フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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周回マラソン競走(1909)

1909年2月28日(日)

f0028703_23374386.jpgマラトン・オランピーク(Marathon Olympique)と呼ばれる42km長距離走のレースが2月28日バッファロー競輪場で行なわれ、最強の5人のフランス人プロ走者が争った。彼らは自転車に乗った伴走者に付き添われていた。去年から頭角を現した小柄なサン=ティヴ(Saint-Yves)が雪に覆われた42km194(原文のママ)のコースを2時間55分20秒80で走り、楽勝した。ブシャール(Bouchard)は20km過ぎまでレースを引っ張ったが、最後は3周半の遅れで2位になった。しかし彼は1時間での最長走行賞を10km833で獲得した。3位はプレヴォ(Prévot)で13周遅れだった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
掲載画像で見るとおり、雪の残る周回コースを延々と走り続ける様子が見える。自転車の伴走者(entrainé par cycliste)というのもこの時代の慣習だろうか。
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by utsushihara | 2009-02-28 23:36 | スポーツ、乗物、探検1909-10

野犬捕獲用自動車

1909年2月

f0028703_22335316.jpg画像はパリで最近運用が始まった野良犬捕獲用の自動車である。それぞれの犬の体型に合わせた大きさの檻で他の犬とは隔離された快適さが備わっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909
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by utsushihara | 2009-02-27 22:32 | フランス社会政経1909-10

風刺画家カランダッシュの死

f0028703_23363240.jpg1909年2月26日(金)

カランダッシュ急死の報は美術界のみならず、この有名な風刺画家の機転あふれる辛辣なデッサンを楽しんだすべての人々を悲しみに沈ませた。彼の本名はエマニュエル・ポワレといい、筆名のカランダッシュはロシア語で「鉛筆」という意味である。1858年モスクワに生まれたが、もともと1812年のナポレオンのロシア遠征のときにロシアに定住したフランス人の家系であった。彼は25年ほど前にフランスで兵役を終えて、「シャ・ノワール」の雑誌に初登場した。そこで発表したのはナポレオン1世時代を描いた『英雄的叙事詩』(L’Epopée)の一連の戦記画集で、彼は画家としての地位を確立した。

f0028703_23371637.jpgしかし彼の真骨頂は、ジュルナル紙やフィガロ紙に連載した、一方では政治的な風刺画、他方では単純なユーモア漫画であった。右に掲載したのは彼の最もよく知られた作品の一つ『大統領の旅遊』(Voyage présidentiel)の画片である。彼の揶揄は決して辛辣過ぎることはなかった。彼はたとえ告訴された場合でも愉快に楽しむことを望んだ。彼は2月26日パリで死んだ。まだ50歳だった。
彼のどうしようもない茶目っ気ぶりは叙勲の対象者に決して選出されない原因だった。1902年に一度叙勲の話が実現直前まで進められたことがあった。しかしそのとき彼は戯画を発表し、その中でワイン商の親父に、2本買ってくれればレジオン・ドヌール勲章をおまけで付けますよ、としゃべらせたため、大臣と顕彰委員の不興を買い、取り止めとなったのである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #55256243 « Touche à tout » No.4; Avr. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618547 «Le Petit journal» No.16864, le 27 Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
エマニュエル・ポワレ、カランダッシュ(Emmanuel Poiré, Caran d'Ache, 1858-1909)の死因については「プチ・ジュルナル」紙に「彼は持病の心臓疾患で3ヶ月ほど前からフォーブール・サン=トノレ街の医院に入院していた。」と書いてあった。心筋梗塞の発作と思われる。
カランダッシュの筆名は、ロシア語の「鉛筆」(Karandash)をフランス語風に言い換えて(Caran d’Ache)にしたようだが、Caran も d’Ache もまともな仏単語ではない。現在では検索してみると、スイスの高級文具メーカー(Caran d’Ache)の製品の宣伝ばかりが出てくる。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Caran d'Ache

f0028703_122856100.jpg(←)左掲は『スポーツ年鑑』1899年版(L'Almanach des sports, 1899)の記事中「スポーツと政治」という項目(エマニュエル・アレーヌ記述)の挿絵としてカランダッシュの漫画が載っている。
*画像 Crédit d’image : ©BNF-Gallica #5550653 «L'Almanach des sports, 1899» “Les Sports et la Politique”, par Emmanuel Arène; Page23-29, Illustré par Caran d'Ache
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5550653s
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by utsushihara | 2009-02-26 23:35 | 美術、彫刻1909-10

パリに新しい街灯兼停留所標識

f0028703_2245694.jpg1909年2月

パリでは数日前からいくつかの場所で街路灯の模様が新しくなったのに誰もが気づいている。白一色だった柱の色が赤銅色の縞模様に変わったのである。これは公衆の利便性のための改革であり、こうして塗られた街路灯はそこが路面電車と乗合バスの両方の停留所であることを意味している。右掲の写真(→)はその典型的な例で、シャンゼリゼの入口で門衛のように立っている。
これまでは停留所は表示板が柱に括りつけられていたが、かなり見えにくいという声が多かった。公衆にとってはどこで乗り降りすればいいのかが正確に知ることができ、電車やバスの運転手たちにとっては正しい場所に停めるために細心の注意を払わずにすむという利点から、街頭停留所の標識は次々と塗り替えられていくことだろう。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618528 «Le Petit journal» No.16845, le 8 Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
記事の原題は « Réverbères-Indicateurs »である。
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by utsushihara | 2009-02-25 22:03 | フランス社会政経1909-10

通商産業展、通称パリ商工祭(1909)

1909年2月15日(月)~25日(木)
f0028703_2342472.jpg

掲載の写真は、今年の通商産業展、通称パリ商工祭のメイン通路の眺めである。この商工祭は毎年グラン=パレを会場に警視総監のレーピン氏が主宰して開催される。今年は2月15日から25日までで、特に写真芸術の展示が目立っている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
通商産業展、通称パリ商工祭の原文:L’ exposition du commerce et de l’industrie, dite Foire de Paris
この年で第7回目になる。

**これまでの関連記事france100.exblog:第5回パリ商工祭(1907.02.15)
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by utsushihara | 2009-02-24 23:03 | フランス社会政経1909-10

仏ラグビー、ウェールズに完敗(1909)

1909年2月23日(火)

f0028703_1532465.jpgフランス対ウェールズのラグビーの試合が2月23日コロンブ競技場で行なわれ、欧州最強と言われるチームに対し我がフランスはひとたまりもなかった。成績は47対3でウェールズの圧勝だった。彼らの11トライ、7ゴールに対し、我が方は終了間際のサゴ選手(Sagot)による1トライだけで、それも「お情け」であった。我がフランス・チームはまだ沢山学ぶことがある。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ウェールズ(Pays de Galles)とは一年前にも試合をしており、散々な結果となっている。(↓)
「トライ」は仏語でも ”essai” ;「ゴール」は “but” ;「お情け」は “complaisance” である。スポーツのお家芸とは国民性が培ったものなので、百年かかっても勝てないものかもしれない。

**これまでの関連記事france100.exblog:ラグビー: 対ウェールズ戦でフランス惨敗(1908) (1908.03.02)
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by utsushihara | 2009-02-23 14:58 | スポーツ、乗物、探検1909-10

[ 往古広告 ] ナポレオンかく語りき

1909年2月
f0028703_187171.jpg
「軍隊はその胃袋に乗って進む」(Une armée marche sur son estomac.)
ナポレオンが言いたかったのは、栄養不足の兵士は前進する力が出せない、ということだった。誰もが知っている話である。男も女も、まともに食べられない人たちは働く力も出ず、人生を楽しむことも、幸福であることもできない。また同様に、食べても消化吸収が不十分であれば栄養不足になりかねない。半数以上の人々はすぐ疲れやすく、生活が面白くなく、毎日の仕事をやっとの思いで終えている。米国製の「シェイカーズ香草茶」は、薬草と草根成分からなり、最高の強壮剤である。これを飲用すれば胃腸の働きが良くなり、楽しい人生が送れること間違いなし。お試しあれ。(Faites en l’essai.) 無料パンフレットはリール市のファニョー薬局まで。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618536 «Le Petit journal» No.16853, le 16 Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
歴史上の大人物を使えば広告の注目度もUPする。よく「トニック飲料」などと見聞きするが、(余の)辞書では「強壮剤」= « médicament tonique » となっておる。「香草茶」(Tisane)は今風ならば「ハーブティー」と言えばよかったかも。
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by utsushihara | 2009-02-21 18:05 | ※百年前の広告

ボクシングの大試合(サム・マクヴェー対ジョー・ジーネット)

1909年2月20日(日)

f0028703_23312874.jpg
1909年2月20日(日)

サム・マクヴェー対ジョー・ジーネットのボクシングの試合が2月20日、シルク・ド・パリで行なわれた。これは今までフランスで開催された試合では最大級のものだった。両者とも決定的なパンチが決まらないままほとんど20ラウンドが終わり、主審のワトスンが判定でサム・マクヴェーの勝利を宣言した。パリの新聞ではこの試合の判定に対する激しい論争が交された。ある者たちはこの試合が「いかさま」だったと決めつけた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909

f0028703_23335054.jpg[ Ψ 蛇足 ]
これまでパリで活躍してきた常勝ボクサー、サム・マクヴェー(Sam MacVea, 1884-1921)は、米国から新たにやって来た強豪ジョー・ジーネット(Joe Jeanette, 1879-1958)との対戦を受けた。大々的な宣伝で前評判が高く、人々は対戦に大いに期待したが、内容に乏しい結果となった。「いかさま」(chiqué)と訳してみたが、ニュアンスが違っても日本でも「シケた試合だ」と言うかもしれない。(«Jeanette »は仏語読みだと「ジャネット」だが、英語読み「ジーネット」のほうに直した。)
(←)写真はジョー・ジーネット。

*参考サイト:Wikipedia(英文)Joe Jeanette
**これまでの関連記事france100.exblog:英人柔術家マツダも敗北(1908.12.31)マツダ対サム・マクヴェー
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by utsushihara | 2009-02-20 23:30 | スポーツ、乗物、探検1909-10

[ 直近の更新状況 ] 2009-c

ご来訪ありがとうございます。経済的苦境と極度のスランプにより、記事の掲載がかなり遅れており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ています。当面、1908年12月~1909年1月の出来事が中心です。

02/20: エルツ山地の墓標(1908.12)
02/19: トルコの新議会開催(1908.12.18)
02/18: フランス柔術敗れたり(レニエ対パドゥニー)(1908.12.19)
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by utsushihara | 2009-02-20 17:08

『ビュリダンの驢馬』にミスタンゲット初舞台

1909年2月19日(金)

f0028703_1811463.jpgロベール・ド・フレーとガストン・ド・カイヤヴェ両氏の新作3幕喜劇『ビュリダンの驢馬』は2月19日ジムナズ座で初演された。
放蕩生活に疲れた独身男のブーランは田舎暮らしの友人ヴェルサンヌの許に身を寄せる。しかし元来遊び人の彼はすぐに友人の妻オデット、その女友達フェルナンドの両方と気持が通い、どちらを取るべきかを迷う。さらに屋敷で暮らす若い名付け娘のミシェリーヌと友人がパリから呼び寄せた女優のヴィヴェットがそれに加わって・・・という喜劇である。
配役は、若いミシェリーヌにマルト・レニェ、女優ヴィヴェットにミスタンゲット(初舞台)、遊び人ブーランにガストン・デュボスクなどで、好評を博している。

(3月8日付のプチ・ジュルナル紙の記事)
ジムナズ座では「ビュリダンの驢馬」の初演の日から1週間の売上総額が49000フランに達した。これは従来にない記録的な成功である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.51; Avr. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618535 «Le Petit journal» No.16852, le 15 Fév. 1909
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN / Auteur de la photo : Atelier Nadar / Date prise vue 1909.03.03 / Mistinguett (Jeanne Bourgeois, dite), dans "L'Ane de Buridan"

[ Ψ 蛇足 ]
「ビュリダンの驢馬」(L’Âne de Buridan)とは「優柔不断」の意味の比喩である。秣(まぐさ)と水を前にしたロバがどちらを先に取るべきかの選択を迷い、飢えと渇きで死んでしまったという14世紀の哲学者ビュリダン(Buridan)が説いた例え話である。「どちらにしようかな?」と迷うことをフランス語の成句で(être comme l’âne de Buridan)とも言う。
f0028703_1815048.jpg
(←画像)この公演には、このあとムーラン・ルージュで爆発的な人気を獲得し、歌と踊りと脚線美で一世を風靡するミスタンゲット(Mistinguett, 1873-1956)が初舞台を踏んでいる。最初彼女はエルドラド劇場で歌ったり踊ったりの10年間を過ごしたが、それなりの人気は出ていた。ナダールのアトリエでこの劇の舞台衣装で撮った写真が残っているのは貴重である。(仏文化省の所蔵©CMN)

*参考サイト:Wikipedia(和文)
(1)ミスタンゲット (Mistinguett, 1873-1956)
(2)ジャン・ビュリダン (Jean Buridan)
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by utsushihara | 2009-02-19 17:59 | オペラ、音楽、演劇1909-10