フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ご来訪ありがとうございます。記事の掲載がかなり遅れており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ています。当面8月~9月の出来事が中心です。

10/31: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(終)(残された婚約者)(1908.08.10)
10/30: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(9)(ペドロの身元)(1908.08.08)
10/29: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(8)(ペドロの華麗なパリ生活) (1908.08.07)
10/28: ベルリン帝室オペラ劇場1908年シーズン予告 (1908.09.01)
10/27: 演習砲艦「クロンヌ」での爆発事故 (1908.08.12)
10/26: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(7)(犯人逮捕) (1908.08.07)
10/25: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(6)(ベルエポック事件簿) (1908.08.06)
10/24: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(5)(ベルエポック事件簿) (1908.08.06)
10/23: 地下鉄カトル・セプタンブル駅での事件(後)(ベルエポック事件簿) (1908.08.13)
10/22: 地下鉄カトル・セプタンブル駅での事件(前)(ベルエポック事件簿) (1908.08.12)
10/22: 一流レーサーのリガルが大怪我 (1908.08.10)
10/21: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(4)(ベルエポック事件簿) (1908.08.06)
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by utsushihara | 2008-10-31 15:22

アテネ座で3幕劇『アルセーヌ・ルパン』初演

f0028703_2338182.jpg1908年10月28日(水)

10月28日午後8時45分からアテネ座において新作3幕劇『アルセーヌ・ルパン』の初演がおこなわれた。「ジュセトゥ」誌に初めて掲載されて以来、度重なる好評を経て、アルセーヌ・ルパンはついに舞台に登場した。原作者モーリス・ルブラン氏と協力者フランシス・ド・クロワッセ氏による素晴しい脚本と優れた出演者たちの演技によって、アテネ座の劇場に毎晩つめかける人々は魅了されている。
f0028703_23384153.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288257 « Le Figaro » le 28 Oct. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN : Mme Duluc, dans "Le coeur et le reste"

f0028703_233997.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(↑)上掲は中央にルパン(シャルムラス公爵)役のアンドレ・ブリュレ(André Brulé)を挟んで、向かって左側にモーリス・ルブラン(Maurice Leblanc)、右側にフランシス・ド・クロワッセ(Francis de Croisset)が並ぶ。(→)右はゲルシャール警部に扮するエスコフィエ(Escoffier)、(←)左はヒロインのソニア・クリチノフ役を演じるデュリュク夫人(Mme Duluc)である。
劇の題名は単純明快に『アルセーヌ・ルパン』(Arsène Lupin)である。ただし既発表の特定の作品の劇化ではなく、それらを参考にしながら芝居用に別途書下ろしたものである。(その後小説化したかも?)
この戯曲作品に言及しているルパン研究サイトを下記に紹介する。

*参考サイト:
(1)スリムじゃない生活 :モーリス・ルブラン「戯曲アルセーヌ・ルパン」入手のこと
(2)怪盗紳士アルセーヌ・ルパン―あらすじⅠ―:ルパンの冒険―戯曲アルセーヌ・ルパン―
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by utsushihara | 2008-10-29 23:37 | オペラ、音楽、演劇1907-08

オペラ座で『神々の黄昏』の総稽古(ゲネプロ)

1908年10月28日(水)
f0028703_18391227.jpg(←)左掲はワーグナーの楽劇『神々の黄昏』の総稽古の宵におけるオペラ座のロビー(フォワィエ)での会食風景である。今回オペラ座が取り上げるこの作品はワーグナーの中でも最も重要なものの一つとされている。出演は、ルイーズ・グランジャン(ブリュンヒルデ役)、フェアール、ラペィレットなどの諸嬢、ヴァン=ダイク、デルマ、デュクロなどの諸氏であり、非常に大きな印象を残し、各紙の批評は熱のこもったものとなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288258 « Le Figaro » le 29 Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
上掲は招待された有名人たちの様子を描いた「フィガロ」掲載のイラストで、手前左からコメディ・フランセーズ座のジュール・クラルティとジュリア・バルテ、酒瓶を持つカミーユ・ペルタン、後列の左からオペラ座支配人で指揮者のアンドレ・メサジェと評論家のガブリエル・アストリュック、一人置いて、尖った頭のアンリ・ロシュフォール(国粋主義者)、女優のレジャーヌ、ピエール・ラガルド、デュジャルダン=ボーメツが並ぶ。この総稽古(Répétition générale = 公開前のお披露目公演)は2度おこなわれたようだ。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1908年10月20日(火):(←この日付は筆者の記憶違いと思われる)
『神々の黄昏』の総試演。客席はワーグナー派と反ワーグナー派とで満員となり、ロビーでは彼らが言い争う・・・・・・すばらしい部分があり、メサジェは極めて清澄なオーケストラ演奏を得たが、熱烈なワーグナー派のカミーユ・シュヴィヤールは、狂喜しながらも、「しかし、飛翔力に欠けている。」と言う。ドビュッシーは、ふざけて四部作を「音楽興信録」と呼ぶ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(「フィガロ」9月6日付の記事から)
オペラ座の舞台総監督ポール・スチュアール氏(Paul Stuart)はミュンヘンからパリに帰着した。氏はかねてより『指輪』四部作をパリで上演するにあたってワーグナー流の伝統に従って舞台装置や機械操作、照明美術などを研究するようにメサジェ氏とブルッサン氏から要請されていたのである。ミュンヘン歌劇場の総支配人フォン・シュパイデル氏(M. von Speidel)からは懇切丁寧な応対を受け、スチュアール氏は特別な計らいにより、『ラインの黄金』、『ワルキューレ』、『ジークフリート』、『神々の黄昏』の舞台稽古を見学し、その場で摂政殿下から直々に貴重な指図を教えてもらうという光栄に浴した。ポール・スチュアール氏は膨大な資料を携えてパリに戻った。熱狂的なワーグナー崇拝者たちはまもなくオペラ座の舞台総監督がいかに習得したかを興味をもって観ることになるだろう。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288205 « Le Figaro » le 6 Sep. 1908
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***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1908年8月11日(火):
『神々の黄昏』の練習。サン=サーンスが客席に来ていて、この作品を「最高度の不消化」と決めつける。メサジェはひどく気がたっていて、ヴァン・ダイクをはじめとして歌手全員をどなりつける!…
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by utsushihara | 2008-10-28 18:37 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ドイツの劇作家ウェーデキントの『春のめざめ』の総稽古と初演

f0028703_17334263.jpg1908年10月28日(水)

10月28日午後2時から芸術座において悲劇的幻想劇『春のめざめ』15景の総稽古がおこなわれた。初演は同日午後8時半である。作者のフランク・ウェーデキントはドイツの詩人、劇作家、音楽家であり、パリでの公演にあたってはロベール・デュミエール氏の翻訳と改作が施されている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288257 « Le Figaro » le 28 Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
フランク・ウェーデキント(Frank Wedekind, 1864-1918)は19世紀末から20世紀初頭に活躍したドイツ表現主義の劇作家である。『春のめざめ』(L’Éveil du printemps, 1891)は彼の出世作となったが、青年男女の性愛と欲情を強烈に描いたもので、当時問題作とされた。彼の『地霊』と『パンドラの箱』は20世紀オペラの傑作とされるアルバン・ベルクの『ルル』(Lulu)の原作となった。

*参考サイト:Wikipdia(英文)Frank Wedekind
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by utsushihara | 2008-10-27 17:31 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ロジーヌ・ラボルドの記念墓碑完成

1908年10月28日(水)

10月28日、パッシー墓地において昨年死去したソプラノ歌手であり声楽教授であったロジーヌ・ラボルドを記念する墓碑の落成式があった。彫刻家のポール・ランドフスキ氏の手になるものである。
f0028703_2295786.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
出典Crédit ©BNF-Gallica #039751:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.8 Oct. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
ロジーヌ・ラボルド(Rosine Laborde, 1824-1907)はパリ生まれのオペラ歌手で、優れた声楽教授でもあった。パリ音楽院で傑出した成績を認められ、1840年わずか16歳でオペラ・コミック座と契約し、エロルドの歌劇『書生ケ原(プレ・オー・クレール)』(Le Pré aux Clercs)でデビュを飾ったが、まもなく各地の劇場を転々としたあと、ブリュッセルのモネ歌劇場で軽妙なオペラとオペラ・コミックで歌手としての地位を確立した。ブリュッセルでは7年間過ごし、同僚のテノール歌手デュル・ラボルドと結婚した。
彼女の名声はパリにも伝わり、1850年にはパリの劇場で『ユグノー教徒』、『ルチア』、『悪魔のロベール』、『ウィリアム・テル』などを歌った。彼女の上品な美しさ、声の魅力、発声の輝きと明瞭さは聴衆の定評をかち得た。しかしながら彼女はそれに満足せず、欧州各地をはじめ南北アメリカの劇場で歌い、輝かしい成功を収めた。
彼女は40歳で早々に舞台を去り、パリに戻り、以後は声楽教授としての活動を長く続けた。彼女は1907年9月に83歳で死去したが、ほぼその1年後に上記の記念墓碑が建てられた。作者のポール・ランドフスキ(Paul Landowski, 1875-1961)は、ポーランド系フランス人の彫刻家。

*参考サイト:lescimetieres : Passy, Rosine Laborde(←)ラボルドの記念墓碑の現在の写真を見ることができるが、没年表記に誤りがある(1927→1907正当)
**これまでの関連記事france100.exblog:1908年春のサロン展(6)ランドフスキの彫刻「建築」(1908.04)
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by utsushihara | 2008-10-26 19:41 | オペラ、音楽、演劇1907-08

王子たちへのかわいい馬車

1908年10月
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英国皇太子ウェールズ公は子供たちのための小さいベルリン型旅行用馬車を贈った。馬はシェトランド産の小型馬の4頭建てである。
最近催されたアレクサンドラ王妃の園遊会でお披露目となった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908

**これまでの関連記事france100.exblog: フラマン作の英国王妃アレクサンドラの肖像画公開(1908.06.23)
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by utsushihara | 2008-10-23 22:58 | 各国事情1907-08

潜水夫用の酸素供給器

f0028703_17363136.jpg1908年10月

ロンドンのデイリー・ミラー紙の後援によりウォルドーフ・ホテルで催された学術会議で興味深い発表がなされた。海水中での作業に用いられる酸素供給器に関するもので、(←)左掲は着用に立ち会うユージン・サンドゥ氏(中央)と有名な競走選手N.G.ジョージ氏である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ユージン・サンドゥ(Eugen Sandow, 1867-1925)は「近代ボディビルの父」と称される。中年期以降は健康器具などの製造・販売なども手がけた。「サンドゥ」の名を冠した関連商品(もしくは便乗商品)の広告も当時は多く見られた。

*参考サイト:Wikipedia(和文)ユージン・サンドゥ
**これまでの関連記事france100.exblog: 新型潜水服(1907.01)
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by utsushihara | 2008-10-21 17:35 | 科学、軍事、海事1907-08

モーリス・ドニの『プシュケの物語』(1908年秋のサロン展)

f0028703_22343629.jpg1908年10月

右掲(→)は秋のサロンに出展された中で大いに注目された大がかりな装飾絵画の連作、モーリス・ドニ氏の『プシュケの物語』(Histoire de Psyché)の一枚である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©RMN (Musée d'Orsay) / Daniel Arnaudet : Cote cliché : 86-000444 - Fonds : Peintures / Titre : Histoire de Psyché : l'Amour surprend Psyché / Auteur : Maurice Denis (1870-1943)
Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
モーリス・ドニ(Maurice Denis, 1870-1943)の残した装飾絵画の連作『プシュケの物語』(Histoire de Psyché)は、アプレウスの『変身譚』第4巻から採られている。上掲のオルセー収蔵品は縦72cm、横50cmの小ぶりな作品だが、色調の柔らかさが何とも言えない。

*参考サイト:DAYS OF WINE&ROSES(Livedoor Blog):エロスとプシュケ
**これまでの関連記事france100.exblog:モーリス・ドニの絵、ドイツへ(1907.03.07)
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by utsushihara | 2008-10-20 22:33 | 美術、彫刻1907-08

ロシアでのコレラ流行に対するセーヌ県予防衛生委員会報告

1908年10月

セーヌ県の公衆衛生委員会においては、ロシアからやって来た旅行者に対する検疫監視体制の活動報告としてトワノ教授による非常に興味深い発表をおこなった。それによれば、9月20日から30日までパリに着いた470名のうち348名の健康状態の検査を駅と滞在先と警察署内の検疫所で実施した。全員が健康状態であることが確認された。ただし9月29日ベルリンから到着した一人の旅行者のみ、国境検疫所で病気の兆候が見られた。彼は顔色がとても悪く、熱があり、下痢気味であった。しかしチアノーゼ(酸素欠乏による青血症)ではなく、悪寒もなく、声のかすれもなかった。パリのラリボワジエール病院に移送されたが、その後症状は完治した。彼の病状はキャヴィアを食べて食中毒になったものと思われた。

健康検査を受けなかった旅行者は、パリに長期滞在せずに離れている。彼らについては警察から彼らが赴いた市町村役場に知らされている。3人のロシア人旅行者だけが検査を免除された。というのは彼らはパリに来る前に相当長い期間ドイツに滞在していたからである。
10月1日から10日までロシアからは308名の旅行者がやってきた。彼らは現在、経過観察中である。
荷物に対する消毒の結果は次の通りである。2839個の貨物はその場で市当局者の注意深い消毒を受けた。やや急ぎの13個の荷物は殺菌室に通された。他の78個の荷物もその場で消毒されている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288241 « Le Figaro » le 12 Oct. 1908
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by utsushihara | 2008-10-19 23:34 | フランス社会政経1909-10

[ 直近の更新状況 ] 14

ご来訪ありがとうございます。記事の掲載がかなり遅れており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ています。当面8月の出来事が中心です。

10/20: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(3)(ベルエポック事件簿) (1908.08.05)
10/19: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(2)(ベルエポック事件簿) (1908.08.05)
10/18: トルーヴィル線列車での強盗殺人未遂事件(1)(ベルエポック事件簿) (1908.08.05)
10/16: 飛行家ウィルバー・ライトのフランスでの挑戦(1908.08)
10/15: シャンピニー=ラ・バタィユの自然古代劇場(1908.08)
10/14: 避暑地のベルネーム画廊(フェルディナン・ロワベ) (1908.08.06)
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by utsushihara | 2008-10-18 23:29