フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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劇作家ルニャールの没後200年祭

1909年9月5日(日)f0028703_23101089.jpg

17世紀末の劇作家で詩人のジャン=フランソワ・ルニャールの傑作とされた『賭博者』(Joeur)、『狂おしき恋』(Folies amoureuses)、『包括相続人』(Légataire universel)などを含めた作品は、フランス演劇のレパートリーとして今でも残されている。
彼は1709年9月5日にドゥールダンのグリヨン城内で消化不良で死去したが、今ではその業績が不思議にも忘れ去られ、2世紀にもわたってまだ記念碑の一つさえも建てられることはなかった。ドゥールダンの人々も彼の作品は別としても愛好者のために記憶を思い起こすことはなかったのである。19世紀中頃彼の所有していたグリヨン城は、財務官のルブランの死後、染物工場に改装され、その後完全に取り壊され、今では礎石だけが残っている。
ルニャールは1699年にグリヨン城を領有し、この地では名士であった。彼の作品のほとんどがドゥールダンとグリヨンで書かれたことになる。研究家のギュヨ氏によって、コメディ・フランセーズ座に残されていた彫刻家フークー作の見事な胸像を複製し、没後200年にあたる9月5日にドゥールダンに銅製の記念碑の除幕式を行なうことになった。
f0028703_23105078.jpgこの式典は、セーヌ=エ=オワズ県知事のオートラン氏、上院議員のクールセル男爵が主宰し、コメディ・フランセーズ座の支配人クラルティ氏が祝辞を述べた。式典に先立って祝宴会が催され、夜にはコメディ・フランセーズ座による『狂おしき恋』の出張公演が行なわれ、またギュヨ氏によってルニャール頌詩が詠まれるという内容の豊富な行事となった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618722 « Le Petit journal » No.17039, le 21 Août, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526296 « Journal du Dimanche » No.42; le 5 Sep. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ドゥールダン(Dourdan)の町は、パリから南西の聖地シャルトルへの中間地点にある。昔から城砦が築かれ、ランブィエ共々王族の所領となっており、交通の要衝であった。
彫刻家ジャン=ジョゼフ・フークー(Jean-Joseph Foucou, 1737-1821)は18世紀の類型的な装飾彫像や貴族の胸像しか作っていない。f0028703_23111865.jpg

ジャン=フランソワ・ルニャール(Jean-François Regnard, 1655-1709)は18世紀から19世紀にかけてはモリエール以後の最高の喜劇作者と見なされていた。ヴォルテールにしても「ルニャールを気に入らない人は、モリエールの真の賞賛者とは言えない。」(Qui ne se plaît pas avec Regnard, n’est pas digne d’admirer Molière.)とまで語っている。
日本にほとんど翻訳や紹介がなされなかったのは不運としか言いようがない。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Jean-François Regnard
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by utsushihara | 2009-09-04 23:07 | 文芸、評論1909-10

物議をかもしたミルボーの『学寮』ようやく初演

1908年12月7日(月)

一連の突発的な出来事や裁判所の判決のあとで、オクターヴ・ミルボー氏とタデ・ナタンソン氏の3幕劇『学寮』が12月7日、ようやく初演の日の目を見た。その次の日の8日(火)の予約会員向けの公演では、「無礼講」の王者を標榜する王党派闘士(カムロ・デュ・ロワ)の若者たちによる妨害で混乱した。しかしながらその後、人々の評価はこの辛辣な現代悲劇を演ずる出演者たち、バルテ嬢、ユグネ氏、ド・フェローディ氏などを賞賛するばかりの方向となっている。

f0028703_21282055.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #618465 « Le Petit journal » le 7 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay); Gérard Blot /Cote cliché :00-010537 /Titre :Octave Mirbeau, écrivain français /Description :Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
なぜこの劇作品がごたごた続きの末に初演に至ったかの経緯を手短かに述べる。最初1906年12月にコメディ・フランセーズ座の支配人ジュール・クラルティ(Jules Claretie, 1840-1913)がオクターヴ・ミルボー(Octave Mirbeau, 1848-1917)(↑画像)の書き上げた作品『学寮』(Foyer)を上演したいと「不用意に」受け入れたことが発端である。雑誌『ルヴュ・ブランシュ』の編集者としても知られたタデ・ナタンソン(Thadée Natanson, 1868-1951)も共作者として加わっていた。まず台本に目を通したクラルティは、作者が大胆かつ辛辣に現代の上流階級の堕落ぶりをあからさまに描いていたのに驚き、多くの箇所での書き直しを要請した。しかしすでに確固たる地位を築いていたミルボーにとっては出来ない相談であり、それを拒否することになった。するとクラルティは1908年3月に舞台稽古を急遽中止させてしまった。作者のミルボーからコメディ・フランセーズ座を訴える裁判が起こされ、判決は作者側の勝訴となったのである。
その間、上述の記事にあるような極右の「アクシオン・フランセーズ」(L'Action française)や王党派の活動家たち、特に11月に結成されたばかりの「王党派若衆組=カムロ・デュ・ロワ」(Camelots du Roy)などによるさまざまな妨害行動が起こされ、そのたびにミルボーたちは不正を告発し、自分たちの正当性を貫く姿勢を取り続けた。
f0028703_21284159.jpg
戯曲『学寮』(Foyer)の主題は、代議士で慈善家で知られる男爵が、運営する子供たちの学寮の資金を流用してしまったことを何とか揉み消そうとするために、夫人の愛人関係を利用して金策したり、党派間の馴れ合いを取引材料としたり、という偽善的な慈善事業を赤裸々に暴き出すものである。
これまでヴォードヴィル喜劇界で活躍していたフェリクス・ユグネ(Félix Huguenet, 1858-1926)がコメディ・フランセーズに迎え入れられて主演する最初の作品となったが、大女優ジュリア・バルテ(Julia Bartet, 1854-1941)との共演は幸先の良いデビュとなった。(↑画像はフィガロ掲載のイラスト、左からユグネ、バルテ、ド・フェローディである)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)« Le Foyer » d’ Octave Mirbeau en collaboration de Tadée Natanson
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by utsushihara | 2008-12-07 17:25 | オペラ、音楽、演劇1907-08

トロカデロ劇場で「サン=シール陸軍士官学校百周年」祝賀公演

1908年7月8日(水)

7月8日(水)の夜8時15分からトロカデロ劇場において、サン=シール陸軍士官学校の百周年を祝賀する公演が演劇30年基金により催される。内容は下記の通りである。
①ポール・フェリエ作: 記念詩『サン=シール校生に寄す』(L’à-propos « Aux Saint-Cyriens » de Paul Ferrier)、朗読デュ・ミニル嬢(Mlle du Minil)
②アンドレ・メサジェ作曲: バレエ『二羽の鳩』(Ballet « Les Deux Pigeons » d’Henri de Regnier et Mérande, musique d’André Messager) アンリ・ド・レニェ&メランド台本、メサジェ指揮によるオペラ座バレエ団&管弦楽団、カルロッタ・ザンベリ主演 (Mlle Carlotta Zambelli)
③コルネイユ作: 悲劇『オラース』(« Horace » de Corneille) 出演;ムネ=シュリー氏、アルベール・ランベール=フィス氏、ポール・ムネ氏、スゴン=ウェーバー女史など。
④ジュール・クラルティ作: 詩『軍旗』(« Le Drapeau » de Jules Claretie)、朗読ジョルジュ・バイエ氏(M. Georges Baillet)
⑤パラディエ作『祖国』(« Patrie » de Paradilhe)およびマスネ作『ル・シッド』(« Le Cid » de Massenet)からアリア、独唱デルマ氏(M. Delmas)
⑥アンリ・ド・ボルニエ作: 詩『刀剣の歌』(« La chanson des Epées » de Henri de Bornier)、朗読ムネ=シュリー氏(M.Mounet-Sully)
⑦国歌『ラ・マルセイエーズ』(La Marseillaise)、朗誦スゴン=ウェーバー女史(Mme Segond-Weber)、演奏ポール・ヴィダル指揮、オペラ座管弦楽団(Orchestre de l’Opéra, sous la direction de M. Paul Vidal)

この演奏会の終演は午後11時30分の予定である。アンヴァリッド駅からサン=シール駅までの特別列車が用意されている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288143 « Le Figaro » le 6 Juil, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288145 « Le Figaro » le 8 Juil, 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
NA 237 02099 G / Danse par Nadar : Carlotta Zambelli / 1910.02.02

f0028703_17442682.jpg[ Ψ 蛇足 ]
欧米ではおそらく「軍事は国家の基盤」という考えは百年前も今も変わっていないだろう。(微妙な発言になるが・・・)
コルネイユの劇『オラース』はトロカデロ劇場では初めての上演となった。こうした機会でなければコメディ・フランセーズ座の錚々たる看板役者たちが勢揃いで出ることはなかっただろう。
メサジェのバレエ『二羽の鳩』は、踊りは見ずにボニングの全曲盤CDを聴いたが、なかなか軽快で美しい曲が続いて楽しい。1886年の初演以降、何度も取り上げられたようだ。当時オペラ座バレエ団の花形プリマの(画像↑)カルロッタ・ザンベリ(Carlotta Zambelli, 1875-1968)は、ほとんどのオペラ中に含まれるバレエの場面で主役を踊っている。その次に控えていたのが若手の筆頭アイーダ・ボニ(Aïda Boni)で上記の公演でも一緒に踊っている。

**これまでの関連記事france100.exblog:サン=シール陸軍士官学校の百周年(1908.07.02)
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by utsushihara | 2008-07-08 17:39 | オペラ、音楽、演劇1907-08

コルネイユの生家を救う運動

f0028703_1629546.jpg1908年6月18日(木)

6月18日午後2時からトロカデロ劇場において古典主義の劇作家ピエール・コルネイユの生家を転売させないための買取り運動の特別公演が開かれる。ファリエール大統領をはじめ、両院の議長も列席する。コメディ=フランセーズ座の俳優たちによる『ポリュークト』(Polyeucte)ではムネ=シュリー氏が主役をつとめる。
また『ル・シッド』(Le Cid)の一場面をアルヴァレス氏とメランティエ嬢が歌う。幕間劇はジナ・ブロジア嬢とデルマ氏が演ずる。演奏は共和国近衛軍楽隊である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288117 « Le Figaro » le 10 Juin, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288124 « Le Figaro » le 17 Juin, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 99-019683- © RMN / Gérard Blot
Titre : Pierre Corneille (1606-1684) / Auteur : Simon Thomassin (1655-1733) / Localisation : Châteaux de Versailles et de Trianon

f0028703_16292814.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ピエール・コルネイユ(Pierre Corneille, 1606-1684)はノルマンディ地方の中心都市ルーアンで生まれた。父親は役人だったが、彼はパリに出て演劇の道を歩み、フランス古典演劇を代表する作家の一人となった。生家はすでに親族との調停で転売されていたが、直近は市当局の所有であり、新たに売却する話となったとき、パリの雑誌『ノルマン・ド・パリ』(Les Normands de Paris)や劇作家でコメディ・フランセーズ座の支配人でもあったジュール・クラルティなどが買取り運動を展開していた。(その結果、無事保存された)
上記の記事で「ル・シッド」を歌うとあるが、恐らくコルネイユにもとづくジュール・マスネの歌劇「ル・シッド」の一部を歌ったものと思われる。

ちょうどコルネイユの生誕300年記念の年(1906)を迎えていたこともあり、この前の年にも買取り資金を集めるための野外公演が催された。(↓)

*参考サイト:
(1)Musée Corneille, La maison natale et le quartier(ルーアン市のコルネイユの生家にある記念館)
(2)Cityvox: Le guide des restaurants de Paris: Le Trou Normand
***気になる言葉:「ノルマン人の穴」(Le Trou Normand)という名前のレストランがある。これは慣用句の「料理のあいだに強い酒を胃袋に入れる(飲む)」(faire le trou Normand)から来ているらしい。ノルマン人は酒が強かったようだ。

**これまでの関連記事france100.exblog:野外劇の季節(1907.07.07) リルボンヌの古代劇場遺跡でコルネイユ協会による「ポリュークト」
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by utsushihara | 2008-06-18 16:25 | オペラ、音楽、演劇1907-08

コメディ・フランセーズの老優バイエの引退記念公演

f0028703_11143855.jpg1908年4月4日(土)

長年にわたってコメディ・フランセーズ座で活躍し、とりわけボーマルシェの劇「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵や、ユゴーの戯曲「リュイ・ブラス」のドン・セザール・ド・バザンの役で喝采を博したバイエ氏はこのたび引退することになった。(画像→)
彼の引退記念公演は4月4日、盟友の最後の公演に喜んで加わりたいと望む当代第一線の俳優たちがこぞって出演するという素晴しいプログラムが用意され、それに引きつけられた洗練された観客たちの前で行なわれた。
f0028703_22433626.jpg(←)左掲はその演目の中の一つ、クラルティ作の機知に富んだ寸劇「わが将軍夫人」(Ma Générale)で、バルテ嬢とカフェ・コンセールの人気歌手ポラン氏とが愉快な演技を見せていた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.40; Mai, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ジョルジュ・バイエ(Georges Baillet, 1848-1935)は往年の名脇役といった位置づけだったようで、このときちょうど60歳の定年である。国営劇場のコメディ・フランセーズは公務員として取り扱われたのではないだろうか。
ジュール・クラルティ(Jules Claretie, 1840-1913)は、文筆家として新聞の批評記事や小説、評論、歴史書、戯曲を多数書いたが、さらに1885年からはコメディ・フランセーズ座の総監として20年以上運営を続けた。
ポラン(Polin, 1863-1927)は本名をピエール=ポール・マルサレス(Pierre-Paul Marsales)と言ったが、もっぱら愛称のポランで呼び習わされた。カフェ・コンセールの代表的なシャンソン歌手で知られる。
上掲のバルテ嬢(Mlle Bartet)は、大女優ジュリア・バルテ本人ではなく、その娘かもしれない。(未確認)

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Jules Claretie
(2)Wikipedia(仏語)Julia Bartet

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ルーヴェイルのデッサン画集(1905.10) ジュール・クラルティの似顔絵
(2)大女優ジュリア・バルテの叙勲(1905.07.28)
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by utsushihara | 2008-04-04 22:42 | オペラ、音楽、演劇1907-08

「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」単行本ついに発売!

1907年6月10日(月)
f0028703_177290.jpg
「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」:誰でも読める、あるいは誰もが読むべき本。これは我が読者のすべてにとって大いなる喜びとなるニュースである。見事な変装の名人であるアルセーヌ・ルパンが新しく姿を変えて登場する。つまり一冊の本となってあらゆる書店で発売されるのである。

「ジュセトゥ」の読者にとって馴染み深いアルセーヌ・ルパン、モーリス・ルブランという2つの名前は「大評判」を意味している。謎の人物の熱狂的な冒険の数々は、本誌のみならず、人々に広く賞賛をもって受け入れられている。したがって当ピエール・ラフィット社にとって「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」をアンリ・グセによる芸術的なカラー表紙とともに3フラン50の新シリーズとして出版することは幸運なスタートであろう。単行本としての均質な形のもとで、気品ある怪盗の手に汗にぎる快挙の物語はモーリス・ルブランの生き生きとした描写力によって好奇心をそそり、独創性を勝ち得ている。劇的であると同時に苦悩に満ち、またしばしば知的なイロニーが加わって、それらの重ね合わされた筋の展開は読者をすばやい魅惑的なアクションへの中へ引きずりこんでしまう。
f0028703_17175633.jpg我々はモーリス・ルブランをまさに《フランスのコナン・ドイル》(le Conan Doyle français )と呼んでもいいと強く実感するものだが、彼はアルセーヌ・ルパンに英国のシャーロック・ホームズと比べることができるような上品で興味深い人物像を創り出したのである。
この本は、われらが時代においては極めてまれなことながら、誰でも読める、あるいは誰もが読むべき本であり、アカデミー会員のジュール・クラルティ氏が味のある序文を寄せている。作者ルブランの力強い集中力のみならず、そこには申し分のない文学的品位が感じられる。出版界の幸運な改革によってこの本「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」の購入者はとっておきの懸賞に参加することができる。以下がその内容と応募条件である。

①この本の主人公アルセーヌ・ルパンが活躍する話の中で最も常軌を逸して素晴らしく思える冒険を3つあげること。
②その3つに好みの順序をつけ、それぞれの記載されたページ番号を記すこと。
③同一回答を判別するため、大多数によって選ばれる事件を予想してそのページ番号を記すこと。
この懸賞の締切日は改めて当誌でお知らせする。

賞品のリスト
1等賞:18金の(懐中時計用)紳士用金鎖、または婦人用首飾りのいずれか1名様。
2等賞:18金のネクタイピンを10名様、または帽子飾りピン2名様。
残念賞:ピエール・ラフィット社出版の本1冊を10名様。

この懸賞に応募を希望する方は、「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」の本の中に綴じ込まれた応募券を切り離して回答書に同封のうえ当社宛送られたし。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; Juin, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
上記は、「ジュセトゥ」の1907年6月号(5/15発売)に丸々1ページ使って掲載された記事広告である。ピエール・ラフィット社としても宣伝に力が入っていたことが伺える。
当初は単発の短篇作品として1905年7月号に第1作「逮捕」が出されたあと、第2作「獄中の」が掲載されるまでは5ヶ月のブランクがある。急な人気に対して《追加注文》が出てもすぐには対応ができなかったのだろう。下記はこの単行本「強盗紳士アルセーヌ・ルパン」(Arsène Lupin, Gentleman-Cambrioleur)が刊行されるまでのちょうど2年間「ジュセトゥ」に掲載された9作品の一覧である。表紙デザイン画家のアンリ・グセ(Henri Goussé)については詳細が不明。

アルセーヌ・ルパンの逮捕    L'Arrestation d'Arsène Lupin   1905.07 Je sais tout No.6
ルパン獄中の余技         Arsène Lupin en prison      1905.12 Je sais tout No.11
アルセーヌ・ルパンの脱獄     L'Évasion d'Arsène Lupin     1906.01 Je sais tout No.12
不思議な旅行者           Le Mystérieux voyageur       1906.02 Je sais tout No.13
女王の首飾り             Le Collier de la Reine        1906.04 Je sais tout No.15
アンベール夫人の金庫      Le Coffre-fort de Madame Imbert 1906.05 Je sais tout No.16
遅かりしシャーロック・ホームズ Sherlock Holmes arrive trop tard 1906.06 Je sais tout No.17
黒真珠                La Perle noire               1906.07 Je sais tout No.18
ハートの7              Le Sept de Coeur            1907.05 Je sais tout No.28

f0028703_1744593.jpgその第1作の画像(→)をBNFから引用したが、注目すべき点は、初出誌の状態からすでに「アルセーヌ・ルパン」は「アルセーヌ・ルパン」であることである。以前、文庫版の解説で目にしたような《類似名クレーム説》、つまりこの主人公の最初に付いていた名前がある政治家に酷似していたために問題となり、変更して「アルセーヌ・ルパン」になったという事件は、原稿の段階で発生したのだろうと推測できる。(その後この《類似名クレーム説》はまったくのガセネタ=デタラメであることが判明した。詳しくは、論創社/アマゾンストアの「戯曲アルセーヌ・ルパン」の解説を参照されたい。まじめなルパン愛好家/研究者にとってみれば許し難い詐欺事件である。
*参考サイト: 論創社/アマゾンストア;戯曲アルセーヌ・ルパン(2006.12刊)ISBN-13: 978-4846007416

こうして人気作家の出世街道を駆け出したモーリス・ルブラン(Maurice Leblanc, 1864-1941)はすでに42歳になっており、もし推理小説作家としての成功がなければ、数多くの同時代作家とともに埋没してしまったかもしれない。座右の書としている松村喜雄氏の『怪盗対名探偵』の中から引用すると:
ルブランは出版社を経営している親友のピエール・ラフィットから、彼が発刊している雑誌「ジュ・セ・トゥー」に、ドイルの甥のE.W.ホーナングの「義賊ラッフルズ」のフランス版を書くことをすすめられ、筆をとった。そうしてアルセーヌ・ルパンが生まれた。
***松村喜雄『怪盗対名探偵~フランス・ミステリーの歴史』双葉文庫、2001.11、「みんな夢中になったルパン」より。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)フランス文芸家協会の役員改選(1907.03.25)
(2)モーリス・ルブランの劇作「憐れみ」(1906.05.07)

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***** K-A さんから教えていただいた小文「ルパンは何者か?」の中に第1短編集に関係するルブランの言及があったので、追加掲載した。

「その話は評判になった。それでもラフィットが続篇を書くよう頼んできたとき、私はことわった。その当時フランスでは推理小説や探偵小説はひどく下等な文学(fort mal classé)と見なされていたのだ。」
「『強盗紳士アルセーヌ・ルパン』という表題は、私が初期の短篇をまとめて一冊の本にして出そうと考えたときになって初めて思いついたもので、各篇に共通する題名が必要だったのである。」
©モーリス・ルブラン「アルセーヌ・ルパンは何者か?」ル・プティ・ヴァール紙:1933年11月11日掲載より
©Maurice Leblanc : Qui est Arsène Lupin? ; Le Petit Var, Samedi 11 novembre, 1933
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by utsushihara | 2007-06-10 17:02 | 文芸、評論1907-08

舞台俳優の養老院に劇場開設

f0028703_1551557.jpg1906年7月25日(水)

7月25日、クィイ=ポントーダームにてファリエール大統領の臨席のもと、舞台俳優のための養老院に併設された劇場の落成式が行なわれた。この養老院の創設者は名優コクラン=エネである。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
画像Crédit d’image : © Promenade dans PONT-AUX-DAMES au début du 20e siècle

[ Ψ 蛇足 ]
上↑の画像は左からファリエール大統領、作家ジュール・クラルティ、名優コクラン=エネ。f0028703_15483844.jpg
コクラン=エネ(Coquelin aîné)の本名はコンスタン・コクラン(Constant Coquelin, 1841-1909)である。同じ俳優だった弟のエルネストと識別するために、兄(エネ=Aîné)と呼ばれた。20歳になる前からコメディ=フランセーズに加わり、25年間に40本以上の演目をこなした。彼の名声を永遠にしたのは、エドモン・ロスタンが書いた『シラノ・ド・ベルジュラック』(Cyrano de Bergerac, 1897)の長大な韻文劇を初演し、未曾有の大成功を収めたことによる。
彼は60歳過ぎに自分たちが創設したこの養老院に入居していた。(結局、数年後にここで心臓発作を起こし世を去ることになる)右→は養老院の建物。

クィイ=ポントーダーム(Couilly-Pont-aux-Dames)という村はパリの東隣、セーヌ・エ・マルヌ県にある。県支庁の都市モー(Meaux)の南側、マルヌ川の支流メニル川に沿った場所にある。この村の地名も珍名に近い。(直訳すると下品になるので興味のある方はご自分で仏和辞書を引かれたい)

参考サイト:Cartes postales anciennes de Seine & Marne(セーヌ・エ・マルヌ県の昔の絵葉書) Maison de Retraite des Artistes Dramatiques - Le Théâtre (養老院附属劇場)
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by utsushihara | 2006-07-25 15:46 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ルーヴェイルのデッサン画集

f0028703_155381.jpg1905年10月

最近出版されたデッサン画家のルーヴェイルの画集は、面白い描き方で多数の芸術家たち、とりわけコメディ・フランセーズの俳優たちの容姿を収めている。ここに転載したものは、画集中のカリカチュアの一枚で、コメディ・フランセーズの総支配人で小誌の有力な執筆者の一人、ジュール・クラルティの姿である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
アンドレ・ルーヴェイル André Rouveyre (1879-1962):当時まだ26歳の新進画家だったが、以後斬新なイメージのグラフィック・デザイナーとして注目されたようだ。特にアポリネールやアンリ・マティスとの親交が知られる。Art-of-the-print : Andre Rouveyre

ジュール・クラルティ Jules Claretie (1840-1913):パリで各方面の新聞・雑誌に多くの筆名で記事を書くかたわら小説、劇作、歴史、評論の広い分野で活躍した。1888年アカデミー会員に選ばれ、コメディ・フランセーズの総支配人も務めた。邦訳は森鴎外による短篇『猿』(独語訳からの重訳)1作のみ。ネットの青空文庫で読める。
Académie française : Claretie
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by utsushihara | 2005-10-24 15:51 | 美術、彫刻1907-08