フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ピカビアの個展~ジョルジュ・プティ画廊にて

1909年3月31日(水)

セーズ街8番地のジョルジュ・プティ画廊で開かれているフランシス・ピカビア氏の風景画、静物画、装飾画の個展は本日が最終日となる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288412 « Le Figaro » le 31 Mars, 1909
画像 Crédit photographique : © ADAGP / Collection Centre Pompidou, Dist. RMN / Georges Meguerditchian / Titre : Nature morte (vers 1909) / Auteur : Francis Picabia (1879-1953) / Localisation : Paris, Musée national d'Art moderne - Centre Georges Pompidou / Acquisition : Legs de Lucienne Rosenberg en 1995

(「フィガロ」紙3月8日付の記事から)
本日ドゥルーオ会館の6号室においてこの2日間展示されてきたピカビアの絵画の競売がある。競りの担当はレール=デュブルィユ氏、鑑定人はレオン・ジェラール、ダントン両氏となっている。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288389 « Le Figaro » le 8 Mars, 1909

(「フィガロ」紙1月29日付の記事から)
ピカビア氏の個展はすでに3月後半の15日間ジョルジュ・プティ画廊という予定であったが、2ヶ月あとの5月17日から30日に延期される見込みである。これはこのよく知られた画家ピカビア氏自身の婚礼という祝事によるためである。(**)
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288351 « Le Figaro » le 29 Jan. 1909
(**実際は当初の予定通り、個展が開催された)


f0028703_17424642.jpg[ Ψ 蛇足 ]
若き日のフランシス・ピカビア(Francis Picabia, 1879-1953)の個展の記事があったので紹介した。この時、彼は30歳、若くして才能がすでに高く評価されていたことがわかる。ジョルジュ・プティ画廊(Galerie Georges Petit)は有名画廊の一つで、マドレーヌ寺院の近くに位置する。この個展は3月下旬の10日間以上開かれており、開催中フィガロ紙には広告記事のように何度か紹介されていた。
ピカビアはその時期によって大きく画風を変えた人として知られるが、この時期はまだ活動初期で、印象派の流れを受け継ぐ画家として人気を確立していただけである。上掲(↑)の「静物」(Nature morte)はこの年頃制作のグァッシュ作品で、引用範囲としての画像紹介にとどめた。一見セザンヌ風でありながら不思議な魅力に惹かれる。
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by utsushihara | 2009-03-31 17:41 | 美術、彫刻1909-10

巨大なアルゼンチン独立記念碑の制作

f0028703_22173775.jpg1909年3月

1810年5月の南米アルゼンチン共和国の独立からまもなく百周年となるのを祝して、巨大な記念碑の建造が計画されている。そのコンクールに応募したフランスとドイツの制作者の作品が同順位の1位として選考委員会から紹介された。掲載したのは我がフランスの建築家シェダンヌと彫刻家ガスクによる記念碑の雛形である。
f0028703_22175353.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909
画像 Crédit photographique :©BNF-Gallica #55256243 « Touche à tout » No.4; Avr. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ジョルジュ・シェダンヌ(Georges Chedanne, 1861-1940)は建築家であり、パリの代表的なデパート、ギャルリ・ラファイエットの建築を手がけた。
ポール・ガスク(Paul Gasq, 1860-1944)は彫刻家として知られる。
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by utsushihara | 2009-03-30 22:15 | 美術、彫刻1909-10

重労働下の音楽家たち

1909年3月27日(土)~28日(日)

今夜27日、オペラ座ではワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の全曲公演がある。出演者は、ローズ・フェアール嬢、フランシスク・デルマ氏、ジャンヌ・アット嬢、ゴダール氏、ジュルネ氏などである。
当初ヒロインのブリュンヒルデを歌う予定だったリュシエンヌ・ブレヴァル嬢は昨日の夜遅くになって、マスネの歌劇『バッカス』の稽古のあとで疲れが出たため、『ワルキューレ』には出演できない旨を知らせてきた。
今夜、再演が開始される『ワルキューレ』ではローズ・フェアール嬢がブリュンヒルデを歌うこととなった。彼女は昨年同時期にこの役を歌って成功している。他の8人のワルキューレ(戦死者を運ぶ女神たち)の役は、ラペーレット、ロート=ブリュン、カロ=リュカ、カンプルドン、グランクール、ル・センヌ、ボワイエ・ド・ラフォリ、バウエルの諸嬢が歌う。指揮はアンドレ・メサジェ氏が担当する。

28日午後2時からのパリ音楽院管弦楽団のコンサートは、アンドレ・メサジェ氏の指揮で以下の曲が演奏される。
①ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
 Beethoven : Symphonie en ut mineur
②無伴奏合唱曲;クレマン・ジャヌカン:「この五月に」、「緑の森で」、「陽気な小さな妖精」
 Choeurs sans accompagnement : Clément Jannequin : « Ce moys de may », « Au verd boys », « Petite nymphe folastre »
③ヴァンサン・ダンディ:シラーによる三部作『ワレンシュタイン』から「陣営」
 Vincent d’Indy : « Wallenstein » trilogie d’après Schiller; « Le Camp »
④バッハ:組曲第2番ロ短調(フルート独奏:アヌバン氏)
 J.S.Bach : Suite en si mineur (flûte solo : M.Hennebains)
⑤ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「前奏曲」と「イゾルデの死」(独唱:オペラ座専属ルイーズ・グランジャン嬢) Wagner : «Tristan et Yseult» ; a)Prélude, b)Mort d’Yseult (Mlle Louise Grandjean, de l’Opéra)
⑥ウェーバー:歌劇『オイリアンテ』序曲
 Weber : Ouverture d’ « Euryanthe »

f0028703_16112011.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #618575 «Le Petit journal» No.16892, le 27 Mars, 1909
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
Jean Francois, dit Francisque Delmas, créateur du rôle de Wotan, basse, dans "La Walkyrie"

[ Ψ 蛇足 ]
オペラ座の支配人であるアンドレ・メサジェ(André Messager, 1853-1929)の猛烈な働きぶりが目についたので掲載した。いかに共同支配人の一人だったとは言え、オペラ座の常任指揮者であるとともに毎週日曜日の午後に開かれるパリ音楽院管弦楽団の定期演奏会に出演し続けるのは、55歳の老指揮者にとっては超人的な活躍であるとしか言いようがない。(この時は睡眠時間もままならぬ週末だっただろうと推測する)
この時代はまだ録音装置も開発途上にあって、一般的な普及はまだ先の話であった。音楽は水泡のように現れては消え、もう一度聞き返すには演奏会に通い続けるしかなかった。音楽家もそれに応えるため、肉体労働者のように身体を動かすのが当然であった。
最初の記事中で、ソプラノ歌手のリュシエンヌ・ブレヴァル(Lucienne Bréval, 1869-1935)が「疲労で出られない」と言ってきたことも、音楽家たちにとって苛酷な労働環境の時代だったことを思わせる。
代役となったローズ・フェアール(Rose Féart, 1881-1954)はスイス出身のソプラノ歌手で、そこそこの力量だったらしく、主役を歌う機会も多かった。
(↑)上掲画像は、『ワルキューレ』でウォータン役を歌ったバス歌手のフランシスク・デルマ(Francisque Delmas, 1861-1933)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Francisque Delmas

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ワーグナー没後25周年記念演奏会(1908.02.27)
(2)「ムジカ」最新号(記事広告)(1905.10.25)楽劇「ワルキューレ」でウォータン役のデルマ
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by utsushihara | 2009-03-29 16:09 | オペラ、音楽、演劇1909-10

オワーズ県のボタン工場での22日間スト

1909年3月28日(日)

f0028703_17244168.jpgオワーズ県メリュ市ではボタン工場のストが22日間に及び、3月22日(日)に至って地元民ではない集団によって煽動されたボタン職人たちが革命歌「カルマニョル」を歌い、蛮行狼藉に至った。彼らは機械を壊し、窓や戸を破り、ドンデル氏を始め経営者たちの家を略奪し、スト不参加者たちや管理職者たちに暴行を加えた。軍隊が現場に介入を余儀なくされた。経営者たちの何人かは事業の継続を断念しようとしている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.52; Mai, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
f0028703_1725077.jpgこの年代には、労働争議がますます過激な行動に及ぶニュースが増加してきたように思われる。「カルマニョル」(Carmagnole)は大革命時代に流行したロンド(輪舞)風の歌で気勢を上げるために歌われたらしい。
(↑)画像は「悲惨な22日間」(Vingt-deux jours de misère)のプラカードを掲げるスト参加者と、略奪の後で呆然と自邸のサロンでたたずむドンデル夫妻。(→)
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by utsushihara | 2009-03-28 17:23 | フランス社会政経1909-10

清国の外国視察団

1909年3月f0028703_23492975.jpg

皇族チャオ・イ殿下を団長とする清国の外国視察団は、先進諸国で導入されている財政の仕組みを学ぶ目的で数日間わがフランスを訪れた。彼は欧州風の養育を受けた唯一の皇族であり、フランス語と英語を流暢に話すことができる。彼は随行する数多くの廷臣たちに取り囲まれている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
原文には(Le Prince Chao-Yi)と書かれた人物は画像の中央に座っているが、漢字名も歴史上の人物としても特定できなかった。ちょうど前年11月に清国最後の皇帝(ラスト・エンペラー)宣統帝溥儀(1906-1967)が即位して数ヶ月、2月に満3歳になったばかりの時である。

Wikioediaの中国語版《维基百科》「1909年」の項には、
1909年---派遣内阁大臣至国外考察宪政的可行性
の記述がある。

先代皇帝光緒帝の弟だった第2代醇親王愛新覚羅 載灃(さいほう、1883-1951)は、溥儀の父親でもあり、摂政となっていた。彼が上記の人物かもと思われたが、英文名は(Zaifeng)となって合致しない。清朝の末期でありながら立憲政治の研究は続けようと試みていたようだ。
3月3日付の北京発の記事には、3歳に達した幼い皇帝に読み書きを教える先生を誰にすべきか難航しているとの報がある。
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by utsushihara | 2009-03-27 23:48 | 日本・東洋事情1909-10

英国人芸人クリス・リチャーズの人気

1909年3月27日(土)
f0028703_18295296.jpg
フォリー=ベルジェール座のレヴュは冬から春にかけて大盛況が続いており、出し物は絶えず当世最新の話題を盛り込みながら、観客の興味と笑いを惹きつけるよう作り変えている。昨夜はリシェ街のこの豪華なミュージック・ホールで、少し前からパリ市内で騒がれている「郵便スト」を取り上げた出し物が初めて演じられ、喝采を博した。
また同時に特筆すべきは、比類なきダンスを披露する有名な英国人芸人クリス・リチャーズの滑稽極まる演目である。ここに彼の愉快な戯画を掲載したとおり、その見事な芸に大喜びした観客の賞賛が止むことなく続く人気となっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618575 «Le Petit journal» No.16892, le 27 Mars, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618579 «Le Petit journal» No.16896, le 31 Mars, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
クリス・リチャーズ(Chris Richards)はこの時代のパリのミュージック・ホール、フォリー=ベルジェール座(Folies-Bergère)で大人気だった英国人コメディアン兼ダンサーだったようだ。「ようだ」というのもこの新聞記事の芸能欄以外に英米圏でも、生没年などこの人物の詳細なデータが得られなかったためである。

同時期の人気出し物として記述があるのは、奇術師のホレース・ゴールディン(Horace Goldin, 1873-1939)がアランブラ劇場(Alhambra)で3月末まで演じていたマジック・ショーがある。記事には、「彼はあとしばらくパリには来ませんからお早めに」と書いている。この人物はやがて「箱に入った女性の身体を鋸で切る」(Sawing a woman in half)有名なトリックを発展させる。
*参考サイト:Wikipedia(英文)Sawing a woman in half
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by utsushihara | 2009-03-27 18:28 | オペラ、音楽、演劇1909-10

セルビアの譲歩とジョルジュ王太子の廃嫡

f0028703_16241996.jpg1909年3月25日(木)

f0028703_1625928.jpgオーストリア帝国によるボスニア=ヘルツェゴヴィナ併合に反発し、撤回を要求するセルビアと険悪な状況に鑑み、欧州列国は協調の機会を模索し続けている。全体的には戦争の勃発は回避できるものと確信しているが、しかしそれには相互の譲歩もしくは摩擦なしには済まないのは明らかである。
(←)掲載は盛装したセルビア国王ピエール1世、また元セルビア法相のウェスニッチ氏(→)は、現在王室特命大臣としてフランスに駐在している。

こうした中、世継のジョルジュ王太子が御世話係のコラコヴィッチを殺害したという噂が国内に広がった。公式には確認されないままに彼は殺人者の汚名を嫌って、3月25日、首相のノヴァコヴィッチ氏宛に王位継承権を放棄する文書を送った。これにより1歳年下のアレクサンドル王子が新たな世継とされた。

3月30日、仏、英、独、露、伊、各国の大臣たちはついにセルビアに対する協同歩調を取ることに決め、ベルグラード政府がウィーン政府に宛てて再度文書を送るように勧告し、セルビアがオーストリアと友好関係を保っていくことを望んでいると明言し、召集した予備役をすべて解散し、ボスニア=ヘルツェゴヴィナの併合を容認するというものであった。これは同時にロシア外相イスヴォルスキ氏の政策の失敗を意味し、彼の失職をもたらした。
f0028703_16261662.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51-52; Avr-Mai, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618574 «Le Petit journal» No.16891, le 26 Mars, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
セルビア国王ピエール・カラゲオルゲヴィッチ1世(Pierre Karageorgevitch, 1846-1921)はベルグラード生まれ、若くしてフランスの陸軍士官学校に在籍し、普仏戦争にも従軍した。1903年にピエール1世として即位した。スラブ民族としてゲルマン系のオーストリア、ドイツ帝国からの攻勢に対し、ロシアやフランスとの緊密な連携を保ちながら対抗し続けた。この時もオーストリア・セルビア双方の軍隊の予備行動が見られ、軍事衝突が一触即発の状態までに至っていた。

f0028703_16263817.jpg廃嫡となったジョルジュ王子(Prince Georges, 1887-19xx)は、かねてから無分別な言動で知られ、当時、対オーストリアとの緊張が高まる中で、22歳の若さながら内閣の要人への酷い仕打ちや政策への暴言、好戦的な発言などで、父王の政治体制を混乱させるふるまいが目に余っていた。ある意味ではセルビア国内の足並みを狂わす悩みの種であった。廃嫡後の消息については不明。画像(→)

*参考サイト:Wikipedia(和文)ペータル1世 (セルビア王)

**これまでの関連記事france100.exblog:オーストリアとセルビア間の暗雲(1908.12.02)
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by utsushihara | 2009-03-26 16:23 | 独墺バルカン情勢1909-10

フランス文芸家協会の役員改選(1909)

f0028703_1861362.jpg1909年3月25日(木)

3月25日に行なわれたフランス文芸家協会の役員改選において、会長のジョルジュ・ルコント氏と副会長のダニエル・ルシュール女史(←)が再選された。わが「ジュセトゥ」誌で人気の高いモーリス・ルブラン氏も副会長に選出された。また監事長にはジャン・ジュリアン氏、新たな委員会のメンバーにはルネ・バザン氏、カンタン=ボシャール氏などが加わった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.52; Mai, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
以前掲載したのは(↓)2年前(1907)のフランス文芸家協会(Société des Gens de lettres)役員改選記事である。昨年(1908)からのジョルジュ・ルコント(Georges Lecomte,1867-1958)、ダニエル・ルシュール(Daniel Lesueur, 1860-1920)体制が再任され、さらに「怪盗ルパン」で不動の人気を誇るモーリス・ルブラン(Maurice Leblanc, 1864-1941)も副会長となった。
f0028703_1863525.jpgジョルジュ・ルコントは、作家としてはほとんど忘れ去られたが、当時は歴史や文芸評論でも幅の広い活動をしており、後年アカデミー会員に選出される。(画像→)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Georges Lecomte
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)フランス文芸家協会の役員改選(1907.03.25)
(2)「愛の仮面」の上演(1905.10.10) ダニエル・ルシュールの原作
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by utsushihara | 2009-03-25 18:04 | 文芸、評論1909-10

機械展覧館(ギャルリ・デ・マシヌ)の取壊し

1909年3月f0028703_2329953.jpg

1889年の万博のために建設され、当時の人々の注目を集めた機械展覧館(ギャルリ・デ・マシヌ)は近く取り壊されることとなった。
3月の農産物品評会がその最後の催し、白鳥の歌となるだろう。この展覧館はこれまで工業展、芸術展、競技会等多くの様々な催しに使用されてきた。一時は冬季競輪場として熱狂的な観衆を呼び込んだ。だが最も恒常的に利用したのは牛たちである。閉幕のしかるべき権利は彼らのもとに帰したのである。
シャン・ド・マルスの展覧館を一度はパリ南郊イッシーの野原に移設する案も検討されたが、諸経費の面で断念せざるを得なかった。したがって機械展覧館は完全に少なくともフランスからは姿を消すこととなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909
画像 Crédit photographique :©BNF-Gallica #55256243 « Touche à tout » No.4; Avr. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
機械展覧館(Galeries des Machines)はシャン・ド・マルス公園の東南端、陸軍士官学校(Ecole militaire)の対面のあたりに建てられていたと思われる。これは19世紀、万博隆盛時代の鋼鉄梁の巨大な建造物がちょうど20年経過して消滅するに至る経緯を述べた記事である。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)春の骨董市とハム市、農業品評会(1907.03.18)
(2)メーデー&ゼネスト対策(1906.04.27)
(3)春の新作展1906.02)
(4)フランス全国共済連盟(FNF)の総会(1905.11.05)
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by utsushihara | 2009-03-24 23:27 | フランス社会政経1909-10

ルーズヴェルト前大統領アフリカ冒険へ

1909年3月23日(火)
f0028703_1246129.jpg

米国前大統領ルーズヴェルト氏はじっとおとなしくしていられない人物である。権力の座から降りるやいなや、彼は3月23日ニューヨークを出港する客船《ハンブルク》号に大量の荷物とともに乗り込み、ナポリに向かった。しかし、彼の欧州での滞在はごく短期間でしかなく、本来の目的地はアフリカで、彼はそこで狩猟に熱中するつもりなのだ。彼自身が編集長になったニューヨークの雑誌『アウトルック』にその冒険談を掲載する予定である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51-52; Avr-Mai, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618554 «Le Petit journal» No.16870, le 6 Mars, 1909

f0028703_12463857.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(↑)上掲は旅行装備品の搬出とテントの試し張り。在任中でも彼の猛獣狩りの逸話は有名であった。
(→)右掲は、米海軍で世界一周演習航海を完遂した艦隊16隻の士官や兵士に対して、ルーズヴェルト大統領が退任前日に授与した記念メダルである。
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by utsushihara | 2009-03-23 12:44 | スポーツ、乗物、探検1909-10