フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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無声映画+名曲コンサート(シネマ=アーティスティク・コンセール)

1908年2月28日(金)

パリ9区クリシー街55番地のベルリオーズ会館において、今晩8時45分から映像を見ながらクラシック音楽を聴く「シネマ=アーティスティク・コンセール」が開業する。曲目は、
①ベルリオーズ(H. Berlioz):「幻想交響曲」(Symphonie fantastique)から「断頭台への行進」(Marche au supplice)
②ブルゴー=デュクードレー(Bourgault-Ducoudray):「タマラ」前奏曲(Prélude de « Thamara »)
③ベートーヴェン(Beethoven):交響曲第1番から最終楽章 (Finale de la Symphonie No.1)
④バンジャマン・ゴダール(B. Godard):「ジョスランの子守歌」(Berceuse de “Jocelyn”)チェロ独奏:パリ音楽院首席ショワネ氏(M.Choinet, 1er prix du Conservatoire)
⑤サン=サーンス(C. Saint-Saëns):英雄行進曲(Marche héroïque)
となっている。
また主な映像は:
「カリフォルニアにて」、「カナダの森林伐採」、「インディアンの復讐」、「年代をたどる衣裳の行列(彩色)」などで、「ザ・ユニック・バイオグラフ」(The Unic Biograph)方式による上映である。映像の入替えは毎週金曜日、入場料は0.5フランと1.0フランで予約割増料金無しとなっている。日祝日に昼の上映がある。(午後2時45分から)
また近日中にこの施設の地下にサロン・バーと、アメリカ式ボウリングと、ブルンスウィック式楕円形のビリヤードがオープンする。こちらへの入場は無料。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288012 « Le Figaro » le 28 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:© BNF-Gallica; Bourgault-Ducoudray

[ Ψ 蛇足 ]
無音・無声の映像を流すだけでは人々が飽き足らなくなってきたのだろう。まだこの時期の映画は実写映像のみで、ニュースの一歩手前のところにいる。音楽を聞かせながら映像を見せる方法も考え出されて当然である。演劇性・物語性のある映画が作られるようになって「活弁」(舞台のそでで説明)のワザが冴えるようになるが、音楽は欠かせない。
ベルリオーズ会館(Salle Berlioz)は昔からの狭いクリシー街(Rue de Clichy)の坂道の途中にあった小劇場である。
f0028703_23483637.jpg他の記事でも度々目にするが、予約(location de billet)のほうに「割増なし」(sans augmentation)とわざわざ断っているのが今とは違って入手困難なための慣習(公示的プレミアム?)だったかもしれない。

ルイ=アルベール・ブルゴー=デュクードレー(画像→)(Louis-Albert Bourgault-Ducoudray, 1840-1910)はナント出身の作曲家。ローマ賞を獲得し、イタリアに留学した。民俗的な旋律を取り入れた作品が多いが、歌劇「タマラ」(1895)が最も良く知られた。

*参考サイト:Morrison Foundation for Musical Research, Inc.: Bourgault-Ducoudray(英文)
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by utsushihara | 2008-02-28 23:50 | オペラ、音楽、演劇1907-08

カザルス夫人と称するギレルミーナ・スッジアのチェロ独奏

f0028703_17502893.jpg1908年2月28日(金)

ガヴォー楽堂では去る2月7日に引き続き、28日にパブロ・カザルス氏の指揮、ラムルー管弦楽団の演奏による2回目の演奏会を開く。曲目は以下の通りである。
①ブラームス(Brahms):交響曲第3番(Symphonie No.3)
②エマヌエル・モール(Emanuel Moór):三重協奏曲(Triple Concerto)
独奏:アルフレッド・コルトー(Alfred Cortot, Pf)、ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, Vn)、パブロ・カザルス(Pablo Casals, Vc & Cond.)
③ドヴォルザーク(Dvorak):チェロ協奏曲(Concerto pour Violoncelle et orchestre)
独奏:ギレルミーナ・スッジア(Guilhermina Suggia, Vc)

出典 Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288012 « Le Figaro » le 28 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:©Figuras da Cultura Portuguesa: Guilhermina Suggia
www.instituto-camoes.pt/cvc/figuras/gsuggia.html

[ Ψ 蛇足 ]
ギレルミーナ・スッジア(Guilhermina Suggia, 1885-1950)はポルトガル出身の女流チェロ奏者である。カザルスよりも9歳年下ながら非常にすぐれた芸術性と技量を備えた演奏家であった。声楽はともかく、器楽奏者としての女性の活躍の場はまだまだ少なかった。彼女はカザルスに師事する傍ら演奏活動にも加わった。この2月7日の最初にカザルスが指揮をした演奏会でも、エマヌエル・モール(Emanuel Moór, 1863-1931)作曲の「2つのチェロのための協奏曲」をカザルスとともに演奏している。当時のプログラムにはカザルス=スッジア夫人(Mme Casals-Suggia)として紹介されているが、正しくは同棲であり結婚はしていなかった。上記の演奏会ではドヴォルザークの名曲「チェロ協奏曲」の独奏で出演したが、指揮はカザルスだった。
後世、英国ではスッジアの業績を記念して女性チェロ奏者のための「スッジア賞」を設立しており、もはや伝説的な女流チェロ奏者となったジャクリーヌ・デュ・プレもこの賞を獲ている。ロンドンのテート・ギャラリーに一番有名なスッジアの肖像画がある。
作曲家エマヌエル・モール(Emanuel Moór, 1863-1931)は、ハンガリー出身でウィーンで学んだあと19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した欧州の名演奏家イザイ、コルトー、ティボー、カザルスらのために多くの作品を残した。当時積極的に演奏されたのは上記の「三重協奏曲」や「2つのチェロのための協奏曲」でもうかがい知ることができる。特にチェロ・ソナタや室内楽曲は現在CDで入手できる。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Guilhermina Suggia ギレルミーナ・スッジア
(2)Tate Collection On-Line : Madame Suggia by Augustus John OM (1878-1961)「チェロを奏くスッジア夫人」
(3)Amazon.jp : Emanuel Moór エマヌエル・モールのCD

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)パブロ・カザルスの初めての指揮と独奏(1908.02.07)
(2)コルトー・ティボー・カザルスの三重協奏曲(1908.02.16)
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by utsushihara | 2008-02-28 23:45 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ピアノの巨匠エミール・フォン・ザウアーの2度の演奏会

f0028703_22551676.jpg1908年2月28日(金)

ぎゅうぎゅう詰めのエラール・ピアノ社の小さなホールで2月10日午後9時からエミール・ザウアー氏の初リサイタルが開かれた。氏の演奏はあらゆる予想をはるかに超えて絶賛を博した。曲目はベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、シューマン、ショパン、グリーグ、リスト、そしてザウアーの自作であった。聴衆は優れた曲目の完璧な演奏によって忘れがたい印象を心に刻んだ。
氏は現在、英国各地において数多くの華々しい演奏による巡業を続けているが、ウィーンに帰る前にパリに再び立寄り、28日午後9時から2度目となる最後のリサイタルをエラールのホールで開く。今回はさらにその秀でた名人芸にふさわしくプログラムの編成は多岐にわたるものとなっている。
ベートーヴェン(Beethoven):ロンド(Rondo)作品51と作品129、ポロネーズ(polonaise) 作品89
シューマン(Schumann):幻想曲(Fantasie) 作品17(この巨匠の芸術的感性に最も良く合致したもの)
ショパン(Chopin):バラード、夜想曲、練習曲2曲
スガンバーティ(Sgambati):「4つの小品」(4 Pezzi)から「挽歌」(Nenia)
ルビンシテイン(Rubinstein):スタッカート・エチュード(Staccato étude)
ヨハン・シュトラウス&シュルツ・エヴラー(J.Strauss & Schultz Evler):「青きドナウ」の主題によるアラベスク(Arabesque sur des thèmes du «Danube bleu»)
このような作品によってエミール・フォン・ザウアー氏の演奏が熱狂的な賞賛を呼び起こさずにはいられないだろう。
入場券はしばらく前から売り切れとなっているが、追加された平土間の最後列の6フランの席がいくつかと、階上の10フランと20フランの桟敷席がまだ入手できる。切符はエラール・ホールのほか、デュラン、グリュスの両楽譜店、およびダンドゥロ音楽事務所(アムステルダム街83番地)にて取扱っている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #287994 « Le Figaro » le 10 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288007 « Le Figaro » le 23 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 97-004847 ©François Vizzavona/Maryse El Garby
Description : Portrait d'Emile Saüer, pianiste et compositeur allemand (1862-1942) (exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1912) Auteur : Albert Besnard (1849-1934) : Localisation inconnue

[ Ψ 蛇足 ]
ドイツ出身の名ピアニスト、エミール・フォン・ザウアー(Emil von Sauer, 1862-1942)は19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した。フランツ・リストやニコライ・ルビンシテインの直弟子であった。1901年から1907年までウィーンの国立音楽院でピアノの教授を務めたが、1908年頃から演奏家として世界各国で公演を始めた。
2月23日付のフィガロ紙の第1面に「ひと」のコラムに次のように書かれている。
「現代ビアノの栄光:欧州と米国は1年前にまだウィーン音楽院でピアノの教授をしているザウアー氏を見出した。その芸術を崇拝する多くの愛好家や友人たちの請願に押され、彼はすべてを演奏活動に捧げる決心をした。以来、彼の赴くところ成功が途切れることなく、聴衆から賞賛され、政府からは勲章を受けている。わが国でもレジオン・ドヌール勲章を授与している。(…)卓越したピアニストであるザウアー氏は同時に才能豊かな作曲家であり、音楽家たちはこぞって彼の作品、とりわけピアノ協奏曲2曲、ピアノ・ソナタ数曲、練習曲12曲を第一級の作品と見なしている。(…)彼の2回目のリサイタルの夕べは、パリの人々に至高の芸術がもたらす感動を約束している。」

*参考サイト:
(1)A History of Sebastian Erard, Piano and Harp Maker(英文)エラール・ピアノ社の歴史
Salle Erard; 13, rue du Mail, Paris 2e
(2)Wikipedia(和文)ジョヴァンニ・スガンバーティ(Giovanni Sgambati, 1841-1914):歌劇全盛の19世紀後半のイタリアでドイツ音楽の影響を受けた管弦楽曲・器楽曲を残した。スガンバーティの作品はCDでは意外に入手が可能となっている。(例:amazon.fr)
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by utsushihara | 2008-02-28 22:53 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ワーグナー没後25周年記念演奏会

f0028703_23313364.jpg1908年2月27日(木)

ラムルー管弦楽団は、2月27日午後9時からワーグナー祭(Festival Wagner)と銘打って彼の作品だけの演奏会をフェリックス・モトル氏(画像→)の指揮、カショフスカ女史の共演で開く。
①歌劇「さまよえるオランダ人」序曲 (Le Vaisseau fantôme, ouverture)
②歌劇「ローエングリン」前奏曲 (Lohengrin, prélude)
③歌劇「タンホイザー」序曲 (Tanhäuser, ouverture)
④歌劇「さまよえるオランダ人」ゼンタのバラード(Le Vaisseau fantôme, Ballade de Senta) Mme F. Kaschowska
⑤「女声のための4つの詩」(Quatre Poèmes chantés, orchestré par F. Mottl) Mme F. Kaschowska
⑥歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲 (Les Maîtres chanteurs, ouverture)
⑦楽劇「パルシファル」前奏曲 (Parsifal, prélude)
⑧楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死 (Tristan et Yseult, prélude et la Mort d’Yseult) Mme F. Kaschowska

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288003 « Le Figaro » le 19 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288009 « Le Figaro » le 25 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288011 « Le Figaro » le 27 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:Badische LandesBibliothek: Der Magier am Dirigentenpult. Felix Mottl (1856-1911)
http://www.blb-karlsruhe.de/blb/blbhtml/2006/mottl.php

[ Ψ 蛇足 ]
リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner, 1813-1883)はこの年から25年前の1883年2月13日に世を去った。ドイツ圏のみならずフランスでもワーグナーを記念するオペラ公演が行なわれた。新経営陣のオペラ座では2月にロシアから呼び寄せた歌姫マリー・クスニェツォフ(Marie Kousnietzoff, 1880-1966)による「ローエングリン」が、またジャンヌ・アット(Jeanne Hatto, 1879-1958)主役の「ワルキューレ」も上演されている。

ミュンヘンの宮廷劇場の音楽監督のフェリックス・モトル(Felix Mottl, 1856-1911)はワーグナー指揮者として早くからバイロイト音楽祭に関わり、高い評価を得ていた。アンドレ・メサジェやアンリ・ビュッセルはモトルのワーグナー解釈を学び取りたいという意欲を示していた。

「女声のための4つの詩」は恐らくヴェーゼンドンクWesendonk夫人の詩につけた歌(5曲)のものと思われるが詳細は知らない。共演したフェリシー・カショフスカ(Felicie Kaschowska, 1867-1951)はワルシャワ生まれのソプラノでドイツ圏でワーグナー歌手として活躍した。

*参考サイト:Felicie Kaschowska(独語)
**これまでの関連記事france100.exblog:8月のオペラ座「ワルキューレ」(1907.08.20)ミュンヘンのモトルに影響を受けてのビュッセルの指揮

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用:
2月27日(木):コンセール・ラムルーで、フェリックス・モトルが、ワーグナー祭を極めて厳正な権威をもって指揮する。「ローエングリン」のいくつかの断章と「トリスタン」と「ニュルンベルクの名歌手」。演奏会が終って祝辞を述べに行くと、彼は、オーケストラの質にたいして、特に管楽器のそれにたいして、あらためて感歎の言葉を述べる。

*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、©新庄嘉章・訳、1908年1月25日より引用:
『ベルリン・ターゲプラット』紙からのアンケート。
それは、ヴァーグネルの死後二十五年祭にあたって、《全ヨーロッパの芸術界、知識界の最高権威者達に、ヴァーグネルの言葉の影響、特にフランスに於ける影響について意見をききたい》というのである。
私は次のように答えた。
「私はヴァーグネルの人間も作品も嫌いである。私の激しい嫌悪は子供の時代から募るばかりである。この非凡な天才は興奮させるよりも、《圧倒》する。彼は多くの似非紳士や、文士や、愚人に、自分達は音楽の愛好者であると思いこませ、ある芸術家達には、天才は習得出来るものだと信じこませた。恐らく、ドイツは、こんなにも偉大であると同時にこんなにも野蛮なものは、他には生み出しはしなかったであろう。」
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by utsushihara | 2008-02-27 23:30 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ウィーンの中央墓地にカール・ツェルニーの墓を建立決定

1908年2月27日(木)

ウィーン市議会では、2月27日の議事において市の中央墓地にカール・ツェルニーの遺骨を納めた墓を建てることを決定した。ツェルニーには2500曲を超える作品があり、その中には3台のピアノのために64曲、2台のため(もしくは連弾)に489曲、ピアノのために1574曲作っている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288022 « Le Figaro » le 9 Mars, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
カール・ツェルニー(Carl Czerny, 1791-1857)は、日本人でもピアノを習った人ならほとんど夢に見るほどお世話になった思い出の教則本の作曲者である。ツェルニーが亡くなったのは1857年7月15日なので、上記の話が持ち上がったのは死後50年(1907)を期してのことだったのだろう。下記の参考サイト(2)に彼のお墓の写真があるが、至って簡素なものであった。
この記事から想像してみると、大作曲家のために現在のような立派な記念像や墓碑が整備されたのはだいぶ後年になってからではないだろうか?(中央墓地ではないが、モーツァルトの墓が建てられたのも確かに後年になってのことである)

*参考サイト:
(1)Wipipedia(和文)カール・ツェルニー
(2)音楽史跡とオペラの旅:ウィーン中央墓地(その他の音楽家)2004.1.2
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by utsushihara | 2008-02-27 18:22 | オペラ、音楽、演劇1907-08

セーヌ川の増水と地下鉄工事現場への浸水

f0028703_17375011.jpg1908年2月26日(水)

セーヌ川が増水しており、ここ数年間でこれほどの水位に達したことはなかった。とりわけ水はけの悪いコンコルド広場付近で被害が出るのではと懸念されている。ロワイヤル橋の近くでは、パリの詩的情緒をかもし出していた見事なポプラ並木の根元がえぐられる事態となっている。

昨日(26日)最初に届いた知らせは大いに驚かされた。地下鉄のヴァンセンヌ~ポルト・マイヨ線に浸水の被害が出たと言うのである。幸いにもこれは誤報であった。以下が出来事の真相である。
コンコルド広場付近にはかつて「渡し守の納屋」(グランジュ=バトリエール)と呼ばれる小川がセーヌ川に流れ込んでいた。実は今でも広場の地下を流れており、セーヌ川の水位が上がったときに、この川の水がコンコルド広場の中央部まで逆流するのである。また、ちょうど今、地下鉄8号線(オペラ~オートゥイユ)の建設がこの広場の下で進められており、内壁の隙間から工事現場に大量の水が流れ込むこととなった。正午には現場の水位は1mに達し、午後4時には2m50にまで至った。さらに水はけの悪さにより、ついにヴァンセンヌ~ポルト・マイヨ線(1号線)の線路にも約100mの区間で浸水が及ぶこととなった。幸いにも地下鉄の運行には支障がなく、単に排水作業に取り組んでいる消防隊員が感電事故の危険を回避できるようにレーピン総監をはじめ、消防幹部が指揮をとった。夜間には消防隊に代わってフレーヌ設備会社の従業員が作業を続けている。

f0028703_13413770.jpg(続報2/28)浸水したコンコルド広場の地下鉄工事現場は、午前3時までのフレーヌ設備会社の従業員の排水作業により復旧が進んだ。しかし工事現場の機械や用具はめちゃくちゃになっており、木組みなどは歪んだり動いたりして耐久度が弱まっている恐れがある。地上ではコンコルド広場は警官隊が交通を遮断し、復旧作業のすみやかな進行を支援している。

(続報3/01)降り続けた雨によりセーヌ川はさらに勢いよく水嵩を増している。昨日の朝、ロワイヤル橋では通常の2倍近くの水位の4m57に達した。パリの水上バス(バトー・パリジァン)は運行を限定を余儀なくされ、各港の荷役作業はほとんど中止となった。駅河岸、ラペ河岸、ベルシー港だけが浸水の被害が及んでいない。片や、モンテベロ橋とトゥルネル橋付近では濁流が資材置場の河岸に押し寄せた。
オーステルリッツ河岸では午後7時頃、1艘の平底船が濁流にもまれ、沈没を免れるために大変な思いをさせられた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.39; Avril, 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288011 « Le Figaro » le 27 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288012 « Le Figaro » le 28 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288014 « Le Figaro » le 1er Mars, 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
Titre série:Inondations de 1908 ; Paysage, études d'arbres et de cours d'eau
Légende:Crue de la Seine à Paris, quai et arbres dans l'eau; Auteur de la photo: Jules Girard

**これまでの関連記事france100.exblog: セーヌ川の増水(1906)(1906.03)

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by utsushihara | 2008-02-26 17:35 | フランス社会政経1909-10

フェミナ劇場で「演劇三十年共済基金」の慈善公演

1908年2月25日(火)

演劇三十年共済基金では、無料診療所を開設するための慈善公演を2月25日、フェミナ劇場で行なうが、オペラ・コミック座の支配人アルベール・カレ氏による恒例の協力により演目に新たな魅力が盛り込まれた。
まずオペラ座のローズ・キャロン女史、シャルル・マックス夫人、ル・リュベズ氏による歌劇「オテロ」(Othello)の最終幕がポール・ヴィダル氏の指揮によるオペラ座管弦楽団で演じられる。
また演劇では、ミゲル・ザマコイス氏作の「ボエモス」(Bohemos)がブランシュ・バレッタ嬢、マルセル・ド・ジェルミニー氏、アンリ・ド・ベルマンガム氏によって、およびポール・フェリエ氏作の「二月の夜」(Nuit de Février)がジャンヌ・ロリー嬢、ユグネ氏によって初演される。
そして観衆が喝采するのは、この企画のために特別にマリキータ女史によって振付けられた「千二夜」(La Mille et deuxième nuit)という無言劇であろう。この新しいバレエはリムスキー=コルサコフの音楽に乗ってオペラ・コミック座のトップの踊り手レジナ・バデ嬢を中心に踊られる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288001 « Le Figaro » le 17 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288006 « Le Figaro » le 22 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288007 « Le Figaro » le 23 Fév. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288009 « Le Figaro » le 25 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 01-005705 Fonds : Peintures - © Hervé Lewandowski; Titre : Portrait de Mme Charles Max; Auteur : Giovanni Boldini (1842-1931) Localisation : Paris, Musée d'Orsay

f0028703_23322344.jpg[ Ψ 蛇足 ]
演劇三十年共済基金(Trente Ans de Théâtre)と訳してみたが、困窮に陥った演劇人を救済するための基金のような組織の名称と思われる。オペラ・コミック座の支配人アルベール・カレ(Albert Carré)が世話人として慈善公演の企画を立てていたようだ。
「オテロ」(Othello)はヴェルディのオペラのことと思う。ローズ・キャロン(Rose Caron, 1857-1930)はレジオン・ドヌール勲章を受けたソプラノ歌手、またシャルル・マックス夫人(Mme Charles Max)も社交界でも有名な美貌を誇る歌手だった。(←画像)女性らしさのあふれる魅力を描くのを得意としたボルディーニ(Giovanni Boldini, 1842-1931)による彼女の肖像画がもっとも有名である。いろいろ調べたが、彼女の来歴や本名は今のところわからない。
マリキータの振付けによるレジナ・バデ(Régina Badet)の「千二夜」の音楽はリムスキー=コルサコフの代表作、交響組曲「シェヘラザード」(Shéhérazade)から採っただろうと想像がつく。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)1906年のレジオン・ドヌール芸術部門の叙勲者:ローズ・キャロン(1906.07.14)
(2)1906年春季展(サロン)Ⅱ-2 :「ジシー伯爵夫人」(Portrait de la Comtesse Zichy)
ジョヴァンニ・ボルディーニ作
(3)モンテカルロでバレエ・パントマイム「マリカ」初演(1908.02.17)レジナ・バデ出演
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by utsushihara | 2008-02-25 23:30 | オペラ、音楽、演劇1907-08

マラコフ通りの蛇行運転の車(ベルエポック事件簿)

1908年2月25日(火)

昨日(24)の朝、パリ16区マラコフ通りを巡回中の警官は、2台の自動車がそろって、まるで運転したこともないような走り方でふらふらと右に左に蛇行して走っているのを見つけた。そこにもう1人の男がやってきて1台の車に乗り込み、急発進で走り去った。しかしそのすぐあとで、その車はもう1台の車を探しに戻ってきた。
警官たちは車を制止させ、3人の男を逮捕した。署まで連行して調べたところ、いずれも前科のあるフリジョン、ロスケ、シルヴォという者たちとわかった。彼らは付近に住むアメリカ人の車庫から2台の車を盗もうとしたのである。彼らは直ちに拘置所送りとなった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288009 « Le Figaro » le 25 Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
原題:Voleurs d’automobiles
[ 慣用句 ] ふらふらと右に左に蛇行して: allant de droite à gauche, au hasard

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by utsushihara | 2008-02-25 16:01 | ★ベルエポック事件簿1908

チュイルリー街が水道管破裂で水浸しに

f0028703_15163749.jpg1908年2月24日(月)

リヴォリ街とチュイルリー街の道路は、地下の水道管の破裂によって水が溢れ出し、洪水のような状態となった。この一帯は2月24日一日中被害の様子を見物に来た物見高い群衆によって混乱した。警察や首都防衛軍からなる治安維持隊が出動し、氾濫したこの道路の南側と公園の一部への立入を禁止した。消防隊による熱心な排水作業によりあらゆる危険は回避された。技師たちに率いられた作業員が破損した本管を交換し、水利の復旧作業が進行している。完全復旧までは2~3日かかる見込みである。
チュイルリー公園の中では氾濫の跡はほとんど消え去っている。地下倉のある近隣の家屋では浸水の被害を受けており、復旧作業が続いている。水道管の破損により一時的に断水となった地区では給水サービスは確保されている。この地域ではあと数日間、写真(←)のような見苦しい様相が残るだろう。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288009 « Le Figaro » le 25 Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.39; Avril, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
現在ではチュイルリー公園に隣接する長い道路はリヴォリ街(rue de Rivoli)で統一されているが、百年前には一部はチュイルリー街(rue des Tuileries)と呼ばれていたらしい。
いつの時代にも「ヒマ人」と外からは見られそうな人々が駆けつけて様子を見守る姿があるが、本人たちはヒマだから来ているという意識では全くない。

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by utsushihara | 2008-02-24 15:15 | フランス社会政経1909-10

イザイの盗まれたストラディヴァリウス見つかる

1908年2月

昨年末にペテルブルクで盗まれたイザイの名器ストラディヴァリウスが見つかった。この素晴しいヴァイオリンは8万フランの価値があるとされていた。ちょうどウジェーヌ・イザイ氏はウィーンで演奏会を開いており、発見したオーストリア警察は急いでこの吉報を演奏中の巨匠のもとに伝えた。彼がどんなに大喜びしたかは察するに足りる。
この高価な楽器はペテルブルク~ウィーン間の鉄道の途中にあるプレロー駅の食堂の給仕のもとに見知らぬ男によって40クローネで質入れされたのであった。犯人はほどなく捕えられるだろうと目されている。オーストリア警察はこの男のヴァイオリンに対する価値観の低さに安堵している。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288007 « Le Figaro » le 23 Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
前の記事では6万フラン、今回は8万フランと書いている。1フラン=約2000円としても1億2千万円~1億6千万円である。金余りの現代ではオークションなどで価格が容易に吊り上るだろうと想像するが、驚くよりもむしろ呆れてしまう。

**これまでの関連記事france100.exblog:イザイの名器ストラディヴァリウスが盗難(1907.12.28)
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by utsushihara | 2008-02-22 16:28 | オペラ、音楽、演劇1907-08