フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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[ 直近の更新状況 ] 18

ご来訪ありがとうございます。記事の掲載がかなり遅れており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ています。当面9~10月の出来事が中心です。


11/30: クレテイユの採石場での謎の殺人事件(3)(ベルエポック事件簿)(1908.09.07)
11/29: ボローニャ・サーキットでフィアット車のナザーロ優勝(1908.09.06)
11/29: クレテイユの採石場での謎の殺人事件(2)(ベルエポック事件簿)(1908.09.05)
11/28: クレテイユの採石場での謎の殺人事件(1)(ベルエポック事件簿)(1908.09.04)
11/26: 英国マラソンでフランス人選手シレ優勝(1908.10.10)
11/25: エルムノンヴィルでルソーの記念像の落成式(1908.10.18)
11/25: 指揮者ジョルジュ・マルティの死(1908.10.11)
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by utsushihara | 2008-11-30 17:20

新・学生会館の起工式

f0028703_1755917.jpg1908年11月30日(月)

掲載した写真は新しい学生会館の起工式である。学生たちは学生協会の建物が窮屈になったため、新しい会館を建てることになった。最初の礎石を置く式典は11月30日5区ビュシュリー街(薪屋街)でおこなわれた。
また記念晩餐会は、レイモン・ポワンカレ氏の主宰で催された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
5区ビュシュリー街(薪屋街= rue de la bûcherie)はノートルダム寺院の南対岸にある古い路地である。その昔、主要な燃料であった薪がセーヌ川を利用して運ばれ、この付近で積み下ろしがされたことから、14世紀頃以来この名前がついたという。
起工式は、石造建築が多いフランスでは「最初の石を置く式典」(la cérémonie de la pose de la première pierre)と言われる。
レイモン・ポワンカレ(Raymond Poincaré, 1860-1934)は閣僚も経験していたが、この頃は下院議員として教育問題等への関わりが多かった。数年後に首相として組閣に取り組むこととなる。
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by utsushihara | 2008-11-30 17:04 | フランス社会政経1909-10

ラグビー・パリ選手権杯決勝戦(フランス・レーシング・クラブ対スポーティング・クラブ)

f0028703_18165512.jpg1908年11月29日(日)

ラグビー・パリ選手権杯決勝戦は11月29日コロンブ競技場で開催されたが、激戦の末、フランス・レーシング・クラブが6対5でスポーティング・クラブを破り、優勝となった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288287 « Le Figaro » le 15 Nov. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
上記の決勝戦の前に11月15日に事実上の決勝戦ともなった一戦があった。それは過去2年共々、宿敵同士の対戦となった「スタッド・フランセ対フランス・レーシング・クラブ」の陰で第3のチームとなっていた「スポーティング・クラブ」が「スタッド」と対戦し、これを破ったのだった。しかしながら決勝ではこれまで準優勝に甘んじていた「レーシング」が「スポーティング」を接戦の末、撃破したのだった。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ラグビーのパリ選手権決勝戦(1907)(1907.03.03) スタッド・フランセ対フランス・レーシング・クラブ
(2)パリ・ラグビー選手権の決勝戦(1906)(1906.12.16) スタッド・フランセとレーシング・クラブ
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by utsushihara | 2008-11-29 18:14 | スポーツ、乗物、探検1907-08

『ヴァリエテ事件』の初演

1908年11月28日(土)

メヴィスト劇場ではガブリエル・ティモリー氏新作の3幕劇『ヴァリエテ事件』が11月28日初演された。シュザンヌ・ドゥメー嬢がシャーロック・ホームズの好敵手として登場している。

(11月13日付のフィガロの記事から)
メヴィスト劇場では『ヴァリエテ事件』の台本読みの稽古が熱心に続けられている。ティモリー氏による書下しの3幕劇はおそらく月末には舞台に掛けられるだろう。出演者、監督、作者ともどもその準備に忙殺されている。
(11月15日付のフィガロの記事から)
メヴィスト氏は約10日後に初演となる『ヴァリエテ事件』への出演契約を何人かのベテラン女優たちと取り交わした。サラザック、ドゥレーゼー、マルチャの各女史は、主演のシュザンヌ・ドゥメー嬢を脇から支える役どころを快諾している。

f0028703_14494156.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288273 « Le Figaro » le 13 Nov. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288275 « Le Figaro » le 15 Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
劇作家ガブリエル・ティモリー(Gabriel Timmory, 1870-1965)はどうやら『ヴァリエテ事件』(L’Affaire des Variétés)にシャーロック・ホームズを登場させたらしいが、すでにモーリス・ルブランが「ルパン物」でこの有名探偵を借用して更に人気を高めたのにあやかったと思われる。この劇の詳細はわからなかったが、「ヴァリエテ」(Variétés)は、固有名詞の「ヴァリエテ座」か、普通名詞の「演芸寄席」の意味なので、演劇界を舞台とした事件劇だっただろうと想像する。ティモリーは後年、『怪人ファントマ』(Fantomas)の映画の台本も作っている。
(↑画像)ヒロインのシュザンヌ・ドゥメー(Suzanne Demay)についても未詳。

**これまでの関連記事france100.exblog:メヴィスト座の2月公演「よそ者」・「ミウジック」ほか(1908.02.02)
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by utsushihara | 2008-11-28 14:48 | オペラ、音楽、演劇1907-08

フェミナ劇場でホフマンスタールの『エレクトラ』上演

1908年11月26日(木)

フェミナ劇場における作品座の公演は、フーゴ・フォン・ホフマンスタール氏作の2幕劇『エレクトラ』とトリスタン・ベルナール氏作の1幕劇『道徳と偶然の戯れ』が26日から29日まで5回おこなわれた。
ドイツの劇作家ホフマンスタール氏の『エレクトラ』はポール・ストロッツィ氏とステファヌ・エプスタン氏によってフランス語韻文に見事に書き直されて上演された。この才能豊かな若き詩人・劇作家はすでに『王様と魔女』や『ティティアンの死』などの小規模な象徴的な劇作品でドイツ演劇界でたちまち輝かしい名声をかちえた。『エレクトラ』はギリシア古典悲劇に基づきつつ、より自由な霊感によるもので、成功は疑いもなく、発表後5年になるがドイツ国内各地の主要な劇場での長い公演が続けられている。
フランス語版による公演は、エレクトラ役のシュザンヌ・デプレ女史が非常に注目すべき演技で、威厳にまさる力強さを示し、オレスト役のマニャ氏も見事な態度を演じた。

f0028703_22122011.jpg(←)左掲はドイツの雑誌「ジンプリシシムス」(Simplicissimus)に掲載された女優シュザンヌ・デプレ(Suzanne Desprès, 1875-1951)の似顔絵である。ドイツでの『エレクトラ』に出演したために描かれたもので、作者は有名な風刺画家オラフ・グルブランソンである。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288287 « Le Figaro » le 27 Nov. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47-48; Dec.1908-Jan.1909

[ Ψ 蛇足 ]
フーゴ・フォン・ホフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal, 1874-1929)はオーストリア出身の代表的な劇作家の一人である。
風刺画家オラフ・グルブランソン(Oraf Gulbransson, 1873-1958):ノルウェー出身で主にドイツ新聞雑誌界で活躍した。

*参考サイト:Wikipedia(和文)フーゴ・フォン・ホフマンスタール
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by utsushihara | 2008-11-27 22:10 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ポルトにおけるマヌエル国王

f0028703_15231594.jpg1908年11月27日(金)

ポルトガル国王のマヌエル2世に対する民衆の人気はかなり高まっている。首都リスボンに次ぐ主要都市ポルトへの訪問のあいだ、群衆はその関心の高さと熱気とを歓迎行事で顕わにした。
マヌエル国王は27日ポルト近郊ヴィゼラの町にあるこの地方の主要産業である製糸工場を訪れた。一行は総勢30台の自動車を連ねた。工場の正面広場では、フランスにも最も富裕な実業家として知られるヴィゼラ伯爵が幹部たちとともに出迎えた。この工場の技師たちはフランス人も多く加わっている。見学のあとは、美しく飾りつけられた大広間で盛大な晩餐会が催された。王室関係者の他にはポルトの司教やリスボンとポルトの産業協議会の役員たちが加わり、ヴィゼラ伯爵の乾杯の発声に終始親密な雰囲気で進められた。
国王の出発は夜遅くになったものの、8千人を超える工場労働者と着飾った町民たちが歓呼の声をあげ、讃歌を歌って国王を見送った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288288 « Le Figaro » le 28 Nov. 1908

f0028703_1524124.jpg[ Ψ 蛇足 ]
1908年2月の先王カルロス1世と王太子に対する銃撃によって急遽新国王となったマヌエル2世は即位後約10ヶ月が経過し、国情も安定を見せてきた。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位 (1908.02.08)
(2)ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される(1908.02.01)
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by utsushihara | 2008-11-26 15:20 | 各国事情1907-08

米国サヴァンナでの自動車大賞レース

f0028703_2119282.jpg1908年11月26日(木)

欧州における自動車大賞レースと同様に、アメリカ自動車クラブ主催の大賞レースは11月26日サヴァンナ・サーキットで争われた。競技は周回コースを40周、つまり400マイル(約645km)となる。優勝したのはフィアット車のルイ・ワグナーで、6時間10分31秒で走った。2着はメルセデス車のヴィクトリー・エメリーでわずか16秒の遅れだった。3着はフィアット車のナザーロだった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288208 « Le Figaro » le 9 Sep. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909


*参考サイト:Grand Prize of the Automobile Club of America at Savannah
**これまでの関連記事france100.exblog:米国ブライアークリフ自動車レース(1908.04.22)
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by utsushihara | 2008-11-25 13:31 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ジャンヌ・ダルクの列福審査

1908年11月24日(火)

11月24日にヴァチカン法王庁の一室でローマ法王ピウス10世が主宰して非常に重要なカトリック祭儀聖省の会議が開かれる。リュソン枢機卿とアンドリュー枢機卿はローマにとどまり、ジャンヌ・ダルクを列福するために提示された奇跡の数々を審査するこの会議に参加し、決定投票がおこなわれる。
至高の決定権は法王にあるが、ピウス10世は結論をすぐには公表しないだろう。もし決定が好ましいものであるならば、法王政令はいずれ厳かに発布され、フランスの英雄的な女性の列福式は来年4月に実施されるだろう。

f0028703_124628.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan.1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288283 « Le Figaro » le 23 Nov. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
(→)右掲は「ジュセトゥ」の購読者から寄せられた現代のロレーヌ女性のデッサンだが、ジャンヌ・ダルクのイメージをよく表わしているという。
列福(=福者に列せられる)ことはベアティフィカシォン(béatification)といい、列聖(=聖人に列せられる)キャノニザシォン(canonisation)の前段階とされる。ジャンヌ・ダルクの列福はこの会議のあと12月13日にローマで公表された。(列聖は1920年)
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by utsushihara | 2008-11-24 12:02 | フランス社会政経1909-10

スウェーデンの新王グスタフ5世のパリ訪問

f0028703_2324425.jpg1908年11月22日(日)

スウェーデン国王グスタフ5世夫妻はフランスへの初の公式訪問をおこなった。国王はヴィクトリア王妃とともに11月22日パリに到着し、ファリエール大統領の熱烈な歓迎を受けた。翌23日はランブイエで狩が催され、沢山の収獲があった。雉324羽、小鹿4頭、牡鹿1頭、穴兎352匹、野兎3匹、山鶉10羽、ヤマシギ1羽、そのうちグスタフ5世は4分の1を仕留めた。その晩はエリゼ宮で晩餐会。次の日は市庁舎訪問とオペラ鑑賞が組まれ、両国間の友好を深める演説が交わされ、王にはフランスの美術工芸品が贈られた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288283 « Le Figaro » le 23 Nov. 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)スウェーデン国王オスカー2世の葬儀(1907.12.12)
(2)ファリエール大統領ストックホルムに到着(1908.07.24)
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by utsushihara | 2008-11-23 23:22 | フランス社会政経1909-10

ポール・タファネル死去

1908年11月22日(日)

優れたフルート奏者であり、パリ音楽院の教授であり、オペラ座の指揮者であったポール・タファネル氏は11月22日パリで死去した。彼は1844年ボルドー生まれ、パリ音楽院でフルートを学び、16歳で首席で卒業した。その後和声法、対位法を優秀な成績で修了したが作曲には進まず、フルートの名手としての地位を確立した。2年ほど前に病気のため引退し、長患いをしていた。享年64歳だった。
f0028703_23434036.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47;Déc. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288283 « Le Figaro » le 23 Nov. 1908
出典Crédit ©BNF-Gallica #039751:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.23 Jan. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・タファネル(Paul Taffanel, 1844-1908)は現代フランスのフルート演奏の伝統の基礎を作った人物とされている。彼に関する日本語のサイトも少なくない。下記に引用したのは、タファネルが病気引退する直前の1906年頃で、彼がオペラ座で優れた指揮者の一人として脚光を浴びていたのを垣間見ることができる。彼の後任としてアンリ・ビュッセルがオペラ座の指揮者となった。

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第9章] 1905年11月28日:
(…)この指揮台をその後半世紀ちかくにわたって占めたのである。オーケストラの幾人かの奏者は私の旧友であったが、それにもかかわらず、私の感動は大きかった。それはラムルーやコロンヌやタファネルのような大家たちによって指揮されてきた著名なオペラ座のオーケストラなのであった。(…)
[第9章] 1906年4月18日:
(…)劇場内では、近く辞任するタファネルのあとを狙ってオーケストラ指揮者(歌唱指揮者や合唱指揮者)たちが、私に「黄禍」という渾名をつけていた。それは、私の日本人のような顔色のせいでもあったが、主として、自作の舞踊曲上演のために私が指揮台に立ったことが羨まれる機会をつくったからである。そしてやがて結果が出た。4月18日、タファネルの依頼により、ゲラールは(…)私に「アルミード」を指揮させた。(…)私は弱冠三十歳を超えたばかりであった。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Paul Taffanel

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポール・デュカの「アリアーヌと青髭」初演(1907.05.10)音楽院の管弦楽科教授だったタファネルの後任はデュカ
(2)新演出による歌劇「ファウスト」上演(1908.01.27)作曲者グノーのテンポをポール・タファネルがメトロノームで記録
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by utsushihara | 2008-11-22 23:39 | オペラ、音楽、演劇1907-08