フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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<   2008年 09月 ( 31 )   > この月の画像一覧

[ 直近の更新状況 ] 12

ご来訪ありがとうございます。このところ記事の掲載がかなり遅れがちとなっており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ています。当面8月の出来事が中心です。

9/30:  ツール・ド・フランスの最終日(1908) (1908.08.09)
9/30:  チュイルリー公園の音楽会での惨劇(ベルエポック事件簿) (1908.08.09)
9/29:  作家たちのバカンス(1908) (1908.08)
9/28:  メランティエ嬢スカラ座へ (1908.08)
9/27:  ダランソン夫人の首飾り消失事件(捜査篇3)(ベルエポック事件簿) (1908.07.22)
9/26:  ダランソン夫人の首飾り消失事件(捜査篇2)(ベルエポック事件簿) (1908.07.22)
9/25:  ツール・ド・パリ周回中距離マラソン・レース (1908.08.02)
9/24:  オステンドの2歳馬選抜レース(1908)「フィス・デュ・ヴァン」優勝 (1908.07.19)
9/23:  植民地相ミリエス=ラクロワのアフリカ巡訪 (1908.07)
9/22:  ダランソン夫人の首飾り消失事件(捜査篇1)(ベルエポック事件簿) (1908.07.21)
9/21:  恐喝男の最期(ベルエポック事件簿) (1908.07.18)
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by utsushihara | 2008-09-30 18:24

舞台美術家マルセル・ジャンボンの死

f0028703_15372826.jpg1908年9月30日(水)

有名な装飾画家であり、オペラの壮大な舞台装置を作り出したマルセル・ジャンボン氏は9月30日に死去した。60歳であった。パリの歌劇場での『ワルキューレ』、『ファルスタッフ』、『蝶々夫人』、『ダゴベール王』などのほか、南仏ベジエにおける毎夏恒例の野外公演の巨大で豪華な舞台の数々には定評があった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.46; Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
画像 Crédit d’image : ©Insecula ; Architecture intérieure; Peinture (Maquette de décor d'Opéra)
Décor du tableau II de l'acte IV de Guillaume Tell, reprise de 1899
Lieu : Opéra de Paris - Biblothèque-musée - Grand étage

f0028703_1539383.jpg[ Ψ 蛇足 ]
マルセル・ジャンボン(Marcel Jambon, 1848-1908)の名前は、検索するとフランス語の普通名詞の「ハム」(jambon)のことばかり結果が出てくる。そういう名前なので致し方ないが・・・
(←)はオペラ座で1899年に再演したロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』(Guillaume Tell)の第4幕第2場の舞台画で、ジャンボンとアレクサンドル・バィイ(Alexande Bailly)の共作である。この少し前で有名なテノールのアリア「涙誘う無人の家よ」(Asile héréditaire, où mes yeux s'ouvrirent au jour)が歌われる。
ジャンボンは死の直前まで仕事をしていた。南仏ベジエでの真夏の音楽祭『第一の剣』(Le premier Glaive)の舞台制作を担当し、上演にこぎつけたのがつい1ヶ月前のことであった。

*参考サイト:Les Célébrités Boujanaises(仏語)Les Décors sompteux du « Théâtre aux arènes » à Béziers
**これまでの関連記事france100.exblog:ベジエの古代野外劇場での『第一の剣』初演(1908.08.30)
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by utsushihara | 2008-09-30 15:36 | オペラ、音楽、演劇1907-08

画家アルベール・メニャン死去

f0028703_1734971.jpg1908年9月29日(火)

歴史画家であり、風景画家でもあったアルベール・メニャン氏は9月29日に死去した。64歳だった。主要な作品としてはリュクサンブール美術館に収納された『婚礼当日のナポレオンとマリー=ルイーズ』(Napoléon et Marie-Louise le jour de leur mariage)と『1066年のノルマン人船団の出発』(Départ de la flotte normande en 1066)がある。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.46; Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
画像 Crédit photographique:©Photo RMN / François Vizzavona (1876-1961) / reproduction RMN / Cote cliché : 99-012899 / Titre : Eté, août 1907 (exposé au Salon des Artistes Français de 1908) / Auteur : Albert Maignan (1845-1908) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona
f0028703_1741186.jpg
[ Ψ 蛇足 ] (再録)
アルベール・メニャン (Albert Maignan, 1845-1908) は、フランス中部ル・マン近くのボーモン・シュル・サルトで生まれ、パリに出て法律の勉強をしたのち画家となった。アカデミスムの伝統に則った端正な作風で、ギリシア神話や宗教的な題材の装飾画家として知られる。特にリュクサンブール宮殿(現在のフランス上院)の会議場に一連の絨毯絵が飾られている。
(↑)上掲の絵は最晩年の1908年サロン出展作となった『夏』(1907年8月)の香気を感じさせる風俗画である。
残念ながら上の記事にある主要作の画像は確認できなかった。「ノルマン人のイングランド征服」は世界史で1066年と暗記した(気がする)。

*参考サイト:Ville de Beaumont-sur-Sarthe; Célébrités(郷土の有名人)Albert Maignan
**これまでの関連記事france100.exblog:1906年春季展(サロン)Ⅱ-1「ナルシスの死」(1906.04)
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by utsushihara | 2008-09-29 16:59 | 美術、彫刻1907-08

10万フランの宝石搾取事件(ベルエポック事件簿)

1908年9月23日(水)

ラ・ファイエット街の宝石商マルカン氏は、数日前一人の若いスペイン人の訪問を受けた。彼はエスケルド・サラゴーザといい、バルセロナの高名な医者の息子だと語った。
彼は近く舞台女優のマルグリット・ロゼリ嬢と結婚する予定で、彼女への贈り物を考えており、彼女が自分で選べるように連れて来るつもりだと言った。
あくる日、その恋人に他ならぬロゼリ嬢が青年と一緒に店に現れた。エスケルド青年は10万フランの宝石を買うことに決め、ほどなくそれは滞在先に届けられた。バルセロナの医師サラゴーザ氏に関する評判は申し分ないもので、その自称息子はスペインから戻り次第支払をするからと約束した。
それからほどなく、マルカン氏はそれが詐欺だったことを知った。青年客がバルセロナの医者とは何の関係もなかったのである。宝石商は告訴した。予審判事のブーシェ氏はその男と共犯者の恋人を逮捕する礼状を出した。
エスケルド・サラゴーザは昨日ビアリッツで捕えられた。ちょうどくすねた宝石の一部をロンドンで売却した金で賭博をして負けたところだった。
女優と称するマルグリット・ロゼリ、22歳は共犯の容疑でコリゼ街で逮捕された。彼女は昨日、休暇に入った予審判事のブーシェ氏に代ってラルシェ判事による尋問を受けた。彼女は、マルカン氏が宝石を買うように勧めたのはエスケルドに向かって言ったことであり、彼と結婚しますなどとは絶対言っていないと主張した。
また、マルカン氏が宝石を届けたとき、受取書に彼がサインをしたので、それで正しい取引だったと思ったとも語った。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288222 « Le Figaro » le 23 Sep. 1908
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by utsushihara | 2008-09-27 16:21 | ★ベルエポック事件簿1908

ペルゴレージの出生地に記念碑(200周年を前に)

1908年9月

作曲家ペルゴレージが1710年に生まれたイェージの町では、2年後の1910年に到来するペルゴレージの生誕200年を祝う記念碑を建立しようとしている。以下の記事はイタリアの『イル・モンド・アルティスティコ』(芸術世界)誌に掲載されたものである:

ジァンバティスタ・ペルゴレージの記念碑がイェージのスタトゥート広場に建てられることとなった。彫刻家のラッツァリーニ氏は作曲家の彫像とその装飾台座で調和の取れた集合体を考えている。大理石の塊の中央にはスピネッタが彫られ、ペルゴレージの指で「スタバート・マーテル」(悲しみの聖母)や「セルヴァ・パドローナ」(奥様女中)の音譜が掻きならされているように思える。楽器のペダルがあるはずの場所からは水が流れ出し、水盤に注がれる。これは作曲家の霊感を象徴するもので、その源泉は決して枯れることなく永遠にあふれ出ることを示している。
台座の右側には2つの優美な寓意像「音」(Le son)と「歌」(Le Chant)が配されている。記念碑の左側上部にはペルゴレージの霊感を受けた姿勢の彫像が見られる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288220 « Le Figaro » le 21 Sep. 1908
画像 Crédit d’image : IMSLP=International Music Score Library Project : Pergolesi - Stabat Mater
http://imslp.org/wiki/Stabat_Mater_%28Pergolesi%2C_Giovanni_Battista%29

f0028703_00781.jpg

[ Ψ 蛇足 ]
26歳で夭折した天才作曲家ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710-1736)は、2010年には生誕300年を迎える。イェージ(Jesi)の町はアドリア海側のマルチェ県に位置する。この記念碑に関する記述はかなり詳細なものだが、半分ほど抜粋した。下掲(↓)で記念碑の写真が見られる。ただし制作者アレッサンドロ・ラッツァリーニ(Alessandro Lazzarini, 1869-1942)に関する詳細はわからない。

IMSLPから引用した楽譜は傑作「悲しみの聖母」(Stabat Mater)の第4曲のアリアで、モーツァルトに匹敵する天賦の響きに身震いする。

*参考サイト:A&A art and architecture(英文)Monument to Giovanni Battista Pergolesi Piazza dello Statuto, Jesi, Marche, Italy
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by utsushihara | 2008-09-26 23:58 | 美術、彫刻1907-08

ゼメリンクの自動車レース

f0028703_2337635.jpg1908年9月20日(日)

伝統的なオーストリアのゼメリンク丘陵(Côte du Semmering)での自動車レースは9月20日(日)の午後、素晴しい天候に恵まれて争われた。出走車の数は多く、見事な走行がすべての種目において見られた。
ACF大賞レースはメルセデス(Mercédès)に乗ったザルツァー(Salzer)が7分23秒の記録で優勝した。(→)
メルセデスはこの日の5つの種目で1位と2位を獲得した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.46; Nov. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288222 « Le Figaro » le 23 Sep. 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:フランス自動車クラブ大賞ラリー優勝はメルセデスに(1908)(1908.07.07)
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by utsushihara | 2008-09-23 23:35 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ベルリンでの第12回国際新聞会議

1908年9月22日(火)

第12回目の国際新聞会議が9月22日からベルリンの帝国議会の大会議場で開かれた。参加各国代表たちの間ではすっかり打ち解けた空気が流れ、オーストリア帝国政府代表のシンガー氏、ドイツ帝国外務次官のフォン・ショーン氏、そしてフランスの新聞代表で「ル・タン」紙の編集長、アドリアン・エブラール氏らが討議に加わり、ジャーナリストの役割の精神的な定義づけをおこない、新聞が世の中の平和と発展のためにどれだけ役立つかなどを話し合った。

f0028703_1731968.jpg特にドイツのフォン・ショーン氏は歓迎演説で次のように述べた:
「歴史の中において政治と報道は長い間互いに協力し合ってきた。それぞれの役割の近似性からしても事実そうであったが、それぞれの目的においては相違点が存在する。報道は想像力の翼を広げ、理想の頂点あるいは危機の極限まで読者を導くことができる。しかしながら政治は厳しい現実と冷静な判断とのしっかりとした大地を見捨てることはできないのである。
政治は報道と同じようにどこまでも大衆の意見につきあって行くことはできないが、国民感情とともにあることを模索する必要がある。この点で報道は政治に対し最も価値のある支援が可能となる。公衆の関心を満たすための報道の休みない活動は、全体を代弁する権利を獲得し、この権利は報道にとって義務ともなる。
このたびの会議は、ドイツ帝国政府の熱心な共感とともに、政治課題についての大勢の方々の議論の交差、均衡、正確さなどが歓迎されることだろう。」

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.46; Nov. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288222 « Le Figaro » le 23 Sep. 1908
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by utsushihara | 2008-09-22 16:50 | 独墺バルカン情勢1907-08

ライト兄弟の新たな飛行記録

1908年9月21日(月)

有名なアメリカ人飛行家のライト兄弟の活動は、これまでの3年間は謎に包まれていたが、フランスに来て1ヵ月間の試験飛行でその目覚しい一連の飛行実績が明らかとなった。彼らはそれぞれ新記録を作ったのである。
f0028703_17484113.jpgまだ米国に残っていた弟のオルヴィルは、9月12日米国政府の派遣係官の前で、1時間15分20秒の飛行時間を記録し、約75kmを飛んだ。しかし彼はその5日後の9月17日、高度25mのところから墜落し、同乗していたセルフリッジ中尉が死亡した。彼は負傷だけで済んだ。
また兄のウィルバーは、ル・マン近郊のオヴールの演習地で9月10日に39分18秒60の飛行時間を記録し、これはフランス国内での新記録となった。さらにウィルバーは9月21日、ル・マンで1時間31分25秒の画期的な世界新記録を樹立した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
この時期は飛行記録の更新のオンパレードである。9月6日にドラグランジュが出したばかりの記録が10日にはウィルバー・ライトに破られ、12日には米国でオルヴィル・ライトが初の1時間台の飛行を実現したのに、21日には1時間30分を超えた記録が出ているのである。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ドラグランジュの飛行記録更新(1908.09.06) 29分55秒80
(2)飛行家ウィルバー・ライトのフランスでの挑戦(1908.08)
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by utsushihara | 2008-09-21 17:47 | スポーツ、乗物、探検1907-08

[ 直近の更新状況 ] 11

ご来訪ありがとうございます。このところ記事の掲載がかなり遅れがちとなっており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ていますが、少しずつ取り戻してきています。当面7~8月の出来事が中心です。

9/20:  コレットの劇『パリのクローディーヌ』でベルギーと契約 (1908.07)
9/19:  共和国大統領杯レースで再び「シー・シック」号優勝 (1908.07.12)
9/19:  ルーヴル美術館から盗まれたイシス像の行方(ベルエポック事件簿)(後篇) (1908.07)
9/18:  剣による決闘の再試合 (1908.07.12)
9/17:  日本の議事堂建設のための訪欧調査団 (1908.07.22)
9/14:  ヴェルサイユ宮殿での夏の音楽祭 (1908.07.11)
9/14:  フランス自動車クラブ大賞ラリー優勝はメルセデスに(1908) (1908.07.07)
9/12:  ルーヴル美術館から盗まれたイシス像の行方(ベルエポック事件簿)(前篇) (1908.07)
9/12:  トロカデロ劇場で「サン=シール陸軍士官学校百周年」祝賀公演 (1908.07.08)
9/11:  英国女流作曲家エセル・スマイスの闘争 (1908.07)
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by utsushihara | 2008-09-20 18:22

ヴァイオリンの名手サラサーテ死去

1908年9月20日(日)

スペインのヴァイオリン演奏家であり作曲家でもあったパブロ・デ・サラサーテ氏は、9月20日ビアリッツで死去した。64歳だった。
尊敬すべきヴァイオリンの名手であると同時にすぐれた作曲家でもあり、数多くのヴァイオリンのための協奏的幻想曲やボヘミア民謡集、スペイン舞曲集、無言歌、歌曲などを残している。彼は最初にパリ音楽院で学び、名声の第一歩となる一等賞受賞をはじめ、最も華々しい成功の軌跡を築き上げたこともあって、フランスの国土を心から愛した。
彼はヴァイオリンの歴史的な名器の収集家でもあり、かつてイザベル王妃から贈られた素晴しいストラディヴァリウスもその収蔵品の一つとなっている。
f0028703_18135783.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #039751; Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.21 Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
死亡記事に関してはしばしば誤差が出ている。パブロ・デ・サラサーテ(Pablo de Sarassate, 1844-1908)についても上記出典の文献では9月21日(le 21 septembre, 1908)と書かれている。報道が即時でなかった時代のことなので、事実は後世の研究家によって修正されたものもあるようだ。
下掲は代表作『ツィゴイネルワイゼン』の冒頭である。(IMSLPから引用)
上記記事中の「協奏的幻想曲」(Fantaisie concertante)はサラサーテが好んで作曲したスタイルで、最も有名なのが『カルメン幻想曲』である。いずれも当時人気の高かったオペラ作品のアリアの旋律を独奏ヴァイオリンが超絶技巧をもって自由に展開するといったものである。最近聞いたのでは、若手の名手ギル・シャハム演奏による『グノーの「ファウスト」による演奏会用幻想曲』(CD「悪魔のダンス」所収)が面白かった。

***International Music Score Library Project(IMSLP): Sarasate-Zigeunerweisen

f0028703_1882968.jpg
*参考サイト:Wikipedia(和文)パブロ・デ・サラサーテ

**これまでの関連記事france100.exblog:サラサーテ最晩年の演奏会(1908.05.14)
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by utsushihara | 2008-09-20 17:43 | オペラ、音楽、演劇1907-08