フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

プロフィールを見る
画像一覧

検索

カテゴリ

フランス社会政経1909-10
フランス政治社会1907-08
オペラ、音楽、演劇1909-10
オペラ、音楽、演劇1907-08
美術、彫刻1909-10
美術、彫刻1907-08
文芸、評論1909-10
文芸、評論1907-08
科学、軍事、海事1909-10
科学、軍事、海事1907-08
★ベルエポック事件簿1909
★ベルエポック事件簿1908
スポーツ、乗物、探検1909-10
スポーツ、乗物、探検1907-08
※百年前の広告
独墺バルカン情勢1909-10
独墺バルカン情勢1907-08
モロッコ問題、アフリカ1909-10
モロッコ問題、アフリカ1907-08
日本・東洋事情1909-10
日本・東洋事情1907-08
ロシア帝政末期1907-10
各国事情1909-10
各国事情1907-08
フランス政治社会1905-06
オペラ、音楽、演劇1905-06
★ベルエポック事件簿1910
美術、彫刻1905-06
文芸、評論1905-06
科学、軍事、海事1905-06
スポーツ、乗物、探検1905-06
モロッコ問題、アフリカ1905-06
ドイツ情勢1905-06
ロシア帝政末期1905-06
日露戦争、東洋事情1905-06
各国事情1905-06

タグ

(24)
(24)
(22)
(19)
(14)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)

最新のトラックバック

一枚の絵 シャバ「九月の朝」
from 壺中山紫庵
オペラ「フォルテュニオ」
from のんのつれづれなるままに
四月の魚
from ブラッケン・ダーキンの肖像
大統領の恥ずかしいような..
from パリノルール blog
ルルー『黄色い部屋の謎』
from Proust+ プルースト・..
11. 異邦人"シャルル..
from サン=サーンスの墓
フロラン・シュミット
from サン=サーンスの墓
ポール・デュカス
from サン=サーンスの墓
鼻の整形術 美しいスマー..
from 鼻の整形術 美しいスマートな華に
タロー兄弟と、コクトーの..
from 発見記録

以前の記事

2011年 03月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月

人気ジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
語学

画像一覧

<   2009年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧

モーツァルトの『魔笛』の再演

f0028703_1856299.jpg1909年5月31日(月)

モーツァルトの幻想的な素晴しいオペラ『魔笛』がオペラ・コミック座で5月31日から再演された。この傑作オペラの初演は1791年9月にウィーンで行なわれたが、パリの聴衆は1865年にニュイテルとボーモンによる脚色によるテアトル・リリクでの公演によってようやく知りえたのである。今回は、ポール・フェリエ、アレクサンドル・ビッソン両氏による新校訂のフランス語版台本であり、マルグリット・カレ女史(Marguerite Carré, 1881-1947)のパミーナ、エドモン・クレマン氏(Edmond Clément, 1867-1928)のタミーノ、リュシアン・フュジェール氏(Lucien Fugère, 1848-1935)のパパゲーノ、リュセット・コルソフ嬢(Lucette Korsoff, 1876-1955)の夜の女王、ジュスト・ニヴェット氏(Juste Nivette, 1865-19xx)のザラストロという配役で大きな評判を呼んでいる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909f0028703_18562668.jpg
画像 Crédit photographique : ©BNF-Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France
La flûte enchantée : esquisse de décor de l'acte II, tableau 2 / Philippe Chaperon / mise en scène de Léon Carvalho. - Paris : Théâtre-Lyrique, 1865

[ Ψ 蛇足 ]
(↑)画像は1865年のパリ初演時の舞台装置(フィリップ・シャプロン画)とパパゲーノで当たり役を取ったバリトン歌手のリュシアン・フュジェール(→)である。
この時、新聞「フィガロ」紙の劇評欄でガブリエル・フォーレが少々辛口の評論を書いている。時間があれば紹介したいところである。
[PR]
by utsushihara | 2009-05-31 18:55 | オペラ、音楽、演劇1909-10

アルルで詩人ミストラル祭

1909年5月30日(日)f0028703_2230574.jpg

5月30日のアルルは町全体が祝祭気分にあふれた。前日29日にはアルラタン博物館(Muséon Arlaten)の落成式があった。これは詩人のミストラルが1904年のノーベル文学賞で受け取った賞金でこの建物を買い、博物館としてアルル市のために寄贈したのである。
f0028703_2231034.jpg次の日には大詩人ミストラルの等身大の彫像の落成式が行なわれた。(画像→)これに対してはミストラル本人が長い間拒絶していたのだが、この機会に容認することとなった。式典には、文部次官デュジャルダン=ボーメツ氏、アカデミー会員メルシオール・ド・ヴォゲ氏、ジョルジュ・ルコント氏、カンタキュゼーヌ公らが代わる代わる祝辞を述べ、次いでノアイユ伯爵夫人がミストラルの詩を朗読した。そして政府を代表してシャルル・ルー氏が詩人にレジオン・ドヌール三等勲章を授与した。アルルの古代闘技場では熱狂した大観衆を前に彼の代表作『ミレイユ』の素晴しい公演がおこなわれた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909
画像 Crédit photographique : ©BNF-Gallica #5526277 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.24; 12 Juin, 1909

f0028703_10492237.jpg[ Ψ 蛇足 ]
フレデリック・ミストラル(Frédéric Mistral, 1830-1914)は南仏の誇る大詩人である。地方言語であるプロヴァンス語を南仏文化の根柱とみなし、その言語による文学活動を続けた。代表作に詩篇『ミレイユ』(Mireille)などがあり、1904年にノーベル文学賞を受賞した。

(←)画像は「ルヴュ・エプドマデール」掲載のノアイユ伯爵夫人(La comtesse Anna de Noailles, 1876-1933)の祝辞と詩の朗読。


『ミレイユ』(Mireille)は、原典のプロヴァンス語では「ミレイオ」(Mireio)となっている。ミストラル自身がフランス語版に書き直して出したこともあり、フランス人全体に親しまれる現代古典となったようだ。1859年に発表されてからこの1909年がちょうど50周年になっていた。
作曲家のグノーもこの詩物語にもとづいた5幕オペラ「ミレイユ」(Mireille, 1864)を作っている。フランスでは今でもしばしば演目として上がることが多い。南仏の風物詩を感じさせる点では「アルルの女」に通じるものがある。

*参考サイト:
(1)アルラタン博物館(Muséon Arlaten)(仏語)南仏アルルの郷土・民芸の博物館
(2)Vox 空と海の祭歌 :『プロヴァンスの少女(ミレイユ)』 ミストラル作
[PR]
by utsushihara | 2009-05-30 22:29 | 文芸、評論1909-10

新旧日本の徳川公2人

f0028703_2219561.jpg1909年5月

(←)左掲の2人の肖像に古い時代の日本と新しい時代の日本を代弁することができる。右の徳川慶喜公(Le prince Keiki Tokugawa, 1837-1913)は、何世紀にもわたって日本の天皇の権限を簒奪した将軍たちの最後の人であった。彼はその失墜以来、完全に孤立して生きている。左の徳川家達公(Le prince Jetatsu Tokugawa, 1863-1940)はその息子で最近、貴族院議長に選出された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
徳川家の旧将軍家の15代、16代の当主をフランスの雑誌で写真入で紹介した記事である。名前の呼び方が正式なものではない(けいき)、(いえたつ)と表記している。一般人から聞いた情報だからかもしれない。またこの2人は親子関係ではない。詳しくは日本史関係のサイト等を参照されたい。

*参考サイト:
(1)歴史研究所:日本史:徳川将軍十五代
十五代将軍 徳川慶喜
十六代宗家当主 徳川家達
(2)国立国会図書館:近代日本人の肖像:
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
徳川家達(とくがわ いえさと)
[PR]
by utsushihara | 2009-05-29 22:18 | 日本・東洋事情1909-10

1909年春のサロン展(8)『市場を終えて(ソローニュ)』

1909年5月f0028703_1751116.jpg

当「ジュセトゥ」誌の協力者でもあるオクターヴ・ギヨネ氏の大作『市場を終えて』は、単純な構図ながらも日の光をいっぱいに浴びた、生き生きとした農民の生活風景を描き、サロンでの成功作の一つとされている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.53; Juin, 1909
画像 Crédit photographique : © ADAGP Droits RMN / Cote cliché : 99-009171 / Titre : Fin de marché, Sologne (exposé au Salon des Artistes Français de 1909) / Auteur : Octave Denis Victor Guillonnet (1872-1967) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona

f0028703_17512361.jpg[ Ψ 蛇足 ]
オクターヴ・ギヨネ(Octave Guillonnet, 1872-1967)は主に南仏で活躍した画家である。ドーデの『アルルの女』の挿絵など、書籍や雑誌の挿絵も多い。このサロン出展作は写真画像しか残っていないようだが、RMN画像とBNFの雑誌画像との微妙なニュアンスの違いで細部が浮き出して見えてくる。帰途を急ぐ農婦の動きに力学的なベクトルを感じる。
[PR]
by utsushihara | 2009-05-27 17:49 | 美術、彫刻1909-10

英国競馬エプソム・ダービーで国王の持ち馬ミノル号優勝

1909年5月26日(水)f0028703_18441652.jpg

英国のエプソム・ダービーは5月26日開催された。国王所有のミノル号(Minoru)が鼻の差でルーヴィエ号(Louviers)を押さえて優勝した。円内の写真は国王エドワード7世御みずから馬を計量に連れていく姿である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
馬の名前が「ミノル」(Minoru)というので、これはきっと何か日本語と由来があるに違いないと思った。下記の英文ウィキでは立派な血統のサラブレッドとしか書いていない。それに唯一リンクのある和文ウィキで見てやっとそれらしい情報があった。それは当時100m走で世界最速記録を出した藤井実(みのる)から採ったらしいという。瞬間的であっても世界陸上史上、日本人が最速記録を出していたとは驚きである。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Minoru (horse)
(2)コトバンク Kotobank(藤井実)
[PR]
by utsushihara | 2009-05-26 18:38 | スポーツ、乗物、探検1909-10

バガテル庭園の城館で「女性の肖像画百選展」

1909年5月15日(土)~
f0028703_23551520.jpg
(3月4日付の「フィガロ」紙の記事から)
全国美術協会は来たる5月に4回目となる「三つの共和制における女性の肖像画百選展」(Une exposition des cent portraits de femmes sous les trois Républiques)開催のため、ブローニュの森にあるバガテル庭園の城館の使用許可をパリ市当局から正式に認可された。期間は5月15日から7月15日までの2ヶ月間である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288385 « Le Figaro » le 4 Mars, 1909
画像 Crédit photographique : ©BNF-Gallica #5738260 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.22; 29 Mai, 1909
画像 Crédit photographique : ©BNF-Gallica #5738571 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.24; 12 Juin, 1909
画像 Crédit photographique : © The Metropolitan Museum of Art, Dist. RMN / image of the MMA / Cote cliché : 08-510966 / Description : Madame Grand (Catherine Noele Worlée, 1762-1835), plus tard madame Talleyrand-Périgord, princesse de Bénévent / Auteur : Elisabeth Louise Vigée-Le Brun (1755-1842) / Localisation : Etats-Unis, New-York, The Metropolitan Museum of Art

[ Ψ 蛇足 ]
ここに書かれている三つの共和制とは、フランス大革命時の第一共和制、ルイ=フィリップの第二共和制、普仏戦争後の第三共和制を指す。しかしながらその間にはナポレオンの第一帝政、王政復古、ナポレオン三世の第二帝政が挟まれており、画家の制作活動で共和制時代のみに限定するのは実質的に不可能で、結局19世紀をはさんだ120年間における「女性肖像画の回顧展」であった。当然ながら王侯貴族の婦女子、貴婦人のものが多いのと、どうしても美貌を描いたものが注目されることになる。モデルの個性や全人格が滲み出る描写力こそ本来の芸術家の才能だろうが、「美人に描いてね」という暗黙の注文を無視することもお抱え画家としては困難だったのではなかろうか。
このときの雑誌「ジュセトゥ」や「ルヴュ・エプドマデール」の紹介記事にもやはり美人画の掲載が多い。その中からさらに個人的な興味に従って3点をここに挙げた。f0028703_2356898.jpg

(↑)最初は、王妃マリー=アントワネットの画家として知られたエリザベート・ヴィジェ=ルブラン(Elisabeth Louise Vigée-Lebrun, 1755-1842) 作の「タレイラン夫人」(Mme de Talleyrand, 1783)。彼女の描く女性にはつねに愛らしさが滲み出る。

(→)次に惹かれたのは、とても珍しい「エギヨン公爵夫人」(Mme la duchesse d’Aiguillon, 1791)の肖像画である。大革命直前のブルボン朝宮廷で勢力を誇っていたルイ15世の愛妾デュバリー夫人(Mme la comtesse Dubarry, 1744-1793)とともに、宮中の女官たちを取り仕切っていた人物ではないかと思われる。この人物のことは、フランスに輿入れしたばかりのマリー=アントワネットが「宮廷デビュー」するときに一目置いたことでも知られる。これまで肖像画が《不思議と》見当たらないのと、その経歴もまだよく調べがついていない。作者はヴィジェ=ルブランと同時代の女流画家アデライド・ラビル=ギアール(Adélaïde Labille-Guiard, 1749-1803)で、いかにも機知に富んでいそうな女性として描いている。(この展覧会にはデュバリー夫人(ヴィジェ=ルブラン作)も出展されていたが、元来しまりのない表情なのでここには掲載を省いた。)
夫君のエギヨン公爵アルマン=デジレ・ド・ヴィニュロ・デュ・プレシ・ド・リシュリュー(Armand Désiré de Vignerot du Plessis de Richelieu, duc d’Aiguillon, 1761-1800) は大革命が進行する過程で開かれた三部会で貴族の特権を放棄する意見を表明した一人である。

f0028703_23564393.jpg(←)最後はこの時の「ルヴュ・エプドマデール」の第24号の表紙を飾った「マリー・ウォロンゾフ公爵夫人」(Princesse Marie Woronzoff) である。ロシア貴婦人によく見られる「上から見下ろすような目線」に圧倒される。作者は「実物以上に必ず美人に描いてくれる」とその腕前を高く評価され、当時各国の王侯貴族から引っ張りだこだったフランツ=クサヴァー・ウィンターハルター(Franz Xaver Winterhalter, 1806-1873) である。19世紀の中頃、ナポレオン3世の第2帝政時代、ウジェニー皇妃やオーストリアのエリザベート皇妃など、この画家によって絶世の美人画が続々と世に送り出された。
この絵は2003年10月にサザビーの競売に出品されている。(↓)

*参考サイト:
(1)Goo blog中野京子の「花つむひとの部屋」:マリー・アントワネット対デュバリー、女の戦い(世界史レッスン第47回)
(2)Wikipedia(仏語)エギヨン公爵 Armand Desire de Vignerot du Plessis, duc d'Aiguillon
(3)Mutual art com Princesse Marie Woronzoff
[PR]
by utsushihara | 2009-05-25 23:53 | 美術、彫刻1909-10

ジャン・エカールのアカデミー選出祝賀

1909年5月23日(日)f0028703_17501085.jpg

南仏トゥーロン付近のガルド郡の住民は、同郷の作家ジャン・エカールがアカデミー会員に選出されたのを期して、彼の作品の愛好者たちと共に祝賀パレードをとりおこなった。画像(→)は作家の家に向かって行進する人々である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

f0028703_17414693.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(←)ジャン・エカール(Jean Aicard, 1848-1921)は南仏トゥーロン出身の劇作家、小説家、詩人である。南仏の風土・習慣の中で自己形成した心情をその多様な作品の中に表現した。これまで何度かアカデミー会員選挙に立候補者したが、フランソワ・コペーの死去に伴う5月1日の補充選挙で接戦の末、選出された。
詩人のミストラルと異なり、フランス語による創作活動であったが、南仏独特の人間味あふれる作品は、同類のアルフォンス・ドーデに決して引けをとらない人気があった。残念ながら日本への紹介はほとんどされていない。代表作として小説『モール山地のモーラン』(Maurin des Maures, 1908)が有名だが、南仏の険しいモール山地(Les Maures)を根城とする密貿易者で義賊のモーランを主人公とする連作短篇であり、フランスでは連続TVドラマ化されたこともある。(「怪傑ゾロ」の南仏版に近いかもしれない)

**これまでの関連記事france100.exblog:詩劇「王様のマント」(1907.10.22)
[PR]
by utsushihara | 2009-05-24 17:39 | 文芸、評論1909-10

コンピエーニュでのジャンヌ・ダルク祭

1909年5月23日(日)f0028703_18163960.jpg

コンピエーニュ市長のフルニエ=サルロヴェーズ氏とその近在の貴族階級の面々はジャンヌ・ダルクの列福を祝賀する独創的で芸術的な祝祭を開いた。催事は5月23日と翌週30日の2回にわたって行なわれ、大きな評判を呼び起こした。最大の呼び物は騎馬槍試合であり、30日にも再度行なわれる。(画像→)

このコンピエーニュの祭典におけるジャンヌ・ダルクの役はド・バィヤンクール=クールコル嬢がつとめ、真面目で魅力的なジャンヌを彷彿させ、一方の若きシャルル7世王の役はジュミヤック子爵が扮した。また軍の総大将はクレルモン=トネール伯爵(le comte de Clermont-Tonnerre)、旗手はケルガリュー氏、騎馬試合の両軍の大将は、コセ=ブリサック伯爵(le comte de Cossé-Brissac)とラ・ロシュフコー伯爵(le comte de La Rochefoucauld)が扮した。(↓画像)f0028703_18252742.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909
画像 Crédit photographique : ©BNF-Gallica #5526276 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.23; 05 Juin, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
コンピエーニュ(Compiègne)は、ジャンヌ・ダルクが最後に戦って捕虜となった土地である。悲運の女英雄は、周囲の無理解・非協力によってその短い生涯を終えたのだと思うと(歴女ならずとも)悔しさで涙が出そうになる。

*参考サイト:goo blog「ヨーロッパの限りない大地」:フランス物語;コンピエーニュに対峙するジャンヌ・ダルク
**これまでの関連記事france100.exblog:オルレアンのジャンヌ・ダルク祭(1909.05.07)
[PR]
by utsushihara | 2009-05-23 18:15 | フランス社会政経1909-10

1909年春のサロン展(7)『お茶の時間』(Le Thé)

1909年5月
f0028703_1562717.jpg
独自性あふれる白色の色調の中にこのベルギー出身の画家は鏡の反映の面白い戯れと動きを巧みに表わしている。(画像→)

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.52; Mai, 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 97-008695 / Titre : Le Thé (exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1909) / Auteur : Josef Leempoels (1867-1935) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona

[ Ψ 蛇足 ]
ブリュッセル生まれのジョゼフ・レームポエルス(Josef Leempoels, 1867-1935)の絵には、写実的な伝統描法を残したままで、ヴィヤール(Edouard Vuillard, 1868-1940)らの20世紀初頭の家庭風景を描きアンティミテ(Intimité)と称された画家たちに通じる時代の空気を感じることができる。

f0028703_1565531.jpg(←画像)メーニャンとバシェの弟子であるジャン=ルイ=マリー・ベドレズ(Jean Louis Marie Bedorez, 18xx-19xx)の出展作『帽子屋の女工たち』(Modistes)も同様で、こちらは女性たちの社会で働く場が着々と認められて来た時代の勢いがある。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.53; Juin, 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 97-005668 / Titre : Modistes (exposé au Salon des Artistes Français de 1909) / Auteur : Jean Louis Marie Bedorez (18xx-19xx) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona
[PR]
by utsushihara | 2009-05-22 15:05 | 美術、彫刻1909-10

パリの犬(イヌ)品評会

1909年5月20日(木)f0028703_16144910.jpg

5月20日ファリエール大統領は、チュイルリ公園のオランジュリー・テラスでイヌ品評会の開会式をおこなった。そのあと大統領は、手柄を上げ続ける優秀な警察犬の演技を観覧した。今年もっとも人気の高い犬種を列挙すれば、スコッチ・テリア(Scotch-terrier)、フォックス・ブルドッグ(Fox-bull-dog)、ポメラニアン(Loulou de Poméranie)、鼻の尖った黄褐色で絹のような尻尾のコリー(Colley)、頭が細長く快活で動きのしなやかなキング・チャールズ(King-Charles)またはグリフォン(Griffon)、脚の短い小型スパニエルのクッカー(Cooker)、そして最も引っ張りだこのイヌは、黒と炎褐色の硬い毛のダックスフント(Tekel)となっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909
出典Crédit photographique : ©BNF-Gallica #55256245 « Touche à tout » No.6; Juin, 1909

f0028703_1619342.jpg[ Ψ 蛇足 ]
イヌ品評会(Exposition canine)は、今風に言えばドッグショーだろう。フランス語の「犬」は « chien » だが、「犬の」という場合にはラテン語系の « canin(e) » を使うことを知った。これで連想するのは、ポンペイ遺跡観光で紹介される「猛犬注意」の見事なモザイク画である。そこにはラテン語(古代ローマ語?)で « Cave canem »(犬に注意)と書かれている。

*参考サイト:Chien.wikibis.com(仏語)Cave canem

「猛犬注意」はフランス語を学ぶうえでも覚えやすい語句で ”Attention, chien méchant ! “ つまり「性悪な犬に注意」と直訳してみてなるほど、となる。百年前のパリでも犬は大きなブームであったようで、様々な犬種が取引されていたようだ。「テケル」(Tekel)が「ダックスフント」のこととはまったく知らなかった。

ついでにパロディ絵本の話題: 『三匹の子オオカミと大きな恐いブタ』(Les trois petits loups et le grand méchant cochon)を amazon.fr で見かけた。「猛豚」(méchant cochon)とは猪八戒のような暴れん坊なのだろうか? 関連図書にある『三匹の子ブタ事件の真相』(La Vérité sur l'affaire des trois petits cochons)も民俗学的には面白そうだが…
*参考サイト:amazon.fr(仏語)Les trois petits loups et le grand méchant cochon
[PR]
by utsushihara | 2009-05-21 16:11 | フランス社会政経1909-10