フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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アンリ・ファルマンが最長飛行記録を更新

1909年11月3日(水)f0028703_21482430.jpg

今年生み出された数多くの飛行記録を収める航空年鑑にまた新たな素晴しい記録が加えられた。最長飛行記録の王座にあるアンリ・ファルマンが新たな世界記録を更新したのである。8月ランスで開催された飛行大会において、180km、3時間5分という記録でファルマンが優勝したことは記憶に新しいが、11月3日彼は222km、4時間6分25秒、という最長距離と無着陸飛行時間を達成した。これはミシュラン社が企画した懸賞に参加した飛行家が今年の12月末までに最長飛行記録を保持した者に2万フランを提供するというものである。
月曜日にルイ・ポーランが英国で160kmを飛んで肉薄する記録を出したり、ベルリンでルージエも130km飛んだりする中で、アンリ・ファルマンはルーアン近郊のムルムロン=ル=グランの飛行場でこの大記録を達成したのだった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #569236 « Le Matin » No.9382 - le 4 Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)は当時随一の実力と実績を誇る飛行家である。
ムルムロン(Mourmelon-le-Grand)の飛行場では3本の標柱を1kmの間隔で正三角形に立て、その外側を周回して記録が測定された。(1辺が1kmの正三角形の頂点を接する円周は3.2kmとして算定。)
ミシュラン杯(La Coupe Michelin)は年末までまだ日数があるので、ファルマンが優勝を決めたわけではない。(↓)昨年の大晦日にはウィルバー・ライトが土壇場で優勝杯をさらっている。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)最長距離記録大賞は最終日にアンリ・ファルマンが獲得 (1909.08.27) 180kmを3時間4分56秒で大賞(Grand Prix de la Distance)を獲得
(2)W・ライト、歳末に飛行新記録(1908.12.31)1908年のミシュラン航空杯(La Coupe Michelin pour 1908)150kmを2時間19分03秒4
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by utsushihara | 2009-11-03 21:46 | スポーツ、乗物、探検1909-10

最長距離記録大賞は最終日にアンリ・ファルマンが獲得

1909年8月27日(金)f0028703_16242955.jpg

水曜日(25日)にポーランはロジェ・ソメの記録を破った。昨日(26日)ラタムはポーランの記録を破った。そして今日(27日)ファルマンがラタムの記録を破ったのだ。ファルマンはシャンパーニュ大賞(Le Grand Prix de Champagne)を獲得したが、多くの飛行家に羨まれる大賞にふさわしく、素晴しい飛行で偉業を達成した。記録は公式には、180kmの距離を3時間4分56秒4で飛んだとされたが、実際には190km以上の距離をそれ以上の時間をかけて飛んだのだった。(→)右は操縦席のファルマン。

シャンパーニュ地方とランス市が冠した大賞の長距離飛行競技は今日最終日を迎えた。優勝者への賞金は5万フランであり、それに続く5人の競争者にも、2位は2万5千、3位は1万、4位から6位までは各5千フラン分け与えられることになっており、総額で10万フランとなる。前日までの成績では、ラタムが世界新記録の154.5kmで優位に立ち、ポーラン(131km)、ランベール(116km)、カーチス(30km)、ルフェーヴル(21km)と続いていた。

この日は朝6時にソメが飛んで45分間の記録だったのをはじめ、多くの飛行家たちが最後の挑戦を試みた。特に熱心だったのはルイ・ポーランである。彼は燃料切れで記録を思うままに伸ばせなかったことを悔み、機体に新たに95ℓの補助タンクを付けて飛ぶことにした。1度目は10:36出発で6kmしか飛べず、2度目は11:06出発で11分間余りしか続かなかった。彼の複葉機は追加した燃料タンクの重みで十分な揚力が得られないのではないかと考えられた。
この間、英雄ルイ・ブレリオも大賞に挑戦した。彼の単葉機23号(50馬力)で11:35に飛び立ったが、30分間の飛行に終わった。
f0028703_1623316.jpgポーランは3度目12:18「エンジン発進、離陸!」と気合を入れて叫びながら出発した。しかし離陸の途中で強い横風に煽られ、機体を立て直す高度もなく、左翼から地面に落ちた。彼は無事だったが機体は半壊し、今日はこれ以上の飛行は不可能となった。(↑)
建設相のミルラン氏がベテニー会場の視察に訪れ、今日の長距離飛行の最終日の様子を見守った。

そして夕方遅くなって16:45にアンリ・ファルマンがソメとラタムとともに3機で飛び始めた。好記録を出すには日没後暗くなって着陸するのを覚悟してのことだった。ソメは早々に断念し、ラタムも110kmを1時間38分5秒2で飛んだ後、飛行を終えた。
ファルマンは飛び続けた。安定した飛行で131kmのポーランの記録にほとんど追いつき、さらに記録を更新する可能性があった。観衆や報道陣の双眼鏡は平原に釘づけとなった。すぐに夕闇が立ちこめ、地上に近い低さで飛び続けるファルマンの機体はそれほどはっきり見分けにくくなった。あるときは視界から消えたように思えた。人々は目を凝らし音で予測した。そして彼が160kmを超えて飛行を続けるのを認めた。ついに180kmを3時間4分56秒4でクリアした。真っ暗闇になった。飛行機の姿は報道関係の記者席の上に点灯していた強力な探照灯によってしか見えなくなった。記録員たちはこれ以上の距離計測が不可能になったと宣告した。彼らは時間の計測もあきらめた。このためファルマンの最後の周回距離は加算されなかった。しかし少なくとも彼が190kmを飛んだことは間違いなかった。
f0028703_16251711.jpgこうして彼は長距離飛行の新記録(180km)とともに大賞(Grand Prix de la Distance)を獲得した。そして長時間飛行記録(3時間4分56秒4)の更新も達成したのである。


出典Crédit:©BNF-Gallica #618729 « Le Petit journal » No.17046, le 28 Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)毎日の記録更新―今度はユベール・ラタムの最長距離飛行記録(1909.08.26)
(2)アンリ・ファルマンが飛行大賞を獲得(1908.01.13)
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by utsushihara | 2009-08-27 16:20 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ロジェ・ソメの長時間飛行の世界新記録

1909年8月7日(土)f0028703_2291590.jpg

8月7日未明、ロジェ・ソメはファルマンの双葉機に乗ってムルムロン・ル・グランの飛行場を飛び立ち、2時間27分15秒の最長飛行の世界記録を樹立した。まさに正真正銘の功績に値する快挙である。
出発時刻は午前3時14分、帰着時刻は午前5時41分15秒であった。

これまでの世界記録は米国人飛行家ウィルバー・ライトによって、昨年末つまり1908年12月31日にオヴール飛行場で成し遂げた2時間20分23秒であった。ソメの記録はこれを6分上回るものである。
飛び立った直後は、晴れわたった夜空で風も弱く、高度を6mから30mの間で保ちながら飛行を続けた。翼の内側で帆布が袋状にふくらみ、抵抗が大きくなったが、プロペラがそれに切り込みを入れ、機体は本来の速度を取り戻し、止まることはなかった。
ソメが飛んでいる間、地上の友人や記録立会人たちからの激励の声があがった。太陽が昇り、輝かしい勝利者を照らし出した。
着陸してもソメは疲れた様子は見せず、笑顔で皆の祝福に応えていた。人々は機体にかけ寄り、「フランス万歳!ソメ万歳!」と叫んだ。格納庫でお祝いのシャンパンの乾杯があった。
1877年8月生まれの32歳、北仏アルデンヌ地方のムーゾンに住んでいる。有名な飛行家アンリ・ファルマンの弟子であり、まだわずか18回の飛行経験しかないのにこの偉業の達成となった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526293 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618704 « Le Petit journal » No.17021, le 3 Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618709 « Le Petit journal » No.17026, le 8 Août, 1909

f0028703_2294331.jpg[ Ψ 蛇足 ]
この数年間こそ、飛行機で空を飛ぶことが初めて実現し、記録が次々と更新されていった時期である。
ロジェ・ソメ(Roger Sommer, 1877-1965)はこの5日前の8月2日にもシャロン=シュル=マルヌから直線距離で14km離れたシュイップ(Suippes)まで飛んで戻る大飛行を成功させており、シュイップの市議会では彼に金メダルを授与することを決めた。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Roger Sommer

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)W・ライト、歳末に飛行新記録(1908.12.31)150kmを2時間19分03秒4
(2)英仏海峡横断初飛行への挑戦(1)ユベール・ラタム(1909.06.15)ムルムロン=ル=グラン飛行場を使用
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by utsushihara | 2009-08-07 22:07 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ドラグランジュの飛行記録更新

f0028703_154878.jpg1908年9月6日(日)

レオン・ドラグランジュはイタリアにおける試験飛行から帰ってからほとんど活動していなかったが、2日ほど前からフランス型翼組飛行機による試験飛行を再開した。この飛行機については彼とその強敵アンリ・ファルマンとがすでに数多くの注目すべき成果を生み出している。
ドラグランジュは昨日の朝(6日)厳しく操縦された見事な飛行によって2つの新記録を打ち立てた。飛行時間と飛行距離である。飛行時間は29分55秒80、ほぼ半時間、そして24kmの距離である。
これまでの時間記録は、7月06日アンリ・ファルマンによって出された20分20秒、距離記録は、5月30日ドラグランジュがローマで作った12km750mだった。
またフランスにやって来たウィルバー・ライトがオーヴールの演習地で先日出した記録は、19分48秒40と、20kmの距離であったが、計測者がたった一人であったため参考記録でしかない。

ドラグランジュはイッシー=レ・ムリノーの演習場で朝7時に飛行を開始した。フェルベ大尉他が計測員となった。機体は素晴しい離陸を果たし、5mの高さに上昇した。非常に安定した飛行で時速55kmの速さで飛び続け、旋回し、地上で見守る人々の上を15往復した。16周目に高度が下がってきたのを感じ、静かに着陸した。
レオン・ドラグランジュは賞金2500フランの懸かったアルシュデック賞の記録保持者として明日以降、他の競争者たちの挑戦を受けることとなった。ご存知の通り、この賞の前回の記録は1908年4月11日に彼自身が作った3925mである。
f0028703_17464725.jpg

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288206 « Le Figaro » le 7 Sep. 1908
参考画像Crédit d’image: Grande quinzaine d'Aviation / earlyaviators.com M Delagrange Collection of Dave Lam, 8-3-07
http://www.earlyaviators.com/edelagra.htm
出典Crédit d’illustration:©BNF-Gallica #039751; Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.22 Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)は飛行記録競争へはかなり遅れて参加したが、この年(1908)の4月に4km近くの新記録を打ち立てた。それが半年足らずのうちに6倍の距離まで更新された。驚異的な進歩である。

上記のフィガロの記事の中でも「我々はまさに実用飛行の前夜にいる。飛行機はまだ試験飛行のエンジンでしかなく、その使用は冒険か実験のためでしかない。しかしながら交通手段の一つになる時代はそこまで来ている。絶え間のない記録の更新はその革命の進行を告げるものである。」と明言している。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)飛行新記録への新たな賭け(1908.03.09)1年以内に2人乗りの飛行機が1km飛ぶこと
(2)ドラグランジュも200m飛行達成(1908.03.17)
(3)ドラグランジュの飛行新記録(1908.04.10) 3925m
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by utsushihara | 2008-09-05 15:03 | スポーツ、乗物、探検1907-08

アンリ・ファルマンの米国での試験飛行

f0028703_19636100.jpg1908年8月

アンリ・ファルマンが米国で試みようとした公開試験飛行は、その主催者たちが見込んだほどの結果が出せなかった。彼らは約10万フラン(≒2億5千万円)の損失を出したと思われる。このフランスの飛行家が彼らと結んだ契約書は破棄され、ファルマンは約束されていた15万フランの代りにその1/4の37,500フラン(US$7500)を受け取って帰国することとなった。
この金額もまだかなりの額ではあるが、もし彼が2基の完全な飛行機とすべての部品を持って行き、飛行中に事故にあった場合に備え、すぐにもう一機で試験を続けられるようにしたことを考えれば、まったく大げさな金額ではないのは明らかである。

ニューヨークを離れる前にアンリ・ファルマンは米国の著名な発明家トーマス・エジソンを訪ねた。エジソンは彼に自分の考案したという飛行機の設計書を見せた。それはファルマンの飛行機のように地面を滑走せずに自力で飛び上がることができるというものだった。ファルマンはその発想に魅せられ、エジソンの招きに従い、研究所で一日を過ごし、新しい飛行機の細部にわたり議論を交わした。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288180 « Le Figaro » le 12 Août, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 04-509829- Fonds : Art populaire - © RMN / Gérard Blot / Titre : Concours d'aviation / Localisation : Paris, MuCEM, Musée des Civilisations de l'Europe et de la Méditerranée

(8月5日付のフィガロの記事から)
ニューヨークからの電信。アンリ・ファルマンはブライトン・ビーチで試験飛行を実施し、大勢の観客の目の前で約800m飛ぶことができた。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288173 « Le Figaro » le 5 Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)
レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ファルマンが飛行機で滑空飛行新記録達成(771m)(1907.10.26)
(2)ドラグランジュの飛行新記録(1908.04.10) 3925m
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by utsushihara | 2008-08-21 19:05 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ドラグランジュの飛行新記録

f0028703_18463444.jpg1908年4月10日(金)

アンリ・ファルマン氏の飛行記録は4月10日、イッシー=レ=ムリノーの野原においてドラグランジェ氏によって破られた。新しい記録は3925mを6分3秒で飛んだものである。2人の飛行家は、無着陸で15分間の飛行を達成した人に贈られるアルマンゴー賞獲得に向けてしのぎを削っている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.40; Mai, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ジュール・アルマンゴー(Jules Armengaud)もエンジン製造業者の一人で、この賞に1万フランを提供した。イッシー=レ=ムリノー(Issy-Les-Moulineaux)の野原は現在でもパリ南西部のヘリポートとして外周道路(ペリフェリク)の外側に見ることができる。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)アンリ・ファルマンが飛行大賞を獲得(1908.01.13)
(2)飛行新記録への新たな賭け(1908.03.09)
(3)ドラグランジュも200m飛行達成(1908.03.17)
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by utsushihara | 2008-04-10 18:37 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ドラグランジュも200m飛行達成

1908年3月17日(火)

ドラグランジュ氏は昨日(17)の午後、イッシー=レ=ムリノーの野原でフランス航空クラブ(ACF)の設けた3つの賞ののうちの一つ、200m飛行を達成した。同じ場所で前日までの練習をすませ、航空クラブの認定委員を呼んで公式飛行を開始した。午前中は調子が悪かった。何度か飛行を試みたが、地面を離れることが出来なかった。
午後になってようやく認定委員のアンリ・カプフェレ氏とフランソワ・ペーレー氏の目の前で269.5mを21.2秒で飛ぶことができた。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288031 « Le Figaro » le 18 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)は一年前にも新記録を試みてサントス=デュモンと争ったがうまく行かなかった。飛行記録としてはすでにアンリ・ファルマンによって700m以上達成していたが、航空クラブの「200m飛行基準」は、追従する多くの冒険家たちの当面の目標であったようだ。

**これまでの関連記事france100.exblog:ドラグランジュとサントス=デュモンの飛行機 (1907.02.27)
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by utsushihara | 2008-03-17 13:59 | スポーツ、乗物、探検1907-08

飛行新記録への新たな賭け

1908年3月9日(月)

飛行記録の達成をめぐるこれまでの様々な賭けの勝利を祝って、アルシュデック、シャロン、サントス=デュモンの3氏主宰による夕食会が3月9日あった。その席で次の新たな賭けが成立した。
それは1年以内に2人乗りの飛行機が1km飛ぶことで、搭乗員の体重は60kg以下であることが条件である。アルシュデック氏、サントス=デュモン氏、アンリ・ファルマン氏は6千フラン、それに対してシャロン氏は1万2千フランを賭けた。
賭けはしばしば良い結果をもたらす。おそらくサントス=デュモン氏とアンリ・ファルマン氏は全力を尽くして賭けに勝とうとするだろう。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288024 « Le Figaro » le 11 Mars, 1908
画像 Crédit d’image : Wiki-image:Henry Farman.jpg

f0028703_18444280.jpg[ Ψ 蛇足 ]
これはアンリ・ファルマンが達成した飛行記録に対し、パリ航空クラブのドゥッシュとアルシュデックが飛行大賞、懸賞金5万フランを賭けていたお祝いだったのだろうと思われる。上記の賭けは「達成できるか否か」の賭けではなく、「誰が達成できるか」の賭けであった。
アンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)
エルネスト・アルシュデック(Ernest Archdeacon, 1863-1950)
アルベルト・サントス=デュモン(Alberto Santos-Dumont, 1873-1932)
フェルナン・シャロン(Fernand Charron, 1866-1928) 自動車メーカー「パナール」の経営者

*参考サイト:Wikipedia(和文)アンリ・ファルマン

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)アンリ・ファルマンが飛行大賞を獲得(1908.01.13)
(2)ファルマンが飛行機で滑空飛行新記録達成(771m)(1907.10.26)

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by utsushihara | 2008-03-09 18:51 | スポーツ、乗物、探検1907-08

アンリ・ファルマンが飛行大賞を獲得

f0028703_23383788.jpg1908年1月13日(月)

アンリ・ファルマン氏の飛行機が1月13日、ドゥッシュ=アルシュデックの飛行大賞、賞金5万フランを獲得した。
この大賞の規定を再度説明すると、1kmの周回飛行を地面に接触せずにおこなうこと、少なくとも500mの直線飛行を含み、出発地点から転回地点を経て、同じ場所に戻ってくることである。
彼は朝9時半から日没までイッシー=レ=ムリノーの野原で何回かの飛行を試み、最高記録1分28秒を達成した。この驚嘆すべき記録は、好感のもてる根気強いこの飛行家の栄誉を称えるものとなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287966 « Le Figaro » le 13 Jan. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)
ドゥッシュ=アルシュデック飛行大賞(le grand prix d'aviation Deutsche-Archedeacon)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ファルマンが飛行機で滑空飛行新記録達成(771m)(1907.10.26)ドゥッシュ=アルシュデック飛行大賞
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by utsushihara | 2008-01-13 23:33 | スポーツ、乗物、探検1907-08

サントス=デュモンの新型飛行機、第19号機

f0028703_15504114.jpg1907年11月14日(木)

サントス=デュモン氏は11月14日、新たに完成した第19号飛行機(ディズヌフ dix-neuf)で初飛行をおこなった。機体は長い矢の形をとり、前方のそり返った主翼は5mの長さで、木組みに絹布を張っている。プロペラが先端に付き、方向舵は後方にある。20馬力のモーターを備えながらも総重量は56kgにしかならない。飛行士を乗せても110kgを超えない超軽量の機体である。彼はこれまで新型飛行機の初飛行に際しながら、何度も失敗している。
サントス=デュモン氏はこのために水上飛行機(Hydroplane)の試験を放棄したわけではない。穏やかな天候のときには飛行を、風のある日には水上飛行をと考えている。

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907
出典Crédit:BNF-Gallica #287907 « Le Figaro » le 15 Nov. 1907

f0028703_155121.jpg*「フィガロ」11月16日付の記事から:
サントス=デュモン(Santos-Dumont)は昨日早朝に、既報の新型飛行機で試験飛行を何回かおこなった。機体は飛行士の意思に完全に従い、100mから250m程度の飛行を達成した。もしすべてが順調であれば、彼は転回飛行を試み、「飛行大賞」(Grand Prix d’Aviation)に飽くなき挑戦を続ける。
イッシー=レ=ムリノーの飛行家たちも手をこまねいているわけではない。ブレリオ(Blériot)は試験飛行を再開し、アンリ・ファルマン(Henri Farman)はプロペラの修理を終えて、おそらく今日「大賞」を獲得しようと試みるだろう。
出典Crédit:BNF-Gallica #287908 « Le Figaro » le 16 Nov. 1907

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by utsushihara | 2007-11-14 15:46 | スポーツ、乗物、探検1907-08