フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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オペラ座支配人の交代

f0028703_12453393.jpg1907年12月31日(火)

すでに1年前に発表されていたことではあるが、21年間にわたってオペラ座の支配人として君臨してきたペドロ・ゲラール氏は、12月31日その権限を後任のアンドレ・メサジェ氏とレミスタン・ブルッサン氏に引き継いだ。オペラ座の建物にある7000もの扉すべてに通用するマスターキー(パスパルトゥ)も引き渡された。
左掲(←)はオペラ座を去るゲラール氏に予約会員たちから贈呈されたアルバムの表紙で、マスネの歌劇「アリアーヌ」第2幕の舞台装置が描かれている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287941-53 « Le Figaro » le 19-31 Déc. 1907
出典Crédit:©BNF-Gallica #287954-5 « Le Figaro » le 1er-2 Jan. 1908

[ Ψ 蛇足 ]f0028703_12544694.jpg
ペドロ・ゲラール(Pedro Gailhard, 1848-1918)
アンドレ・メサジェ(André Messager, 1853-1929)
レミスタン・ブルッサン(Leimistin Broussan, 1855-1921)

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用:
1907年12月31日(火)オペラ座のスタッフのために、支配人ゲラールとお別れのソワレ。「シギュール」と「タイス」と「サムソンとデリラ」と「祖国」の断章。上演が終ると、大きな支配人の応接間で新支配人メサジェとブルッサンの歓迎会。ゲラールをはじめとして全員が心を揺さぶられる。親しいオペラ座を去ることが、彼の心を引き裂くのだ!…

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)次期オペラ座支配人にアンドレ・メサジェ(1907.01)
(2)今シーズンのオペラ座(1906年~07年)(1906.09) ペドロ・ゲラールの紹介
(3)マスネの歌劇「アリアーヌ」の初演(1906.10.31)
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by utsushihara | 2007-12-31 12:44 | オペラ、音楽、演劇1907-08

お正月用の少年読み物(往古広告)

f0028703_10432273.jpg
1907年12月28日(土)

この日の新聞「フィガロ」の広告欄に本の広告が掲載されている。(↓)ジュール・ヴェルヌの遺作『トンプソン旅行社』(L’Agence Thompson & Co.)がエッツェル書店(Collection Hetzel)から発売中と宣伝している。よく見ると地模様のような小文字もすべてジュール・ヴェルヌの作品のタイトルで、既刊のほとんどを網羅している。すべて《驚異の旅》(Voyages Extraordinaires)という副題で統一されている。クリスマスは過ぎてしまったが、新年のプレゼントまでの追い込みといったところだろう。

この当時の原本は、BNF-Gallica電子図書館で読むこともできる。
http://gallica.bnf.fr/document?O=N066339
Auteur : Verne, Jules (1828-1905)
Titre : L'agence Thompson and Co. [Deuxième partie]
Publication : Paris : Hetzel, 1907
f0028703_17434748.jpg

出典Crédit:©BNF-Gallica #287950 « Le Figaro » le 28 Déc. 1907
f0028703_17444175.jpg

もう一つ紹介するのは、フラマリオン書店の広告である。
アルフォンス・ドーデやエクトル・マロの名作に加えて少年たちの心をくすぐる面白そうな題名の本が載っている。左から:
①「生きている金庫」フレデリック・モーザンス作、デスパーニャ画
②「海底のロビンソン一家」キャプテン・ダンリット作、デュトリアック画
③「パリの片隅」ジョルジュ・ケーン著(カルナヴァレ美術館長)
④「パリ散歩」ジョルジュ・ケーン著(カルナヴァレ美術館長)
⑤「風車小屋だより」アルフォンス・ドーデ作、ジョゼ・ロワ&フレフォン画
⑥「大革命下の二人の子供」ポール・ド・セマン作、クレリス画
⑦「ロビンソン・クルーソー」デフォー作
⑧「斑鹿(だましか)の狩人」クーパー作
⑨「家なき子」エクトル・マロ作
⑩「家なき娘」エクトル・マロ作
⑪「ロシア皇帝の勅命」キャプテン・ダンリット作
⑫「婦人のための天文学」カミーユ・フラマリオン著

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by utsushihara | 2007-12-28 17:42 | ※百年前の広告

ドリュド将軍の帰任決定

1907年12月28日(土)

一昨日(26日)の朝、アヴァス通信社の情報では「政府がドリュド将軍に対し、メディウナの城砦を奪取せよと命令した」と伝えた。この命令が出された厳密な日時は不明だが、ドリュド将軍に宛てて出されたのは間違いない。しかし、その数時間後に軍事相のピカール将軍が首相のところに赴き、そのあと非公式ながら「ドリュド将軍がマラリアの発作に襲われ、深刻な病状になっている」との談話を発表した。これはフィリベール提督からの電報をもとに出された情報だったが、前後してピカール軍相に召還を願うドリュド将軍の文書を受け取った。これらの出来事はすべて一昨日(26日)のうちに続けざまに起きたことである。
政府の出した命令とドリュド将軍の帰還要請が交差したことになる。
残念ながらドリュド将軍の病気は、自身の評判を落としかねないという懸念がある。病気はかなり重い。フィリベール提督の新たな電報でも「マラリア」と「無力症」という言葉が同時に使われている。

ドリュド将軍の後継者には、ラ・ロシェルの第69旅団長ダマド将軍が指名された。一昨日の晩、彼はピカール軍相からパリに呼び出され、大統領、首相と軍相に会見し、直ちに新任地に赴くこととなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287950 « Le Figaro » le 28 Déc. 1907

f0028703_1733556.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(←)これまでのドリュド将軍(Général Drude, 1853-19xx)は、カサブランカへの上陸作戦、カサブランカの制圧、カサブランカ近郊のシディ・ブラヒムやタデールの占拠など一応の成果を上げていた。かたや頻繁にモロッコの各部族の首長たちによる反撃にも応戦し続けていた。
下記のグラッセ大尉の従軍記によれば、12月になってカサブランカ南東約18kmのところにあるメヂィウナ(Mediouna)の城砦に部族の軍隊の再結集の動きが見られ、偵察の兵士が狙撃される事件も多くなってきていた。ただしドリュド将軍はその城砦を攻略するには手持ちの6千名の兵力だけでは不十分と考え、兵力の補強を要請していた。またこの頃、ドリュド将軍がマラリアの発症で体調を崩していたのも確かであった。

**参考文献:A travers la Chaouïa, avec le corps de débarquement de Casablanca (1907-1908) par Capitaine Grasset, 118e Régiment d’Infanterie「カサブランカ上陸作戦~シャウィアを横切って」第118歩兵連隊グラッセ大尉著(BNF-Gallica 電子図書105220)
http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-105220

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)仏人青年の殺害とタデールでの戦闘~モロッコ戦役(7)(1907.10.19)
(2)シディ・ブラヒムの占拠~モロッコ戦役(6)(1907.09.21)
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by utsushihara | 2007-12-28 17:01 | モロッコ問題、アフリカ1907-08

イザイの名器ストラディヴァリウスが盗難

f0028703_22161588.jpg1907年12月28日(土)

ブリュッセル発、29日。ベルギー新報社(Le Petit bleu)は、有名なベルギーのヴァイオリン奏者イザイ氏から電報を受け取った。氏は昨夜サント=ペテルブルクのマリインスキー劇場で演奏会を開いたが、その間に劇場内から、所有するストラディヴァリウス製のヴァイオリンが盗まれたと知らせてきた。この楽器の値段は6万フランとされているが、彼はそれ以上のもっと高い価値があると語っている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287952 « Le Figaro » le 30 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
今の貨幣価値に換算すれば約1億円前後となる。ウジェーヌ・イザイ (Eugène Ysaye, 1858-1931)は当時何挺かのストラディヴァリウスを保有していたようだ。こうした「盗まれた名器」はいつの世も話題に事欠かない。下記のWikipediaなどでも行方不明の状態が散見される。イザイが持っていたのは、このリストでは1732年製と1734年製のもので、いずれも「ヘラクレス」(Herkules)と呼ばれ、そのうち前者がこのときに盗難に遭っている。(1908年に盗難となっているが、偶然この小さな記事のおかげで1907年の末だったことがわかった。)
参考(2)のサイトでは、この楽器が1951年の朝鮮戦争の最中に農家の納屋から見つかった、とか語っているが、真偽のほどは不明である。

*参考サイト:
(1)Stradivarius(英文)
(2)Stradivarius Violins – How Genuine? (英文)
**これまでの関連記事france100.exblog:ジャンヌ・ローネーとイザイの演奏会(1907.12.02)
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by utsushihara | 2007-12-28 11:54 | オペラ、音楽、演劇1907-08

群衆の正義(ベルエポック事件簿)

1907年12月27日(金)

ならず者諸氏のふるまいに群衆はいや気をさし始めている。昨日ヴィクトワール街で起こった事件もその一例である。
ポール=ジャック・モーという27歳の男がその路上で一人の娘とばったり出くわした。その娘はシュザンヌ・パスキエ22歳といい、かつて一緒に暮らしていたが、彼女があまり金を稼いでこないときには殴る蹴るの乱暴をふるうので、彼から逃げていたのだった。
「やっと見つけたぞ!死んでもらおうじゃないか!」と叫ぶや、彼女を歩道の上に突き倒して顔を踵で蹴りだした。
すると憤激した群衆の何人かが彼に飛びかかり、彼のほうを地面に投げつけた。もし警官たちが制止しなかったら彼は虐殺されていただろう。モーを群衆から引き離したとき、彼は片目がつぶれ、肋骨が2本折れており、運ばれた先は拘置所の病院だった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287949 « Le Figaro » le 27 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
原題:La foule justicière
*[慣用句] 殴る蹴るの乱暴をする(rouer qn de coups): rouer は車輪(roue)の動詞形で、元々「車責めの刑に処す」の意味がある。

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by utsushihara | 2007-12-27 22:24 | ★ベルエポック事件簿1908

サラ・ベルナール劇場で詩劇「眠れる森の美女」初演

f0028703_15443688.jpg1907年12月25日(水)

サラ・ベルナール劇場では、シャルル・ペローの童話でおなじみの「眠れる森の美女」(La belle au bois dormant)を詩人のジャン・リシュパン氏と劇作家のアンリ・ケーン氏との共作による14景の抒情詩劇として12月25日初演した。音楽はフランシス・トメ氏のものである。
変化に富んだ豪華な場面設定、多様な照明のもとの衣装の輝き、それらのすべてが観客にかくも愛される優れた演技に添えられており、文句なしの大成功であった。サラ・ベルナールとアンナ・ジュディクという完璧な二大女優の稀にみる共演は期待以上の感動を呼び起こし、観客は惜しみない賞賛をおくり続けるだろう。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287947-8 « Le Figaro » le 25-26 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
アンナ・ジュディク(Anna Judic, 1849-1911)は19世紀後半のオッフェンバックを始めとするオペレッタ全盛時代の花形女優で、ブッフ・パリジァン劇場、ヴァリエテ座、ゲテ座で大いに活躍した。上記の劇では先王の乳母と糸車を回す老婆の役で出ている。(↑)
サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)は、詩人ランドリーと王子の2役である。
また眠り姫役のアンドレ・パスカル(Andrée Pascal, 1892-1982)はまだ初々しい15歳の少女だが、伸び伸びと演技していると好評であった。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Anna Judic(アンナ・ジュディク)
**これまでの関連記事france100.exblog:フェミナ劇場の豪華コンサート(1907.05.07)フランシス・トメ(Francis Thomé, 1850-1909)の編曲「ルチア」

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by utsushihara | 2007-12-26 20:40 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ローマ喜劇作家プラウトゥスの「黄金の壷」上演

1907年12月26日(木)

オデオン座では支配人アンドレ・アントワーヌ氏によってモリエール劇「守銭奴」の興味深い学術的な考証が続けられている。今日の午後はこの作品に大きな影響を及ぼしたとされるローマ時代の喜劇作家プラウトゥスの「黄金の壷」(アウルラリア)が上演される。街頭には「両手壷の笑劇」という題で張り出され、ローラン・テラード氏によって実に見事に翻案されている。上演の前にテラード氏による談話が予定されている。出演は、マックス氏、カペラーニ氏、ケルウィック女史、ジャンヌ・リオン女史など。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287948 « Le Figaro » le 26 Déc. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture); Acteur M. de Max, atelier Nadar, 1894

[ Ψ 蛇足 ]
ローマ時代の喜劇作家プラウトゥス(Plaute, ca254-184 a.c.)の喜劇はモリエールやシェークスピアに大きな影響を与えた。「黄金の壷」(アウルラリア=Aulularia)は代表作の一つとされる。最後の部分が散逸しており、後世断片や引用などをもとに再構成されている。
「両手壷の笑劇」(La farce de la marmite)は、諧謔詩人で毒舌家で有名なローラン・テラード(Laurent Tailhade, 1854-1919)が翻訳改作したもの。
右画像は主役のエドゥアール・ド・マックス(Edouard de Max, 1869-1924)
f0028703_1050076.jpg
*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、©新庄嘉章・訳、1908年1月9日より引用:
昨日、オデオン座の昼間興行で『黄金の壷』を観る。マックスが初めて、一般に《皮肉役》と呼ばれているものを試みているが仲々いい。ただ、少し芸が細かすぎる。彼が果して、あの単純化に、――ニイチェが語り、そしてこれなくしては完全な芸術作品はあり得ないあの《輪郭の強力な風化》に――到達し得るか否か疑わしい。彼は批評家に対しては自尊心をもって傲然と構えているが、お客に対しては自尊心を屈服させている。このお客――私は主として彼の楽屋に訪ねてくる客のことを言っているのだが――は快復の余地なきまでに彼の趣味を歪める手助けをしている。
昨日、彼の楽屋に、軽佻そのもののようなおしゃれ青年が六人ばかり来ていた。幸いにジョゼ・ド・シャルモワもいて助かった。それからブレヴァルもいたのだが、話をしてみて、途中でやっと彼女とわかった。彼女は別に気を悪くもせず、愛想よくコポーのことを私に話した。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Aulularia by Plautus(黄金の壺)
(2)Laurent Tailhade; Repères biographiques(仏語)
**これまでの関連記事france100.exblog:マスネの歌劇「アリアーヌ」の初演(1906.10.31)リュシエンヌ・ブレヴァル(Lucienne Bréval, 1869-1935)ソプラノ歌手

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by utsushihara | 2007-12-26 19:29 | オペラ、音楽、演劇1907-08

1907年パリのノエル風景

f0028703_1651196.jpg1907年12月24日(火)~25日(水)

穏やかな天候に恵まれ、ノエルの夜は活気に満ちていた。毎晩のように群集が目抜き通りを流れ歩き、玩具がいっぱい飾られた店頭をのぞき、自分たちの製品を売り込む露天商の呼び声を聞く。カフェのテラスは夏と同じように多くの客で占められている。
教会では信者たちがあふれかえるにもかかわらず、極めて平穏に真夜中のミサが執り行なわれた。そしていよいよ宵越しの宴会(レヴェイヨン)が始まった。ここ数年はやや軽視されてきた感じだったが、今年はこれまでにない盛り上がりを見せた。高級レストランから質素な居酒屋に至るまで空いたテーブルは一つもなく、また多くの家々でも一階から屋根裏まで灯りがともされ、誰もがその好みと手段に従って伝統的なノエルの夜食に興じていた。

この期間にパリが食べつくした食料を数字で示してみるのも一つの考え方であろう。月曜から火曜までレアル(中央市場)で売れたのは、牛肉と豚肉あわせて315トン、牡蠣は4百万個(去年よりも2百万個以上多い)、鳥肉309トン、獣肉(ジビエ)35トン、魚267トン、そしてハム5千本、酢漬けキャベツ(シュークルート)200トン、1万尺のトリュフ入りパテ、さらにかなりの量の白腸詰と黒腸詰(ブダン)であった。

この騒ぎは一晩中続いたが、お祭り騒ぎの陽気さをぶち壊すトラブルはごくわずかであった。飲み過ぎた客同士の口論がいくつか程度で、平時の週末以上ではなかった。パリはひと言で言えば、賢明にふるまったのである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287948 « Le Figaro » le 26 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この年が平和なクリスマスだったことを知る貴重な記事だと思う。(le reveillon a été cette année plus vivace que jamais)
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by utsushihara | 2007-12-25 16:45 | フランス政治社会1907-08

ノエルの事件簿

1907年12月25日(水)

(1)犬に捕まえられた泥棒(リヨン)
リヨン=ペラッシュ駅に勤める夜間警備員ポンセは、現金出納箱を壊している二人の男を見つけた。すぐ目の前で泥棒たちは逃走したが、ポンセの連れていた犬が猛然と後を追いかけ、その鋭い牙で泥棒の一人に噛みつき、主人がやって来るまで押さえつけた。その泥棒はレイという男で傷がひどく、病院に入っている。
原題:Cambrioleur happé par un chien
*[慣用句] 押さえつける( tenir en respect )

(2)司祭館に泥棒(アラス)
北仏アラスの聖ニコラ教区の首席司祭が真夜中のミサを挙げている最中に、不心得者たちが司祭館に押し入り、机の鍵を壊して慈善事業に渡す予定の献金3千フランを持ち去った。
原題:Presbytère cambriolé

(3)礼拝中の死(パリ)
25日朝、フリートランド通りにあるスペイン教会でのミサの最中に参列者の一人の男が突然倒れこんだ。すぐに近くの薬局に運んだが、数分後彼は意識を回復しないまま最後の息を引き取った。シャノ警視によって身元が判明した。彼はルール小路5番地に住む、元フランス不動産銀行審査部長のオーギュスト・ボニエ氏82歳だった。
原題:Mort pendant l’office
*[慣用句] 意識を回復しないまま最後の息を引き取る( il a rendu le dernier soupir sans avoir repris connaissance )

出典Crédit:©BNF-Gallica #287948 « Le Figaro » le 26 Déc. 1907

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by utsushihara | 2007-12-25 15:59 | ★ベルエポック事件簿1908

オペラ座地下室での声の埋蔵式(21世紀の子孫のために)

f0028703_23441212.jpg1907年12月24日(火)

12月24日午後2時、オペラ座の地下室において、オペラ座の書庫室長シャルル・マレルブ氏の主宰のもと発案者の米国人アルフレッド・クラーク氏、および政府関係者などが列席して現代の代表的な歌手による有名なアリアが入ったレコードの数々を「埋蔵」した。ここに納められたレコードは百年後にしか復元しないことになっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287947-8 « Le Figaro » le 25-26 Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
これは20世紀初頭に録音されたレコードをタイムカプセル方式で埋蔵するという式典を伝える記事である。ちょうど百年後となった今=2007年12月には果たして開けられたのだろうか?
上掲(↑)の画像の主だった出席者の中にはマレルブ、クラーク、オペラ座支配人のゲラールの他に政府高官のアリスティド・ブリアン、デュジャルダン=ボーメツ(山高帽)、アドリアン・ベルネム、パリ音楽院長のガブリエル・フォーレなどが見える。

この儀式のことは「フィガロ」の記事の原文では:l’émouvante et curieuse cérémonie de « l’enfouissement », dans les caves de l’Opéra, des disques gramophoniques où avaient été enregistrées, à l’intention de nos descendants, les voix des plus illustres chanteurs et cantatrices de notre temps. となっていた。
「フィガロ」の音楽時評欄の執筆者の一人、ルネ・ララ(René Lara)はこの集まりについて長文の取材記事を「ある風変わりな儀式」(Une Étrange Cérémonie)という題で書いているが、そもそもオペラ座の地下室という場所もミステリーじみた設定で面白い記事だった。時間があれば訳してみたいが・・・

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by utsushihara | 2007-12-24 23:42 | オペラ、音楽、演劇1907-08