フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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*(夢の記録)「音叉または調音器」

リゾート地の外れにある楽器店が在庫一掃の閉店セールをすることになって(これと同じ設定の夢が何度か出てきた)楽器の調音用音叉を買うことにした。
「 Џ 」字形の平凡なものでなく、せっかくだからもっとスグレ物はないかと探す。木製の小さな拍子木のような茶褐色のチップを耳に当てるとファゴットのような澄んだ音が聞こえる。「木製のものはいいですよ」と店員が声をかけてくる。しかし1万円だという。少し安いのでも8千円である。「高いなあ」とためらっているうちに閉店の時間となる。仕方なく外に出るが、わざわざここまで来たのだから、近くにある楽器屋の事務所兼倉庫に行ってみることにする。
空き地のコテージのような建物である。そこには前にも行ったことがある。ドアをノックすると、鉄工所に働いていそうな屈強の男が2人、眠そうな困ったような顔をして応対してくれた。訳を話すと色々な音叉を出してくれる。「木製は高いからね」と言って、大会メダル位の大きさの銀色の調音器を「どうかね」と出してくる。新製品だという。
一つ目を耳に当てるとトランペットのようなまっすぐな音、それが途中で波のうねりのように変化する。二つ目は、チェロの深い音で音階がメロディのように響く。「これじゃ、まるでIC楽器ですね」と言うとおじさんたちの顔がほころぶ。「これにしようかな」
三つ目の銀メダルを試してみる。これはオーボエのまっすぐな響きで、すぐにチャラチャラチャラと変化した。・・・目覚ましの音だった。
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# by utsushihara | 2010-03-24 11:38

[ 直近の更新状況 ] 2010-c

03/11: ピカビアの個展~ジョルジュ・プティ画廊にて(1909.03.31)
03/10: 大賞典の前哨戦(プール・デ・プロデュイ)(1909.05.09)
03/09: 長老(ドワイヤン)杯競艇でロゥイング・クラブが優勝(1909.05.09)
03/09: ブリニーの町に婦女子専用のサナトリウム(療養所)開設(1909.05.09)
03/09: 1909年春のサロン展(7)『お茶の時間』(Le Thé)(1909.05)
03/08: アミアン市にジュール・ヴェルヌの記念碑完成(1909.05.09)
03/05: 青年トルコ党の勝利(1909.04.24)
03/04: オルレアンのジャンヌ・ダルク祭(1909.05.07)
03/04: 美人すぎる美人バレリーナ、クレオ・ド・メロード演劇に転進か?(1909.06)
03/03: 1909年春のサロン展(6)「牧神の午後」(1909.05)
03/02: トルコで反革命の動き(1909.04.13)
03/02: 1909年春のサロン展(5)「ランスにおける戴冠式」(1909.05)
03/01: マスネの歌劇『バッカス』の初演(1909.05.05)
03/01: 日本人オサダ氏、劇場建築視察に来訪(1909.05)
03/01: アントワーヌ座の『競馬で稼いだボブ親父』(1909.04.22)

===============================================

(妄言つぶやき) 人間には「生と死」という始めと終わりがあるが、自然界の現象、あるいは社会の事象においては、これで終わりというものはない。私たちが「知り得た」と思いこんでいることは、つねに現象の一部分でしかないのだ。
歴史的な事件を見ていてもこれで終わりということはない。つまり後日談というクセモノは、実はいつまでも尽きることはない。一ヵ月後、半年後、三年後、五十年後・・・それよりも、あとのあとまでその事物とつき合う興味がいつしか失せてしまうのが人間の本質なのだ。
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# by utsushihara | 2010-03-11 17:44

[ 直近の更新状況 ] 2010-b

02/28: 1909年春のサロン展(3)「専属契約の前に」(1909.05)
02/27: タルガ・フロリオ杯自動車レース(1909)(1909.05.04)
02/26: ファリエール大統領のイタリア艦隊訪問と日本の梨本宮殿下夫妻(1909.04.27)
02/25: ニースにガンベッタの記念碑落成(1909.04.25)
02/24: 1909年春のサロン展(1)「切符を拝見!」(1909.05)
02/24: 1909年春のサロン展(4)「艶な手紙」(1909.05)
02/23: 1909年春のサロン展(2)「戦いのあとに」(1909.05)"Donne-lui tout de même à boire", dit mon père(ドヌリュイ トゥドメーム アボワール)
02/22: ギリシアのコルフ島でのドイツ皇帝ウィルヘルム(1909.04.17)
02/22: 最新鋭戦艦「ディドロ」と「コンドルセ」の進水式(1909.04.19)
02/19: 郵便局員の大規模スト(1909.04.05)
02/04: 「陽気な未亡人」(メリー・ウィドウ)パリ公演(1909.04.28)
02/03: パリ~ボルドー自転車レース(1909)(1909.05.02)
02/01: 風刺画家モロック急死(1909.05.06)
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# by utsushihara | 2010-02-28 18:03

サンフォニア(フランス音楽)演奏会

1910年2月27日(日)

***アンリ・ビュッセル著(Henri Busser, 1872-1973)「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用 [第10章] 1910年2月27日:

《サンフォニア》(Symphonia)で、フランス音楽の演奏会。これが私たちの言わば『白鳥の歌』となる。友人フェルナン・アルファンの「ハ短調のシンフォニー」が本当の成功を博する。彼はガブリエル・フォーレの熱心な門弟で、極めて強くその影響を受けている。
エルネスト・ショーソンのヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲」(Poème)も成功。ヴァイオリン・ソロ奏者のフォレストが、巧みに演奏する。ミシュリーヌ・カーンが、自由自在な名人芸を惜しみなく発揮して、私の「ハープのための演奏会用作品」(Pièce de concert pour harpe et petit orchestre, op.32)を奏する。彼女はシャルル=マリ・ウィドールの「主題と変奏」も弾く。私はウィドールに指揮をゆずっていた。彼は自作の「スペイン序曲」と「4月の物語」の組曲も指揮する。シャルル・マックス夫人が、ジョルジュ・ユーとウィドールの歌曲をすばらしく歌う。

[ Ψ 蛇足 ]
《サンフォニア》(Symphonia)とは、この1910年初めに企画された自国フランスの作曲家による管弦楽作品を網羅する定期演奏会の名称である。日曜日の管弦楽コンサートは伝統的に、パリ音楽院管弦楽団やコロンヌ管弦楽団、ラムルー管弦楽団などで続けられてきたが、独墺伊ではなく、自国の作曲家の作品に限って演目に取り上げようという新たな企画であった。これには普仏戦争の敗戦後40年が経過し、フランスにおける産業・文化・経済の発展に伴って、《失地回復》を望む愛国的な機運の高まりも背景にあったように思う。

上述でちょっと気になる《これが私たちの言わば『白鳥の歌』…》というくだりがある。1914年の大戦勃発まであと4年のことであるが、あとから著者のビュッセルが回想して述べたもので、事実、彼の友人の作曲家アルファンはこのときの成功が最後の花となった。この時代の音楽家で戦争の犠牲となった人々は少なくない。

f0028703_2384574.jpg(←画像)フェルナン・アルファン(Fernand Halphen, 1872-1917)は裕福な銀行家の家系に生まれ、10歳のときからフォーレの指導による音楽活動を始めた。パリ音楽院ではエルネスト・ギローおよびマスネに作曲を学び、同僚としてフロラン・シュミット、レイナルド・アーンなどがいる。上記の著者アンリ・ビュッセルとも親しかった。
作曲家として知られ、唯一の「交響曲ハ短調」はパリとモンテカルロで演奏され、好評を得た。その他に管弦楽のための「シチリア組曲」(Suite sicilienne)、パントマイム「アゴゼイダ」(Hagoseida)、バレエ「牧羊神の目覚め」(Le Réveil du faune)、一幕物歌劇「花飾りの角笛」(Le Cor Fleuri, 1904)がある。
しかし彼はこのあと第一次大戦に陸軍大尉として出征し、1917年に45歳で戦死する。彼はパリ北郊シャンティイ付近に広壮な城館を建てて住まいとしたが、現在は「シャトー・モン=ロワイヤル」ホテル(Château Mont-Royal)として使用されている。
今のところ彼の作品で聴けるCDは歌曲・室内楽集のみである。楽譜はIMSLPで「ヴァイオリン・ソナタ嬰ハ短調」(Sonate pour piano et violon en ut# mineur)を見ることができる。フォーレの直弟子と言われるからには、曲想はフォーレやショーソンに通じるものがあるように想像する。

*画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica
*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Fernand Halphen
(2)IMSLP: Violin Sonata (Halphen, Fernand)
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# by utsushihara | 2010-02-27 23:07 | オペラ、音楽、演劇1909-10

*(夢の記録)「カニダの体重計」

*アフリカの乾いた土地にある部落でのこと。大きな岩の上にあがって、凸凹しているところで体重を計ることになった。足場が不安定だなと思いつつ、片言というよりも必死に仏単語を羅列した。(いつもこうして単語を苦心して思い出す夢ばかりである)
「メジュレ」(mesurer=測定する)、「ル・ポワ」(le poids=体重)、「アパレィユ」(appareil=器具)のつもりで言うと、集まっていた部落の老若男女が口々に「カニダ、カニダ!」と叫んで、小ぶりで黒い石の置物のようなものを持ってくる。体重計だという。少々重いが、よく見ると蟹の形に彫ってある。「あ、これ、日本製ですよ。」と教えてやる。下に置いて狭い台に両足をそろえて乗り、腕を広げてバランスをとりながら計測する。部落民が見守る中、グルッグルッと音がする。
すると隣から家人の声がした。「イビキがうるさい。」
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# by utsushihara | 2010-02-26 13:53

オペラ座でレイナルド・アーンのバレエ「テレーズ公妃の祝宴」初演

1910年2月16日(水)

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1910年2月20日:
オペラ座で、レイナルド・アーンのバレエ「テレーズ公妃の祝宴」(La Fête chez Thérèse)の総試演。ヴィクトル・ユゴーの詩にカチュル・マンデスが脚本を書いたもの。優雅なオーケストラが流す快活な音楽。レイナルドはその中に巧みにピアノを挿入している。カルロッタ・ザンベリとアイーダ・ボニの2人が、このソワレの魅力ある主役であって、熱烈な歓迎を受けた。

f0028703_2375488.jpg[ Ψ 蛇足 ]
レイナルド・アーンのバレエ「テレーズ公妃の祝宴」(La Fête chez Thérèse)は、ルイ=フィリップ時代の華やかな貴婦人たちの集いを題材にしたもので、もともとユゴーが書いた詩に基づいていたという。第2幕の題名が《 La Fête galante chez la Duchesse Thérèse 》となっており、本来の意味が理解できた。

レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn, 1874-1947)はやや擬古典的な和声と甘美な旋律で注目され、若くしてすでに人気を確立していた。ビュッセルの記述では総試演が2月20日となっているが、初演の記録は16日となっている。従って、総稽古は一週間前の13日の記憶違いと思われる。

カルロッタ・ザンベリ(Carlotta Zambelli, 1875-1968)とアイーダ・ボニ(Aïda Boni, 1880-1974)は、当時のオペラ座バレエ団のエトワールの双璧であった。《エトワール》(Danseuse étoile)という呼称はトップ・バレリーナの意味かと思っていたが、ダンサーの中でも最高級の技芸を備えた人だけに与えられる特別な呼称であることがわかった。

*参考サイト:
(1)Reynaldo Hahn(仏語)
(2)Wikipedia(仏語)Carlotta Zambelli
(3)Wikipedia(仏語)Aïda Boni
(4)Wikipedia(仏語)Étoile (ballet)
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# by utsushihara | 2010-02-20 23:03 | オペラ、音楽、演劇1909-10

[ 直近の更新状況 ] 2010-a

数年前に脳卒中の発作が起きて、結果的に一命を取り留めることができた(神様にもうちょっと生きてもいいと言われた?)のも1~2月の寒中の出来事でした。この時期は毎年鬼門のように思います。
だたしそれと同時にそろそろ冬眠の穴倉から這い出したいな、という気持にもなりつつあります。

01/27: オランダ王室で待望の女児誕生(1909.04.30)
01/25: ドリュエ画廊でナデルマンの個展(1909.04.26)
f0028703_21562952.jpg01/22: ローマでジャンヌ・ダルクの列福式(1909.04.18)
01/21: 14歳の天才画家ラヴァラール(1909.04)
01/20: ベルリンのトレプトゥ天文台に世界最長の天体望遠鏡(1909.04)
01/20: 史上最長のヘビー級ボクシング・マラソン試合(サム・マクヴェー対ジョー・ジーネット)(1909.04.17)
01/18: 聖女ジャンヌ・ダルクへの願掛け(ジィドの日記から)(1909.01)

右掲(→)はオランダで世継が生まれたことを祝って流布した当時の絵葉書。「マタン」紙の1909.04.29付で紹介された。コウノトリが電話で「もしもし!お世継のお届けですよ。」と話している。(Source BNF-Le Matin #569046)
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# by utsushihara | 2010-01-27 18:45

新100フラン紙幣の発行

1910年1月5日(水)
f0028703_2145197.jpg

1910年1月5日からフランスでは新しい100フラン札が発行された。旧札に比べると青みが少ない多色刷りである。さらにデザインは表裏とも絵画の大家リュック=オリヴィエ・メルソンの作で署名が入っている。原版は有名な版画家ロマニョルによって彫られた。かくも芸術的な紙幣を発行したフランス銀行を賞賛したい。
原画を制作したリュック=オリヴィエ・メルソン氏は1846年パリに生まれ、1869年にローマ大賞を獲得、1889年のパリ万博では金賞を得た。彼はオペラ・コミック座の左の大階段の「音楽と詩歌」の天井画の装飾やパリ市役所の階段の装飾壁画、さらに多数の教会の宗教画で知られる。その端整な画風には詩情が融合している。
また彼は、エレディアの詩集「戦利品」、ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」、フローベールの短篇「聖ジュリアン伝」などの文学作品の挿絵を担当し、いずれも傑作と見なされている。彼は芸術院の会員であるとともにパリ美術学校の教授でもある。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.60; Jan. 1910
f0028703_2145255.jpg画像 Crédit photographique : © RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 00-021284 / Fonds :Photographies / Titre : Luc Olivier Merson (1846-1920), peintre / Description : Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Auteur : Anonyme / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
リュック=オリヴィエ・メルソン(Luc-Olivier Merson, 1846-1920)は、宗教画、歴史絵画の分野で静けさを湛えた端整な画風で知られた。(→)

f0028703_21454713.jpg(←)左掲はBNF-Gallica 所蔵によるフローベール(G. Flaubert)の「聖ジュリアン伝」(Légende de Saint-Julien-l’Hospitalier)の挿絵の一つである。

**これまでの関連記事france100.exblog:「ノートル・ダム・ド・パリ」の再演 (1907.01.28)
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# by utsushihara | 2010-01-06 21:44 | 美術、彫刻1909-10

ポール・デュカがパリ音楽院の管弦楽科教授に

1910年1月5日(水)
***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1910年1月5日:f0028703_22385366.jpg

音楽院で、ポール・デュカがオーケストラ科教授に任命される。ガブリエル・フォーレが、私たちを院長室に集めて、生徒の練習に充てる曲目の計画をたてさせる。デュカが「ベートーヴェンはあまり多くせずに、むしろ、不当に忘れられているハイドンを尊重しよう。」と言う。彼は私に「四季」を練習させることを提案する。私はポール・デュカと協力することがうれしい。私たちは、音楽院を出ながら、親愛なる我らが師エルネスト・ギローのクラスにおける昔の思い出を語りあう。私たちは1890年に顔を合わせたのであった。当時、私は単なる聴講生にすぎなかった。

(池内友次郎の注釈)ビュッセルのポール・デュカへの友情は美しいものであった。私が学生のころ、デュカは作曲のクラスの教授であって、そのクラスは、私たちの和声のクラスの隣の室であった。週に一回だけ、彼のクラスと私たちのクラスが同時間であったのであるが、ときには、彼のクラスからピアノの音が壁越しに漏れてくる。そのたびに、私たちの先生のフォーシェが、眉をしかめ、音楽院でこのような音を耳にするとは、と歎いていたことなどがあった。……そのほか、当時はまだエレヴェーターがなかった頃で、廊下でクラスの開かれるのを待っているとき、小太りで小柄なデュカが、とぼとぼと階段を上ってくるのをみかけたりしたこともあった。…(以下略)

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・デュカ(Paul Dukas, 1865-1935)に音楽院の「教授」という肩書がこの時から与えられたのかどうかははっきりしない。下記の関連記事では、1907年3月に病気で引退するタファネルの後任として、院長のフォーレがデュカを選んだという。この間約3年近くは「准教授」のような立場だったかもしれない。
デュカが「小太りで小柄な」という様子だった、というのを読むと親近感がわいてくる。

恩師エルネスト・ギロー(Ernest Guiraud, 1837-1892)の名前は、ビゼーの「アルルの女」第2組曲を編んだ人として記憶されているが、彼自身の作品はあまり演奏されることはない。

f0028703_2232408.jpg上記の記述で「ハイドンを尊重しよう」とデュカが語ったことには、ある理由がある。ちょうど1909年には「ハイドンの没後100年記念」(ハイドンは1809年5月31日没)として楽譜出版社のデュラン(Durand)の企画によって、ポール・デュカは『ハイドンの名による悲歌的前奏曲』(Prélude élégiaque sur le thème proposé : H-A-Y-D-N)というピアノ小品を作曲していた。IMSLP所収の楽譜の冒頭と与えられた音型を参考に掲載する。ご存知の通り、H A D はシ、ラ、レの音にあたるが、Y N は音楽的になるように適当に割り当てたようだ。
f0028703_2232490.jpg

この曲はYoutube でデュシャーブル(F.-R. Duchable)やジャン・ユボー(Jean Hubeau)の演奏が聴ける。

このデュラン社の企画の依頼を受けた作曲家は、他にはドビュッシーとラヴェルがいた。
ドビュッシーは『ハイドン讃』(Hommage à Joseph Haydn)
ラヴェルは『ハイドンの名によるメヌエット』(Menuet sur le nom d’Haydn)
いずれも1909年の作曲である。これら3つの曲を同時に比べて聴いてみるのも一興だろう。優劣でなくあくまでも好みの問題だが、両巨匠の間でもデュカは独自の存在感は示しているように思う。

*参考サイト:
(1)IMSLP: Prélude élégiaque (Dukas, Paul)
(2)Youtube : Paul Dukas - Prélude élégiaque

**これまでの関連記事france100.exblog:ポール・デュカの「アリアーヌと青髭」初演(1907.05.10)
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# by utsushihara | 2010-01-05 22:27 | オペラ、音楽、演劇1909-10

ベルギーの新国王アルベール1世のブリュッセル入城(1909)

1909年12月23日(木)f0028703_2115848.jpg

22日の前国王の葬儀の翌日、新国王となったアルベール1世は民衆の歓呼の声に包まれる中、首都ブリュッセルへの入城式をおこなった。この祝賀気分の横溢は、葬儀のときの厳粛な雰囲気とは対照的であった。
レオポルド2世は嫡子を幼くして亡くし、また弟にあたるフランドル伯フィリップも継承を放棄したため、その子アルベールが新王となった。アルベール1世はフィリップの次男として1875年4月8日ブリュッセルに生まれたが、兄のボードワンが1891年に死去したため、王太子となった。素晴しい君主になるだろうと誰からも目されていた。彼は1900年10月にバイエルン公女エリザベートと結婚し、レオポルド王子、シャルル王子、マリー=ジョゼ王女の2男1女をもうけている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.60-61; Jan-Fév. 1910
出典Crédit:©Larousse - Chronique du 20e siècle, 1908.09 @MFJ
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画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059976 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.52; le 25 Déc. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738467 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.1; le 1 Jan. 1910

[ Ψ 蛇足 ]
(↑)画像は新王アルベール1世(Albert Ier de Belgique, 1875-1934)が議会において即位の宣誓をおこなう式典の様子である。

f0028703_2141939.jpgまた、王妃エリザベート(Élisabeth de Bavière, 1876-1965)は、自身優れたヴァイオリン奏者でもあり、後年国際音楽コンクールの中でも重要な位置を占める《エリザベート音楽コンクール》(Concours musical international Reine-Élisabeth-de-Belgique)の創始者となった。(→)右掲は微笑ましい王室アルバムの一枚である。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Élisabeth de Bavière

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# by utsushihara | 2009-12-23 21:00 | 各国事情1909-10