フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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医学の犠牲者

1909年8月29日(日)f0028703_2036073.jpg

医学アカデミー会員であり、ラボワジエール病院の外科医であるポール・レィニエ博士の息子、ジャック=アントワーヌ・レィニエ氏は、ネッケル病院で研修医として勤務していたが、2週間前に実施した死体解剖中に誤って自分の左手を手袋の上から軽く切った。大した傷ではないと思って放置したのが原因で高熱を発し、手当も虚しく8月29日死去した。21歳の若さだった。

科学や医学の発展のために犠牲となった人々、あるいは公務執行中に殉職した人々は、すでに多くの名前が連なっているが、ここにまた一人付け加えられることとなった。レィニエ家は代々優れた医者を輩出しており、前途有望の青年の死は大きな悲しみをもたらしている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618732 « Le Petit journal » No.17049, le 31 Août, 1909
f0028703_20361823.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica bium=bibliothèque interuniversitaire de médecine et d'odontologie / sur le site de Medic@

[ Ψ 蛇足 ]
(←)ポール・レィニエ(Paul Reynier, 1851-19xx)は記事中にもある通り、この時代で最も著名な医師の一人であった。著名人の息子の死は当時の新聞や雑誌で大きく取り上げられた。解剖者が自分で傷を負うことは昔から頻発したようで《piqûre anatomique》と言われていた。
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by utsushihara | 2009-08-31 20:34 | 科学、軍事、海事1909-10

[ 直近の更新状況 ] 2009-g

早いもので、もうじき8月が終わろうとしています。「時間は最速の走者である。」いかに人間の叡智がすぐれていようとも、誰も時間に勝てる人はいません。生物は疲れる存在ですから無理は禁物です。

08/31: 名テノール歌手エンリコ・カルーソ夫妻の破局(1909.01.29)
08/31: 数学者アンリ・ポワンカレのアカデミー入会式(1909.01.28)
08/30: 名優コクラン=エネ急死(1909.01.27)
08/29: 冬の大スキー週間開催(1909.01.24)
08/28: フェミナ劇場で指揮者コロンヌの講演会(1909.01.29)
08/27: R.シュトラウスの『エレクトラ』初演(1909.01.26)
08/27: 明治宮廷の醜聞(1908.12.26)
08/26: ロマン・クーリュスの新作「4×7=28」(ししちにじゅうはち)初演(1909.01.29)
08/25: カプフェレ中尉の受勲(1909.01.22)
08/24: 日曜日の管弦楽コンサート(1909.01.10)
08/24: モーリス・バレスの新作小説『コレット・ボードシュ』(1909.01)
08/24: イタリアからの謝意 (1909.01.16)
08/23: シチリアとカラブリア大地震の被災者のための慈善演奏会 (1909.01.09)
08/22: ブローニュの森で新型救難ボートの実用試験 (1909.01.07)
08/21: イタリア大地震・各国からの救援拡大 (1909.01.01)
08/21: 小型自動車レース(1909) (1909.01.17)
08/21: 潜水艦「ファルファデ」と「リュタン」の殉難記念碑(1909.01.10)
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by utsushihara | 2009-08-31 16:12

ベジエの野外劇場で『太陽の娘』初演

1909年8月30日(月)f0028703_2375812.jpg

ベジエの古代闘技場遺跡に設けられた野外劇場で、8月30日、3幕の抒情悲劇『太陽の娘』(Fille du Soleil)の初演が行なわれた。作者はモーリス・マグル(Maurice Magre)、音楽はアンドレ・ゲラール(André Gailhard)である。非常に好意的な喝采が作者と出演者たちに送られた。
演劇部分の出演者は、マドレーヌ・ロック(Madeleine Roch)嬢、ジルダ・ダルティ嬢、およびドリヴァル、ジューベ、デュパルク各氏であり、歌唱部分はノート氏、スペンネル嬢、ロート=ブリュン嬢が受け持った。管弦楽の指揮はジャン・ヌッシー=ヴェルディエ氏が振り、カステルボン=ド=ボーゾスト氏を筆頭とするベジエ市の文化擁護者たちの結束した協賛の賜物であった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
画像 Crédit photographique : © Les Mureaux en Cartes Postales - Madeleine Roch
http://sites.google.com/site/lesmureauxencartespostales/madeleine-roch

[ Ψ 蛇足 ]
この時代の毎年夏恒例の大型催物の一つがベジエの野外劇場の公演であった。上記にもある通り南仏ラングドック地方のベジエ(Béziers)で熱心な文化活動をしていたフェルナン・カステルボン=ド=ボーゾスト(Fernand Castelbon de Beauxhostes, 1859-1934)の尽力によるものが大きい。
作者のモーリス・マグル(Maurice Magre, 187-1941)も南西フランスの地方言語オック語を擁護する立場(Occitanie)で文学活動をした人で知られる。
作曲のアンドレ・ゲラール(André Gailhard 1885-1966)は、有名なオペラ座支配人ペドロ・ゲラールの息子で、2年前にローマ賞次席を得ている。
主演女優のマドレーヌ・ロック(Madeleine Roch, 1883-1930)はベジエの劇場で毎年のように主役を演じ続けていた。

*参考サイト:Lieux secrets du Pays Cathare(仏語)L'écrivain Maurice Magre: entre les femmes, l'opium et l'idéal.

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ローマ大賞作曲部門の発表(アンドレ・ゲラール) (1908.07.04)
(2)パリ旧馬芸館でフォーレの舞台劇「プロメテウス」再演 (1907.12.05)
(3)オランジュ野外劇場でソフォクレスの『アンティゴネ』再演(付帯音楽:サン=サーンス)(1909.08.08)
(4)ベジエの古代野外劇場での『第一の剣』初演(1908.08.30)
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by utsushihara | 2009-08-30 23:06 | オペラ、音楽、演劇1909-10

飛行機のゴードン=ベネット杯は米国人グレン・カーチス

1909年8月28日(土)f0028703_2251273.jpg

ベテニーの大航空週間の会期はあと2日のみとなった。天候は晴れ、風力はゼロという絶好の飛行日和で、今日は飛行速度を競うゴードン=ベネット杯は、5km離れた2つの標柱間を1度周回する10kmと2度周回する20kmの最速記録を測るものである。
午前中に若手米国人飛行家グレン・カーチスが20kmで15分50秒を出し、ブレリオ、ルフェーヴル、ラタム、ランベール、ポーランなどが夕暮れまで記録に挑戦した。
公式発表でのゴードン=ベネット杯の結果は下記の通りとなった。
優勝はグレン・カーチス(Glenn H. Curtiss):10km=7分53秒2; 20km=15分50秒6
賞金2万5千フラン。
2位 ルイ・ブレリオ(Louis Blériot):10km=7分53秒2;  20km=15分56秒6
3位 ユベール・ラタム(Hubert Latham):10km=8分51秒; 20km=17分32秒
4位 ルフェーヴル(Lefebvre):10km=9分45秒8; 20km=20分47秒6

f0028703_22515695.jpgこの発表があった後、午後7時頃にブレリオは記録の更新を諦めきれず、飛び立った。ファルマン、ポーランなども暗闇が迫る中を続いた。(←)ブレリオはこの結果、10kmを7分47秒8で飛び、ついに世界新記録を達成した。もはや「根性」以外の何ものでもない。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618730 « Le Petit journal » No.17047, le 29 Août, 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5525296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
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by utsushihara | 2009-08-29 22:50 | スポーツ、乗物、探検1909-10

サン=ワンドリルの修道院で一度だけの「マクベス」公演

1909年8月28日(土)f0028703_239298.jpg

(8月15日付の「フィガロ」紙の記事より)
セーヌ=マリティム県のサン=ワンドリル(Saint-Wandrille)にある古い修道院で、8月28日特別の許可のもとに芸術的公演がおこなわれる。演目はシェークスピア原作の『マクベス』をベルギーの大作家モーリス・メーテルランク氏が新たに自分の言葉で書き直したものであり、修道院の建物を舞台にたった一度だけの公演という前例のないものとなっている。
観客たちは劇の進行に伴い、広間から広間へ、中庭から前庭へと移動して歩き、それぞれの場面を目の当たりにする。ジョルジェット・ルブラン女史は威厳をもって主役をつとめる。彼女は即席の縫製室でかなり奇妙な衣裳を作らせているが、それは彼女がバイユーにあるマチルド王妃の刺繍をもとに考えたものだという。
人々は情熱をもって準備を進めている。「マクベス」に登場する主要人物たちはすでに現地に到着しており、毎日の稽古では場面を移動しながらシェークスピアの英雄たちの古い魂を追いかけている。その他の人物たちとしては地元の人々が非常に知的好奇心をあらわに協力している。
f0028703_2395169.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288551 « Le Figaro » No.227; le 15 Août, 1909
画像 Crédit photographique : © Ministère de la Culture - Médiathèque du Patrimoine, Dist. RMN / Médéric Mieusement / Cote cliché : 09-508911 / Fonds : Photographies / Titre : Cloître de l'abbaye Saint-Wandrille (Seine-Maritime), vers 1880 / Auteur : Mieusement Médéric (1840-1905)
画像 Crédit photographique : © RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 00-021521 / Fonds : Photographies / Titre : Georgette Leblanc-Maeterlinck, artiste / Description : Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Auteur : Manuel Henri (1874-1947) / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]f0028703_23101793.jpg
モーリス・メーテルランク(Maurice Maeterlinck, 1862-1949)はこの年の1月にもオペラ座で『モンナ・ヴァンナ』初演し、成功している。ジョルジェット・ルブラン=メーテルランク(Georgette Leblanc-Maeterlinck, 1875-1941)はルパン作家モーリス・ルブランの実妹で、メーテルランクの実質的な配偶者であった。人を驚かせる奇抜な言動で知られた。

*参考サイト:St-Wandrille.com(仏語)Vie monastique
**これまでの関連記事france100.exblog:オペラ座で『モンナ・ヴァンナ』初演(1909.01.13)
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by utsushihara | 2009-08-28 23:08 | オペラ、音楽、演劇1909-10

最長距離記録大賞は最終日にアンリ・ファルマンが獲得

1909年8月27日(金)f0028703_16242955.jpg

水曜日(25日)にポーランはロジェ・ソメの記録を破った。昨日(26日)ラタムはポーランの記録を破った。そして今日(27日)ファルマンがラタムの記録を破ったのだ。ファルマンはシャンパーニュ大賞(Le Grand Prix de Champagne)を獲得したが、多くの飛行家に羨まれる大賞にふさわしく、素晴しい飛行で偉業を達成した。記録は公式には、180kmの距離を3時間4分56秒4で飛んだとされたが、実際には190km以上の距離をそれ以上の時間をかけて飛んだのだった。(→)右は操縦席のファルマン。

シャンパーニュ地方とランス市が冠した大賞の長距離飛行競技は今日最終日を迎えた。優勝者への賞金は5万フランであり、それに続く5人の競争者にも、2位は2万5千、3位は1万、4位から6位までは各5千フラン分け与えられることになっており、総額で10万フランとなる。前日までの成績では、ラタムが世界新記録の154.5kmで優位に立ち、ポーラン(131km)、ランベール(116km)、カーチス(30km)、ルフェーヴル(21km)と続いていた。

この日は朝6時にソメが飛んで45分間の記録だったのをはじめ、多くの飛行家たちが最後の挑戦を試みた。特に熱心だったのはルイ・ポーランである。彼は燃料切れで記録を思うままに伸ばせなかったことを悔み、機体に新たに95ℓの補助タンクを付けて飛ぶことにした。1度目は10:36出発で6kmしか飛べず、2度目は11:06出発で11分間余りしか続かなかった。彼の複葉機は追加した燃料タンクの重みで十分な揚力が得られないのではないかと考えられた。
この間、英雄ルイ・ブレリオも大賞に挑戦した。彼の単葉機23号(50馬力)で11:35に飛び立ったが、30分間の飛行に終わった。
f0028703_1623316.jpgポーランは3度目12:18「エンジン発進、離陸!」と気合を入れて叫びながら出発した。しかし離陸の途中で強い横風に煽られ、機体を立て直す高度もなく、左翼から地面に落ちた。彼は無事だったが機体は半壊し、今日はこれ以上の飛行は不可能となった。(↑)
建設相のミルラン氏がベテニー会場の視察に訪れ、今日の長距離飛行の最終日の様子を見守った。

そして夕方遅くなって16:45にアンリ・ファルマンがソメとラタムとともに3機で飛び始めた。好記録を出すには日没後暗くなって着陸するのを覚悟してのことだった。ソメは早々に断念し、ラタムも110kmを1時間38分5秒2で飛んだ後、飛行を終えた。
ファルマンは飛び続けた。安定した飛行で131kmのポーランの記録にほとんど追いつき、さらに記録を更新する可能性があった。観衆や報道陣の双眼鏡は平原に釘づけとなった。すぐに夕闇が立ちこめ、地上に近い低さで飛び続けるファルマンの機体はそれほどはっきり見分けにくくなった。あるときは視界から消えたように思えた。人々は目を凝らし音で予測した。そして彼が160kmを超えて飛行を続けるのを認めた。ついに180kmを3時間4分56秒4でクリアした。真っ暗闇になった。飛行機の姿は報道関係の記者席の上に点灯していた強力な探照灯によってしか見えなくなった。記録員たちはこれ以上の距離計測が不可能になったと宣告した。彼らは時間の計測もあきらめた。このためファルマンの最後の周回距離は加算されなかった。しかし少なくとも彼が190kmを飛んだことは間違いなかった。
f0028703_16251711.jpgこうして彼は長距離飛行の新記録(180km)とともに大賞(Grand Prix de la Distance)を獲得した。そして長時間飛行記録(3時間4分56秒4)の更新も達成したのである。


出典Crédit:©BNF-Gallica #618729 « Le Petit journal » No.17046, le 28 Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)毎日の記録更新―今度はユベール・ラタムの最長距離飛行記録(1909.08.26)
(2)アンリ・ファルマンが飛行大賞を獲得(1908.01.13)
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by utsushihara | 2009-08-27 16:20 | スポーツ、乗物、探検1909-10

毎日の記録更新―今度はユベール・ラタムの最長距離飛行記録

1909年8月26日(木)f0028703_2382056.jpg

競争心は感嘆すべきものだ。シャンパーニュ平原の大航空週間では大記録が生み出され、そしてさらにそれが次々と塗り替えられている。ここ数日のあいだポーランは祭典の一番の人気者だったが、今日図らずもその座をユベール・ラタムに譲ることとなった。
ラタムは午前中にアントワネット13号の単葉機に乗り、補助翼を駆使した安定的な飛行を見せ、標柱を7周回した。つまり70kmの距離を1時間1分51秒8で飛んだことになる。これはこの機種としては最速記録であり、大いに賞賛を受けた。
午後1時、彼は美しいヘルメットと新しいゴム製の飛行服姿で現われ、今度はアントワネット29号(Antoinette XXIX)の外見が歪んだような単葉機に乗り込んだ。天候はそれまで穏やかに晴れわたっていたのに、急に日が翳り雲が出て、遠くの空で嵐の兆候が見えた。飛行への悪影響が心配されたが、機体は順調に飛び続けた。搭載燃料の重さゆえに高度は地上20m前後を保ち、遠景の黒雲の空に白い機体がはっきり光って見えた。
途中で強い風雨が荒れだした。それでもラタムは飛び続け、15回目の周回を済ませると勢いがついたまま降下し、2号標柱付近の積み藁にプロペラを突っ込んで止まった。機体はわずかに損傷したが、ラタムは無事に降り立った。すぐに迎えの自動車が出向いた。記録は、154.5kmを2時間17分21秒4だった。
昨日のポーランの長距離飛行記録の134.5kmは10km余り更新された。しかし、ポーランの最長時間飛行記録の2時間43分24秒はそのまま残された。
ラタムとルヴァヴァスールは仲間たちから熱狂的な祝福を受け、観衆からも大喝采された。その熱狂や歓声をぬって、新たな記録への挑戦者たちが次々と飛び立っていった。

f0028703_9424087.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #569166 « Le Matin » No.9313 - le 27 Août, 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738268 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.36; 4 Sep. 1909

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ルイ・ポーランによる長時間飛行記録の更新(1909.08.25)
(2)英仏海峡横断初飛行への挑戦(6)ユベール・ラタム2度目の失敗で涙(1909.07.27)
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by utsushihara | 2009-08-26 23:04 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ルイ・ポーランによる長時間飛行記録の更新

1909年8月25日(水)f0028703_224727100.jpg

元飛行船の機関士だったルイ・ポーランは8月25日、自らの複葉機で長時間および長距離飛行の世界新記録を達成した。記録は2時間43分24秒8、距離は134.5kmである。8月7日にロジェ・ソメが出した2時間27分15秒の記録を20日足らずで塗り替えることとなった。

この日は夜明けから雨が降り、風も強く、飛行には適さない日で、休息と機体の手入れや修理のための日と思われた。午前中には、アフリカ視察旅行から帰ったばかりのベルギーのアルベール王太子がエリザベート妃を伴ってベテニー飛行場を訪れ、格納庫ごとに飛行士たちを激励し、熱烈な歓迎を受けた。
午後3時頃になって、それまで激しく降っていた雨が止み、日の光が射すようになったため、飛行士たちは機体を出して飛行競技を開始することとした。ポーランが飛び立つと、ラタム、フルニエ、ドリューなどが続いた。
空はまだ黒く分厚い雲に覆われていたが、所々に青空が見え、虹がかかっていた。ポーランの1回目の飛行は80kmを1時間37分58秒で終えた。ラタムの乗る13号機は強風に煽られ、短い飛行しか出来なかった。ポーランは2度目に飛び立つと、風の影響を受けながらも安定した飛行を続け、たちまち2時間を超える飛行となった。観衆は世界記録の更新を目の当たりにする熱狂を抑えることが出来なくなった。今度はポーランがライトやソメの記録を破ったのだ。彼は134.5kmを飛んだ後、少しの間空中に留まっていた。2時間43分24秒8の新飛行記録は歴史的に書き残されるはずである。
彼はそのあと午後7時半ごろ再び飛行機に乗って観客席の目前に現われ、高度20mの所に設置された提燈を破り、滑空して着陸した。大喝采の歓声が彼を待っていた。
ポーランは語った。「えぇ、もう燃料がなかったので、もっと記録を出せなかったのは仕方がないですね。でなければもっと行けましたよ。もちろん。幸いにもエンジンが調子良く回ってくれたし、僕もうまく操縦できましたね。」
f0028703_941753.jpg勝利者の機体について付け加えれば、複葉機、グノーム社(Gnome)製の7気筒のロータリー・エンジンで出力は7馬力。翼はタイヤと同じコンチネンタル社(Continental)製の帆布が張られている。わが国の産業がフランスの飛行機という新しい科学技術の発展と勝利を作り出したということになる。《もちろん、飛行機にはフランスの空が必要なのだ!》(Pardi, à l’aéroplane, il fallait l’air de France !)

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618727 « Le Petit journal » No.17044, le 26 Août, 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738268 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.36; 4 Sep. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ルイ・ポーラン(Louis Paulhan, 1883-1963)

*参考サイト:Wikipedia(英文)Louis Paulhan
**これまでの関連記事france100.exblog:ロジェ・ソメの長時間飛行の世界新記録(1909.08.07)
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by utsushihara | 2009-08-25 22:46 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ランス郊外ベテニーでの大航空祭の盛上がり

1909年8月24日(火)
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ランス近郊のベテニー(Bétheny)で開かれた大航空祭は、国家的な行事と呼べるほどの大盛会となった。8月24日には、ファリエール大統領夫妻をはじめ、ブリアン首相、ミルラン建設相、軍事相ブリュン将軍などの政府要人と、英軍使節団長のフレンチ将軍などが次々と飛び立つ飛行機を貴賓席から見守った。英国政府からは大蔵卿(chancelier de l’Echiquier d’Angleterre)のノースクリフ卿(Lord Northcliffe)と財務大臣のロイド・ジョージ氏(Lloyd George)も来場し、フランス人飛行家たちが次々に見せる素晴しい飛行をして「仏国の航空技術がはるかに英国を上回っていることを認めざるを得ない」と言わしめた。
この行事の一週間を通してあふれんばかりの来場者があり、いかにこの新スポーツの未来に多くの人々が期待を抱いているかを如実に示している。
この日はフェルベ大尉(Ferber)の試験飛行の数々が特筆すべきものであった。
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出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.9; Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738615,#5738268 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.35-36; 28 Août-4 Sep. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
(↑)貴賓席の最前列に左から、軍事相ブリュン将軍、英軍フレンチ将軍、ファリエール夫人、大統領、ブリアン首相、ミルラン建設相が並ぶ。

**これまでの関連記事france100.exblog:大航空週間の開幕(1909.08.20)
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by utsushihara | 2009-08-24 18:35 | 科学、軍事、海事1909-10

飛行船《バヤール=クレマン》号の墜落

1909年8月23日(月)

飛行船《バヤール=クレマン》(Bayard-Clément)号はこれまでしばしばパリの上空を飛行するのが見られたが、23日の朝、原因不明の事故によりセーヌ川に墜落した。飛行船には3人搭乗しており、3人とも泳いで無事に救出され、また機体の全壊は免れた。損傷はかなり重大であったが修復可能の範囲にとどまった。
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《バヤール=クレマン》号は半月ほど前にロシア政府に譲渡が決まっていた。その最終的な引渡しの前にいくつかの条件を満たす必要があった。飛行船がある高度を保って飛行することもそのチェック・ポイントの一つであり、少なくとも高度1200m以上のところを十分な時間安定して航行しなければならない。この確認作業を実施するために早朝、ロシア使節団代表のナッシュ大佐がサルトルーヴィルの飛行船基地を訪れた。
午前6時半に《バヤール=クレマン》号は格納庫を出た。天候は晴れ、すべての望ましい条件を満たすには絶好の日であった。操縦士としてよく知られたカパッツァ氏が機体を操縦し、ナッシュ大佐と機関士のディラセ氏が乗り込んだ。出航前の点検後、飛行船は優美にそしてかろやかに青空に浮かび上がった。それからいきなり1500mの高さまで上昇し、その高度を安定させるのに成功した。
飛行船は2時間以上のあいだ、高度を1300m以下に下がることなくとても安定して航行を続け、操縦士の手のままに忠実に従った。《バヤール=クレマン》号は初めのうちはメゾン=ラフィット(Maisons-Laffitte)付近の上空を飛んでいたが、それからウィユ(Houilles)やヌィイ(Neuilly)をかすめ、クレマン社の工場の敷地の上で何回か旋回してみせた。こうして確認飛行は非常に満足すべき結果で終わろうとしていた。午前9時頃、飛行船は着陸のため出発地点へ戻った。
しかしながらその時突如、大気の状態が急変した。暴力的な風が地上から吹き上げ、降下した飛行船を繋ぎとめる艫綱を引く役割の20人ほどの兵士はうまく引き止めることができなかった。何度かの試みの後、突風に煽られた飛行船は地面すれすれにセーヌ川に向かって飛び、中洲に不時着を試みる前に水面に着水した。3人の乗組員はゴンドラが川に落ちると同時に脱出した。幸いにも川岸からは7~8mのところであり、泳ぎの巧みなカパッツァ氏とディラセ氏がナッシュ大佐を助けながら無事岸へと泳ぎ着いた。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.8; Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618725 « Le Petit journal » No.17042, le 24 Août, 1909

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(←)ルイ・カパッツァ(Louis Capazza, 1862-1928)はコルシカ島のバスティア出身の飛行家。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)フランス飛行クラブの夜会(1908.06.10)
(2)イタリア軍の新型秘密飛行船(1908.08.16)
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by utsushihara | 2009-08-23 09:12 | スポーツ、乗物、探検1909-10