hahn ; Chronologie(レイナルド・アーン年譜;仏語)
(3)オルセー美術館にあるユッソン作の美術工芸品Objets d'art : Paris, musée d'Orsay
(4)Société historique et archéorogique du XVe arrondissement de Paris(パリ15区歴史案内:コレットとエレーヌ) :Colette et le XVe arrondissement (仏語)
(5)Wikipedia(和文)ベアトリーチェ・デステ(Beatrice d'Este, 1475-1497)16歳で結婚、22歳で死去。
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by utsushihara | 2007-06-11 18:07 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サラ・ベルナールの「アドリアンヌ・ルクヴルール」

f0028703_22115073.jpg1907年3月21日(木)

サラ・ベルナール女史の自作自演となる6幕の悲劇「アドリアンヌ・ルクヴルール」は昨年の米国巡演で初演された出し物であるが、3月21日、戦艦イエナ号の大惨事の犠牲者の追悼公演としてマチネが行なわれ、パリの人々にとっては初演と同じような新鮮さで観ることができた。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
チレアのオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」の原作にもなった戯曲の「アドリアンヌ・ルクヴルール」(Adrienne Lecouvreur)は1880年にウジェーヌ・スクリーブ(Eugène Scribe, 1791-1861)とガグリエル=エルネスト・ルグヴェ(Gabriel-Ernest Legouvé, 1807-1903)が共作し、サラ・ベルナールが主演していた。1906年の米国公演ではサラ・ベルナールが自分で6幕劇を書いて自ら演じたもので、全く別の作品である。画像(↑)はアドリアンヌの毒殺死の場面のサラ・ベルナール。

18世紀初頭の有名女優だったアドリアンヌ・ルクヴルール(Adrienne Lecouvreur, 1692-1730)はラシーヌの悲劇作品等で人々を魅了したが、自身の恋愛で三角関係にあった公爵夫人の計略で毒殺されたと考えられている。
*参考サイト:Wikipedia(仏語)Adrienne Lecouvreur

またこの演劇の人気に便乗(?)してか、コメディ・フランセーズ座の司書ジョルジュ・モンヴェル(Georges Monvel, 1845-1910)が編著して出した「アドリアンヌ・ルクヴルールの生涯と書簡集」(Lettres de Adrienne Le Couvreur, 1892)がBNFのデジタル書庫Gallicaで読むことが出来る。
http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=N027821

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1) サラ・ベルナールの米国公演(1906.02)
(2) 戦艦「イエナ」の大惨事(1907.03.12)

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by utsushihara | 2007-03-21 22:10 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サラ・ベルナール演劇院教授に

f0028703_18255570.jpg1907年2月14日(木)

サラ・ベルナール女史は2月14日、国立演劇院の教授に任命された。姉妹誌「フェミナ」ではこの偉大な女優に記念の宝飾品を贈呈することを発起し、フィガロ紙上に募金の広告を出した。

1月25日からサラ・ベルナール劇場で上演されているミゲル・ザマコイス作の4幕劇「道化たち」(Les Bouffes)については、カチュル・マンデス氏の言葉によれば「長い間、我々が舞台に架けたいと思ってきた作品の中で最も才気に富み、最も愛すべき、最も気が利いたもの」だとしている。他の批評家たちは、テオドール・ド・バンヴィルやエドモン・ロスタンの名前を対比させて論じている。道化のジャカス(Jacasse)は彼女の演じた最高の役柄の一つと言えよう。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.26; MAR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この国立演劇院(コンセルヴァトワール)の教授の地位は、これまで女性が就いたことはなく、初めてのケースとなった。
ミゲル・ザマコイス(Miguel Zamacoïs, 1866-1940)はフランスの詩人、劇作家という以上の情報は少ない。
サラ・ベルナールは、あらゆる役柄に挑戦した。ハムレットやロレンザッチョのような男役、また今回の道化師役など、自分が劇中人物に成りきるのに男役・女役の仕切りを必要としなかった女優は稀有ではないだろうか。

*参考サイト:The Sarah Bernhardt Pages(英文)Listing of plays and the first year Sarah played
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by utsushihara | 2007-02-14 18:22 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サラ・ベルナールの凱旋公演

f0028703_17301587.jpg1906年11月10日(土)

長期にわたる米国巡業から帰ったサラ・ベルナール女史は、自分の名前を持つ劇場で凱旋公演を行なった。出し物はカチュル・マンデス氏の美しい詩劇「アヴィラの聖女テレサ」(Vierge d’Avila)で主役の聖女テレサを演じ、各紙の劇評によれば、この詩人の達意の作品と評されている。共演者は、ブランシュ・デュフレーヌ嬢、ヴァンチュラ嬢のほか、クラウス、マニー、シャルムロワの各氏で、この公演の大成功を支えている。
f0028703_17345685.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906
画像Crédit d’image : © Gallica BNF-anthologie : La Vierge d'Avila, drame de Catulle Mendès : Sarah dans le rôle de Soeur Thérèse. Paris, Théâtre Sarah Bernhardt, 10 novembre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)の肖像画を多く描いている画家、ジョルジュ・クレラン(Georges Clairin, 1843-1919)には、このときの彼女の舞台を描いた「『アヴィラの聖女テレサ』を演じるサラ・ベルナール」(Sarah Bernhardt in ''Sainte Thérèse d'Avila'')という作品がある。制作年は不明でこの年以降と思われる。一見すると歴史的宗教画のように思えるが、あくまでもサラ・ベルナールにこだわった画家が演劇の一場面として描いたものと受け取るべきだろう。余談だが、この画家の描いた不世出の大女優の肖像画はどれも実物に匹敵する美貌と艶かしさが感じられるような気がする。もっとも実物に接した人間は全員世を去っているのだから何とも言えないが・・・
引用した画像(→)はBNFの演劇俳優の絵葉書集からサラの演ずる聖女テレサ(テレーズ)。彼女は「聖なる怪物」(Monstre sacré)とも呼ばれたらしい。

アヴィラの聖女テレサは歴史上実在し、スペインのイエズス会の修道女、神秘思想家で修道院改革にも取り組んだ人物である。
参考サイト:
(1)和文ウィキペディア:アビラのテレサ
(2)河原道三さんの「神秘体験」というサイトに豊富で丁寧な略伝にまとめたものが読める:アヴィラのテレサ。その冒頭で
> フランスの女性思想家ボーヴォワールは、『イエズスの聖テレジア自叙伝』こそが人類の著述のなかで最高傑作といってはばからない。
と書かれているのも興味深い。
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by utsushihara | 2006-11-10 17:31 | オペラ、音楽、演劇1905-06

サラ・ベルナールの米国公演

f0028703_16194444.jpg1906年2月

サラ・ベルナールのアメリカ巡業は各地で成功をおさめている。この大女優はじつに熱狂的な歓迎を受け、出し物の中にはこれまでフランスで演じられていない自作の「アドリアンヌ・ルクヴルール」が加えられている。ここに掲載したのはその一場面である。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.14; Mars, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
大女優サラ・ベルナール Sarah Bernhardt (1844-1923) は当時すでに大きな名声を確立していた。米国公演は19世紀末にも行なっている。今回では彼女はすでに61歳になっている。この雑誌「ジュセトゥ」(Je sais tout)にも、前の年(1905)に自伝「私の二重生活」(Ma double vie) を連載している。
自作の「アドリアンヌ・ルクヴルール」(Adrienne Lecouvreur) については、この米国巡業の際に書き上げで自演したのだが、作品としてはそれほど後年まで話題になるものではなかったようだ。いずれにしても演劇のみならず、作家、画家、彫刻家としても彼女は多様な才能を発揮した。

ここでおのずと連想されるオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」(1902)のほうは、イタリア・ヴェリスモの作曲家チレアCileaの代表作であるが、元々はフランスの劇作家、ルグヴェLegouvé とスクリーブScribe が共同で書いた原作が大好評だったことからオペラに取り入れたものである。
サラ・ベルナール自身、1880年にこの原作の「アドリアンヌ・ルクヴルール」を演じている。
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by utsushihara | 2006-02-03 16:15 | オペラ、音楽、演劇1905-06