フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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在フランス日本大使館の新装披露

f0028703_18114963.jpg
1908年1月31日(金)

日本大使栗野閣下は昨日、夫人とともに新装成った迎賓サロンを披露する画期的な夜会を開催した。これらの広間の例を見ない魅力は、日本の装飾美術の最も繊細で最も豪華な典型物を寄せ集めたもので、かねてよりその生彩に富んだ詳細な味わいが報じられている。
31日、オッシュ通り7番地の日本大使館に招かれた人々は喜びにあふれ、栗野男爵夫妻に対する賞賛を惜しむことはなかった。

シャルル・ド・ブルボン公爵閣下、エミール・ルーベ前大統領夫妻、各国大使、政府高官、閣僚とりわけクレマンソー氏、アントナン・デュボスト議長、セーヌ県知事セルヴ夫妻、レーピン警視総監とその令嬢、フロランタン将軍夫妻、ブリュジェール将軍夫妻、ダルスタン将軍、
グレフュール伯爵夫人、ヴィスタ=エルモーザ公爵夫妻、ジョゼフ・レイナック夫妻、ヴェルヌィユ夫妻、アルフレッド・ピカール氏、アンドレ・ファリエール氏、ジャン=マリー・サリアン氏、
ローアン公爵、ヴォグエ侯爵、ヤンヴィル伯爵夫妻、カステラーヌ伯爵夫妻、
ジョルジュ・ビベスコ公爵夫妻、ロートシルト男爵夫人、アンリ・ド・ロートシルト男爵、ショワズル=グフィエ伯爵夫妻、マルティネ伯爵夫妻、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵、ジャン・ベロー氏、アンリ・ウッセー氏、ジョルジュ・ケーン夫妻、
セメゾン伯爵夫妻、ブルトゥィユ侯爵夫妻、オーベール提督、フーキエール夫妻、ラクロワ将軍、デルカッセ夫妻、ウェントワース侯爵夫人、オーネー伯爵夫妻などなど。

これほどの数多くのそして華やかな参加者は例を見なかった。この華麗なレセプションに加えて栗野男爵夫妻が準備したサプライズは、サダヤッコの一座の面々による芝居の上演であった。背景がノグチによって描かれた一幕の日本の悲劇「三姉妹」(Les Trois soeurs)で、以下がそのあらすじである。

タキグチは妻のヒトヨの気晴らしのため、彼女の妹二人、チヨとモモヨを会いに来させる。するとタキグチは義妹のチヨに急に心を奪われてしまい、彼女に言い寄る。妻のヒトヨは夫の一時的な気の迷いと信じ、気立ての良い末妹のモモヨにこの泣き言を打ち明ける。しかしヒトヨのところに届いた和歌の一句が夫の不義と離婚を同時に伝えることになる。半狂乱となったヒトヨは短剣を取り、裏切者たちのところに馳せつけようとする。それを末妹のモモヨが引きとめようし、もみ合いになる。そしてヒトヨはモモヨを刺殺してしまい、次いで自害する。
タキグチのもとを抜け出たチヨは姉妹の死体を眼の前にし、復讐を決心する。タキグチはチヨから一撃を受けるが、彼はすぐその短剣を奪い取り、チヨを刺す。死闘の末、二人は息絶える。


出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287985 « Le Figaro » le 1er Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
上掲(↑)は「菊の広間」(Salons des chrysanthèmes)と紹介されている。上記の記事にある住所、オッシュ通り7番地(7, ave. Hoche)には現在も日本大使館がある。(大使公邸は別)
サダヤッコの出し物は、グラン・ギニョル風の凄惨な内容だが、招待者は日本演劇の舞台の珍しさに大いに興味が引かれたようだ。演目については未詳。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(和文)栗野慎一郎
(2)外務省、外務本省、外交史料Q&A その他
Question(9)日本の「大使館」が最初に設置されたのは、いつ、どこの国ですか。

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by utsushihara | 2008-01-31 18:30 | フランス社会政経1909-10

ドビュッシーのロンドン公演とサン=サーンスのカイロ公演

1908年1月

[ ロンドン発 ]
クロード・ドビュッシー氏は英国ロンドンのクイーンズ・ホールにて自作の『牧神の午後への前奏曲』(Le Prélude à l’après-midi d’un faune)と『海』(La Mer)の演奏においてオーケストラの指揮をとり、確かな成功を収めた。

[ カイロ発 ]
サン=サーンス氏はエジプトのカイロにあるケディヴィアル劇場(Khédivial)における自作のオペラ『サムソンとデリラ』(Samson et Dalila)の練習を取り仕切り、公演は大成功となった。次には『ヘンリー8世』(Henry VIII)が予定されている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
平島正郎氏著による往年の優れた評伝《大作曲家・人と作品》『ドビュッシー』は愛蔵の一冊だが、なかなか時系列的な出来事が頭に残らない。最終章「14.殉教・晩年」の脚注に下記の記述を見つけた。

1.1908年1月19日に、コロンヌ演奏会で《海》の再演を指揮して以来、ドビュッシーは、時おり自作の指揮者として公衆の面前に立つ機会を持つことになった。招かれて外国に何度か演奏旅行も試みている。
©平島正郎《大作曲家・人と作品》『ドビュッシー』音楽之友社・刊

**これまでの関連記事france100.exblog: ドビュッシー、初めての指揮で「海」を演奏(1908.01.19)

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by utsushihara | 2008-01-31 18:21 | オペラ、音楽、演劇1907-08

コロンブのセーヌ河岸の謎の水死体(前篇)(ベルエポック事件簿)

1908年1月31日(金)

コロンブ付近のセーヌ河岸に数日前から停泊していた平底船「ラ・ストラ」号の乗組員たちは、昨日(30日)岸辺を通りかかったある女性から川の中に死体が浮いていると教えられた。彼らは鈎竿で死体を引っ掛け、陸地に引き揚げることができた。

クールブヴォワの警察署長ロンプレ氏がすぐに調べてみたところ、20代の青年で胸と背中を刃物で少なくとも13回刺された痕があり、死後3~4日経過していると思われた。被害者はおそらく数人のならず者に襲われ、殺された後にセーヌ川に投げ込まれたのだろう。

直ちにパリ警視庁のアマール警視が呼び出され、彼は捜査を開始し、アルジャントゥイユ、コロンブ、クールブヴォワにまたがる地域に6人の刑事を取り掛からせた。セーヌ川両岸沿いのすべてのホテルを訪ねたが、何の手がかりも得られなかった。

被害者の男性の特徴は下記の通りである。年齢20歳位、身長1m70、栗色の髪で「ブレッサン」風にカットされている。目は灰色、鼻は中くらい、細面長で頬骨が突き出ている。右の頬に古い傷跡がある。左足脛に昔の火傷の痕がある。
服装は、濃灰色の縞模様のコート、黒い幅広の縞の入った黄灰色の上着とチョッキ、黒いツイードのズボン、綿のワイシャツは濃灰色で裾に洗濯ネームのI.B.のイニシャルが付いている。かかとを直した編み上げ靴を履いている。
ポケットの中には、真新しい女物のハンカチ、金庫の鍵1つ、鉄道切符が1枚見つかった。この切符はサン=ラザール~ヴァレ間の往復切符の復路分で、10月に発行されている。
被害者の右指には銀の指輪があり、「思い出」(Souvenir)という銘が入っている。

法医学死体安置所(モルグ)にはまだ誰も身元確認に来ていない。今日トワノ博士が司法解剖することになっている。検察局から予審判事としてアンドレ氏が指名されている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287984 « Le Figaro » le 31 Jan. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
原題:Un crime mystérieux : Le noyé de Colombes
事件の現場コロンブ(Colombes)はパリ北西部郊外のセーヌ川沿いの町である。対岸がアルジャントゥイユ(Argenteuil)になる。
警視庁のアマール警視(M. Hamard, le chef de la Sureté)
f0028703_22165860.jpg
画像 Crédit d’image : ©Carte routière Michelin; No.101 Banlieue de Paris

*[慣用句] 胸と背中を刃物で少なくとも13回刺された痕があり(ne portait pas moins de treize coups de couteau dans la poitrine et au dos)
これは上記では直訳してみたが、13という数字は(恨みを込めた殺意から)「たくさんの」刺し傷という意味ではないかと思う。

**関連記事france100.exblog:コロンブ事件(後篇)(1908.02.02)

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by utsushihara | 2008-01-31 17:52 | ★ベルエポック事件簿1908

ある愛の事件(ベルエポック事件簿)

1908年1月31日(金)

イタリアのトリノに住むかなりの良家に育った若い娘、アンジェラ・R嬢は2年前に裕福なブラジル人の青年ジョルジュ・L某と知り合った。彼は見聞を広めるためにイタリアを旅行していたのである。彼らは関係を深め、2人の間に2人の子供、息子1人と娘1人が生まれた。それからジョルジュ・L某はトリノを離れ、パリに来たが、彼女もその後を追い、彼のもとで2ヶ月過ごした後、両親の許しが出たので彼女は少しの間イタリアに戻った。その少しの間に彼女は仕送りと情熱的な手紙を何度か受け取った。それから文面が少しずつ変化して行き、数日前になってジョルジュから関係を終わらせたいと伝えてきた。
気が狂いそうになったアンジェラはすぐ列車に乗り、水曜日の夜にパリに着いた。彼女をブラジル人は極めて冷淡に迎え、自宅に泊まらせずに近くのピエール・シャロン街のホテルに部屋を取ってやった。それでも彼らは翌木曜日には一日中一緒に過ごし、晩にはグラン・ギニョル座を見に行った。それから彼はホテルの玄関まで彼女を送ってきたが、そこでひと悶着があった。彼女は泣きながら部屋に上がり、不実な男に長い手紙を書き、明日一番で届けるようにと頼んだ。

翌朝午前11時になっても彼が来ないのをみて、アンジェラは自分の心臓の辺りに拳銃を一発撃った。その数分後にジョルジュがやってきて、大急ぎで彼女をグルネル病院へ運んだ。彼女は助かる見通しである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287985 « Le Figaro » le 1er Fév. 1908
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by utsushihara | 2008-01-31 11:52 | ★ベルエポック事件簿1908

オデオン座で中国の「守銭奴」劇

f0028703_17582382.jpg1908年1月30日(木)

オデオン座では5週間続けて毎週木曜日の午後、モリエールの「守銭奴」に関連する作品を取り上げて、予約会員のための再現公演を行なっている。今回のアンドレ・アントワーヌ氏の企画はおそらく今までになく最も風変わりな出し物となるだろう。
それは中国の「守銭奴」劇(Avare chinois)で四千年前にさかのぼる話をジュディット・ゴーティエ女史が巧みに脚色したものである。中国における演劇の忠実な再現を目の当たりにすることになる。音楽はベネディクトゥス氏によって忍耐強く採取されたもので、人の心を強く捉える話し方で交わされる対話に拍子をつけて伴奏される。
さらにアントワーヌ氏は装飾画家のパクロー氏と協力して風変わりな、そして芸術的な演出による舞台に工夫をこらしている。恒例の演目の解説は、ジュディット・ゴーティエ女史によって行なわれる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287980 « Le Figaro » le 27 Jan. 1908
画像 Crédit d’image : © Photo RMN 03-000990- ©Thierry Ollivier / Titre : Plat à décor de personnages
Période : 18e siècle, règne de Kangxi (1662-1722) 清朝第4代康熙帝時代の彩色絵皿
Localisation : Paris, musée Guimet - musée national des Arts
f0028703_17585481.jpg画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN; Judith Gautier

[ Ψ 蛇足 ]
(←画像)ジュディット・ゴーティエ(Judith Gautier, 1845-1917)は文豪テオフィル・ゴーティエの娘で父親の文才を受け継ぎ、東洋文化(特に日本と中国)に深い造詣と学識があり、小説や美術解説書などを著している。

**これまでの関連記事france100.exblog:「愛の姫君たち」の上演(1907.01.24)
ジュディット・ゴーティエの劇作品(Princesses d’amour)

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by utsushihara | 2008-01-30 17:57 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ゾラの小説のような悲劇(ベルエポック事件簿)

1908年1月

パリ6区サン=シュルピス教会のそばのモンフォーコン街の小さな部屋に住む一人の母親が、自分の2人の子供とともに自殺した。母親の名前はスエヤール夫人、旧姓カミーユ・ポワトゥで、ルネとジルベールという5歳と3歳の息子がいた。彼女は電報局の職員だった。6年前に結婚したが、夫婦の間で喧嘩が絶えず、ほどなく別居し、小さなジルベールが生まれたあと示談により離婚した。
不幸にもスエヤール夫人は勤務先から業務上の深刻な問題の数々を指摘されており、少し前に長男の病気を理由にやむなく仕事を放棄するに至った。出勤停止4日間の処罰は、他の件でも職場の規律委員会から召還されていた彼女を打ちのめした。
逆上し、絶望した彼女は、死のうと心に決め、彼女が人生で耐え忍んできた苦しみを子供たちから遠ざけようと考え、毒薬を飲ませてその命を絶った。3人の死体が発見されたときは死後3時間経過していた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287985 « Le Figaro » le 1er Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
原題:Une mère s’empoisonne avec ses enfants
いつの世にも見聞きするこうした悲劇は本当にどうにもならないものなのか、と自問してしまう。人生は明るい話題だけでは済まないのは確かだが・・・

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by utsushihara | 2008-01-30 14:29 | ★ベルエポック事件簿1908

ベートーヴェンとテレーゼ・フォン・ブルンスウィック

f0028703_1749745.jpg1908年1月

ハンガリーから興味深い情報が「芸術家世界」誌(Monde Artiste)に寄せられている。それはベートーヴェンがピアノ・ソナタ嬰へ長調を献呈したテレーゼ・フォン・ブルンスウィック伯爵夫人に関するものである。
1793年、18歳のテレーゼはウィーンの宮廷に姿を現わした。彼女は美しく才気にあふれ、4ヵ国語を話し、多くの人々の気を引きつけた。この頃彼女は音楽を身につけたいと望み、ベートーヴェンがレッスンをすることになった。3歳の差でしかなかった。そして彼らは最初の出会いから互いに愛するようになった。テレーゼは彼を《音楽のミケランジェロ》と呼び、心底から熱愛し、自分の肖像画に以下の献辞を添えて贈ったものが見つかった。

      まれなる天賦の才に
      偉大なる芸術家に
      比類なき人に

70歳を過ぎてもテレーゼ・フォン・ブルンスウィックは見事にベートーヴェンの作品を演奏していた。伯爵夫人はとても信仰心が深く、ベートーヴェンの死後は福祉活動に身を捧げた。彼女はハンガリーで最初に幼稚園を設立した。彼女は1850年にブリュンで死去した。76歳だった。常にベートーヴェンの思い出を大切にしていた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287980 « Le Figaro » le 27 Jan. 1908
画像 Crédit d’image : © The Project Gutenberg eBook, The Loves of Great Composers, by Gustav Kobbé
Beethoven and his "Immortal Beloved"(ベートーヴェンと不滅の恋人)
[Illustration: Countess Therese von Brunswick, from the portrait by Ritter von Lampir in the Beethoven-Haus at Bonn. Redrawn by Reich.]

[ Ψ 蛇足 ]
テレーゼ・フォン・ブルンスウィック(Therese von Brunswick, 1774-1850)は、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)の「不滅の恋人」のうちの1人と目されている。献呈したピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」は、名曲「熱情」ソナタの次に来る作品で、10分足らずながら技巧的かつ情熱的な作品と言われている。
テレーゼ・ブルンスウィックが結婚していたかどうかは専門家にまかせたいが、献呈の表紙には独仏語交じりで「ソナタ嬰ヘ長調、テレーズ・ド・ブルンスウィック伯爵夫人へ」(Die Sonate in Fis-dur, A Madame la Comtesse Thérèse de Brunswick)表記されている。Comtesse は伯爵夫人と訳すか、女伯爵と訳すか微妙だが、一応伯爵夫人とした。

別の史料では、1799年頃ベートーヴェンはブルンスウィック姉妹のレッスンに長い時間をかけて、労をいとわずに彼女たちの指を抑えたり曲げたりした、と彼女たちが回想している。

*参考サイト:
(1)Beethoven : Piano Sonata No. 24 (Sonate à Thérèse) in F# major, op. 78 ピアノ・ソナタ第24番嬰ヘ長調『テレーゼ』作品78
(2)8 notes.com; Ludwig Van Beethoven - Für Elise sheet music「エリーゼのために」のピアノ楽譜
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by utsushihara | 2008-01-29 17:42 | オペラ、音楽、演劇1907-08

新演出による歌劇「ファウスト」上演

f0028703_1875683.jpg1908年1月27日(月)

オペラ座では1月27日午後7時45分、グノーの歌劇「ファウスト」5幕7場の公演から活動を再開する。これは1299回目の公演となる。配役は、
ファウスト(Faust): リュシアン・ミュラトーレ氏(Lucien Muratore)
メフィストフェレス(Méphistophélès): フランシスク・デルマ氏(Francisque Delmas)
マルグリット(Marguerite): ジャンヌ・アット嬢(Jeanne Hatto)
シエベル(Siebel): マスティオ嬢(Mastio)(新人)
ヴァランタン(Valentin): ダンジェス氏(Dangès)(新人)
であり、オーケストラ指揮はポール・ヴィダル氏となっている。演出、舞台装置、衣裳はすべて新しいものとなっている。
f0028703_18115920.jpg
(1月20日付の「フィガロ」の記事から)
オペラ座新支配人のブルッサン氏とメサジェ氏は、新体制のオペラ座を1月27日(月)歌劇「ファウスト」によって開始することを正式に決定した。既報の通り、このグノーの傑作は新しい演出、新しい舞台装置、すっかり新しい衣裳によって観客にお披露目となる。
来たる25日(土)は限られた人々のための総練習が行なわれる。事務局からは《報道関係者のみ》という通知が届いている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287970 « Le Figaro » le 17 Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287973 « Le Figaro » le 20 Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287980 « Le Figaro » le 27 Jan. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Marguerite-Jeanne Hatto, dans “Faust”; Atellier Nadar, pris 1908.02.14
画像 Crédit d’image : ©Wikisource; James Tissot "Faust" (détail)

[ Ψ 蛇足 ]
下記に引用した「パリ楽壇70年」でも「ファウスト」が19~20世紀初頭にかけてパリ・オペラ座の中心看板だったことがわかる。今回の女主人公役のジャンヌ・アット(Jeanne Hatto, 1879-1958)の美しく清楚なイメージはマルグリットとしてぴったりだったのではないだろうか。(↑)
*参考サイト:Lotz-verlag—Literatur-Postkarten; Jeanne Hatto
f0028703_18234162.jpg1月17日のフィガロ掲載のアルベール・ギヨーム(Albert Guillaume)による「ファウスト」の戯画(←)では、マルグリットに「あたし、宝石よりも真珠の首飾りが欲しかったの」と言わせている。

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用:
[第10章] (・・・)しかしグノーの「ファウスト」はいわばオペラ座の中心基石であって、新支配人たちの最初の配慮は、演出と装置と衣裳を一新することであった。それはデューラーからホルバインに至る浪漫的精神にのっとっていた。その実行を監督するのは、画家のピエール・ラガルドであった。

1908年1月13日(月):メサジェの支配人室で、これまでなかったことだが、ポール・ヴィダルとバシュレとラボーと私たちオーケストラ指揮者が集合する。それは、グノー自身が指揮した第500回公演においてポール・タファネルがメトロノームで記録したのであったが、その「ファウスト」の正確な速度をつかむためである。

1908年1月25日(土):画家パンションによって意匠された新しい装置と衣裳で「ファウスト」の総練習。テノールのミュラトールは、ホルバイン精神そのものである。ジャンヌ・アットとデルマを中心とする選抜された歌手たち。ポール・ヴィダルが指揮台に立つ。メサジェが自分一存にあまりにも厳しく、合唱者たちに当たりちらす。彼はこの劇場の平和を好む習慣を少しかき乱す・・・
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by utsushihara | 2008-01-27 18:06 | オペラ、音楽、演劇1907-08

パリ3大オーケストラの競演

1908年1月26日(日)

パリ音楽院管弦楽団の演奏会(午後2時から)指揮:ジョルジュ・マルティ氏(Georges Marty)
①シューマン(R.Schumann):交響曲第1番変ロ長調(Symphonie en Si bémol, No.1)
②グリーグ(Ed. Grieg):組曲「ホルベアの時代から」(Au temps d’Holberg, suite dans le style ancien)初演
③ベートーヴェン(Beethoven):ヴァイオリン協奏曲(Concerto pour violon) 独奏モーリス・アヨ氏 (M. Maurice Hayot))
④無伴奏の合唱曲:ジャヌカン(Jannequin)「楽しい遊びに」(Au joly jeu)、コストレー(Costeley)「疲れた、もう歩かない」(Las, je n’yray plus)ほか
⑤ウェーバー(Weber):「オベロン」序曲(Ouverture d’Obéron)


コロンヌ管弦楽団の演奏会(午後2時半からシャトレ座にて)指揮:エドゥアール・コロンヌ氏(Edouard Colonne)フランス音楽特集(festival de musique française)2人の大家、ダンディ氏とドビュッシー氏の自作指揮。
①ダンディ(V. D’Indy):「想い出」(Souvenirs) 作曲者自身の指揮
②ドビュッシー(Debussy):「海」(La Mer) 作曲者自身の指揮
③セザール・フランク(César Franck):「プシケ」(Psyché)、独唱ジュディト・ラサル嬢(Mlle Judith Lassalle)、他に合唱と管弦楽
④ポール・デュカ(P. Dukas):「魔法使いの弟子」(L’Apprenti sorcier)
⑤セザール・フランク(César Franck):交響的断章「贖罪」(Rédemption, morceau symphonique)、前回の演奏会で絶賛され再演の希望があった
わが国の若手作曲家3人の才能の、その力強さ、生気、多様性を浮彫にする賞賛すべき演奏会であった。


ラムルー管弦楽団の演奏会(午後3時からガヴォー楽堂にて)
①ベートーヴェン(Beethoven):「コリオラン」序曲(Ouverture de Coriolan)
②ブラームス(Brahms):交響曲第1番(1ere Symphonie)
③R.シュトラウス(R.Strauss):「死と変容」(Mort et Transfiguration)
④ベートーヴェン(Beethoven):ピアノ協奏曲第4番(4e Concerto pour piano)、独奏レオポルド・ゴドフスキー氏(M. Léopold Godowsky)
ドイツのグュルツェニッヒ管弦楽団(Gürzenich)の指揮者とケルン音楽院長を兼ねる著名な楽長フリッツ・シュタインバッハ氏(Fritz Steinbach)は、ピアノの名手レオポルド・ゴドフスキー氏(Léopold Godowsky)との協演でラムルー管弦楽団を指揮した。誠実な演奏で確かな職人芸と深く掘り下げた音楽性、そしてしばしば現出する真の叙情的な感性、パリの聴衆にかなり好感をもって受け入れられた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287974 « Le Figaro » le 21 Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287978 « Le Figaro » le 25 Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287980 « Le Figaro » le 27 Jan. 1908
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by utsushihara | 2008-01-26 19:10 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サン=クルーで国際クロスカントリー大会

f0028703_2253743.jpg1908年1月26日(日)

1月26日国際クロスカントリー大会がサン=クルーで開催された。右掲(→)は出発前の様子である。結果は、フランス・レーシング・クラブ(RCF)所属のゼッケン20番のケイゼー(Keyser)が英国勢のロバートソンとグリーンを抑えて1位となった。しかし団体戦では英国のバーチフィールド・ハリヤーズ(Birchfield Harriers)のチームが優勝した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:1907年3月の2つの選手権大会(1907.03.03)クロスカントリーのフランス選手権大会でケイゼー優勝

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by utsushihara | 2008-01-26 11:51 | スポーツ、乗物、探検1907-08