フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ご来訪ありがとうございます。このところ記事の掲載がかなり遅れがちとなっており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ていますが、少しずつ取り戻してきています。当面6~7月の出来事が中心です。

8/31:  ニューヨーク~パリ自動車レースのうやむやゴール(1908.07.26)
8/31:  ファリエール大統領、ロシア皇帝との洋上会見(1908.07.27)
8/30:  ファリエール大統領ストックホルムに到着(1908.07.24)
8/26:  ネリー・メルバのパリ特別公演(1908.06)
8/26:  オートゥイユの大障害レースでダンドロ号勝利 (1908.06.07)
8/25:  ファリエール大統領令嬢の結婚 (1908.08.10)
8/24:  ローマ大賞彫刻部門の優勝者(1908) (1908.07)
8/24:  ヴィニューとヴィルヌーヴ・サン=ジョルジュの出来事 (1908.07.30)
8/23:  ビュッサンの民衆劇場で3幕劇『遺産』 (1908.08.02)
8/23:  オールネー=スー=ボワの田園劇場 (1908.07)
8/22:  英仏博覧会の成功(1908.07)
8/21:  ファリエール大統領のデンマーク訪問 (1908.07.20)
8/21:  フレンチ・パントマイム劇のロンドン初登場(1908.06.06)
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by utsushihara | 2008-08-31 17:09

アントン・ルビンシュタインのブラームス評

1908年8月

ブラームスに対する興味深い評価を伝えるアントン・ルビンシュタインの手紙がこのたび雑誌『メネストレル』に掲載された。これは1856年に絵葉書にフランス語で書かれたもので、フランツ・リストに宛てられていた。内容は以下の通り:

f0028703_16175216.jpg「ハノーヴァではブラームスの知己を得ました。ヨアヒムとも会いました。ブラームスの作った曲に関して言えば、私の受けた印象ではうまく言い表せません。サロン向けとしてはあまり優雅ではなく、コンサート会場向けとしてはあまり激烈ではなく、田園向けとしてはあまり素朴ではなく、都会向けとしてはあまり一般的ではない。私にはこうした性格の曲は好きになれません。」

この年(1856年)にはブラームスは、将来かち得ることになる名声とはまだ程遠いところにいた。それでもシューマンは、すでに数年前から熱烈な口調でブラームスを音楽の新しい道を切り開くことのできる、秀れた才能を持った作曲家であると賞賛していたのである。シューマンの評論『新しき道』は今日では多くの誇張が見られるとされているものの、良き預言者であったことは確かである。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288192 « Le Figaro » le 24 Août, 1908
画像 Crédit d’image : Wikimedia Commons : Johannes Brahms
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Johannes_Brahms_1853.jpg

[ Ψ 蛇足 ]
アントン・ルビンシュタイン(Anton Rubinstein, 1829-1894)は19世紀ロシアのピアニスト、作曲家、指揮者である。サンクト・ペテルブルク音楽院の創設者でもあった。
(↑)上掲画像はヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)、1853年撮影=20歳

*参考サイト:Wikipedia(和文)アントン・ルビンシュタイン
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by utsushihara | 2008-08-31 16:15 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ベジエの古代野外劇場での『第一の剣』初演

f0028703_23164329.jpg1908年8月30日(日)

リュシアン・ネポティ氏の悲劇『第一の剣』は8月末にベジエの古代野外劇場で上演され、見事な成功を博した。コメディ・フランセーズ座のポール・ムネ氏とマドレーヌ・ロック嬢による素晴しい演技であった。これにはミラノ・オペラ座の40人ほどの踊り手が賛助出演してくれた。舞台演出も特に注意が払われ、大勢の観衆は熱狂した。この作品は間違いなくいずれパリの劇場で取り上げられるだろう。
f0028703_23172517.jpg
(8月24日付のフィガロの記事から)
ベジエにおける『第一の剣』の初演は今度の日曜日と月曜日の2回おこなわれる予定である。当地における熱気にあふれた制作活動の中で、出演者は最後の稽古に打ち込み、マルセル・ジャンボン氏の舞台装飾の仕上げを急ぎ、演出上の最も些細な疑問も解決しようとしている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288192 « Le Figaro » le 24 Août, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
リュシアン・ネポティ(Lucien Nepoty, 18xx-1945)は劇作家であり、後年映画「モンテカルロの女」などの製作者となった。『第一の剣』(Le Premier Glaive)はローマ時代のスペクタクル劇であったようだ。
(↑)上掲は主演者の一人マドレーヌ・ロック(Madeleine Roch, 1883-1930)、(→)ポール・ムネ(Paul Mounet, 1847-1922)
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by utsushihara | 2008-08-30 23:15 | オペラ、音楽、演劇1907-08

超能力者ケンダル

f0028703_1863651.jpg1908年8月

ケンダル氏は、未来を予言する能力を有し、人の心理を読む力や、オカルト科学への奥深い造詣は大衆の注目するところであり、ロンドンのミュージック・ホールでの相談会には多くの人々がつめかけている。彼はパリにもやって来るに違いない。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
超能力者ケンダル(Kendal)についてはあまり詳しい情報はない。預言者や聖人と異なるのは、神の道を説いたり、奇跡を起こしたりはしない点かもしれない。凡人たちにしてみれば、せめて馬券や宝くじの番号を教えてくれればいい、という刹那的な、皮相な欲望が表に出てしまうのだろうか?
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by utsushihara | 2008-08-29 18:05 | 科学、軍事、海事1907-08

「お巡りさん、助けて!」2題 (ベルエポック事件簿)

f0028703_154848.jpg1908年8月

(1)悪知恵の男
「助けてくれ!与太者が殺すぞといって追いかけてくるんだ。」
こう言って叫びながら一人の男が地下鉄のバルベス駅近くの分署に駆け込んできた。おとといの深夜2時頃のことである。当直の署員は彼を落ち着かせてから、一緒にその者たちのいる場所に向かった。しかし20m先のところで彼らは地面の上に倒れている男を発見した。
調べてみると、その男はトラック運転手ルネ・シェルマン17歳で、ナイフで2突き刺されてうめいていた。負傷者は刺した人間が警察署に保護を求めたその当人であると指さした。最初の男は住所不定のジュール・マルソリエ46歳で、シェルマンを刺したあと彼の仲間たちが追いかけてきたのを逃れるために警察に飛び込んできたのだった。彼は直ちに拘置所に送られ、負傷者はラリボワジエール病院に運ばれた。

(2)流浪の少女
サン=ラザール駅周辺を巡回していたある警察官は、12歳ぐらいの少女に英語で呼び止められた。彼女の言うことがよくわからないので、ラ・ロシュフコー街にある分署に彼女を連れて行った。署で話を聞いたところ、彼女は名前をマリア・トルトレスコといい、ローマ近郊で生まれたが、これまで暮らしていたロンドンから列車でパリにやってきたという。彼女は続けた。
「私の両親は二人とも2年前にグラスゴーで死んでしまいました。そのあと私はロンドンのある商人のところに引き取られました。でも今月8月1日に彼らは私を家から追い出したのです。どうしていいのかわからないので、私はパリに行こうと思ったんです。今列車から下りたばかりで、お巡りさんにどうしたらいいか聞いてみたのです。私の叔父さんが名前をリュカ(Lucas)といってパリで俳優をしていますが、住所はわかりません。」
マリアのポケットには5サンチームしか残っていなかった。署長のデュポノワ氏は彼女を本署に送ることにした。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288177 « Le Figaro » le 9 Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
こうした事件は日常茶飯事だった時代である。当時興隆し始めていた推理小説の素材のような風景が見える。
(2)の事件は、有名なメグレ警視が駆け出し時代に初手柄を挙げたとき勤務していたラ・ロシュフコー街にある分署と同じである。リュカ(Lucas)という名前の叔父さんまで出てきたのでここに紹介した。
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by utsushihara | 2008-08-28 15:02 | ★ベルエポック事件簿1908

ベルギーの自然劇場で『ローランの娘』公演

1908年8月

f0028703_18235056.jpgベルギーにおいても野外劇場での公演が催されるようになっている。(→)右掲画像は、ナミュール市のマリー=ルイーズ公園に設けられた自然劇場での公演風景であり、8月にフランスの劇団がアンリ・ド・ボルニエの4幕詩劇『ローランの娘』を上演した。出演は、ランベール父子、レイトネー、ルイ・ドローネー、マルケ、アレクサンドルの各氏と、バルジャック、ベイルの各女史で、素晴しい演技であった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
真夏の季節に都会の劇場ではなく、古代遺跡や公園を利用した《自然劇場》(Théâtre de la Nature)がフランス各地で開設され、盛んに公演がおこなわれた。この時代の流行でもあったようだ。
アンリ・ド・ボルニエ(Henri de Bornier, 1825-1901)は南仏の貴族の家柄であったが、パリに出て詩作と劇作に打ち込み、また新聞雑誌の批評家としても活躍した。成功作は『ローランの娘』(La Fille de Roland)でサラ・ベルナールの主演でコメディ・フランセーズ座に3ヶ月間かけられた。これは「ローランの歌」で知られる騎士ローランにまつわる古代愛憎劇である。

*参考サイト:Wikipedia(仏語) Henri de Bornier
**これまでの関連記事france100.exblog:シャンピニー=ラ・バタィユの自然古代劇場(Théâtre Antique de la Nature de Champigny-la-Bataille)(1908.08)
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by utsushihara | 2008-08-27 18:20 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ダランソン夫人の首飾り消失事件(捜査篇4)(ベルエポック事件簿)

1908年8月24日(水)

6月27日メゾン・ラフィットの別荘から消えたエミリエンヌ・ダランソン夫人の首飾りの事件は、その後捜査に進展があった。警視庁では、事件が起こった翌日に、高価な真珠の首飾りがパリのモン・ド・ピエテ(公益質屋)に預けられ、1万フラン(≒2500万円)が貸し出されたことを把握した。
この首飾りは、ヴェルサイユの警察にダランソン夫人とアロザ夫人から消失届けが出された数日後に請出されているが、持ち主のところには戻っていない。ヴェルサイユの予審判事イルシュ氏は昨日(23日)パリと北フランスの2個所に捜査令状を出して、同時に首飾りの質入れと請出しをした人物への逮捕令状にも署名した。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288192 « Le Figaro » le 24 Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
モン・ド・ピエテ(Mont de Piété = 公益質屋)は中世から高利貸に苦しめられる人々のためにイタリアの修道士が始めた質屋の仕組みである。パリではこの数年後にクレディ・ミュニシパル・ド・パリ(Crédit municipal de Paris = パリ公営信用組合)という金融機関となった。

*参考サイト:Wikipedia(仏語) Mont de Piété
**これまでの関連記事france100.exblog:ダランソン夫人の首飾り消失事件(捜査篇3)(ベルエポック事件簿)(1908.07.22)
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by utsushihara | 2008-08-26 17:57 | ★ベルエポック事件簿1908

アリス・ゲッラの人気

f0028703_2329194.jpg
1908年8月

アリス・ゲッラ嬢の名前は上流の観客にとても愛好されており、今や微笑ましい気品と粋な魅力は彼女のものとなっている。現在彼女は大人気の『風車小屋のレヴュー』で一方で陽気なおしゃべり女の役を完璧に演じ、他方では洗練された《シルクハット》の男装で溌剌とした格好を見せてくれる。
魅力満点の歌手であり、うっとりするほどの節回しを披露し、アリス・ゲッラ嬢はまた才気と繊細さに満ちた才能の申し分のない俳優であると言えよう。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288192 « Le Figaro » le 24 Août, 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
f0028703_23283341.jpg[ Ψ 蛇足 ]
アリス・ゲッラ(Alice Guerra, 18xx-19xx)はレビューの歌手として当時人気があった女優であるが、詳細は入手できていない。読んでみると提灯記事か記事広告のように思える。CMNに写真が見つかったので引用掲載する。
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by utsushihara | 2008-08-25 23:26 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ボート競技のフランス選手権大会(1908)

f0028703_17272529.jpg1908年8月23日(日)

8月23日バガテルにおいてボート競技のフランス選手権大会(Les Championnats de France d'Aviron)が開催された。《フランス漕艇サークル》(Le Cercle Nautique de France)がこの日、3つの競技種目において優勝した。「2人漕ぎ」、「4人漕ぎ」そして「8人漕ぎ」ですべて舵手付きである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)国際レガッタ競技会(1908)(1908.06.28)
(2)ロゥイング=マルヌ杯ボートレース(1908.05.31)
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by utsushihara | 2008-08-24 17:24 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ルルド50周年祭の大巡礼

1908年8月23日(日)
f0028703_1744017.jpg
ルルドではその奇跡のご出現から50周年を迎え、7月、8月、9月の3ヵ月間毎日20本の列車で巡礼者たちがひきも切らずこの小さな村を訪れる。8月23日は全国各地から約7万5千人の大勢の巡礼者が参集し、ご出現の祝祭行列がおこなわれた。
イタリア、チリ、アルゼンチン、ペルー、スコットランド、オーストリア、フランスのそれぞれを代表する13人の司教が儀式を取り仕切った。
夜には古い城跡や周囲の山々が照らし出され、松明を灯した祝祭行列が長い回廊と大階段のある磔刑像を練り歩いた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288178 « Le Figaro » le 10 Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ルルド村(Lourdes)の当時14歳の少女ベルナデット・スービルー(Bernadette Soubirous, 1844-1879)がマッサビエルの洞窟(Grotte de Massabielle)で聖母マリアの出現の奇跡を目にしたのは1858年2月から7月にかけてのことであった。毎年、聖母マリアの昇天祭(Assomption)の8月15日に合わせた国民的な巡礼(Pèlerinage national français)がおこなわれている。

*参考サイト:Wikipedia(仏語) Pèlerinage de Lourdes
**これまでの関連記事france100.exblog:ルルドの奇跡50周年祭(1908.02.17)
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by utsushihara | 2008-08-23 17:03 | フランス社会政経1909-10