フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ロゥイング=マルヌ杯ボートレース

f0028703_22491848.jpg1908年5月31日(日)

8漕手のロゥイング=マルヌ杯ボートレースは、5月31日ビヤンクールからアニエールまでのセーヌ川で行なわれ、マルヌ漕艇協会(La Société Nautique de la Marne)のチームが優勝した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ロゥイング=マルヌ杯(Match Rowing-Marne):19世紀の半ばにはすでに漕艇競技が始められ、クラブ・チームがあちこちで結成されていた。

*参考サイト:L'Histoire du Rowing-Club : de 1853 à nos jours(仏語)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)
「野外生活」杯パリ漕艇レース(1907.06.30)
(2)第63回オクスフォード対ケンブリッジのボートレース(1908)(1908.04.06)
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by utsushihara | 2008-05-31 22:25 | スポーツ、乗物、探検1907-08

シャンティイ競馬でのデッドヒート

f0028703_121833.jpg1908年5月31日(日)

1908年のシャンティイ・ダービー(ジョッケー・クラブ大賞レース)を際立たせたのは人気を集めた2頭の馬による激しい優勝争いであり、まれにみる結果となったことである。つまりゴール直前においてシーシック号(←画像)とカンテット号とがデッドヒートを演じたのである。このようなレースは1880年以来18年ぶりのことである。
まずレースはセベニコ号(Sebenico)が先頭を走り、残りの馬はかなり遅い集団となっていた。最後の直線コースに入り、まずシーシック号(Sea Sick)が追い抜き、その外側からカンテット号(Quintette)が続いた。そして内側からケニルウォース号(Kenilworth)も仕掛け、少し後にノースイースト号(Northeast)が追撃し、この4頭が一線となった。あとから猛迫したグリルルーム号(Grill Room)は無理矢理に内側の柵とケニルウォースの間を抜けようとしたが、脚がぶつかって騎手は落馬した。
この間、シーシックは優勢のままゴールに向かっていたが、カンテットが猛然と追いつき2頭の馬は稀に見るデッドヒートを演じたまま、一線となってゴールした。3着のケニルウォースも4着のノースイーストもそれぞれ首の差でしかなかった。

ジョッケー・クラブ大賞レース(賞金10万フラン、2400m)の結果:
f0028703_1221576.jpgまず1位は、エミール・デシャン氏所有の「カンテット」号(Quintette)、父馬ガルドフー(Gardefeu)、母馬ディネット(Dinette)で、騎手はジョルジュ・スターン、初優勝である。(画像→)
同着1位は、ヴァンデルビルト氏所有の「シーシック」号(Sea Sick船酔い)、父馬エルフ(Elf)、母馬サフサフ(Saf Saf)で騎手はミリオン・ヘンリー(Milion Henry)。
3位:ケニルウォース、着外:ホルバイン、グリルルーム、セベニコ、ノースイースト、ポマールなど。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288108 « Le Figaro » le 1er Juin, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
日本ではよく「鼻の差」というが、フランスでは「首の差で勝つ」(gagner d'une encolure)という表現を使う。また「デッドヒートを演じる」はそのまま 《 faire dead-heat 》(フェール・デドイト=hは発音しない)となっていて官製仏語はなさそうだ。

このあと「シーシック」号は英国のエプソンで開かれるダービーに出走のため海峡を渡ったが、6位に終った。そのため6月のパリ大賞レースには出走しなかった。
この年のシャンティイ競馬の売上はこれまでの最高記録を更新し、入場料で148,800フラン(約3億7千万円)、馬券の売上で1,024,550フラン(約25億6千万円)となった。また北部鉄道会社は昨年よりも8千人多い、3万人を超える乗客を51本の臨時列車で運んだ。
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by utsushihara | 2008-05-31 12:00 | スポーツ、乗物、探検1907-08

画家スタンネル殺人事件

1908年5月30日(土)

世にも恐ろしい殺人事件が土曜日の夜に起きた。凶悪な事件は連日起きているが、二人が殺害される事件は特筆されるべきものである。この惨劇は芸術的かつ上品な環境で起きたゆえに恐ろしさが強められ、被害者スタンネル氏の知名度ゆえに人々の興味が高まっている。彼は展覧会で何度か賞を取り、叙勲も受けた高名な画家であるが、パリ15区ヴォージラール地区のロンサン小路の自邸で、夜間何者かによって絞殺されたのである。義母にあたる未亡人のジャピィ夫人も彼と同じように絞殺体で発見された。一方、画家の妻、若く魅力的なスタンネル夫人は猿轡でベッドに縛り付けられたものの生き延びたのは幸運としか言いようがなかった。
この恐ろしい犯罪は謎に満ちており、小説のような殺人事件の詳細や状況(一戸建ての屋敷、猿轡、紐、嵐の荒れ狂う夜、遠ざけられた番犬など)は人々の興味をさらにかきたてることとなった。いずれにしても、殺人犯たちはあたかも今はやりの推理小説から出てきたような犯行の手際のよさがうかがえた。

事件の最初の発見者は、23歳の家令レミ・クイヤール、金髪の気が弱そうな青二才の男である。彼の話は次のようであった:
ここ数日はご主人が留守だったので1階で寝起きしていました。土曜の夜はお戻りになったので私は4階の自室で休みました。日曜の朝5時半に目覚め、身支度をして、朝食の準備のため下に降りました。お嬢様の部屋のそばを通ると、うめき声が聞こえました。「どうしたんだろう?」と思って見に行きました。
扉は開いていました。泣き声が続いているように聞こえたので中に入りました。マルト様*の小さな鉄製のベッドに奥様が下着姿で縛りつけられていたのです。細く頑丈な紐で足と手をベッドの枠に括りつけ、身体の周りを何回かぐるぐる巻きになって身動きも出来ない状態でした。口の中には大きな綿球が詰め込まれ、声も出せません。脇机には燃え尽きた蝋燭がありました。(*娘のマルトは田舎の別荘にいてこの時は不在)
私は急いで猿轡をほどきました。奥様は奴らがご主人様と大奥様を殺したのだと言いました。寝室と化粧室の間の廊下にご主人様は首を絞められて倒れていました。その口の中にも綿球が詰め込まれていました。
それから大奥様がベッドの上で同じように猿轡をされて首を絞められて死んでいました。
奥様がまだやつらが階下にいるだろうからとおっしゃるので、私は下に降りずに、窓を開けて縁によじ登り、力の限り助けてくれ!と叫んだのです。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288108 « Le Figaro » le 1er Juin, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 00-030101- © RMN / René-Gabriel Ojéda
Titre : Portrait de madame Steinheil / Auteur : Léon Bonnat (1834-1922) / Localisation : Bayonne, Musée Bonnat

f0028703_21325361.jpg[ Ψ 蛇足 ]
有名な「スタンネル事件」(L’Affaire Steinheil)の発端である。新聞ではこの後毎日のように警察の捜査の状況を報じることになる。「ロンサン小路の二重殺人事件」(Le Double assassinat de l’impasse Ronsin)などの見出しも使われた。この事件に関しては下記(↓)の畏友松本さんのサイトでかなり前に紹介されており、詳細はこれをご覧いただければ、社交界での背景も含め、謎がますます深まっていく様子がわかるだろう。
当時の新聞記事を丁寧に追っていくだけで小説1冊分の分量になるだろうと思う。

上掲(↑)は肖像画家として有名なレオン・ボナ(Léon Bonnat, 1834-1922)の描いた『スタンネル夫人の肖像』(Portrait de madame Steinheil)である。なぜ夫人だけが殺されずに生き残ったか?がずっと後年まで疑惑の中心に留まることになる。活発な性格で社交界に艶名をはせたというが、それほどの美人ではなさそうだ。(バイヨンヌのレオン・ボナ美術館蔵)
被害者の画家アドルフ=シャルル=エドゥアール・スタンネル(Adolphe Charles Edouard Steinheil, 1850-1908)の作品はRMNの検索でも凡庸な作品しか見当たらない。

*参考サイト: Le Parti pris des lettres 文字の味方 文学の味方:ピエール・ダルモン『スタンネル事件』ベル・エポックの犯罪(2004.05.22)
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by utsushihara | 2008-05-30 18:35 | ★ベルエポック事件簿1908

ガストン・ラトゥシュの個展

f0028703_16574482.jpg1908年5月

独自の画風と個性的な色使いで知られるガストン・ラトゥシュ氏の個展がジョルジュ・プティ画廊で開かれており、パリの人々の話題となっている。作家のエドモン・ロスタン氏はこの機会のために優雅な詩を寄せている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 85-001067- © RMN (Musée d'Orsay) / Jean Schormans / Titre : le mariage de Riquet à la houppe (conte de fées de Charles Perrault)
Auteur : Gaston de La Touche (1854-1913) / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

f0028703_1658436.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ガストン・ラトゥシュ(Gaston Latouche ou Gaston de La Touche, 1854-1913)は童話風の装飾壁画作家として2年前に劇作家エドモン・ロスタン(Edmond Rostand, 1868-1918)の別荘のために何人かの画家たちと分担して壁画を描いている。(↑)上掲の絵も元々シャルル・ペローの童話集にある「巻き毛のリケ」(Riquet à la houppe)の一場面(婚礼の場)を題材としたもので、今はオルセー美術館に収蔵されているが、ロスタンのための作品の一つだったかもしれない。ロスタンが寄せた詩についてはまだ調べがついていない。
ラトゥシュについては社交の場の風俗画でも高い人気を得ており、急死する1913年まで精力的にサロンにも出展し続けることになる。

**これまでの関連記事france100.exblog:エドモン・ロスタンの別荘のための装飾壁画(1906.11)
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by utsushihara | 2008-05-29 16:56 | 美術、彫刻1907-08

ヴェルキンゲトリクス記念碑への巡礼

f0028703_18163320.jpg1908年5月28日(木)

フランス・ツーリング・クラブ主催による若い学生たちによる全国巡礼は5月28日、アリーズ・サント=レーヌの古戦場にあるヴェルキンゲトリクスの彫像の周りに集結し、マトルショ氏の演説とともに英雄の偉業を偲んだ。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
LCR01790 : Statue de Vercingéorix, Alise-Sainte-Reine
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 97-018697- © RMN / Jean-Gilles Berizzi
Titre : Vercingétorix / Auteur : Eugène Delacroix (1798-1863) / Localisation : Paris, Musée Eugène Delacroix / Acquisition : achat, 1991

f0028703_18165680.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ヴェルキンゲトリクス(Vercingétorix, BC80(?)-46)は「ガリア戦記」でローマ軍の将軍カエサルと互角に戦ったガリア族の一部族の首領である。アレジアの戦い(Alésia)が歴史的にも有名で、この地にナポレオン3世時代に記念碑が建てられた。古代フランスを代表する英雄として崇められ、毎年各地から巡礼団(Pélerinage nationale)が集まる行事が催された。(フランス語読みはヴェルサンジェトリクス:←画像はドラクロワ筆のリトグラフ)

演説をしたルイ・マトルショ(Louis Matruchot, 1863-1921)は高等師範学校の教授で、植物学者、特にフランス茸菌協会の会長であった。また歴史上のアレジア戦跡発掘調査にも興味を示し、発掘月刊誌「プロ・アレジア」(Pro Alésia, revue mensuelle des fouilles d'Alise)の主筆だった。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Vercingetorix ヴェルキンゲトリクス
(2)Wikipedia(仏語)Louis Matruchot ルイ・マトルショ
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by utsushihara | 2008-05-28 18:15 | フランス社会政経1909-10

ミシシッピ川の氾濫(1908)

f0028703_2346756.jpg1908年5月

米国の春は例年ミシシッピ川流域の恐ろしいほどの氾濫に見舞われる。ウェスト・ヴァージニア州ウィーリングでは川の氾濫があまりにも急速に発生したために線路が冠水し、急行列車は立ち往生したため、乗客はあわてて脱出を余儀なくされた。機関士は自分の持ち場に残った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ウィーリング(Wheeling)はウェスト・ヴァージニア州(West Virginia)の北端の町。ミシシッピ川(Mississipi)の長さ大きさ広さに驚かされる。(↓)Google map : Wheeling
http://maps.google.com/maps?hl=ja&tab=wl&q=wheeling%2C%20va

**これまでの関連記事france100.exblog: ミシシッピ川の弊害(1907.02)
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by utsushihara | 2008-05-27 23:43 | 各国事情1907-08

チューリヒの公立天文台

f0028703_18494038.jpg1908年5月

チューリヒはその公立天文台がスイスや欧州の他の都市から際立った盛況を見せている。観測設備の進歩により今や人々の関心は天文学に及んでいる。実に幸せなことに、ここの天文台には半年足らずで4千人を超える人々が訪れた。これはパリにおいても見習うべき好例であり、同じような盛況が見込まれる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:長老天文学者ジャンサンの死去(1907.12.23)
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by utsushihara | 2008-05-26 18:45 | 科学、軍事、海事1907-08

ファリエール大統領の英仏博覧会訪問

f0028703_1642583.jpg1908年5月25日(月)

ファリエール大統領は5月25日朝、ロンドンに向けて出発した。同行者はピション、ラヌス、ヴァレンヌ、デュラスタ各氏とラッソン大佐、ケロードラン司令官などである。ロンドン到着時には国王エドワード7世の歓迎を受けた。そのあとバッキンガム宮殿で王室や閣僚、著名人との夕食会がおこなわれた。
翌26日には、フランス大使館において大統領主催による在英居住者の祝宴が開かれ、勲章の授与もおこなわれた。午後には英仏博覧会の会場を訪れ、英国国王夫妻、皇太子夫妻とともに博覧会実行委員代表のダービー卿、ダルジル公爵の案内を受けた。夜はマールボロー館において皇太子主催の夕食会があった。
27日昼には、ギルドホールにおいてロンドン市長夫妻主催の午餐会が催され、大統領と王室一行が招かれた。夜は英国外務省のエドワード・グレイ卿による夕食会であった。

f0028703_1634535.jpg(←)画像は、ロンドンの英仏博とフランス大統領の訪英を記念して蝋人形博物館で君主の姿を複製した人形を展示した。ここでは国王エドワード7世、ファリエール大統領、アレクサンドラ王妃、皇太子のとてもそっくりの蝋人形と、宮廷の女官の姿が見える。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Aoû0t, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
博覧会実行委員長だったダービー伯爵(Frederick Stanley, Earl of Darby, 1841-1908)は6月14日にケント州ホルウッド城で死去した。67歳だった。彼は第16代当主で、保守党の閣僚を歴任し、カナダ総督をつとめ、当地でアイスホッケーのスタンレー杯を創設したほどのスポーツマンでもあった。

*参考サイト:Wikipedia(英文)Frederick Stanley, 16th Earl of Derby

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)通産大臣クルッピの訪英(1908.05.07)
(2)ロンドンで英仏博覧会開幕(1908.05.14)
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by utsushihara | 2008-05-25 16:12 | 各国事情1907-08

モンリニョンに「隠退芸術家の家」が開館

f0028703_2333382.jpg1908年5月24日(日)

5月24日、モンモランシーの森の近くにあるモンリニョンに隠退した芸術家のための施設の会館を祝う式典が行なわれた。これは文筆家アルマン・アィエムの未亡人からの建物の寄贈によるもので、文部大臣のドゥメルグ氏と文化担当大臣のデュジャルダン=ボーメツ氏が参列し、フランス芸術家協会の会長ネノ氏も同席した。この財団の資金はおよそ80万フランであるが、その最初の4万フランは、かつてフランス芸術家協会の会長で今は亡き建築家のバィイ氏から寄せられている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908

f0028703_23357100.jpg[ Ψ 蛇足 ]
モンリニョン(Montlignon)はパリ北西郊外にあるモンモランシー(Montmorency)の丘陵の南側に位置する。
文筆家アルマン・アィエム(Armand Hayem, 1845-1889)はユダヤ系の作家で、性愛心理学の分野での著作が多い。未亡人は夫の死後、この居館を地元の貧困層への福利厚生施設として運用したがうまく行かず、画家や彫刻家向けの養老施設として寄贈することになった。
BNF-Gallicaではアィエムの著作『ドン・ファン主義』(Le Don Juanisme)が読める。
http://gallica.bnf.fr/document?O=N205099
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by utsushihara | 2008-05-24 23:01 | 美術、彫刻1907-08

拳闘家サム・マクヴェーの新たな勝利

f0028703_18125790.jpg1908年5月23日(土)

米国カリフォルニア出身の黒人ボクサー、サム・マクヴェー氏は5月23日ジェウェイ・スミス(Jewey Smith)との対戦で第3ラウンドでノックアウト勝ちを占め、最短勝利の新たな記録を達成した。それまではトミー・バーンズ(Tommy Burns)が第5ラウンドで倒した記録である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.42; Juillet, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
サム・マクヴェー(Sam Mac Vea, 1884-1921)は1ヶ月前の試合でベン・テイラー(Ben Taylor)を破っている。快進撃である。

**これまでの関連記事france100.exblog:馬芸館でヘビー級ボクシング試合:サム・マクヴェー対ベン・テイラー (1908.04.15)
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by utsushihara | 2008-05-23 18:10 | スポーツ、乗物、探検1907-08