フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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『ジャン・クリストフ』の新しい一巻『アントワネット』

f0028703_189628.jpg1908年6月

ロマン・ロラン氏はオレンドルフ社から『ジャン・クリストフ』の新しい連作《パリのジャン・クリストフ》の最初の巻『アントワネット』を出版した。
本来、主人公のジャン・クリストフはここではごく控え目な、通りかかるのを見かけるというような二次的な役割でしか登場しないが、この作品の最後の頁に至って、この挿話が主要な物語にいかに密接に関わっていたかを見出すことになる。それは地理学的に言えば、あたかも大河の流れの小さな傍流であり、取るに足らない人間存在の研究であり、アントワネットが弟オリヴィエのために自分の存在を犠牲にする物語である。
この娘の物語ほど単純で心を打つものはない。かつて少女だった幸福な頃には、快活ではじけるような楽しげな毎日であり、田舎の古い屋敷の広々とした庭で夢想好きなオリヴィエと一緒に遊び、そうした生活は美しく、豊かで充実したものと感じていた。
アントワネットは18歳で、14歳のオリヴィエとともにぽつりとパリにやってくる。銀行家だった父親は投機の失敗により破産し、自殺した。母親は苦悶と憂いと悲痛のあまり憔悴して死んでしまう。そしてアントワネットにはもはや一つの目標しかなくなる。それはオリヴィエの健康と幸福である。彼女は持てるすべての力をもって自己犠牲と永続的献身に傾注する。彼女自身が自分から抜け出して、オリヴィエの健康、幸福、活力そのものになろうとするのである。彼女は勉強を教え、ノートを写し、絶えず世話をし続けた挙句、今度は彼女が憔悴しきって死んでしまう。しかしその弟は救われる。今や彼は18歳でエコール・ノルマルに入学でき、将来は約束されたのだ。
自分の目標が満たされたと感じ、いつか自分の夢が実現するだろうと信じて歩むことだけでも大したことである。ただしこうした期待と確信はつねに最終的な完成までには至らないと人は経験で味わっている。そのためでもあろうがロマン・ロラン氏の感動的な簡潔な小説は心苦しい印象を感じさせない。悲しみは優しく、感動はしばしば心に訴える。この作品においてもまたロマン・ロラン氏の質の高さ、地味な技法、文学的な言い回しへの思い、繊細で純粋な感受性を見出すことになる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288122 « Le Figaro » le 15 Juin, 1908
画像 Crédit d’image : Wikipedia (Polski): Romain Rolland
http://pl.wikipedia.org/wiki/Romain_Rolland

[ Ψ 蛇足 ]
ロマン・ロラン(Romain Rolland, 1866-1944)の代表作『ジャン・クリストフ』(Jean-Christophe)はベートーヴェンをモデルにした人間性の成長と発展を描いた大河小説、教養小説と習った。『アントワネット』(Antoinette)の一篇は全10巻のうちの第6巻にあたる。全巻の完成は1912年になる。3つの部分に分けられており、上記の記事でも《パリのジャン・クリストフ》と紹介されているが、その群の第5巻『広場の市』が先に発表になっていたか否かは不明である。
Ⅰ.《ジャン・クリストフ》(Jean-Christophe):①曙(L'Aube)、②朝(Le Matin)、③青年(L'Adolescent)、④反抗(La Révolte)
Ⅱ.《パリのジャン・クリストフ》(Jean-Christophe à Paris):⑤広場の市(La Foire sur la place)、⑥アントワネット(Antoinette)、⑦家の中(Dans la maison)
Ⅲ.《旅の終わり》(La Fin du voyage):⑧女友達(Les Amies)、⑨燃ゆる荊(Le Buisson ardent)、⑩新しき日(La Nouvelle Journée)

*参考サイト:青空文庫:ロマン・ロラン作、豊島 与志雄・訳、『ジャン・クリストフ』
第六巻アントアネット:図書カード:No.42595
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by utsushihara | 2008-06-30 18:06 | 文芸、評論1907-08

[ 直近の更新状況 ] 3

ご来訪ありがとうございます。このところ記事の掲載がかなり遅れがちとなっており、ちょうど100年前の同月同日の暦の進行とはズレが出ております。なるべく取り戻したいとは思いますが、時間と気力が許す限りとご理解ください。しばらく3~5月の出来事が続きます。

6/30:ルイーズ・グランジャンのオペラ座復帰(1908.04.25)
6/30:リスレーのピアノ演奏会(1908.05.07)
6/29:ロゥイング=マルヌ杯ボートレース(1908.05.31)
6/29:パリ音楽院の定期演奏会(サン=サーンス、ラロ)(1908.04.26)
6/29:レオン・ドレフォスのピアノ演奏会(1908.05.20)
6/28:ミシシッピ川の氾濫(1908)(1908.05)
6/27:軍用食肉偽装事件(後)(1908.04.11)
6/27:ロダン作のアンリ・ベックの胸像碑(1908.06.01)
6/27:軍用食肉偽装事件(前)(1908.04.08)
6/26:若手作家・芸術家による「45の会」結成(1908.05.06)
6/26:パンテオンへのゾラの改葬(1908.06.03-04)
6/24:詩人フランソワ・コペーの葬儀(1908.05.23)
6/23:パッシーの「バルザックの家」の保存が確定(1908.05.16)
6/22:アメリカ人女流音楽家の私家書簡集「ドイツでの音楽修行」(1908.04)
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by utsushihara | 2008-06-30 17:56

名指揮者カール・ムックの帰郷

f0028703_1821337.jpg1908年6月

有名な指揮者のカール・ムック氏はこのほどベルリンに戻り、今秋から1892年以来務めてきたベルリン帝国歌劇場の指揮者の一人として2年ぶりに復帰することとなった。彼は一時的に1906年の末からその職位を離れ、米国ボストンの交響楽団の指揮者に就任し、米国全土を巡る長期にわたる演奏旅行を行なってきた。
ベルリンで活動を再開する前になるが、カール・ムック氏は今夏のバイロイト音楽祭でのいくつかの公演を指揮する予定である。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288122 « Le Figaro » le 15 Juin, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
カール・ムック(Karl Muck, 1859-1940)もSPレコード時代の巨匠として名を残している。

*参考サイト:Masahide's ゲテモノ・クラシック:歴史的演奏家指揮者編:カール・ムック
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by utsushihara | 2008-06-29 18:21 | オペラ、音楽、演劇1907-08

国際レガッタ競技会(1908)

f0028703_16371729.jpg1908年6月28日(日)

国際レガッタ競技会はアニエールの競艇場で行なわれ、スキフ(シングル・スカル)の部ではイタリア人ドネス(Dones)が我がドラプラヌ(Delaplane)を破って優勝した。(←画像)

同日行なわれた「野外生活」誌(La vie au Grand Air)杯のボートレース(舵手なしの4人漕ぎ)では、バス=セーヌ・チームが優勝した。(↓画像)

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908

f0028703_1638983.jpg[ Ψ 蛇足 ]
アニエール(Asnières)はパリの西北郊外にあるセーヌ川沿いの町である。この周辺は蛇行するセーヌ川が蛇行し、サン=ドニ島やアルジャントゥイユ(Argenteuil)とともにヨットやボートのレース場(Régates)として有名だった。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ロゥイング=マルヌ杯ボートレース(1908.05.31)
(2)「野外生活」杯パリ漕艇レース(1907.06.30)
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by utsushihara | 2008-06-28 16:35 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ルーヴル美術館にメムリンクの傑作『年老いた女』追加展示

f0028703_1728947.jpg1908年6月

ルーヴル美術館ではフランドル派のコレクションに有名なメムリンクの作品『年老いた女』の肖像画を新たに加え、展示する。メムリンクは1902年の「ブリュージュの初期フランドル派展」にも入っていた。この絵は二枚折りの絵(ディプティク : diptyque)の向かって右半分であり、もう片方は現在ベルリン美術館にある。取得にかかった費用は20万フランである。(≒5億円)
『年老いた女』(Vieille Femme)の肖像画は恐らくこのフランドルの名匠の傑作の一つとして見なされるだろう。我がルーヴル美術館では彼の作品をすでに6点保有している。
『聖母子』(Vierge à l’enfant):デュシャテル伯爵夫人からの遺贈。
『聖女カタリナの結婚』(Mariage de Sainte Catherine): ガトー氏からの遺贈。
『祈祷する寄進者』(Donateur en prières): エドゥアール・アンドレ氏からの寄贈。
『洗礼者聖ヨハネ』(Saint Jean-Baptiste): リュシアン・ボナパルト所蔵品から収納。
『マグダラのマリア』(Sainte Madeleine): 1814年にごく控え目な価格で購入。(11,726フラン)
『三連祭壇画:聖セバスチャンの殉教、復活、昇天』(Triptyque : Martyre de Saint Sébastien, Résurrection, Ascension): 1860年トリノで13,500フランで取得。
特にメムリンクの作品については一度ならずとも価格が上昇していることは確かである。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288129 « Le Figaro » le 22 Juin, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 91-001538- © RMN / Gérard Blot / Titre : Portrait de femme agée / Auteur : Hans Memling (1435-1494) / Localisation : Paris, Musée du Louvre

[ Ψ 蛇足 ]
ブリュージュを訪れたなら「メムリンク美術館」は必見と言われる。(時間の使い方が悪くて閉館になった経験の筆者は後悔している)作風としては、静謐さで満たされた画面に徹底した丁寧な描写が見られる。
下記(2)のWikimedia に主要作品の画像が参照できるが、上の『年老いた女』と対になっていたもう片方の『年老いた男』の絵は 《 Hans Memling 051.jpg 》で見ることができる。

*参考サイト:
(1)Salvastyle.com : ハンス・メムリンク(Hans Memling, 1435-1494) 主要作品の解説と画像
(2)Wikimedia Commons : Category : Hans Memling
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by utsushihara | 2008-06-27 17:26 | 美術、彫刻1907-08

マヌエル2世の海軍士官学校訪問

f0028703_22105146.jpg
1908年6月

ポルトガルの若きマヌエル2世の最初の公式行事の一つは海軍士官学校への訪問だった。上掲は出迎えた士官全員と一緒に写真に納まったものである。
一方、議会では新王の施政演説に対する回答書案を上院で賛成98、反対17、そのあと下院で賛成101、反対17で採択した。同時に内閣を信任する2つの動議について投票をおこなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
2月に先王と皇太子が暗殺されるという悲劇のあと、若い国王が即位してようやく国政が安定してきたところである。

**これまでの関連記事france100.exblog:ポルトガルの総選挙 (1908.04.05)
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by utsushihara | 2008-06-26 22:08 | 各国事情1907-08

プラハの博覧会

f0028703_23184222.jpg
1908年6月

オーストリアのフランツ=ヨーゼフ皇帝の在位60年を祝賀するためにプラハでは記念博覧会が開かれている。かつてゲーテやフンボルトが中央ヨーロッパで最も美しい都市と称えたプラハでのこの博覧会は、出展者の数が2000を超え、会場の広さは40ヘクタールに及び、特に産業展示が興味深く、大成功が見込まれる。
(↑)上掲は産業展示館と円内はオーストリア皇太子夫妻の来訪である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:オーストリア皇帝の在位60周年記念式典(1908.05.07)
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by utsushihara | 2008-06-25 23:17 | 各国事情1907-08

飛行船「レピュブリック」号の初飛行

f0028703_1891248.jpg1908年6月24日(水)

飛行船「レピュブリック」号は6月24日、モワッソンで初飛行に成功した。数日間にわたるパリ近郊の試験飛行を経て軍部に引き渡され、係留地となるトゥルに向かった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
まだ航空機が実用化されていない時代に、「操縦可能な気球」(dirigeable)としての飛行船が軍事的にも非常に重要性が持たれていた。ドイツの軍事力に対抗すべく官民一体となった動きが見られ、技術開発に熱心な産業界でも完成した飛行船を軍部に供用することが多かった。
下記の関連記事にもあるが、半年ほど前にフランス軍は飛行船「祖国」(La Patrie)号を悪天候によって喪失するという失態を経験している。今度こそはという意気込みもあったに違いない。実験地モワッソン(Moisson)はセーヌ川下流の蛇行した草原である。(ジヴェルニーの手前にある)

*参考サイト:ALBUM PHOTO DU XXème SIECLE飛行船「レピュブリック」(共和国)号の写真
**これまでの関連記事france100.exblog: 飛行船「祖国」号の消失(1907.11.29)
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by utsushihara | 2008-06-24 18:06 | 科学、軍事、海事1907-08

フラマン作の英国王妃の肖像画公開

f0028703_23583675.jpg1908年6月23日(火)

英国王エドワード7世はフランス芸術院会員で画家のフランソワ・フラマン氏にアレクサンドラ王妃の肖像画の制作を依頼していたが、このほど完成したその絵にいたく満足し、ウィンザー城に飾る前にロンドン市内で公開することを許諾した。
明日(23日)展示される王妃の肖像画は夜会服(ソワレ)を身にまとった姿で、その優美なシルエットが室内の装飾の中に浮かび上がっており、遠景にウィンザー城がうかがえるものである。
フラマン氏がこの作品に着手したのは昨冬からであり、アレクサンドラ妃は何度かのポーズにすすんで同意してくれた。姉妹であるロシアのマリー皇太后もこの際に付き添っており、二人並んだ別の肖像画も画家に注文していた。こちらの絵も完成したところで、毎年数週間姉妹で一緒に過ごすデンマークのフヴィドール邸に飾られることになっている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288129 « Le Figaro » le 22 Juin, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 05-520821- © RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski
Titre : Madame Flameng, femme de l'artiste / Auteur : François Flameng (1856-1923)
Localisation : Paris, Musée d'Orsay / Acquisition : don de l'artiste à l'Etat pour le Luxembourg 1899

f0028703_235968.jpg[ Ψ 蛇足 ]
フランソワ・フラマン(François Flameng, 1856-1923)は確かな腕を持った正統的な肖像画家、歴史画家として知られる。
雑誌『ジュセトゥ』にこの栄誉ある英国王室御用達画家のフラマンを紹介する特集記事が組まれている。(↑)上掲が記事にある『アレクサンドラ王妃』の絵だが、カラー画像は残念ながら見出せなかった。彼の腕前の確かさは(←)左掲のオルセー美術館蔵の『画家の妻フラマン夫人』(Madame Flameng, femme de l'artiste)の端整な美しさでも納得させられる。

絶世の美貌の姉妹だと賞賛の眼差しが送られたデンマーク王クリスチャン9世の2人の王女アレクサンドラ(アリックスAlix)とマリー(ダグマール Dagmar)は、それぞれ英国王エドワード7世妃アレクサンドラとロシア皇帝アレクサンドル3世妃マリア・フョードロヴナとなったあとでも仲が良く一緒に過ごすことが多かったようだ。アレクサンドル3世は1894年に49歳で死去していたため、マリーは皇太后となっていた。ロシア皇帝は息子のニコライ2世である。

*参考サイト
(1)Wikimedia : Image:Dagmar and alexandra.jpg (若い頃のアリックスとダグマールの写真)
(2)Wikipedia(和文)アレクサンドラ・オブ・デンマーク(Alix) Alexandra of Denmark
アレクサンドラ・カロリナ・マリー・シャルロット・ルイーズ・ジュリア(Alexandra Carolina Marie Charlotte Louise Julia, 1844-1925)
(3)Wikipedia(和文)マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)
マリー・ソフィー・フレデリケ・ダグマール(Marie Sophie Frederikke Dagmar, 1847-1928)
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by utsushihara | 2008-06-23 23:56 | 美術、彫刻1907-08

アンドレジーの城館ドゥヌーヴァルのお披露目

1908年6月21日(日)

ハーシー・エディ夫人は竣工したばかりのドゥヌーヴァルの館に知人友人たちを招き、興味深い音楽のつどいを催した。この機会に高名なオルガン奏者のアレクサンドル・ギルマン氏が、この館のゆったりとした大広間に据え付けられたカヴァイエ=コル=マルタンのパイプオルガンを初めて演奏した。そのオルガン装置は建築家によって特別にデザインされ、広間の全体的な装飾と完全な調和を保っていた。
曲目はバッハのトッカータや演奏者自作のオルガン・ソナタからなり、手馴れた技の冴えによる見事なもので、その後は、愛想たっぷりの女主人が大勢の招待客をもてなした。比類なく美しい屋敷と庭園の配置は、政府の優れた建築家であるピエール・サルドゥ氏によるもので、ただ賞賛するほかない。氏は最近パリ17区エネー街にフランス劇作家協会の建物も完成させている。
f0028703_1772014.jpgこの屋敷の造りはかなり独創的なものがある。大きな屋根の上に風変わりな鐘楼のような塔が立ち、近くを流れるセーヌ川からは40mの高さゆえに最高の印象を与えてくれる。大きなアメリカ風のヴェランダ、眺望の良いテラスがある庭園、館の四方にあしらわれたパーゴラ(蔓棚)などに人々は見とれた。また同様に注目を集めたのはマルセル・マーニュ氏制作による美しい窓ガラス装飾である。
ドゥヌーヴァルの屋敷は、快適さと美しさの点も含め、今後、パリ近郊で最も個性的で、最も研究され、最も楽しい居館の一つとなるであろう。
当日の招待客の中には:作曲家サン=サーンス氏、劇作家ヴィクトリアン・サルドゥ夫妻、女優マドレーヌ&シュザンヌ・ルメール姉妹、彫刻家ルネ・ド・サン=マルソー夫妻、建築家ピエール・サルドゥ氏、劇作家ロベール・ド・フレー侯爵夫妻、ラ=シャトル公爵、シュヴェーラン侯爵夫人、医師ジェヌヴォワ夫妻、医師レオン・ベルナール氏、等々・・・

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288129 « Le Figaro » le 22 Juin, 1908
画像 Crédit d’image : ©Site du Club Historique d’Andrésy : Le Manoir de Denouval
http://membres.lycos.fr/andresy/manoir.htm

[ Ψ 蛇足 ]
幸いにもこの城館ドゥヌーヴァルの屋敷(Manoir de Denouval)の写真を見つけ出せたので簡略化した画像で引用掲載する。パリからかなり西北郊外となるセーヌ川沿いの町アンドレジー(Andrésy)の一角にある。
ハーシー・エディ夫人(Mme Sarah Hershey Eddy)は裕福なアメリカ人女性で、かつてオルガニストと結婚していた。チョコレート会社のハーシーと関係があるかも知れない。

*参考サイト
(1)Site du Club Historique d’Andrésy (仏語:アンドレジーの歴史クラブ)
(2)オルガン奏者アレクサンドル・ギルマン(Alexandre Guilmant, 1837-1911)
(3)カヴァイエ=コル=マルタン(Cavaillé-Coll-Martin)のパイプオルガンは現存しているかどうか不明。
(4-1)建築家ピエール・サルドゥ(Pierre Sardou, 1873-1952)は有名な劇作家ヴィクトリアン・サルドゥの長男。後年(1929)パリ国際大学都市日本館の建築設計に関わった。
(4-2)『わが半生の夢』 薩摩次郎八(1)

[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
アンドレジー(Andrésy)と聞いて思わず「ムムッ。。。」となった方はかなり熱烈なルパン党の方です。ルパンの変名の一つ、ラウール・ダンドレジー(Raoul d’ Andrésy)は母親の姓を名乗ったものだといいます。ルパンにはパリからルーアン、ル・アーヴルまでのセーヌ川下流域が舞台となる作品がどうしても多いのは、作者のモーリス・ルブランの生い立ちにも関係するのですが、ルパンの生い立ちもそうだったのか、と思いを馳せるのも悪くありません。上記の城館も映画に使えそうな雰囲気があります。現在は児童福祉施設になっているようです。折あらば探訪していただければ(見学はできないかも)セーヌ河畔の風光明媚さを感じられるでしょう。
日本でも輸入食品で売っているアンドレジー・ジャム(Andrésy – Confitures)もやや有名ですね。
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by utsushihara | 2008-06-22 17:01 | オペラ、音楽、演劇1907-08